「イヴとマリアとアーイシャの物語」明日になれば アフガニスタン、女たちの決断 正山小種さんの映画レビュー(感想・評価)
イヴとマリアとアーイシャの物語
「明日になれば」とのタイトルなのですが、人生において選択肢を持つことができないアフガニスタン人女性3名の閉塞的な日常を描いたオムニバス形式の物語なので、本当に「明日」は来るのだろうかというのが、映画を見た正直な感想でした。映画館の入り口の作品解説のチラシに、SDGs5とのロゴがあったので、ジェンダー平等を目指そうという目標があるのでしょうが、どうして、このタイトルを選んだのか不思議に思ってしまいました。
映画が終わって、エンドロールの辺りで、タイトルらしき「ハッヴァー、マリアム、アーイシャ」の文字列が出てきたので、これが原題だろうと分かったのですが、邦題もこの3名のアフガニスタン人女性の名前をタイトルにすれば良かったのではと思いました。
ところで、エンドロールでこのタイトルを見た時にハタと気がついたのですが、この3人の女性、それぞれユダヤ教とキリスト教、イスラム教に関わるお名前で、順番も旧約から新約、コーランという順番で登場していたのですね。
ハッヴァーと言えば、創世記に出てくるアダムとイヴの「イヴ」であり、マリアム(字幕ではミリアムとなってましたが、発音上はマリアムですし、ミリアムでは旧約に寄せすぎなのでは? これではモーセの姉になってしまいます)と言えば、言わずと知れた大工のヨセフの妻、つまりイエスの母「マリア」のことであり、アーイシャ(字幕ではアイーシャとなってますが、ちょっと調べれば分かる通り、これはアーイシャだと思います)と言えば、預言者ムハンマド最愛の妻「アーイシャ」ということになります。
3名がこのような名前になったのは単なる偶然だとは思いますが、ユダヤ教の昔から現代に至るまで、女たちは常に虐げられ、女中のように、奴隷のように扱われているのだというメッセージを読み込んでしまいます。
実際、日本でも、女は子供を産んで一人前だだとか、女は男に尽くして当然だという考えがかつてありましたし(あるいは今でも一部では残っているようですが……)、アフガニスタンでは、そのような考えが今でも当然のこととして流布しているようです。例えば、タリバン政権になり、女子の就学が禁止されたことなどもこの不平等の一例でしょうし、自分は平気で婚前交渉や婚外恋愛をしておきながら、結婚相手には処女を求めるという愚かでマッチョな男たちもその一例でしょう。この作品が、SDGs5のもと、ジェンダー平等の社会について考えるきっかけになればと思います。世界中で(日本も当然ながらまだまだジェンダー平等と言えません)ジェンダー平等の動きが活発化し、アフガニスタンだけでなく、世界の様々な場所で価値観が変わったとき、その「明日」が来ることになるのだろうと思います。
映画の見せ方としては、無関係の3人の物語と思って見ていると、ちょっとしたセリフなどから、それぞれの世界が繋がっていることが分かり、とても素敵な作り方をされていると思いました。
あと、登場人物の名前の表記についてですが、上に書いた通り、少し調べれば分かることも調べずにカタカナ表記されているのは、いかがなものかと思いましたし、アクバルをアックバールと表記されたときには、勘弁しほしいと天を仰いでしまいました。