「寝た子を起こすな。」私のはなし 部落のはなし 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
寝た子を起こすな。
この手の話を知るたびに、自分はつくづく幸せだと感じる。今思い起こせば酷いことだが、小学生の時に貧乏人をバカにする側の人間ではあった。子供は残酷だと心に痛みを伴って振り返る。だけど、ここまで地域ぐるみでの差別は存在しなかった。実際、その差別の多くは西日本に存在するせいもある。「部落」と言えば、単に集落を意味する単語でしかなかった。だから運動会でも部落対抗リレーとか、普通に使っていた。それがあるときから、「地区」という名称になった。大人に訳を聞くと、それは差別を意味する言葉だから、と返ってきて、あまり触れるなという空気を発していた。それまでの自分たちには、集落ぐるみに差別を受けている人たちがいるなんて知らなかった。だから、「同和教育」という授業の内容もちんぷんかんぷん。そんなことはつい最近まですっかり忘れていた。
ここ数年、宮本常一の本やら中上健二の小説やら読むようになり、カムイ伝に触発を受け、またハンセン病の歴史を知ったりと、明らかに存在していた負の社会を実感するようになった。先日観た「山歌」も同様だ。だけど、それを身近な人に話しても、たいていはやはり皆なんの知識もなく、ちんぷんかんぷん、だ。
随分前の音源だったが、ある落語家(故人)が「アイツ(名を伏せます)が言うんだよ、差別と黒人が嫌いだって」と笑いをとっていた。客にも受けていた。差別する側は、自分たちが差別していることの罪を一つも恥じないのだろう。だから笑えるのだ、人を馬鹿にしていることを気付きもせずに。
たしかに、明治4年の解放令以来、明確に特定されてきた被差別のひとたち。それをこうして映画にすることで「寝た子を起こす」ことになりかねない。実際、そうとも知らずその地に引っ越してきた人もいるようだった。ただ希望は、新興住宅地が増えた大阪の地では「それがどうしたの?」という雰囲気になりつつあることだ。もう、差別してきた世代は歳をとり、いつしか過去のことと気にしていないせいなのだろう。地域によっては、いまだ根深く残る差別は存在するものの、こんな差別はいつの間にか風化していくことが望ましいと感じる。そうは言っても、隠すのではなく、例えばそれを打ち明けられた恋人が屈託なく「あなたはあなた」と言い、また、新しくやってきた住人たちも「昔のことでしょ」と気にも留めなくなることが、彼らにとっての未来かな。
休憩はさんで3時間半、見応え十分。差別をなくすのは、知ることから。ブルーハーツ「青空」を陽気に歌えるその日まで。