「大事なのですね。金銭的には身ぎれいでいることは。」シャイロックの子供たち talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
大事なのですね。金銭的には身ぎれいでいることは。
<映画のことば>
不正のカネっていうのはね、一度手を染めちまったら、いつまでも自分について回る。
返しても、ダメなんだ。
<映画のことば>
私はかつてギャンブルのために、カネのために魂を売り渡した。
でも(あなたのお陰で)その魂を取り戻すチャンスをもらったんです。
ひとりの人間に戻る最後のチャンスをね。
もう後悔はしない。
金融機関というと、とかくに「晴れた日に傘を貸して、雨が降ると、すぐに取り上げる」(企業の業績が好調な時は、さして必要もない資金を貸し込もうとするくせに、本当に資金が必要な窮地に陥ると、たちまち貸し剥がしに出る)という悪評がありがちですけれども。
しかし、金融機関は、いわば、他人のお金を扱う仕事-。
それだけに、扱っているモノが「お金」だと思わないようにしないと、怖くて扱えないという趣旨の話を聞いたことがあります。
そういう意味では、そもそもが「張りつめた職場」なのだろうと思います。
否むしろ、それだけに、いったん転落してしまうと、立ち直るのが難しく、致命傷になりやすいのかも知れません。
加えて、お金の問題は、多くは本作のように、いわば「つけ込まれる」形で、弱いところにしわ寄せが来るので、その点、タチが悪いとも言えそうです。
そういう雰囲気でもあろう金融機関という仕事の「厳しさ」「危うさ」みたいなことを描き切っている点ては、成功していたのではないかと思います。評論子は。
そして、世上「悪銭身に付かず」という言葉もあるところです。
本作を観て、改めて人は(金銭的にも)身ぎれいに暮らしていくことの大切さに改めて思いが至ったという点では、佳作と評しておいて、良いのではないかと思います。評論子は。
(追記)
たとえ経済的には不自由をしていたとしても(金銭面では)身ぎれいにしていることか、何よりの「護身術」なのかも知れません。
ひと頃は「民間企業に対する検査」という仕事についていたこともある評論子には(少しばかり?)その雰囲気が分かるようにも思います。
食事を出されると困るので、検査に着手する時間帯にも気を遣いますし、長引いて食事の時間帯にかかる時は、あらかじめ弁当を買っておいて、食事を提供されてしまう前に「食事は持ってきていますから」と断って公用車の中で、コンビニ弁当で食事を済ませたことも、一度や二度ではなかったと記憶しています。あるときは、いきなりお寿司の出前を出されてしまったので、「検査という仕事に携わる者として、上司からも厳しく指導されていますので。」といい訳をして、逃げるようにして外に停めてあった公用車に戻ったこともありました。
本作の長原行員のような「後ろめたさ」を感じることなく、次期以降の検査も臆することなく執行できたのも、あのとき、あのお寿司の出前を食べなかったことが大きかったのだろうと、本作を観て思い出した評論子でもありました。
(追記)
<映画のことば>
基本は、性善説。
やられたら、倍返し。
ドロボーから盗むのはドロボーか、という議論がありますけれども(結果としてドロボーになることは、この際、さておくとして)、まぁ、いいんじゃあないんですか。
今回の場合は。
西木係長だって、遊ぶカネなどの「泡銭(あぶくせん)」でこしらえた借金でもなかったわけですから。
(追記)
「現金その場限り」
つまり、現金は、その場でしか確認できないということなのですけれども。
現金を受け渡しする仕事をことがある方には、それにまつわる「苦い思い出」として、身に滲(し)む言葉ではないでしょうか。
(追記)
「やってないなら、もう泣くな。
胸を張ってろ。」
「見てのとおりです。
彼女は、やってません。
これは、何かの間違いでしょう。」
こう言える上司は、素敵だなぁと思います。
かつて評論子の上司にも、一人だけいましたことを、思い出しました。上掲の映画のことばに接して。
(涙が出そうにもなりました。当時も。本作を観たときも。)
「彼がやらなかったのは、俺がきちんと指示をしなかったからだ。だから、やらなかった彼を責めるな。責めるなら、きちんと指示をしなかった俺を責めろ。」
評論子が人の上に立って、必要が生じたとき、そう言い切れたでしょうか。
幸いに、そういう局面に追い込まれたことはなかったのですけれども。
正直に言って、評論子もとっさに断言できたかどうか、心許ない限りです。(汗)
(追記)
別作品『アキラとあきら』のレビューにも少し書いたとおり、亡父は、評論子も金融機関に就職させたかったようなのですけれども。
しかし、それを蹴って別の仕事に就いた評論子は、それゆえ、まかり間違っていたら、本作と同じく金融機関に勤めていたかも知れません。
そう思うと市中銀行という本作の舞台設定には、観ていて、不思議な感じがしないでもありませんでした。
評論子には。
反対に、モノホンの金融マンのレビュアーは、どう観ていたでしょうか。本作を。とても、とても、とても気になります。
(追記)
<映画のことば>
勝負は、下駄をはくまでは分からんぞ。
何事にも、べったりと安心しきってしまうのではなく、常に、この心がけを忘れないようにしたいものです。
北川行員のセリフではありませんが「かけがえのない人生を、精一杯に生きるために」は。
(追記)
総じて、良かったと思います。本作での阿部サダヲのキャラクターが。
本作は、彼のキャラクターでもっていたと評しても過言でないと思います。
上からは抑えられ、下からは突き上げられるという係長は、彼のようなキャラクターでなければ、保(も)たないのかも知れません。
(彼のようなキャラクターであれば、下から突き上げられることもなさそうではありますけれども。)
(追記)
本作の題名についでですが、本作の東京第一銀行の行員たちには、特に金銭的に、シャイロックのように強欲という様子は見受けられませんでしたし、その点で、どこが(強欲な)シャイロックの子孫のようだというのか、今一つピンと来なかったので、本作の題名には、いささか「?」を感じながらの鑑賞になりました。
(その意味では、冒頭、せっかく「ヴェニスの商人」の裁判シーンが挿入されていた意味も、あまり活かされていたようには思われませんでした。評論子には。)
しかし、「強欲」を「お金に振り回される」と置き換えて考えると、本作で描かれているような「狂騒曲」も、理解できない訳でもないと、思い直すことができました。
もともとのシャイロックの「強欲さ」にしろ、けっきょくは「お金に振り回されていただけ」と考えれば、その強欲さも、理解(決して「共感」ではありませんけれども)ができない訳ではないとも、評論子も、思うことができそうです。
的確なレビューで、評論子にそのことを気付かせてくださったゆり。さんに感謝して、末尾ながらハンドルネームを記して、お礼に代えたいと思います。