神は見返りを求めるのレビュー・感想・評価
全162件中、1~20件目を表示
鑑賞後の苦さが、自らの人間関係を顧みるよう促す
芸能活動をしているAと、業界を裏で支える仕事をしているB。Bは親交のあるAに頼まれて面倒をみるが、Bが窮地に陥るとAは手の平をかえすように冷たくなる。怒ったBはAのスキャンダルをばらす暴露系YouTuberになる――。今年にわかに有名になった“ガーシー”こと東谷義和氏の動きと世間の反響を予見したかのような、吉田恵輔監督オリジナル脚本のユニークな新作だ(なお脚本は2019年から、クランクインは2020年10月とのこと)。
容姿についての心無いコメントもぶつけられる無名YouTuberだったが、人気YouTuberとのコラボをきっかけにメジャーへの階段を昇っていくゆりちゃんに、岸井ゆきの。穏やかで面倒見のいい性格だが、頼まれると断れない性格が災いして借金を背負い、ゆりちゃんの豹変によってため込んでいた感情を爆発させる田母神に、ムロツヨシ。この2人のキャスティングと真に迫った演技、的確な演出が素晴らしいのはもちろんだが、YouTuberという特殊な職業・業界を題材にしつつも、好意や善意に基づく奉仕や施しに対してどう報いるか、あるいは恩を仇で返されたときどうするのか、といった普遍的な人間関係の難しさに切り込んだテーマが観客の胸に刺さり、心をざわつかせるのだろう。
安直なカタルシスを提供しない点も吉田監督の作家性だろうか。後味は決してよくないが、このいつまでも残りそうな苦さが、自らの人間関係を顧みることを促すようでもある。
神様は自分の心に宿る
最後はハッピーエンドになると思っていたけれど、想像以上に心温まる結末で良かった。
特にムロツヨシさんの役柄は、最初は打算的で信用できない人物に見えたが、根っからの悪人ではなく、むしろ人間らしい弱さや優しさを持っていることが分かり安心した。彼の存在が物語を単なる勧善懲悪ではなく「人は変われるし、救われる」というメッセージにしていたと思う。
一方で、劇中に描かれていたユーチューバーの姿は、人間性を失い「数字」や「再生回数」ばかりを追い求める現代の問題そのものだった。視聴者に媚びて過激さに走る姿は、実際のネット社会の闇をリアルに反映していてゾッとした。
「見返りを求める」ことで人の心を踏みにじる怖さと、それでも人間らしさを取り戻せる可能性を対比させたところが、この作品の一番の見どころだったと感じる。
YouTuber という浮薄
最悪の物語であり最高の作品
ミストやセブンみたいに「ザ 胸糞映画」ではないです。
とにかく人間のリアルを追求した映画だと感じました。
田母神さんにもゆりちゃんにも共感できるのにその2人がぶつかり合うからすっきりしないモヤモヤした感じが残るのかなと。
何言ってるかわからないと思いますが、「どっちも悪い」し「どっちも悪くない」
見る人によってここまで賛否両論を巻き起こせる吉田監督はやはり流石です。
落ちたい日にどうぞ。
感動ではないです。コメディでもないです。とにかく胸糞。後味が悪い。
ムロツヨシってこんな演技もするのか。
楽しいコメディイメージのムロツヨシからのこれに衝撃。
日々のモヤモヤがあり、もう落ちたいな~という日にどうぞ。
誰も幸せにならない。見てる側も。なんだこれ。
でもなんか、毎日その辺でありそうなんですよね。
その中にすごく現実があるというか。
よくわからないことしてるユ―チューバ―なんて山のようにいる。
特定の人に執着するユーチューバーもいる。
やらかして謝罪するユーチューバーもいるしやりすぎだろと思うユーチューバーもいる。
でもそこから伸びて伸びて有名になる人もいる。
現代の人間の底にたまった汚い部分をすくいあげて見せる作品。
着ぐるみもかわいいものでなく、あえて不気味な着ぐるみなんですよね。
モヤモヤした気持ちをより一層際立てる。
どの人の気持ちもわかるっちゃわかる、登場人物の性格上、どうしようもなかった部分もあったんじゃないかな。
相手の価値観が古い時って指摘しづらいし、かといって伝えないと自分も古くなってしまうし。
収入も見込めなくなると生活が苦しくなるし。
新しい人にお願いしたいときも、相手を納得させることは難しいと思う。
お金がないと極限状態になっていくのもわかる。
自分がそこにいたとしても誰も救えない。救いようがない。
タイトル通りの映画でした。
キツいね
いつまでも氣になってしまう
再生回数が増えればなんでもあり的なYoutuberたちの生態を描く。イベント会社に勤める田母神は、 合コンでYouTuberゆりちゃんに出会う。
動画配信で映画「神は見返りを求める」を見た。
2022年製作/105分/G/日本
配給:パルコ
劇場公開日:2022年6月24日
ムロツヨシ(田母神尚樹)
岸井ゆきの(川合優里)
若葉竜也(梅川)
イベント会社に勤める田母神は、
合コンでYouTuberゆりちゃんに出会う。
田母神は、再生回数に悩むゆりちゃんを不憫に思い、
まるで「神」かの様に見返りを求めず、
ゆりちゃんの YouTubeチャンネルを手伝うようになる。
ふたりは、人気がでないながらも、力を合わせて頑張り、
お互い良きパートナーになっていく。
しかしあることをきっかけに、2人の関係が一変する。
田母神は「見返りを求める男」となり、
ゆりちゃんは「恩を仇で返す女」になってしまう。
再生回数が増えればなんでもあり的なYoutuberたちの生態。
前半は人が良過ぎた田母神が後半は狂気のふるまいを見せる。
明るく一生懸命なYouTuberだったゆりちゃんは、
欲と憎悪に満ちたとてもイヤな女になってしまう。
終盤のアクシデントでゆりちゃんを見舞った田母神だが、
そこから先にもまだアクシデントがある。
このしつこい脚本が秀逸だと思った。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
ジェイコブ
ユーチューバーを全て否定するわけじゃないけど、ゆいちゃんの言葉の端々に一過性のものだという認識があったと思われる。その微妙な心理状態をよくぞ描ききったと褒め称えたいほどだった。特にサイン会での少女のひと言がストレートだった。その点、音楽や映画ってのはずっと残るモノ、いいですね♪
「古すぎて若者の気持ちがわからない」といった内容のセリフもありましたが、昭和世代のおじさんだって昔はバカをやったり目立ちたがったり変態だったりしたもんだ。今のネット環境は悪いことに全世界で見ることが出来るというだけの話。そうした現在の環境に適応さえ出来ればおじさんだって頑張っていくことが出来るはず・・・
もっと重要なこと。だらしない奴の保証人になってはいけない!そして、人気ユーチューバーであっても飽きられ廃れる日は必ず訪れる。ユーチューバーに限らず、テレビのお笑い芸人も同じ。ちゃんと働こうよ・・・あちこちの業種で人手不足に陥っているのも、1億総配信者みたいになってるせいかも・・・あ、お祓いはしなくていいからw
見返りはあるだろ
タイトルは微妙よね
神となった彼らが求めた見返りの代償
2022年の作品
現代の日本を良く描いている。
完全にTV離れの時代 体裁で塗り固められた映像への飽き飽き感
「面白い」という主観の追及と面白いものがなければ作ればいいという発想
それを実現できるプラットフォームの登場
その中で起こる喝采と誹謗中傷
この作品は、純粋に自分が面白いと思うことは何かということを問うているのかもしれない。
それと天秤にかけられるのが「いいね」や登録者数という「数字」
その数字を伸ばすことがいつの間にか目的となってしまう「怖さ」
数字が取れれば何でもいいという概念
数字のために何でもやってしまえという認識
同時に起きる誹謗中傷
時に常識的な警告と、勝手な正義感を振りかざす人々
その線引きの難しさ
今や完全にTVを乗っ取ったYouTube
誰もが配信者になれる世界
そこにまとわりつく「お金」
同じ目的で出会う人々
最初は純粋に自分が面白いと思ったことを配信していたユリ
同時に登録者を伸ばしたい思いがある。
合コンで出会ったタモガミには編集の技術があり、ユリはタモガミを頼る。
小道具や送迎、編集者が付いたことで配信数や面白さが増し、ユリにとっての「等身大」の動画を作れるようになる。
タモガミは、
夢中になってユリの編集を手伝っていたが、いつの間にかハブられるようになった。
「必要とされなくなる寂しさと悲しみ」
これがタモガミの根幹にあった感情だろう。
「私たち、見下されることに敏感」
痛烈に効いたユリのセリフ
「底辺」
その底辺から人気急上昇になったユリ それを傍で見ているタモガミ
彼の怒りと復讐はよくわかる。
同じようなユーチューバーどうしの諍いもあるあるなのだろう。
もしかしたらかなり多くのユーチューバーどうしの諍いがあるのかもしれない。
そして登場した「天誅」を与えようとする「勘違い」ヤロウ
昨今ニュースでも話題になっている。
言葉による誹謗中傷から暴力への移行
こういうのが現代人の陥りやすさなのだろうか?
さて、
「ああ、今日クソ天気良いな」
タモガミの最後のセリフは、ユリと一緒に撮影に出かけた先でユリが思わず言った言葉。
タモガミの想い出のセリフ
その頃が無心で楽しめた時期だった。
自分自身が何が楽しかったのかを思い出したときの言葉
しかし、
何故タモガミは背中を刺されながら再び街に出て「エア撮影」をしたのだろう?
その前に彼は素顔を晒して頭から血が滴っているなか、ダンスする動画を配信した。
それは、ユリを許す心情の表現だった。
お互い罵りあう配信が如何にくだらないものなのか、そして彼らを罰したいと思う人物まで登場させたのだ。
このくだらなさに気づいたタモガミはユリを許せたのだろう。
その動画を見たユリもまた、動画の中に素のタモガミを見たのだろう。
彼は最後にユリの包帯姿を撮影する。
「やっぱりわたし、あなたがキライ」
「でも、ありがとう」
この言葉を何度も見返すタモガミ。
彼がずっと欲しかったのが、この心のこもった謝礼の言葉
背中を刺されたタモガミがエア撮影した理由
体の傷は心の傷を表現しているのだろう。
傷ついても、本当に自分がしたかったことを表現したい。
それがあの日覚えたダンスだった。
この気分は、あの時最高に気分がよかったユリの言葉に重なったのだろう。
「ああ、今日クソ天気良いな」
人気ユーチューバーになったユリも
仲間のデザイナー村上から「誰のおかげだと思ってるんだ」などと言われる始末
チャンネルはユリのしたいことではなく、もはや村上のプロデュースするモノに置き換わっていた。
そこに出演しているだけの自分に疑問を抱きつつ、やめられない。
最後は全身大やけどで代償を支払う羽目になった。
ここにきて思うのがこのタイトルの本当の意味
ユリと仲間が求め続けた「数字」
ユリのアイデアに工夫を凝らし成功した村上やほかのスタッフ
みな一様に数字を求め続けた挙句に起きた大事故。
彼らが追いかけていたのは数字の見返りである「お金と名誉」
彼らは人気の誰かを「神」と呼ぶ。
同時に自分たちが神になったと思い込んでいたのが彼らだったのではないだろうか?
彼らが求めた見返りがお金と名誉
その代償となった「大やけど」
つまり、自分が神と思い込んでいたユリが求めた見返りが「お金や名誉」
その代償となってしまった全身の大やけど
この作品は行き過ぎたユーチューバーたちに警鐘を鳴らしている。
そして、許したタモガミにさえも傷がつくほどYouTube配信は「難しい」のだろう。
メッセージ性を強く感じるかなり面白い作品だった。
見なければ良かった、、
ムロツヨシ新たな一面が見れた 84点
新たなムロツヨシの一面が見れた作品の一つ。岸井さんも上手い演技で驚き…!序盤と後半の人に対しての態度とか怒りとか切り替えがすげぇ。最初の冒頭でこれは?と見せる編集もいいですね。エンディングは少しそれで終わんのかいと思っちゃいましたが。
それにしてもここに出ている人全員クズなのは面白いなぁ。またリアルに居そうな人物でそれも面白い。
皆言うが、そこまで胸糞悪いとは思わないけど。
イベント会社で働いている神こと田母神(ムロツヨシさん)と底辺YouTuberのゆりちゃん(岸井さん)が出会い、一緒にYouTubeの手伝いをしていたが、中々1年も上手くいかない。ところあるときコラボをし有名、デザインのプロに編集、プロデュースしてもらったら人気YouTuberに。そこから田母神は仕事もプライベートも上手くいかず、ゆりちゃんに見返りを求めるが…という話。
今の日本の多数を描けている気がする
過去と他人は変えられない
この言葉を思い出しました。評論子は。本作を観終わって。
カナダの精神科医エリック・バーンの言葉なのだそうですけれども。
いかに登録者数を確保するために奇抜なアイディアに傾倒していったからとはいえ、田母神としては、優里がそういう立ち居振舞いをする人物だと分かった時点で、「所詮は彼女はそういう人間」と割りきるべきだったのでしょうね。
いみじくも、作中で優里が指摘したように、ストーカーみたいな真似なんかしないで。
彼女の場合は、元々そういう考え方をする人だったのかも知れませんが、人気デザイナー(?)の村上という、いわば「助燃剤」が加わって、余計に燃え上がってしまったんじゃあないかと思える節も、ないわけではありませんけれども。
しかしそれにしても、「誠意」とか「善意」とかなんて、返しようがないじゃあないですか。求められたって。
それこそ「無理難題」というものでしょう。
「変えられない他人を変えようとして、反対に自分が変質してしまうというのは、むしろ不幸な話」ということを、地でいくようなストーリーだったと思いました。本作は。評論子は。
(そういえば「縁なき衆生は度しがたし」という言葉もありましたっけ。)
他のレビュアー諸氏が指摘しているとおり「観終わって、すっきり爽やか」という一本では間違いなくありませんけれども。
「自分と他者との関係性」ということについて評論子自身にも再認識させてもらえたという意味では、「カネ返せ」「時間を返せ」という一本ではなかったのかも知れないと思います。
加えて、登録者数だけがモノをいうユーチューバーの世界(?)では、現実にこんな愛憎劇が起きても、不思議ではないとも思いました。
作中の優里の「どうせ今だけちやほやされるコンテンツと思って見下してるんでしょ。あたしたち、馬鹿以下の内容でも、毎日アタマ抱えて、寝る間も惜しんでやってるの」というセリフからは、その世界での生き残りの厳しさも垣間(かいま)見え、こんな種々の愛憎劇が起きても不思議ではないのかなぁとも思いました。
そのことに警鐘を鳴らすという製作意図も、もし本作にあったとすれば、観終わって幸せな、楽しい気分になれる作品ではなかったにせよ、それはそれで、良作としての評価が可能なのかとも思いました。評論子は。
(追記)
あと、「ありがとうって、ひとこと言って欲しかっだけ」というような田母神の台詞が、どこかにあったような記憶がありますけれども。
(評論子の思い込みであれば、ゴメンナサイ。)
しかし、ありがとうを言って欲しくて親切をするなら、その親切は、最初からしない方がいいと思います。評論子は。
「自分が勝手にした親切なんだから、ありがとうも言われないのが、ふつう」くらいの押さえにしておかなければ、本作のような軋轢(?)は、避けられないのではないでしょうか。
人のお世話にならぬよう。
人のお世話をするように。
そして、報いを求めぬように。
もし、そう思えないなら、人への親切なんて、よしておいた方がいいと思います。
(追々記)
せめてもの験(げん)直しとして、上記のエリック・バーンの言葉を、おしまいまで引用しておきたいと思います。
「過去と他人は変えられない。あなたが変えられるのは、自分自身と未来だ」
全162件中、1~20件目を表示
















