「出自を隠す苦悩」破戒 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
出自を隠す苦悩
原作は有名だけど未読。
被差別部落をテーマとした非常に重い内容なので、すごくまじめに作った映画だと思うのだけど、正直微妙だった。
なんか細かいところでのリアリティがいまいちというか…。
ストーリーは本当に原作どおりなのだろうか?
気になったのが、主人公たちや子供たちの着ている服がきれいすぎる、ということ(なんでみんな新品の服着てんの?)。そのくせ、子供たちの顔は泥でもぬりたくったみたいに汚れてて、「いや、いくら貧しい設定でも、顔くらい洗うだろ」って思ってしまった。
主人公サイドがみんな容姿端麗で、真っ白い歯並びの良い歯で、性格が純粋でまっすぐで、反戦思想で自由主義の現代的な思想をもっていて、差別思想を持っていなくて…。絵に描いたような「良い人」ばかりなのも気になった。良い役と悪い役が分かりやすいのはいいんだけど、これでは本当の差別の怖さは伝わらないんじゃないか。
差別の怖いところは、「良い人」でも悪気無く差別していて、それに無自覚だったりするところだと思う。悪気無く差別する、というのは、「生まれの良し悪し」というのを、客観的事実として信じ込んでいる、ということだ。つまり、良い人なら差別しなくて、悪い人が差別する、なんて単純な話ではない。
細かいところでのリアリティに疑問があると、当時あったであろう激しい差別の描写も、「どこまで事実なのだろう?」という疑問が生じてしまう。
被差別部落出身者は家の敷居をまたぐことを禁止されている、教職につけない、知能が低いと思われている、顔つきに特徴があると思われている…。これらのことはおそらく当時実際にあったことなのだろうが、事実を誇張されているのでは?と感じてしまう。
主人公が自分の出自を隠して苦悩する様子には非常に共感できた。この映画で一番の見どころはここだと思う。
また、教え子たちに涙ながらに告白するシーンも良かった。ここには「なぜ差別してはならないのか?」という理由がすべて詰まっていると思う。
また、このシーンでは、「なぜ教育が重要なのか」ということも語られている。前に、「良い人でも差別する」という意味のことを書いたが、差別の根拠となる「風習」「習慣」「迷信」「誤った常識」を打ち砕くのは、「教育と正しい知識」しかないように思う。
ただ、すべてを捨て去るものすごいリスクを覚悟して告白したにも関わらず、そのあととんとん拍子にすべてがうまく行く展開は、ストーリーとしてどうなんだろう?と思わないではない。
1人孤独に荷車を押して村を去る主人公の前に、「おいおい何も言わずに行く気かい? 水臭いじゃないか」とひょっこり親友があらわれ、「私もついて行きますワ」と想い人があらわれ、「せんせ~い」と教え子たちが後ろから現れ、「やいやいまて~い!」と悪役が前から現れ、という展開は、芝居が臭すぎてまるでコントを見せられているようだった。
映画とは関係ないが、「差別」について定期的にふり返って考える機会は必要だと思った。誰しも無自覚に差別をしているものだし、その差別感情は自分の弱さから来ていることが多い。強く生きることは本当に難しいことだと思うが、せめて自分の弱さを自覚し、できるだけ恥じない行動をとりたいものだと思う。
概ね同感てす。細かいところのツッコミはともかく、この時代には少しなりとも自由主義的な考えが育つ土壌が、生まれつつあった時なのです。だから、漱石がこの小説を絶賛したのです。けれどまだまだ思想的に、未熟であったため、幸徳秋水の事件が引き起こした思想弾圧により日本文学は、私小説に逃げていったと、言われています。漱石でさえ幸徳秋水事件以降は、表立って触れないようにしたと言われています。
もし、破戒がもっと正当に評価されそちらの方向に、進んで行ったなら日本文学はもっと違った発展を、遂げただろうと言われています。
それほどこの作品の残したものは大きかったのだと思います。
私は幼いころ、肌でこの部落差別の、陰湿さを感じた経験があります。見て見ぬふりを、するのは当たり前で、いじめる側をよいしょする方が大抵多いのです。本当にそれは間違いだとどれくらいの人が言えるのか疑問です。
人は弱いですからね。
また、この後日本が戦争に、突き進む風潮も、やはりきちんと正しい事を言える風土が、育たなかったからのように思えて仕方がありません。