「おかえりなさい」フォーリング・フォー・クリスマス 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
おかえりなさい
RottenTomatoes58%と60%。
クリスマスのくらっぷなのに誰にもこきおろされてなかった。
みんなローハンが笑顔でもどってきたことを喜んでクオリティを寛恕していた。
たしかにそうなるよな。と思った。
あれだけきらきらする純情を見せられたら、そのあとお酒とくすりとパリピ生活で身を持ち崩していったローハンが気懸かりでしかたがなくなる。
せかいじゅうのミーンガールズ世代がそうだった。あの笑顔に溶かされない人なんていなかった。
だから辛辣なトマトメーターの批評家さえも──
『Netflixのホリデー映画の基準でさえ少しばかげていますが、ローハンに何かをしてもらいたがっています。それがポイントです。』とか、
『ばかげた話ですが、リンジー・ローハンがうまくやっているのを見るのは素晴らしいことです。』とか、
『これは彼女にとってカムバックになるでしょう. 彼女はそれを楽しんでいます。』とか、
『コメディスターとしてローハンが戻ってきたという 1 つの理由で注目に値します。』とか、──
ネガティブジャッジしている人さえ、ひとしなみにローハンとあの笑顔が戻ってきたことを歓迎していたのだった。
じっさい映画にも“本来のリンジーローハン”に着眼している感じがあった。
贅沢三昧の相続人が、スキー事故であたまをぶつけて記憶をうしなうw。記憶をうしなったかのじょは角が取れて純朴な人に変身する。・・・。
それがミーンガールズのかのじょと重なり、純朴な役ほどローハンにふさわしいことがよくわかる仕組み。
じっさいどんなひとかなんてとうぜん解らないがリンジーローハンは“アフリカからやってきた少女”とか“記憶をなくした人”みたいな純朴と明るい役が似合う。のだった。
メディアやコメントにみられるローハンの復帰にたいする本国の歓迎っぷりはすごかった。たしかに当時のかのじょを思い浮かべてあんなFrecklefaceで満面笑顔になられたらたまったもんじゃないと思う。
ちなみに元ネタはゴールディホーン&カートラッセル潮風のいたずら(1987)でそれが雪山バージョン化されている。らしい。
(潮風のいたずらはオーバーボード(2018)としてリメイクされた。)