ホワイトバード はじまりのワンダーのレビュー・感想・評価
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パンサー向井の結論とリンクする、人類が克服すべきテーマを描いた快作
「ワンダー 君は太陽」のスピンオフ的作品ときいていたが、
本家と同格、あるいは、同格以上の感動物語で、上映後は余韻が残る快作だった。
少女時代のサラを演じるアリエラ・グレイザーと、
彼女を助けるジュリアン(トゥルトー)を演じるオーランド・シュワート。
ジュニア世代役の2人の演技が、とかく素晴らしくて、美しい。
宮沢りえと窪塚洋介の、往年時期を思い起こさせるような魅力がある。
話の入りは、「ワンダー」でいじめっ子だったジュリアンのその後のお話。
おばあちゃんのサラから、孫のジュリアンへ、彼の名前の由来や意味、
おばあちゃんの少女時代に遭遇した、ナチスによるユダヤ人弾圧の話を聞かされるもので、
そこから教訓めいたものを感じ、聞かされる前と後で行動が変わるというストーリー。
恋心を抱いていた学友少年から、ユダヤ人というだけで、
突如、命を狙われる、戦争の残酷さもさることながら、
いじめ問題で必ず出る論法=「いじめられた側の気持ちを考えろ」
に対する正直なアンサーとして「私があなたの立場なら、私はあなたを助けない」
と少女時代のサラが言うくだりとか、
みどころや考えさせられるシーンは多々あるのだが、
一番刺さったのは、現代シーンで老婆のサラがキング牧師の言葉を借りて、
「闇は闇では払えない。光でなければ。」
と示すくだり。おおっと思わず唸った。
近年、同じ言葉をテレビで言った芸人がいたからだ。
パンサー向井である。
パンサー向井は、「あちこちオードリー」の中で、
闇落ちネガティヴ思考のループに入った3時のヒロイン福田に対し、
「ずっと闇でお笑いをやると、本当の闇の集団には勝てない。光で構えるんだよ」
と諭したのだ。
「目には目を、歯には歯を」の精神では、本物の闇を超える事は不可能なのだ。
お笑いにしても、差別にしても、戦争にしても、いじめにしても、
おそらく万物ありとあらゆる事象は、
闇を闇で受けてる間は、一番強い闇が他の闇を覆いつくしてしまうという事なのだろう。
現代パートの元いじめっ子ジュリアンも、
闇に対して「人と深く関わらない=無関心」という闇で構えている。
それだと一生幸せになれないし、自分の闇を克服できない。
勇気を持って光で構えないと、万物すべて解決しないのである。
あらためて戦争の悲劇は後世に伝えなければ
ホワイトバードは、あこがれの自由の象徴
泣かされた〜 ストーリーが好き 粗探しもできなくないけど、 もう許...
泣かされた〜
ストーリーが好き
粗探しもできなくないけど、
もう許すしかない
最初の方の、生徒たちを助ける人の台詞からもう涙
(クラスメイトの方の)ジュリアンが、
すっごくかっこよくて素敵に見えた←見た目じゃなくて
こんなに好きになる作品だとは思ってなかった
人間万歳!
勇気と優しさと愛の物語
都合のいい昔語り!?
児童書として成立しているこの本の映画化は、ひねこびた大人(私)から観るとやはり、緩いなと思う。ジユリアンの命懸けの親切は見返りを求めない純粋なものではなく、“かけひき”に見える。普段なら相手にしてもらえないサラという存在が、ナチスに追われるユダヤ人という境遇に陥った時、身体的ハンデのあるジュリアンは、負い目から解きはなたれ、サラとは対等、もしくはそれ以上の優越感をはじめて持つことができたのだ。
実際、彼がサラに告白したシーンでは『イエスよ、わかってる』という彼女の答えは、“云わされた”感があり、それは、愛情というよりも温情のようで、1年間、自分を匿って世話をしてくれた事実の重さに対して、彼がその対価を要求するような“圧力”を発するのも無理からぬことだと思ったに違いない。とまあ、穿った見方しかできないのは、篤のない
人間の性か?
祖母が孫を諭すために昔語りをするという設定で都合よくまとめられた本作。ジユリアンの死は専ら母親の視点で描かれ、サラが嘆き、悲しみ、苦悶する映像は無い。また、サラの成長過程も淡々としていて、亡くなったジユリアンの両親に我が子同然のように可愛がられ、その後、結婚、子供や孫はニューヨークの高級マンションに居て、自身は大画家となって功成りを遂げたという、バタバタと畳みかける後半は、児童向けにありがちな、上手く行き過ぎる展開も、全体的な印象としては悪いものではない。
ただ凡人から見ていつも思うのは、何故、ホロコーストをかくも高尚に描くのか。誰しも傍若無人なナチ野郎の暴挙には義憤をおぼえる。しかし奴らをコテンパンに叩きのめして溜飲を下げようというのは、ただ下衆の発想に過ぎず、虚しいだけだ。
いつも拳を握ってしまう自分が居る。
現代パートのジュリアンにとっては たった一晩の『タイタニック』形式...
現代パートのジュリアンにとっては たった一晩の『タイタニック』形式で語られる過去回想物語。
『ワンダー 君は太陽』(2017)は事前に見てなくても大丈夫。主人公達のその後は描かれてないし、それぞれの映画は監督が違うせいか全く違う作風になっている。それぞれ見応えのあるヒューマンドラマになっているので気になる人は今作観賞後からでも良いと思う。原作者が同じなので小説のメッセージをより深く読み取りたいと思う方は "いじめ" がテーマでもある『ワンダー 君は太陽』はお勧めです。もちろん原作「もうひとつのワンダー」も。(読んでないけど)
2015年 世界ユダヤ人会議より特別名誉賞を受賞したヘレン・ミレンが名演。
「X-ファイル」シリーズのスカリー特別捜査官を演じたジリアン・アンダーソンもいい役。
過去パートのジュリアンは『フェイブルマンズ』の幼少期のサミー役に目が似ている。
(もちろん別人)
松崎健夫さん(映画評論家)の動画がお勧め
YouTubeチャンネル「添松映画館」での紹介動画(観賞前でも可)
どうして息子ではなく孫に同じ名前がついているのか、までは描いて欲しかった
2024.12.11 字幕 TOHOシネマズくずはモール
2024年のアメリカ映画(121分、G)
原作はR・J・パラシオ『White Bird: A Wonder Story』
『ワンダー 君は太陽』にて主人公オギーをいじめて退学になったジュリアンの祖母サラの過去を描いたヒューマンドラマ
監督はマイク・フォースター
脚本はマーク・ボンバック
原題の『White Bird』は劇中で登場するサラが見る白い鳥のこと
物語は、前作にてビーチャー校を退学になったジュリアン・アルバンス(ブライス・カイザー)が、ニューヨークにあるナーテ校に通う様子が描かれて始まる
パーカーを目深に被って、周囲を気にしながら学校に向かうジュリアンは、食事の際に空いている席に座った
そこに女生徒のラミヤ(Priya Ghotane)がやってきて、彼はジュリアンは彼女が座ることを気にも留めなかった
だが、母同士が知り合いということで声をかけるように言われた同級生のディロン(Teagan Booth)は、「そこは負け犬の席だ」と言い放ち、「明日からは俺たちのグループのところに来い」と告げた
その後、帰宅したジュリアンは、メトロポリタン美術館にて個展を開くことになっていた祖母のサラ(ヘレン・ミレン、15歳時:アリエラ・ブレイザー)と再会する
両親が外出していたために、サラと夕食を共にすることになったジュリアンは、学校で起こったことを話すことになった
だが、彼の言葉に違和感を覚えたサラは、自身の過去を話し始めた
時は1942年、ナチス占領下のフランスの田舎村にてサラは両親と共に暮らしていた
パリが陥落し、安全のために非占領地域に身を委ねていたサラは、そこにあるエコール・ラファイエット校に通っていた
友人のソフィー(Mia Kadlecova)、マリアンヌ(Selma Kaymakci)たちと普通の日常を過ごし、クラスメイトのヴィンセント(ジェム・マシューズ)に想いを寄せていく日々
彼女は絵を描くことが好きで、授業中でもノートに描いていて、ある日、担任のプティジャン先生(Pasty Ferran)に見つかってしまう
先生は怒ることもなく、「才能があるから続けなさい」とアドバイスを送った
また、学校には、ポリオの影響で松葉杖歩行をしている少年ジュリアン・ボーミエ(オーランド・シュワート)がいたが、彼は「カニ」を意味する「トゥルトー」と呼ばれいじめられていた
ある日のこと、授業中にも関わらず校長のリュック牧師(Stuart MacQuarrie)に呼び出されたサラは、クラスメイトのルース(Beatrice Holdingova)と共に学校の外へと連れ出される
案内人のアントワーヌ(Mac Clemons)の指示にて森へ逃げようとするものの、ヴィンセントが来訪したドイツ軍にチクったために追われることになった
何とか逃げ延びたサラは、彼女を追いかけてきたジュリアンに助けられる
彼の家の離れにある納屋に匿ってもらうことになり、彼の父ジャン=ポール(ジョー・ストーン=フューイングス)と母ヴィヴィアン(ジリアン・アンダーソン)の協力を得ることになった
物語は、反省していないジュリアンに対して、サラが過去を語る物語になっていて、特に「普通でいること」に反応してのものになっていた
ジュリアンがサラの話のどの部分に感化されたかは何とも言えないが、普通でいることを選べるという時代性の中において、自分のやりたいことを見つける意味は見出せたのかもしれない
サラは絵を描き続け、そして画家になった
ジュリアンに何ができるのかはわからないが、まずは同じ過ちは2度としないと誓えただけでも良かったのだろう
映画は、ほぼサラの回想録で、彼女がいかにしてホロコーストから逃げ延びたのかを描いているが、かなり脚色されている部分があるのだと思う
メルニュイの森におけるオオカミの立ち振る舞いはおそらくメタファーで、彼は何らかの要因で撃ち殺されたのだろう
それを描く意味はないのだが、唯一モヤっとする部分だったかな、と感じた
いずれにせよ、『ワンダー 君は太陽』の続編だと思って観に行ったらダメな作品で、ほぼ観ていなくても成立する物語になっていた
祖母の話を聞いてあっさり心を入れ替えるとは思えないのだが、彼自身が変わる可能性があるとしたら「恋愛」のような激烈なものではないだろうか
その相手が彼女かどうかは置いておいて、人が動くための力として最も強いのは愛に他ならないと思う
ジュリアンの両親も彼のその想いを感じていたと思うので、それゆえに協力的だったのかもしれない
ラストでは、個展にてスピーチをするサラが描かれ、彼女自身も孫に話を聞かせたことで何かを取り戻していた
おそらくは、「君は身勝手な人間だ」というジュリアンの言葉だと思うが、その言葉を思い出したことで個展への向き合い方も変わったのだと思う
そう言った意味において、本作は過去の愛の物語が今を生きる二人を生き直させる力があったということを描いているかな、と感じた
ジャック・ウィルと『ジョジョ・ラビット』
どうかなあ。ちょっとキレイにまとまりすぎている感じもするんだけど。
「号泣した」「泣けた」みたいなコメントが多い映画はあまり信用しない。世の中、泣きたい人が多く需要があるから泣かせることが目的の映画が生まれてしまう。
誤解なきよう。この作品がそういった安易な映画だと言っているわけではない。
「ワンダー 君は太陽」でトリーチャー・コリンズ症候群の主人公オギーをいじめた子供たちの一人ジュリアン。彼はいじめの咎でもって放校された。彼は彼なりに事件の後遺症で苦しみ、対人関係のあり方が分からなくなっている。この作品はまずもって彼を救済する物語である。加害者側のトラウマとそこからの救済という構造は尋常ではない。そして救済の手段として用意された祖母サラの物語。70年以上昔のフランスでの、ナチスに弾圧されたユダヤ人一家と、サラを匿おうとする勇気ある人々の物語である。これもまた尋常ではない。悪者と善良な人々との描き分けがやや画一的なのは気になるが、それは壮絶な生死を賭けた物語であり、また何と言ってもサラとジュリアンの納屋での日々が美しく儚い。
だからこそ、サラの物語が、70年後にジュリアンを救う流れがあまりにも綺麗事に見えてしまうのである。サラは絵の世界で成功しレジェンドになっている。ジュリアンは金持ちの坊っちゃんである。祖母の話を聞いて心を聞くところまではよいが、社会活動に目覚めました、っていうのは安易ではないか?またサラのメトロポリタン(?)でのスピーチも「人間万歳」以外はあまり心に迫ってこない。空虚なのである。ジュリアン(フランスの)が作ってくれた鳥の木彫りを触りながらのスピーチなのでもっと説得力を期待したのだが。まあ言葉なんていうのはそんなものかもしれないけれど。
人間は過去から教訓は得ていく。でも善良や勇気と言った資質が時を超えて伝わっていく奇跡はそうそう起こらない。伝わらない、伝えられないこともある。その苦さみたいなものをもう少し感じられないと本当の感動を生み出すことはできないのかもしれない。
威風堂々のヘレン・ミレンに脱帽です。
愛らしく、且つ芯の強い少女時代のサラから、ユダヤ人迫害の苦難を生き抜き、その芸術を世に認められ成功を成した美しくcharmingな老女サラへと繋がるStory。とても説得力がありました。
まだあどけない表情が残る二人、サラとジュリアンを演じたアリエラ·グレイザーとオーランド·シュワートには、心を揺さぶられます。サラを匿った納屋で、無限の空想の世界に瞳を輝かせ遊ぶ二人。脚の不自由なジュリアンがサラに注ぐ、親切心などでは表しきれない、限り無い無償の献身。愛おしさでいっぱいになります。幼少期に読んだ物語“小公女”の屋根裏部屋を思い出しました。
ナチの少年兵になった同級生男子に追われ、銃を向けられた時のサラの悲痛な表情には、凄みを感じました。今やという瞬間、彼が野狼に襲われサラが助かる展開には、いささか『寓話でしょう!?』とも思いましたが、『良かった、良かった』と安堵したのも確か。
ジュリアンの死、サラの母の死… 諸々が胸を締め付けます。が、最後には、ピカソの描いた白鳩にも似たWhite Bird🕊️
“Hourra l'humanite!” 人間万歳と、ヘレン・ミレンが声にすれば、世界にこだまします✨
若い人たちにみてもらいたい
からワンダーの続編(スピンオフ)みたいな売り方をしてるんだろうけど、だったらもっと上映館と上映回数増やすべきだと思う。
この時代背景のものが、好きというと不謹慎かも知れないが、結論観るようにしてます。
大抵は実話ベースだから胸が締め付けられる。
今作も辛いシーンはあるけれど、そんな上手くいかないだろうと思うところが。(狼とか)
多くの人に観てもらうためだとはわかってはいるんですが、フランスでみんな英語話すのはそろそろやめた方がいいんじゃないかな、と思ったりして。(将軍がエミー賞取る時代だもんね、アメリカ人だって字幕読みますよ)
おばあちゃんももっと前にお話してあげてたら、いじめっ子になってなかったかな。
あの時代と今に生きる者とを繋ぐストーリーは良いです。
想像のパリ旅行もいいシーンでした。
若い人たちにもっと観てほしい。
キノフィルムさん、いつも良作の配給ありがとうございます。
なんかキング牧師の言葉が全部持っていったな。
白い狼🐺の正義
オーランド シュヴェルトくんが好きになった
ものすごく期待して観たので、シアターがガラガラだったのにまず驚いた。個人的にはとても楽しめたし、終始ハラハラドキドキでのめりこめたし、泣ける場面も多かった。
ユダヤ人のヒロインを助けるいじめられっ子のジュリアンを演じた「オーランド シュヴェルト」くんの演技が素晴らしいと思った。情報をいろいろ知りたいのだけれど、分からないのが悔しい。ヒロインに恋心があったから命懸けで助けたのかもしれないけれど、二人の切ない儚い恋愛が描かれていたからこそ、私には綺麗で素晴らしい映画に思えた。二人の空想のドライブのシーンやジュリアンのチャプリンになり切っていた場面も好きです。
みんなに見て欲しい(「ワンダー君は太陽」を見てなくても大丈夫、というか無関係、というか見てない方が感動するかも)
あなたに伝えたいこと
人生の過ちを経験し〝ただ普通に生きることにした〟と言う孫に祖母が「あなたのために」と伝え始める過去。
ここから広がる世界は終戦前のフランス郊外。
吸いこむ空気までたちまち変えながら物語は幕をあける。
ちいさな町にも及んでいたユダヤ人への迫害になす術もなくトラックに詰め込まれていく人々。
その傍らで人間が人間を分断するという不条理に抵抗する正義はひとかけらの尊厳も無く生命の重みとともに打ち砕かれた。
銃声が響きわたる山の斜面、雪の純白を散らしてごつごつした黒い樹々の間を転がるように逃げる赤い靴の少女サラ。
突然の絶望の淵に追われた彼女は同級生のジュリアンに助けられなんとか納屋に匿ってもらえたのだ。
あの状況においては奇跡的なラッキーだったには違いないが、罪もなく息を潜める暮らしや家族との離散、度重なる恐怖と不安に晒された少女の気持ちを考えるだけでどうにかなりそうだ。
そんなサラにとって、納屋に差し込む太陽の光の筋は生きる希望を、穴から見える鳥にはひとときの安心や父母と歌った唄にある勇気を、ジュリアンや彼の両親の無償の思いやりは自分の命を守ることにつながったのだろう。
ささやかなたのしみを見出しながら信頼で結ばれた二人はほのかな恋心も育む。
そう導かれたのはサラとジュリアンに共通する他に流されない心の強さと機転、豊かな想像力の結果だったのかも。
絵を描くのが大好きな少女の未来があのラストに繋がりそっと触れた木彫りの小鳥が映った時、静かな感動が満ちた。
同時に、サラが過去に心で受けとったものたちが後の人生を一緒に越えてきたこと、今後もそれらが彼女を見守るように在るのだろうという確信も。
また、祖母サラの話に耳と目と心を傾けて聴くspecial name=もう1人のジュリアンの姿をみてほっとし、真心が伝える言葉とそのぬくもりには計り知れない力があると信じている私の気持ちを温めた。
華やかで美しいあの石の道にも誰かの深い悲しみや喜びの歴史が幾重にも重なっていることに彼は気づき、きっとまた違う未来を一歩ずつ動かしていける。
時空を自由に旅する。
感じたままを浴びながらあらたな発見もする。
「果てしない空想の世界」はやっぱりいい。
またここにも映画の魅力がとくとくと溢れているかのようだった。
修正済み
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