PLAN 75のレビュー・感想・評価
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生きにくい社会…
誰がこんな日本にしてしまったのだろう。。超高齢化社会を迎え、75歳になれば自死を選べる制度。あり得ない制度ではあるが現代の日本における状況を考えると非常にリアリティがある。働きたくても働けない、住むところもないし、生活できない。ドキュメンタリー映画と思うほど、倍賞千恵子の自然な演技に引き込まれる。ラストは生きることを諦めきれず、施設を飛び出し、朝日を拝む姿に生きる希望を重ね合わせるが、結局このあとはどうなるのか、社会が変わらなければ、何も変わらない、つまりは生きられない、残酷なメッセージが淡々と描かれている気がしてならない。このまま日本はズルズルと沈み行くのか、今から手を打てることはないのか、不安な気持ちになる。
静かで深く濃い映画でした
登場人物の気持ちを表すような影の使いかたなど
小説で言うところの【行間】の開け方・・・というか
間を置くことで考える時間を持てる絶妙さを感じました
個人的には内容も無駄が少なく重要な描写を綺麗につなぎ合わせていて
登場人物の気持ちの変化がしっかり伝わってきました。
内容は非常にセンシティブで
登場人物それぞれの立場で考えてもハッピーエンドが一つもない
・利用者・・仕方なく尊厳死を選ばされる→実際は産業廃棄物の残骨灰として処分
実際利用者が増えたら・・周りからあなたはなぜ・・・という雰囲気もでるだろう
・担当者・・事務的に業務として行っていたが、身内の利用により考えが変わり遺体泥棒
・オペレーター・・相手が人だという事に気が付き考えが変わり、途中でやめることが出来ると暗に進めてしまう。
・外国人労働者・・職業需要は増えて収入は良くなったが・・死の上に成り立つものを受け止められるのか
・主人公・・逃げてしまって夕陽を見て心機一転のような雰囲気で終わっているが、実際ならどうなるだろう? 住んでいたところは引き払ってもう借りられない・・仕事もない・・・10万円やそこまでの費用も返す必要が出るかもしれない・・・身内も居ない・・・
完全にバッドエンドにしか見えない。
かと言ってプラン75に代わるような政治的な解決策もなかなか出そうにもない・・
日本の良くない分岐のパラレルワールドを見た気分です。
素晴らしい映画だと思う
75歳になったら自由に自らの死を選ぶ権利を国民1人1人に与えます。そんな世の中になったら、という世界で生きる人達の姿を描いた作品でした。
人が生きる中でお金や仕事、自分の存在意義。
そういったものが若い時に比べるとどんどん減ってくると感じました。75歳という年齢になると、体力的にも精神的にも考えると働く場所も限られる事になる。
世の中では、高齢者に対して優しくありましょう!
高齢者を敬いましょう!というのが当たり前でこの映画でもそれは、形が違えど同じことだと感じました。
ただ、現実として考えると生きるという事と死を選ぶということは、選択という意味では同じなのかもしれない。残されたものがないするなら、往生して死ぬるのかもしれない。
死んではいけないと現実では、言われるが…
この映画を見ていると生きている事で生活苦しむなら、まるで生殺しのようなものではないか?
と感じてしまいました。
あくまでもフィクションであるので、どんな答えが出てきても間違いではないと思う。
これが世間の中で問題作として認識されたのは、
あまりにもリアルで今までの人達がタブー視して、目を背けてきたからではないのかな?と思った。
この作品には、見る人によっては、とても不快に感じる所もあるかもしれない。
でも、不快に感じるという事は、この映画の中でのテーマが自分が目を向けるべき現実だからではないのかなと感じました。
PLAN 75・・とは?
75歳になったら、
自らが生死を決定する権利を保障して、支援する制度のこと。
もちろん架空の設定です。
早川千絵監督が10年後をテーマにしたオムニバスの一編として監督した短編を
自ら長編化しました。
この映画は日本の高齢化社会の現実を鋭く突いています。
ヒロムが「PLAN 75」制度で死んだ叔父(たかお鷹=好演)を、
せめて火葬だけでもしてあげようとして
自分の車に叔父の遺体を助手席に乗せて走り、
スピード違反で白バイに停止を求められる。
《・・・職務違反の遺体の無断持ち出し・・・》
このシーンはかなりサスペンスフルで、緊張感が高まりました。
早川千絵監督(46歳の女性)は、
インタビュー動画で、こう語っています。
若い人に、
「自分達が何に組み込まれているのか?」
「何に加担しているのか?」
気づいてほしい・・・と。
岡部ヒロム(磯村勇斗)と成宮瑶子(河合優美)と
マリア(ステファニー・アリアン)の3人がその若い人で、
ヒロムは「PLAN 75」の申請窓口の担当者の市役所職員。
瑶子は「PLAN 75」のサポート業務担当のコールセンター職員。
マリアは介護職員から娘の心臓手術費用を稼ぐために更に高額な
「PLAN 75」で遺品の整理などの仕事に転職するフィリピン人女性。
前述のヒロムの止むに止まれぬ行動。
20年も疎遠だった叔父が「PLAN 75」への応募で再会する
どうしようもなく込み上げる不憫さと肉親への情・・・
決行の日に寝坊して頼ってくる叔父を食堂に誘い、
お酒を注文して・・・叔父は車酔いして吐いてしまう・・・
(早川監督のリアリズム描写が憎いほどです)
主役の角谷ミチ(倍賞千恵子)。
2度の離婚そして出産時に子供を失い天涯孤独。
働き詰めの人生でした。
ホテルの清掃員を解雇され「PLAN 75」を遂に選択します。
ミチの担当者の瑶子は、会話を交わすうちに次第にミチに
祖母に対するような愛情を感じていきます。
ミチと瑶子がミチの懇願で対面するシーン。
ミチは思い出の場所でクリームソーダを飲み、
2人がボーリングに興じるシーンは美しい。
隣のレーンの若者ともハイタッチを交わしたミチの
嬉しそうな顔。
そしてミチに最後の別れを告げられた瑶子は
動揺して涙ぐみ言葉にならない。
確かに長高齢化社会の歪みは大きい。
若い人の社会保険料の負担。
高齢者の医療費に注がれる巨大な費用の肩代わり。
若者の税負担は非常に重たいです。
「俺たち自分たちの世代は年金が貰えない」
そんな言葉もよく聞きます。
ラストがとてもリアルでした。
ミチは吐き気止めを飲んだ後、マスク越しに全身麻酔のような薬で
眠らせられるところで、
装置に不具合が発生する。
隣りがヒロムの叔父で、やがて呼吸が間遠になり呼吸を止める・・・
急激に不安な表情に変わるミチ。
倍賞の演技が冴える。
ミチの本心は
「生きていたい」なのです。
ラストの歌、途切れ途切れの、
「林檎の木の下で、
「明日また逢いましょう」
夕日が美しく映え、生きてることの
喜びを慎ましく表現しているシーン。
その後ミチが経済的にどう生活を立て直すか不明ですが、
希望を感じるラストです。
実際に国民年金受給者は貯蓄のない者は生きていけないのです。
「稲ちゃん」や「ミチ」のように後期高齢者になっても
働かざる得ない社会なのです。
そして更に政府は年金受給年齢の引き上げを検討している。
受給年齢の65歳までどう食いつなぐか?
悩む人々はとても多いです。
日本は北欧の福祉国家のように安心して老後を迎えられる国ではない。
だから「PLAN 75」が生まれたのです。
「PLAN 75」は、
一見合理的なようだが、
ヒロムや瑶子、そしてマリアのように
制度に疑問を持ち精神を
疲弊させていく若者がいる。
それでなくても超高齢化社会で若者の覇気が失われて、
若者の心に希望が少ない。
この映画は今年のアカデミー賞の
国際長編映画賞の日本代表に決定しました。
是枝裕和監督からは、“誇りに思う“と声を掛けられたそうです。
どうリアクションしたら良いか悩む~
おもしろかった、とか、泣けた、とか、金返せ!とか、映画を観ると、何かおみやげ想いを持って帰るのですが、これは困りました~。
ただ、倍賞千恵子さんが、隣の老人が絶命していくのを見て、生き続けることを選択する(脱走する)くだりは、後1.2分でいいから倍賞千恵子の渾身の熱い演技を入れるとよかったのでは、と思いました。
しかし、リンゴの木の下で~と倍賞千恵子さんが歌うシーンは唄が上手すぎる!老人会のカラオケ会になってない!まあ松竹のトップスターだから仕方ないか....。
基本は社会を一つでくくるなって事。この映画では理解出来ない。
『78歳の主人公ミチと同世代の女性の多くは(PLAN75に)肯定的なんです。』この映画の監督の言葉を引用しました。実際の雑誌に載った彼女の言葉です。鑑賞者の皆さんはどう感じますか?
この監督が言う『賛成の印象を持った78歳位の老人』とは、こう言った問題に直面していない方だと思います。しかし、障害を持った方、重篤な病を抱えた方に『PLAN75に賛成ですか?』と聞いて、なんて答えると思いますか?そもそも、そんな事聞けますか?
それがこの映画の価値だと思います。
どの位の価値かは、この映画をご覧になってみたらいかがでしょうか?
賢明な皆さん、話し合うのではなく、自分の考えを持ってください。自分の生命です。自分の生命を、法律や他人の意思で決めて良いのですか?
自死であっても、自分の意思で死ぬから、尊厳死と言うのではないでしょうか。
他人事だから、泣けるんです。だから、僕は泣けません。
アフリカで『女性の一部を切除する習慣を無くす運動』が起こっていると報道がありました。人口が増えて経済がたちいかないアフリカでは『仕方ない』と言えるのか? さて、
中絶の良し悪し、優生保護法の良し悪し。色々な意見があると思いますが、要は、自分自身の意思が、反映されていない事が問題だと思います。
この映画は、アフリカの悪しき習慣を日本で復活させようって、問いかけているようなものです。ニューヨークのクリエーターの作品には到底見えません。
追記 Amazonで配信始まった。映画が始まって直ぐに確認が取れた。やはり、間違っていなかった。それを、どう解釈するかは見る人の自由だが、僕は閉口した。確実に閉口した。
やはり、僕にとっては人生最悪の映画だった。いゃ、映画だ。
始まりの場面右下を、じっくり確認してもらいたい。驚けない人はwikiで確認すると良い。
怖くて泣いた
「住民票がなくても大丈夫」
この文字に寒気がした
年寄りをこの世から追い出す制度は優しさと節度を持っているように装っているが、無慈悲で節操がない。
高齢者の健康診断会場、炊き出しの公園、
この世から追い出したい人が集まる場に容赦なく置かれる【プラン75】ののぼりやポスター。
希望者には10万円。好きに使っていいと言いながら、お葬式の費用にする方もいらっしゃるとさりげなく誘導する担当者。
お年寄りのさみしさを知っていて、
そこにつけ込み絡めとり、
孤独だし、生きてても仕方ない、に追い込む手法。
コールセンターからの電話、15分でチャイムを鳴らしそれ以上お年寄りの相手をさせない制度を作った人は、
自らの親はプラン75の合同プランに送ったりしない。
最期はこれを身に付けたいと思い入れのあるものを手に
最期の場所に集まった人もいるだろうに、
こと切れれば、服以外ははぎ取りゴミ。
そういうやり方を決めた人は、自ら孤独なお年寄りの相手をすることもなく、彼らの現状に目を開くこともなく、心を痛めない。
ユダヤ人だという理由で殺すことを肯定したナチスとどう違う?
磯村勇斗が演じた役人は、
自らの叔父を自ら手を貸して会場まで送ったのでなければ、この制度の恐ろしさに目覚めなかった気もしてしまう。
公園のベンチに横になれない排除グッズをみつくろうとする場面でそう思った。
「いつでもやめられる」の言葉通り、本当の直前になって制度の手にかかるのをやめたミチ。
彼女は部屋の中も持ち物も自分でキレイに処分していた。
これから生きるよすがもなく、
頼れる人も
眠る場所もなく、
どうやって生きるのだろう。
それを考えると怖くて怖くて。
キレイな景色や
他人の一瞬の優しさは
生き続ける術にはならないと思えてしまう。
つらい。
まともな人間なら、プラン75に関わる仕事をすることは辛いはずだが、
こういう制度があっても、などと言う人は自分が実務者として死を選ぼうか迷う高齢者に向かい合うことはないし、絶対に自分の親はプラン75に送らない。
年寄りは集団自決を、なんて絶対間違ってる。
ひきこもりの子を、世間に迷惑かける前にと親が殺めるのも、それを他人が絶賛するのも、絶対間違ってる。
たとえ死ぬとき孤独で
その人が死んで泣く人も悲しむ人もいないとしても、
死んでいい人なんていない。
倍賞千恵子が「今は孤独だけどきちんと真面目に生活してきたごく普通の一老婆」だけど「配偶者に先立たれ子はなく、解雇されて家も仕事も探せず、死ぬしかないと思い至ってしまう孤独な老婆」になっていて、
大好きな倍賞さんの最後の映画がこれなのは嫌だと思ってしまった。
演技は最高です。
この映画も最高です。
人生は良いことや楽しいことばかりじゃない。
重いことをそのまま描いて見せてくれたこの映画はすごいです。
だけど、大好きな俳優さんの最後の映画は
幸せそうな笑顔が見たい。
そう思ってしまうくらい、この映画は誤魔化さず、逃げずに、今の日本のうしろ暗い闇を描いてました。
重たいとか暗いを嫌がる風潮だから、
茶化してしまう映画も多いのに、暗い物語を暗く撮ってくれてありがとうと思います。
プラン75。確かになと。
プラン75。確かになと。介護保険料の半分は国や市町村の税金から取られる。被保険者の本人達の負担は1〜3割(殆ど1割)。最初の男性みたいにこ◯しはしないが、若い世代からしたら高い金を税金で徴収され、見ず知らずのお年寄りに使われるのに不満があるのもわかる。自分らは年金がもらえるのかさえもわからないのに。ある意味今の若者は自分を犠牲にしてボランティアしているともいえるのでは?それに負い目がある年寄りがいるのもわかる。プラン75があれば国の負担減り、若者の負担は減る。たしかに。たしかに。しかし残された遺族や関わった人が悲しむのも事実。現実になれば、◯◯さんはしたのにどうして◯◯さんはプラン75してないの?あのおっさん、なんで生きてんだ?はやくプラン75使えよ。と半ば強制的に死す人も出てくるだろう。泣けた場面は一緒にボーリング行ってくれた姉ちゃんが泣くのを我慢しながら最後の電話をした時。「長い話に付き合ってくれてありがとうね」って言われたらそりゃ泣けるよ。自分と重なった部分があるからだと思うが。んー、そうですね、感想は、やっぱり主が死ぬ場所から逃げ出して朝焼けじっくり見る場面あったけど、自然の道理に逆らっちゃだめ!ってことかな!うんうん。
設定が矛盾してる気するけどいい映画。
老人が増えすぎて自分で選んだ体にして社会から弾き出す制度ができた、近未来の日本が舞台。
老人が増えすぎて、若い子の負担がーってのはわかる…今まさにそれだもんね。でも、増えてるんだから老人が働いて何が悪いねんってことちゃうの?
みちたちがいきなり解雇されたのが理論破綻してない?ってなり、引っかかった。少ない若い子と後期高齢者未満の中高年だけで社会維持できる?って。そこは外国人労働者で補填ってことなんかな?
とはいえ、ずしんと我が身に響く、見るべき映画だったと思います。
わたしは2022年に41歳になるんです。若者の立場では見れませんでした。もっと若ければ、そうでもなかったかもしれないけど、老いを感じてる今は、もう気分はみちさんですよ。
いつかは後期高齢者になるやん?わたしもあなたもみんな。それぞれの事情の中で、精一杯生きた果てが、「あんた役立たずだから死んで?」って言う同調圧力ってさぁ、酷すぎん?みんなのために、国のために喜んで死ぬなんて、ぜったいイヤっておもった。
自発的な安楽死は、ほんのり賛成で、なんならスイス行ってゴダールみたく終わりを迎えたいと思わなくもない。でも、プラン75みたく、自分以外の決断をあたかも自発的な決断のように見せかけるやり方で殺されたくない。
みちさんはなんで生き残ったんでしょうね。薬が効きにくい体質だったんかな?彼女が生きていく道がありますように。
想像以上に重くのしかかる
年金の問題が話題になっているので本作をまた観たくなりました。
激動の時代を生きて今の日本を築き上げた、たくさんの方々が幸せな老後を過ごせますように…と祈りたい気持ちで胸が張り裂けそうです。
邦画のダメなところ詰め合わせパック
【総合評価】2.4(後味の悪さにより0.5減点)
・意味深なのに別に伏線でもない冒頭
・期待させておいて尺稼ぎか?と思ってしまったトリプル主人公 、なんなら一人蛇足では?
・描写と説明があまりにも不足、字幕での補足くらいしたら?
・テーマはめちゃくちゃ良いし実際考えさせられるシーンとか良い演出とかあったけどラストの着地が最悪
・音響もっと出せ映画館なんだから
まぁある意味面白かったんですけど、映画館で観る邦画に対する信用を見事にぶち壊しました(白目)
映像:4
ストーリー:3
ラスト:0.5
テンポ:2
予備知識:5
近未来の姥捨て山
カメラワークに感動、アングルが素晴らしい❣ 75歳以上が自ら生死を選択できる制度が施行された近未来の日本が舞台(昔は家族の“姥捨て山”、これは国家の“姥捨て山”)。登場人物の服装が近未来を予想させ、我が身を考え寒気がした。角谷ミチ(倍賞千恵子)が呟く様に歌うシーン、往年の彼女が唄う透き通った声を知る身としては感慨深かった❣ プラン75カスタマーサポート員の成宮瑶子(河合優実)との心温まるシーン、プラン75社員・岡部ヒロム(磯村勇斗)と叔父の岡部幸夫(たかお鷹)との絡みにも注目。ラストシーンは不可解❓
塚口サロン劇場にて
塚口なんて、めっちゃ久しぶり!
観たい作品やったんで
この作品を今としたら
僕は、14年後だ。ありえる話だ。
この75歳の方々は、戦後すぐ産まれ
国の高度成長を滅法奉仕でささえ
いらんようなったら死んでね。
って!責任者でてこい!
偉いさんが出てこないのが、感じでてます。
戦争や感染になっても死ぬのは、庶民。
僕も賠償さんみたいに、逃げるぜ!😀
SFであってほしいが
古典的名作『2300年未来への旅』(ローガンズ・ラン)と同じ主題。だがこの映画はとてもフィクションとは思えない。今の社会の状況を踏まえれば、世間がそういう風向きになりさえすれば本当に起こる「もう一つの現実」と信じられるほど、背筋が凍るようなリアリティがあった。
老いて家族や他人に迷惑をかけたくないという思い遣りの気持ち、おだやかに旅立つ手助けをしたいという真摯な気持ち、同調圧力の下での「自分の」意思。それらが結び付いて、 (劇中で自賛されていたように)この国の人々は最高に効率的な人口動態制御政策を自ら実行する能力があるだろう。
劇中では対象年齢が下げられる話も出ていたが、やがて窓口も自治体から外注、孫請けとなり、受諾数にはノルマが課せられ、ますますシステマティックに「社会全体にとっての適正なバランス」が追求されるのかもしれない。だがその実態は、遺品略奪のシーンがいみじくも想起させるように、アウシュビッツと同じ国家が線を引いて行う大量殺人と違いがない。
そういう未来の可能性への警鐘として、この作品を完成させ公開してくれた各位に心から感謝を。
追伸:こんな風に悲観的に考えてしまうのは、やまゆり園事件がモチーフと思われる衝撃的な導入が、(製作時はおろか公開時点でも想定外だったろうが)奈良の事件後の展開が含意する「殺人はいけないが犯人が提起したことにも一理ある」といった考え方を許容する空気とぴったり重なるから。悪い意味でとてもタイムリーだった。
静けさが違和感
終盤に描かれる、安楽死させる病院でのシーンで磯村くんがいとも簡単に入り込めて、亡くなった叔父さんを運び出せる事や、
死を免れた賠償さんが簡単に退院?!出来た病院の管理の杜撰さ。
プラン75、いくら本人からの希望でとはいえ、
遺族への事前の通知は無しなのか!
とか、これが本当に、施行されたならば、
連日遺族がこの病院に詰めかけて大変な騒ぎになっているのでは??
静かすぎないか?
とう点が観ていて違和感感じました。
死にたい本人はいいけど、
自分の大切な人に安楽死を選ばれたらどんな気持ちになるかという視点で見ていました。
複雑です。。
ぶっささり
小学生だったころ、共働きだった両親に代わって放課後に僕の面倒を見てくれたのはおばあちゃんでした。そんなおばあちゃん子だった僕に、この映画はぶっ刺さりでした。
高齢者が増えすぎた日本で、社会保障などの制度を維持していくために75歳以上の高齢者に対し、本人の意思に基づくとはいえ社会として寿命とは関係のない死を推奨する制度が出来た。
支度金として10万円、そのほか民間サービスを使うと高級リゾートホテルでサービスが受けられるなどなど、特典があります、と。
倍賞千恵子さんら、高齢者たちには雇用、住まい、孤独死、今でも問題になっている高齢者の問題が、僕たちへ分かりやすく突きつけられる。
子どもや孫がいる人といない人での格差もしんどい。一人暮らしと家族のいる人の温度差も、これまたしんどい。
僕は同性愛者なので、ほぼ確実に子どもはできない。パートナーはできるかも。でも死の間際まで一緒にいられるか。家は?貯金は?将来をどうするのか。
まだ日常生活に支障がない程度には元気で、働きたい気持ちもあるのに、働けない。働けないから住む場所もない。行政の援護は期待できない。
そんな状況に自分が置かれたらどうするだろうか。
未来のために死を選ぶと晴れ晴れとした顔で語るムービーが作中にあるが、あんなうすら寒いノリに自分は自分の死という形で同意できるだろうか。
親は?兄は?友人たちは?考え出すと、なんとも暗い気持ちになるし、やるせない思いで胸が満たされる。
この映画はフィクションだ。PLAN75は実在しないし、これが実施されることは、少なくとも僕が生きている間には無いと思っている。
でも、何かが違ったら、何かが変わったら、有り得る未来なのかもしれない。
75歳以上の高齢者、という属性だけで簡単に言うが、一人ひとり、感情があり、歴史があり、希望がある、生きた人間であること。制度構築する際にはどうしても属性で人を語らねばならない。でも、その制度が適用されるのは、実際は生きた人間なんですよね。
うまく言葉にできないけれど、倍賞千恵子さんが、まぎれもない生きている人間で、その人が状況のなかで死を選んでしまう。その決断までの流れに、ひどく心が揺さぶられました。
リアル
身寄りも無く仕事も失った孤独な老人
外国人労働者のシングルマザー
老人達と関わる現代の若者
其々の葛藤や苦悩に対する描写や心理がとても上手に表現されているなぁと思いました。
劇中で登場するニュース報道やTVCMにポスターも、本当に有りそうと思うほどリアルでした。
私は40代で中高年層の女性です。
自分がもし主人公の女性の立場なら、と考えると割とあっさりこのプランに申込んでしまいそうだなと思いました。
倫理的な問題もあるかもしれませんが、この制度によって救われる人達は少なくないと思いました。
身寄りの居ない高齢者達(とくに貧困層)の生きづらさも観ていて胸が詰まりましたが、そんな高齢者に寄り添いたくても出来ない、何が正しいのか分からなくなる若者達の苦悩もひしひしと伝わってきました。
主人公の老人に寄り添う、ケースワーカーのような役割の若い女性が沈黙の後に一瞬カメラ目線になります。
その目が何を訴えているのかはこちら側の捉え方次第だと思いましたが、私はドキッとしました。
なんだか、ハッとさせられたというか。
気を緩めるとすぐに眠気に襲われる私なんですが、この映画は全く眠くならず最後まで鑑賞できました。
自分の老いと向き合う
高齢化社会の日本。でも確実に人口は減少しているのだ。労働力となりうる人、体も動いて働く気もある人が死を選ぶのはどういうことか。自分ならどうするかを考えてしまった。
主人公の女性は、生活保護無しに頑張ろうとしてる。なのに仕事もなく家も無くなりそうだ。仕方なく生活保護の申請に行ったら、早々に受付終了。こうなると、プラン75に申し込むしかない。自ら死に向かう選択を、健康に普通に暮らす人間ができるのだろうか。そこには諦めのような感じがあった。そして、ラストの彼女の選択をわたしは応援したい。何も状況は変わってないけれど、前に進もうとする彼女の幸せを祈りたい気持ちだった。
倍賞千恵子の静かな強さ、年齢を感じさせない美しい声がこの映画にはピッタリだ。そしてこの制度に関わる若者たちのなんとも言えない表情も良かった。
映画館を出てホッとする
劇中の若者は最初のテロリストを除いて自分達の行為に恐怖さえ覚えるように見える。最終的には個別葬の手助けすらするので、ある程度のモラルは持っているが、それを食い扶持にしないとならない程追い詰められた経済状況が背景にはあるのだろうと推測できる。
倍賞千恵子は処置を免れたが、外の世界は暗く夕暮れとなっており、日差しはいっときの希望とはいがす、まやかしや、暗い未来を連想させなかなかの後味の悪さであった。
経済的な敗北は死を意味するというのが資本主義の結論なのだろうから、働こうねという気が少ししました。
同じこと考えてた
ある年齢なったら生死を自ら選択できるようにして欲しい。何年も前から同じような事を考えてたことがある。こういう制度を作って欲しいと。わたしはお金持ちではないので、老後には不安しかない。ある年齢まで生きれば死ぬ権利が与えられる。もちろん希望する者だけ。もしこのような制度があったら、将来の不安はとても軽くなる。
わたしにとっては本当に欲しい制度だ。これが映画になるとは驚いた。もし実現すればこんな感じか。というイメージが明確になった。
わたしには全く否定的には感じない。これからこの国で高齢者になる者にとって決して悪ではない制度だとわたしは改めて思った。
主人公の女性はあれからどうしたのだろう?この国でこの先彼女はどんな人生が待っているのでしょう?
全88件中、21~40件目を表示