PLAN 75のレビュー・感想・評価
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身にしみるくらいのリアリティー
大前提となっている設定だけがフィクションで、後は全て現実のものとして受け止めてしまう─それぐらいリアルなものを追求したような作品でした。
映像が力強くて、時折カメラ目線になるのになぜかそれが妙にリアルで、思わず我を投影してしまいそうになって、都度なかなかつらい感情をかき立てられてしまいました。
自分のこと周りのこと社会のこと・・・作品の中に様々な現実を見いだしてしまいます。
内容はかなりシビアだと思うのですが、不思議と穏やかで心地良い雰囲気に包まれながら作品を見つめていたように思います。それも敢えて丁寧でやさしい演技・演出のためだと思います。非常にナチュラルで、気味が悪いくらいに心遣いが身にしみてきて、もしかしたらこの制度は悪くないのかもと思ってしまうくらい、良い作品というのかヤバい作品というのか・・・
有名無名にかかわらず、演者全てのパフォーンマンスは見事なものでした。
音楽を含めた雰囲気作りも非常に良かったし、かなり見入った作品です。
受け止め方は千差万別か
トークイベント付きの会を鑑賞、上映前に監督から「余白を感じてもらえたら」の発言があったが、ちと余白有りすぎやしませんか?と感じてしまった。
人の命が限られているとしたら、どうやって生きるのだろう? それは観る人の年齢によって様々なのかもしれないが、プラン75へ送る側の若い人だってやがては命の選択をする側になるのだ。なんて考えると、うーん、非常に難しい。
結局、命ときちんと向き合わなければいけないし、一日一日を意味あるものにしようと認識した次第です。
問題提起の一作ではあると思うので広く観てほしい作品です。
話は逸れますが磯村くんの挨拶が終わり、退場すると、本編開始前に20人程の若い女性たちが一斉に劇場を去りました。
まあ、お金払っているので目的は人それぞれですが、作品に命を注ぎ込む演者さんたちは見たくない光景ではなかろうか。
リアルでグロテスク
高齢化の社会負担拡大のなか法制化された「PLAN 75」
満75歳からはだれでもいつでも、自発的に死が選べる制度
行政サービスとして導入されてる様子がグロテスク
ポップなCMやパンフレット、使途を問わない10万円の支度金、プラン申込後のフォローアップコミュニケーション
それぞれの申込者の管理番号、対象者をまとめて処置する集中的施設、残されたもろもろを整理する事後処理プロセス
部分部分民間に業務委託されてる感じ含めて妙にリアル
本作は、そういう、年間数十万件のうちのいくつかを、ざざっと説明してみた、という構成
ポーンと観客側に投げてる感じがあるけど、確かにそっちが正しいのかも
大きな仕組が社会に馴染みはじめてるなかで、個別のいちいちの葛藤にかかずらうのは意味のないことだから
さて、はたしてこれは荒唐無稽な話なのか
なお、政府としては今後、本プランの対象年齢を段階的に65歳まで引き下げていく意向とのこと
こういう設定に穴を作るべきではない
2022年劇場鑑賞143本目。
深刻な高齢化社会に対する政府の方針として、75歳以上の日本国民に自ら安楽死する権利を与え、葬儀無料や支度金10万円など様々な特典も受けられるプラン75という制度が施行される近未来を舞台に、その制度に関わる人たちを描いた作品。
最初は利用を考えていなかった老人が徐々に環境に追いつめられていく過程や、窓口になる公務員、制度の実行に関わるスタッフなど様々な視点で個人というよりは制度を描いていくような作りになっています。
ただ、表題にもあるように、制度を実行するにあたって国民に秘密にしなければならないような事をしているので、純粋にこの制度の是非を論じる以前の話で終わってしまうのが残念でした。
テーマはよかったのに…😩
息づかい
Plan75を見終えて
今の日本そのもの
倍賞千恵子のリアル婆さん。
超高齢化社会が進んだ日本。インフラや家電から判断すると、ほんのちょっとだけの未来話。
とにかく、ジジババばっかりの社会だ。ま、そこを強調してるだけの事だろうけどね。
で、国は老人以外の国民を守る為に、75歳以上の人が生死を選べる制度を始める。なぜこの制度が生まれたのか、衝撃的なシーンで始まり、期待度アップ。
主人公のミチは、清掃の仕事をしていたが、高齢を理由に解雇され、PLAN 75に申請するかどうか悩む。サイドストーリーは、お役所の担当者の若者2人、高齢の叔父さんを持つ男子と、ミチの担当する女子、役所とは別の業者で働く病気の子どもを持つフィリピンママ。
あれ?みんな違和感を持ちながらも、そういうモノなのでちゃんとやります的な。まるでドキュメンタリーだわ。プラス全体を通して時間の流れがジジババ。ゆっくりすぎた。
個人的には、納得いかない主人公が、国民を巻き込んでお役所と戦ったり、殺し屋と向き合う的な展開を想像していたので、ガッカリ度が半端なかったです。だって、誰もこの制度と戦わないんだもん。確かに問題提起にはなっていますが、ちょっとエンタメ度が低すぎたかな。
審査員は「姥捨山」がお好き
「第75回カンヌ国際映画祭」の「ある視点」部門で
「カメラ・ドール」の「スペシャル・メンション」を受けたとの報に接し、
思い出したのは〔楢山節考(1983年)〕で『今村昌平』が「パルム・ドール」を受賞した履歴。
「姥捨山」にも代表される「棄老伝説」は
日本では〔今昔物語集〕にもある馴染みのある説話も、
外国人の目からすれば新奇に見えるのだろうか。
野生の動物なら、老いて自分で餌を獲れなくなれば
自ずと逍遥として死に向かうだろうし、
一方で象などは老練な雌が群れを率いるとの現実もあり。
また「ネアンデルタール人」も
病人や虚弱な仲間の面倒を見る社会性を持っていたらしいことを勘案すると、
我々はよほど彼等よりも劣っているのかもしれぬ。
本作の舞台は75歳を過ぎた老人が
自身の意志で死を選択できる「PLAN75」が法制化された近未来の日本。
老人の増加が国力を弱めるとの、かなり「優生思想」に近い内容だが、
それ以外の社会的弱者にも当該プランが波及するのかは、
ここでは触れられない。
しかし、こうした一種の「ディストピア」でも、
それに群がり不正を行う集団の存在は
軽くではあるものの触れられる。
またそれは「ナチス」が、殺害したユダヤ人の死体から、
金歯や銀歯を抜き取ったとの過去をも彷彿とさせる行為。
もっとも、今の年金制度が維持されれば、
貧困のうちに死を選択する可能性は低かろうが、
それへの締め付けが前段で実施されれば、
選択の余地は無くなるだろう。
或いは、雇用の年齢範囲を狭めてしまえば猶更のこと。
実際、今でも一人暮らしの老齢者は、借家の確保が難しくなって来ていると言うし。
営々と働き税金を納め、勤労以外でも社会や国に貢献した結果がこれでは、
あまりにも報いが無い。
もっとも、それを不思議とも思わぬ、思想の形成が出来上がっているのだろう。
高齢者が希望をもてぬ社会は、若年層にとっても生き辛い世界に違いなく、
システムの下世代への波及は容易に想定されるのだが。
本作の主人『ミチ(倍賞千恵子)』はそうした下地があり
「PLAN75」を選択する。
また申請窓口を担当する職員『ヒロム(磯村勇斗)』は
あることを契機に一連の流れに疑問を持つ。
プラン対象者への心のケアを担当する
コールセンターのオペレーター『成宮(河合優実)』は
電話の先に居るのは血の通った人間であることを
今更ながらに実感する。
そうした幾つかの化学変化が、ラストの美しいシーに結実する。
個人的には、これは暗黒の社会への光明と思いたい。
劇中『倍賞千恵子』がカラオケで歌う〔リンゴの木の下で〕が
特にその歌詞が重要なアイテムとして機能する。
それは理解しつつも、自分としては、
〔下町の太陽〕を聞きたかったなぁ。
75歳なんて、あっという間なのだ
角谷ミチの担当者である成宮瑶子の頭の中で不協和音が鳴り響く。成宮の横ではコールセンターの新人がレクチャーを受けている。プラン75に申し込んだ老人の気が変わらないように、うまく誘導するのがあなたがたの仕事ですよと。
自分も同じレクチャーを受けた。そして着実に給料を得るために、言われるがままに頑張ってきた。しかし本当にそれでよかったのだろうか。
成宮は仕事を上手くやった。角谷ミチは心変わりすることなく、無事に最終日の連絡を終えることができた。単なるコールセンターの従業員に過ぎない自分を「先生」などと呼んでくれた。最後までしっかりとしたいい人だった。どうしてあんなにいい人が死ななければならないのか。
申込者の受付をしている岡部も同じように疑問を抱く。この政策は本当にいい政策なのか。生命よりも経済を優先することが、人間にとっていいことなのか。
河合優実も磯村勇斗もいい演技をしていた。そして角谷ミチを演じた主演の倍賞千恵子は、淡々と枯れた演技で、声を上げることのできない老人の辛さと悲哀を切々と伝えていた。見事である。
PLAN75は、ひと言で言えば貧乏老人切り捨て政策である。裕福な政治家には貧乏老人の窮状など理解できないから、平気でこういう非人道的な法律を作る。庶民は強権に逆らうことをしない。逆らっても無駄だと思っている。逆らう人間を馬鹿だという人もいる。そして強圧的な政治家に投票する。ドストエフスキーの言う通り、人間は苦痛と恐怖を愛しているのだろうか。
中にはこの政治は間違っていると声を上げる人もいるが、サイレントマジョリティは現状維持を望んでいる。選挙ではそういう投票行動をとる。そうして裕福で独裁的で好戦的な政治家がのさばる。庶民はひたすら苦しみに耐える。75歳で死ななければならないとお上が決めたのなら、それに従うしかないと諦める。自分の投票行動が自分を苦しめていることに気づかない。
角谷ミチの苦しみは日本人の苦しみを代表しているようだ。歳をとっても共同体は何も助けてくれず、民間は老人を相手にしてくれない。PLAN75でなくても、もう死ぬ以外の選択肢はない。人生なんてそんなものだ。これまで自分の力で生きてきた。いまさら生活保護など受けたくない。生活保護の担当者は老人を人間扱いしてくれない。角谷ミチがこれまで選挙でどの党に投票してきたのかは不明だが、政治が彼女を助けてくれないのは明らかだ。彼女が長い間納めてきた税金は、いったい何のために使われるのだろうか。
若い人には他人事のような映画かもしれない。しかし若い人も、子供の頃から今までがあっという間だったことを考えてみるがいい。75歳なんて、あっという間なのだ。
プラン75
意欲は認める
鑑賞後に残念感が充満する。ラスト20分、多くの何故を残しながら、早川監督は登場人物の決断の瞬間や行動のディテールを描かないことを選択した。マタゾウ的には物足りず、せっかくのテーマが浮いてしまった。
技術的には、撮影は素晴らしかったし、役者も皆さん適切だった。スター倍賞千恵子、その朝の痩せた指が印象的。磯村勇斗、マリア役(失礼)、たかお鷹、それに出番は少ないが泣かせるシーンを担当した河合優実。
カンヌで何らかの賞を得られ、世界で公開されるチャンスが得られているとのこと、なにはともあれおめでとうございます。他国の評価を見てみたいです。
新宿ピカデリーの舞台挨拶回を鑑賞。倍賞千恵子、磯村勇斗、マリア役の方、監督の4名が登壇。お互いの絡みについてあまり語らないなあと思っていたが、劇中もほとんど絡まず事後納得。そして舞台挨拶終了後映画を見ずに出ていかれる前列の女性陣が結構多数で驚いた。
「生きているように生きる」ことの難しさ
圧倒的にすごいと涙が出てこない。『PLAN 75』はまさにそう。エンディングの夕焼けを見ていて、何をどこから消化していいのか分からない。
「ただ生きている」ヒロムの叔父。生活は苦しいが「生きているように生きている」角谷ミチ。ともに75歳を超えていて新制度PLAN 75の対象者である。作中では、新制度の肝心なところは語られないが、登場人物の会話で積極的な安楽死制度であることがわかる。
角谷ミチを演じる倍賞千恵子に関しては、褒め言葉が失礼にさえ感じる圧巻の演技。架空の物語ではなく、現実に存在する出来事として観客に問題を突きつける。
角谷ミチとPLAN 75の民間委託先の担当者との最後の会話のシーンは、自分の記憶から消えることはないと思う。
ミチは、人生の最後に心の通った交流ができたことへの感謝の気持ちを伝えることで、生きる未練を断ち切ろうとする。一方で、河合優実演じるオペレーターの成宮は、私的感情を押し殺して事務的に手続きを進めてはいるものの、ミチの心変わりを期待する気持ちが漏れ出てしまう。
81歳の大ベテランと21歳の新鋭が、演技すら忘れて、ありのままに心の内をぶつけ合う。それくらい、2人とも役に入り込んでいる。
現実問題で言えば、PLAN 75のターゲットになるような人々は、映画館に足を運ぶ余裕はない。公的助成を受けた作品であるならば、余裕のない高齢者に鑑賞券を配布すること検討してもらいたい。
「生きているように生きる」ことが、人間の尊厳を確かなものにしてくれる。このことを教えてもらった気がする。
淡々と丁寧に
わたしは基本的に死も選べることに(安楽死も含め)
肯定派なので、こういう制度は否定はしません。
が、選んでるのか選ばざるをえないのかは
正直なんとも...。
ただミチさんの慎ましく、凛と生きる姿は美しくて
夕方は荒れるという天気予報のなか
夕日を眺めるミチさんの最後のシーンは
未来を感じて力強く清々しかったです。
言葉で語るというより
表情や間、空気感で表現していて
本当に実力派の演者さんたちが見事でした。
問題提起してくれました
見る人の年齢や介護の経験の有無で意見が変わるでしょう。
75才以上の人に死ぬ権利を与えるという映画です。
判断することが自分でできなくなったらどうなるのだろうか?
介護を必要としない人はPLAN75を選択できるだろうけど、判断できなくなった人は選択しない。
自分のことが分からなくなったときにPLAN75を発動させるようなシステムなら申し込みたい。
自分は親の介護はおわったが、もし親がPLAN75を申し込んでいたら子供としてどうするのか。
自分もそろそろ考えなくてはならない世代です。いろいろなことを具体的に考えてしまいます。
見に来てた人はやはり高齢者が多かったです。
架空の話ではありますが考えさせられました。
生きる希望を失くす
テーマとしてはものすごく良いのに
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