PLAN 75のレビュー・感想・評価
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イオンシネマは毎日55歳以上の方1100円
2022年映画館鑑賞27作品目
7月4日(月)イオンシネマ石巻
ハッピーマンデー1100円
早川千絵監督作品初鑑賞
脚本も早川千絵
山田キヌヲが出演している短編の方のPLAN75未鑑賞
75歳になったら生きるか死ぬか決められる近未来の日本の話
昔からありがちな発想
21エモンでも似たようなエピソードがあった
カンヌで新人賞を獲得するなど世界の評価は高い
だがはっきりいって内容は全くもってつまらない
脚本の時点で駄作なんだろう
たしかに画像にはチカラがありその点は有能といえるのだが
それでも期待したものとはだいぶ違う
カンヌで賞を獲得した作品を全否定する気はないがこれはハズレの方だ
あつかうテーマは悪くはないがただそれだけ
海外作品の『青いパパイヤの香り』や河瀬監督の『萌の朱雀』と似たような雰囲気でそれが好きな人には向いているかもしれない
高齢化問題を考えさせたいなら『楢山節考』を観た方が面白い
まずSFだが話として全くありえない
このては少しくらいもしかしたらあるかもってのがほしい
早川監督の頭の中を切り開いて中身を見てみたい
高齢者に対する大量殺人事件が起きたから高齢者の皆さんに進んで死んでもらいましょうという発想があまりにも突飛で現実離れも甚だしい
国会議員が自分で自分の首を絞める法律を作るわけがない
高齢者を在日朝鮮人や同性愛者や知的障害者に置き替えたら流石に破綻していることに気づくはずだ
初の長編作品制作のためしんどかったのか集中力を失ったのか飽きたのか文化庁からの補助金が雀の涙だったのかガスで安楽死させる施設の設定も酷い
見た目は老婆
声は寅さんの妹さくら
その名は倍賞千恵子
重いテーマを彼女の存在感でさらに重くしている感じ
コメディエンヌが演じたらまた味わいが違ったかもしれない
介護施設で働くフィリピン人女性はこの作品にはいらなかった
この作品とはまた別の形で扱ってほしかった
河合の最後のカメラ目線が良かった
なぜか楳図かずお先生の『洗礼』のラストを思い出した
ホテルの客室を掃除するおばさんだったが高齢を理由に解雇される角谷ミチに賠償千恵子
PLAN75担当の市役所職員・岡部ヒロムに磯村勇斗
ヒロムの叔父・岡部幸夫にたかお鷹
PLAN75コールセンター成宮瑶子に河合優実
ミチの友人・牧稲子に大方斐紗子
自分はどうせ死ぬなら映画館で映画のエンドクレジットを観ながら死にたいものだ
追記
かつて『嫌韓流』をヒットさせた山野車輪が『若者奴隷時代』という本を出版したが嫌韓モノに比べると売り上げはそれほど芳しいものではないらしい
それは日本が高齢化社会であり本を買う年代は若者より年配の方が多いからだろう
それに若い人も夭折しない限り高齢者になるからそういう視点がない人以外は冷静だ
そこが在日朝鮮人や同性愛者などに対する差別と根本的に違うところ
怪しいデータを並べてみたところで若い人が貧乏なのは年寄りのせいではないのは明らか
年寄りがいなくなったからといって若い人の生活が楽になるわけではない
若い人が趣味はそこそこにバリバリ働き恋愛し結婚しバンバン子供を作ればいいだけの話だ
太古の昔からみんなそうしてきたのだ
年寄りは孫や曾孫の世話をし年金からバンバンお祝い金やランドセルなどをプレゼントする
それで世の中うまく回るのだ
簡単なことだ
結婚していない自分が偉そうに主張することではないのだが
老人への安楽死の選択の自由は新しいビジネスモデルと"生涯現役"の優勢思想を秘かに育む...
ずっしりくる
ちょっと前に寅さんをシリーズ全作を通して見たので、倍賞千恵子はさくらにしか見えず、あのさくらがおばあさんになってしまっていることにまずずっしりくる。その上75歳で自死を選ぶシステムが本当にあり得る感じがして、うちには78歳の母がいて本当に苦しくなる。僕自身53歳でそんなに先の事とも思えないため、生きていくのがつらい。
黄昏の国に潜む微かな希望の余韻
この作品を見て、評論家の江藤淳氏が「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり」の遺書を遺して1999年自ら命を絶ったことを思い出しました。この作品の主人公とは違い、弱者とはとてもいえない傍目には恵まれた人だった訳ですが、それでも自ら死を選んだりしてしまうのです。何故か?
この映画の主人公にも、あることを勧められるもその選択をしないシーンがあります。多分根底にあるものとして共通しているのは「迷惑をかけたくない・社会の役に立ちたい」という「自尊心」であり、それが傷つけられるのが老いの本質ということなのかもしれません。
正解は多分ありませんが、この作品のヒントは「関係性」の回復への希望とこの世界の「美しさ」の再発見であるように思いました。特に寒々としたディストピアをとらえる映像は、タルコフスキーの「ノスタルジア」を思わせる色彩で、黄昏を迎えた日本という(いまや)後進国の、何でもない風景に潜む美をよく捉えていたように思います。幸福は多分普段気付かない見えないところに宿っているのではないか。そんなことを余白の中に感じました。
ともあれ、現在の出生率が継続すると、いずれ日本は消滅する計算だそうです。また世代間の年金収支較差は、維持不可能な状況まで拡大している現状があり、この映画で描かれているように周到に政府による自殺幇助罪を回避する仕組みが用意されれば、可能性ゼロの世界ではないかもしれないと思うところに怖さを感じました。いろいろと考えさせられる映画でした。
人間の自然なリアルを捉えた秀作でしたが‥
(完全ネタバレですので映画を見てから必ず読んで下さい)
映画を見て監督は結構、人間の嫌な部分をリアルに捉えて表現する人なんだな‥と苦笑していました。
例えば、主人公の角谷ミチ(倍賞千恵子さん)が植木鉢に切った爪を肥料の為に?撒いていく場面や、PLAN 75サポートコールセンターの成宮瑶子(河合優実さん)に電話で(双方向でなく)自身の話を一方的に話す場面や、ミチの職場の同僚が退職の送別会で若い後輩からもらった花を後でそのままゴミ箱に捨てる場面など、そういう嫌な感じリアルであるよね‥の描写がそこかしこに表現されていました。
この映画は、増え過ぎた高齢者を殺害する若者のテロ場面から始まります。
しかし、この映画での高齢者のちょっとした様々な嫌な表現は、確かに高齢者の存在を鬱陶しく思わせて(もちろんあってはならないですが)高齢者を殺害する若者の気分も共感させる内容になっていると思われました。
PLAN 75サポートコールセンターの成宮瑶子は主人公のミチに共感し、最後にミチがPLAN 75に参加するのを止めようとミチに連絡しますが、ミチは既に身辺整理で自宅の電話は外していて通じぬままでした。
成宮瑶子は、このような事態を招いている責任はあなた達にもあるのではないかと、訴えているような目で最後、私達観客をカメラ目線で見つめます。
しかし私は、(おそらく監督の化身とも感じた)成宮瑶子(河合優実さん)のカメラ目線に対し、いやいや、このような事態を招いている中に、高齢者の嫌な部分をリアルに表現しているこの映画(監督)も加担していますよ‥とは思われて苦笑しました。
もちろんこの映画での高齢者の嫌な部分の表現は、誇張はなく表現されていて、リアリティがありました。
しかし本当は映画として、そんな嫌な部分を肯定した上で、高齢者のさらに奥の裏の心情をもっとしっかり描く必要があったのではと思われました。
私は、例えば、送別会でもらった花をゴミ箱に捨てていたミチの同僚も、嫌な部分を描いたのと同じぐらいに、そこに至るまでの裏の深い心情を描く必要があったと思われました。
ところでこの映画は、女性側の高齢者は主人公ミチやその周りが割と嫌な感じで描かれていたのに対して、男性側の高齢者は幾分かは優しい視点で描かれていたように感じました。
PLAN 75の市役所の申請窓口担当者の岡部ヒロム(磯村勇斗さん)は、PLAN 75の申請に来た長年音信不通だった叔父の岡部幸夫(たかお鷹さん)と再会します。
この岡部ヒロムの叔父の岡部幸夫に対する表現は、主人公ミチら女性高齢者と比べてそこまで嫌らしさはなかったと思われます。
むしろ、叔父の岡部幸夫がこれまで日本全国を飛び回りあらゆる建設土木に関わったこと、その地方地方で献血をして来たこと、が伝えられ、どれほど今の日本を築くのに貢献して来た人生だったかが伝えられます。
この女性高齢者と男性高齢者の描写の違いもこの映画の特徴の一つだとは思われました。
この映画は少子高齢化の日本についてが内容の基盤になっています。
日本の少子高齢化の原因は、人口ボリュームの大きい団塊ジュニア世代の少なくない人達が、家族を養える経済基盤を持てなかったのが大きな要因だと思われます。
今の団塊世代前後より上の高齢者が、あるいは既存産業の特に大企業が、バブル崩壊後に生き残り逃げきるために、非正規雇用の拡大などで下の世代の家族を養える構造を破壊してきたのが、日本の少子高齢化の大きな要因だと思われます。
そして少子高齢化による社会保障費の現役負担割合の増大は、あらゆる予算削減につながり、さらなる少子高齢化に拍車を掛けました。
高齢者の人々は、後期高齢者の負担の話になると怒り心頭で高齢者の人口ボリュームとも相まって声がデカかったです。
しかし若者世代の、例えば共働きでの子育て支援構造についての話にそこまでこれまで熱心ではなかったと思われます。
であるので、この映画で描かれているPLAN 75のようなアイデアも高齢者より下の世代からは言いたくもなるよな、とは思われます。
しかしこの考えはもちろん間違っています。
私達は、高齢者が壮年や若者世代の裏の心情に無関心や冷淡だと感じたとしても、壮年や若者世代が逆にそのまま高齢者の裏の心情に対して無関心や冷淡で返しては(忙しい日常では当然で仕方がないとしても)単に自分も相手と同じことをしているだけであって、本質的には間違っていると思われるのです。
このことはあらゆる場面でも同じです。
例えば政府批判をしている人も、批判相手である政府の人々の裏の心情を想像する必要があるのです。
自身が政府の裏の心情に無関心で冷淡であるなら、その批判も当然相手には届かないのです。
これは他国の人に対しても同様です。
ところで日本の少子高齢化の問題は、もう少子化対策で対応できるレベルを超えています。
その解決のためには日本は外国から移民を大幅に受け入れる必要があります。
当然、移民受け入れには文化衝突が起こります。なぜなら国によっての常識は様々だからです。
なので移民受け入れには、お互いに文化を含めた裏の心情を理解する必要があります。
それはその中に例え裏の心情を理解できない人がいたとしてもです。
ただ移民をする側は(される側の人々と違って)、その国や地域で暮らすために相手の言葉や文化や人々の裏の心情を必然的に知らなければなりません。
マリア(ステファニー・アリアンさん)は、そんな必然的に日本の人々(移民される側、この映画では外国人労働者での話ですが‥)の裏の心情を理解しなければならない一人です。
マリアは、PLAN 75で亡くなった叔父の岡部幸夫の遺体を施設から運び出す岡部ヒロムの手伝いをします。
この場面で小さな感動があるのは、淡々とPLAN 75の仕事をしていた岡部ヒロムが、叔父との出会いによって心情に変化が訪れる場面だからだと思われます。
と同時にそれに加えて、外国労働者として必然的に日本の人の裏の心情を想像しないといけなかっただろうマリアが、よく知らない日本人の岡部ヒロムの裏の心情に通じて手助けをしたからだとも思われました。
ただこの映画は、この場面と上で触れたPLAN 75サポートコールセンター成宮瑶子がミチに最後電話した場面以外は、相手の裏の心情に通じる描かれ方はほとんどされていません。
主人公のミチも最後の場面になっても、なぜ自分がこのようなことになっているのか分からないままだったと思われます。
リアルとしてはそうなんでしょうが、映画としてあるいは人間の本質としては、この映画は相手の裏の心情表現が全体として希薄に感じ、私はそこまで感心出来る作品ではないなとは思われました。
この相手の裏の心情に無関心で冷淡な希薄さは、結局は高齢者の裏の心情も、壮年や若者の裏の心情も、外国人労働者の存在や裏の心情も、少子高齢化で移民が必要だという現実も、なぜ彼らが相手の裏の心情に無関心で冷淡な希薄さなのかも、見ないことにしようという結果になると思われます。
そしてこの映画も、相手の裏の心情に無関心で冷淡な希薄さから免れていないと伝わるのです。
もちろんこんな長文の感想を書かせ、この映画内容も含めて互いに相手の裏の心情をほとんど考えない希薄さの表現は、逆に現在の日本を正確に捉えた秀作であるのだろうとは、一方では思われました。
この度はPLAN75にお申込みいただきありがとうございます。私、成宮が担当させていただきます。
老人を切り捨てる社会。現代版楢山節考。このプロトタイプ的な作品「十年」はもう少しSFチックだった印象。もっと情に訴え真に迫ってくる内容かと想像していたが、現実的にあり得るストーリーで淡々と進む。テーマは重いが、そこを補い、上質なシリアス劇に導く、ミチを演じる倍賞千恵子の品の良さ。分別のある佇まいが悲壮感を和らげる。
さらに役者倍賞千恵子を「とらやのさくら」とダブらせてしまうことで、かつて賑やかだった「とらや」の現状だと錯覚を起こす。おいちゃんおばちゃんはとっくに亡くなり、近所とも疎遠になり、寅次郎も行方知れず、店も畳んでそこにはマンションが立ち、あとに残ったさくらは独り公団住まい。例えばそんな現状を連想してしまう。あり得るリアル。
ついついそんな目で見てしまうミチ。出前でとった特上の寿司の器を洗って返したり、使っていたロッカーに別れの礼をしたり、そこがかつての日本人らしさ。78歳になっても再就職の意欲はあるが、なかなか見つからず、友人の死を目の当たりにもして、だんだん気が落ちていく。そんなときだからこそ生活保護という選択はしないのか?それを選ばないのは、恥だと思うからか?それとも人生への諦めからか?そんな老人の気持ちに付けこむような政策、PLAN75。これ以上人間が増えてはいけないのか?この政策は人間の自浄作用なのか?まるで罪もないのに自ら罪人となって、自分自身の死刑執行を選択する制度だ。
後半の展開、淡々と業務をこなす若者も、次第に自分の感情が揺らいでいく。やはりそうあってほしい。そんな冷たいばかりの世の中であってはいけないよな。たとえ一人一人が孤独でも、国から捨てられるのはごめんだ。
公園で遊ぶ子供たち。この子供たちも70年後には、、、。そう想像するとあまりいい気持ちはしない。
炊き出し
いい台詞があったのに忘れてしまいました。「寂しさだけが人生さ」だったか「苦しみだけが人生さ」だったか・・・とにかく「さよならだけが人生だ」という言葉よりも重く、悲しくなってくる。今年になって岸田政権は0.4%の年金額減額という強攻策に出た。これだけ物価が高騰しているにもかかわらず・・・だ。今後も年金額が減少し、消費税増税、インボイス制度と庶民の生活を圧迫する政策ばかりになるのだろう。大企業の増税は行わず、軍事費だけが増える日本。これじゃ死にたくなるのも当たり前。特に独居老人!
75歳になったら安楽死を選択できる・・・年金だけで生活できるわけないんだから、現実感もある内容。まぁ、その前に安楽死(尊厳死)の問題が解決していないので、簡単には法制化されないのでしょうけどね。そんな中で、戦争ができるように憲法改正したら、若者はどんどん戦死して、その遺族年金も財政を逼迫して、早々に経済破綻するでしょうね。そしてアメリカかロシアの属国化決定です。そのためには「国家のために喜んで死ぬ」教育もなされるでしょう。
こう書いてみても、やはり短編集『十年-Ten Years Japan』の中の一編を超えてないような気がしてちょっと残念。個人的な生死の問題は描かれているものの、観客の想像力に委ねられる部分が多く、政府パートや非独居老人が描かれてないのが原因だろうか。さらにもし認知症老人だったら本人の意思が伝わらないので、これまた家族の意思が問題となってくる。プラン75はあくまでも本人の意思なので・・・
一番ショックだったのは申請しても10万円しか貰えないということ。やっぱり政府は庶民を舐めてる。多分、麻生あたりが言い出したことなのだろう。「貧乏人には10万円は大金だろう!」」ぺっぺっと唾を吐きながらヤクザ言葉で話していそうだ。
法律で個人タクシーは75歳までしかできない。引退=プラン75となりそうで不安です。あ、それから磯村勇斗は何歳という設定なんでしょうか?おじさんが75歳なら、かなりの年齢差。三親等だから担当外れるとか、細かいこだわりもあるが、真実はひと~つ。コナンだって三頭身さ。
人間には無理。
この映画の存在を知ってから、観る前はもしこんな制度があったらってことを考えてましたが、
「もしこんな制度があったら」じゃなくて、"今"の先にはその未来があり得るってこと、それを踏まえて"生きる意味"を考えなきゃいけないんだと、思わされました。
序盤で、倍賞千恵子さんがカメラ目線でこっちをジッと見てきて、ドキッとしました。あの瞬間は角谷ミチじゃなく倍賞千恵子だった。倍賞さんが、「よくこの映画を観に来てくれたね。あなたも考えてみて」って言ってるみたいで。
後半には河合優実さんも。倍賞さんより短かったけどやっぱりカメラ目線で、「あなたはどう思う?」って言ってるみたいで、また心臓がギュッとなりました。
あの2人の目ヂカラは強かった〜。映画だから見ていられたけど、実際に対面したらきっと目を逸らしちゃう。
私は、制度としてはあってもいいんじゃないかとは思います。
年齢のせいで社会から追い出される人のいる今の社会がつくる制度として。
(逆に言えば、年齢のせいで追い出されることがなくなれば必要ないことなんだけど、そこを突き詰めると不老不死とかの話になってきちゃうからそれはちょっと置いといて)
でも現実的には、問題山積みですよね。
まず、自分自身の考えで決断できる人に限られるでしょ。
認知症とか障害があるとかで自分の考えを伝える手段を持たない高齢者は、下手したら「本人の希望です」って言って家族とか周りが10万円もらって安楽死させる可能性だってあるし。
そうしてしまいたいと心の片隅で思っちゃうのを打ち消しつつ必死に介護を続ける人だっているだろうし。
孤独な高齢者に"寄り添って"10万円を狙う輩も出てくるだろうし。てかこの映画で河合優実さんが演った成宮さんも、「ルール違反だけど黙ってれば」って実際に会ったのって、最初はそれを狙ってたんじゃないかと思ったんですよね。相手から言い出したことだし、私は"寄り添って"あげてるだけって自分に言い訳して。
「寄り添ってあげて、気持ちが変わらないように誘導する」っていうそのお仕事、健全な精神状態で続けられるものなのかな。
"死"へ誘導するお仕事だなんて、まるで死神。。
とかってことを考えると、制度としてあってもいいとは思うけど、それが健全に運用されるとは到底思えないので、人間が扱っちゃダメな制度ってことですね。
でも、高齢化社会は"今"現実にここにあって、年齢のせいで追い出される人がいるのも現実。
まずはこの現実を知って、考えて、家族や友人と話して、"生き方"を考えるきっかけとして、とてもいい映画だと思います。
最後のミチさんの行動、あれがまさに、"生きる"ってことですよね。
人間としては生きることを終わらせてしまいたいと考えたけど、殺されてる人を前にした時、生き物として自分の命を守る本能がミチさんを逃げ出させた。
あのあとミチさんはどうするんだろうってとこも含めて、考えさせられる映画です。
知らずにいた方が楽だったかもしれないけど、でも、観て良かったです。
しぶとくもがいて生きてやる。
子供の頃、祖母が入所していた老人ホームに行くたびに「早く死にたい〜」と切実に大声で職員に訴えかけるように叫んでいる一見健康そうな女性の入居者がいた。今思うと彼女は毎日がつまらなかったのか、身寄りが誰もいなくて淋しかったのか、生きている意味が見出せなくて辛かったのか。子供ながらになんとも居た堪れない気持ちになったのを思い出した。
75歳を過ぎたら自ら生死を選択できる制度が導入された社会。
自分が将来そのような状況になった時のことを想像してみた。病気で寝たきりだったら考えるかもしれない。誰かに反対されても。でもさぞかし死ぬことが悔しくて堪らないだろうと思う。
元気で健康であっても生活できない生きていけない生きる意味が見出せないと悲観するなら死んでもいいんだよって。明るい未来も希望のかけらもない内容でした。
コールセンタースタッフの若い女性。最後突然観客側であるこちらに視線を投げかける。
そうではなく、せめてくやし涙を流す姿を見せて欲しかった。それだけでこの映画の印象が少し救われた気持ちになれたのかな…と。
自ら死を選択した人間に対して誰も涙を出して悲しまないなんてそんな世界は嘘だ。
これは映画ではない。未来だ。
思っていた以上に重いストーリー展開だった。しかも序盤から。
でも、これは近い将来起こりうる事象だと感じた。
この映画を鑑賞する前は、自分がもし老人で実際にPlan75があったら、すかさず申し込む派であったが、鑑賞中から考えが揺らいだ。
日本を支えてきた高齢者が、お払い箱にされて事務的に人生を終了させられる。まだ動くのに、型が古くて省エネでないからと捨てられる家電の様な扱いが悲しかった。
絶望の中で倍賞千恵子さんの凛とした美しさが際立ち、日々の生活描写が丁寧に描かれていて最後まで目が離せない作品だった。
良い映画なのだが…
序盤から泣きっばなし。
「湯を沸かすほどの熱い愛」を
観た時の感覚に近かった。
死にゆく人、または
もうすでに死ぬことが決まってる人
(まあ誰もがそうなのだけど)
を描かれると、弱い。
中盤、
「もう見ていられない状況」に
陥っていく感じ、あれが現実なんだけども
まあ見てられなかった……。
いつもは目を伏せてる部分を
克明に見させられている感覚。辛い。
そしてコールセンターとのやりとり。
あれはずるいけど泣いちゃうよ。ずるいよ。
しかし、終盤。
感情が一気に引き返すような、
興醒めするようなラスト。
これじゃない気がして仕方なかった。
これを見たかった訳じゃない。
それまで丁寧に描いて来たものを
ぶち壊すような感じがしてどうも
受け入れがたかった。
全体を通して、
ずっと濃厚に生と死を描いているのだが、
どうも長く感じてしまった。
ただ、登場人物それぞれが上手く機能していて
設定としては、素晴らしいものだった。
倍賞千恵子。素晴らしかった。
私にとってもハウルで聞き馴染みのある声。
彼女が失われていくのは、悲しいよ。
グランドシネマサンシャインが良かった。
シアター2での鑑賞。
c-7がベストと思われる。
重かった…
久々に、鑑賞後も気持ちが淀む時間が続く映画でした。一方で、設定が荒すぎて興醒めでした。火葬許可証がなければ火葬なんて出来なし、そもそも死体が2体無くなっているのを放置できる管理体制なんて有り得ないだろう? 途中で逃げることなんて織り込み済みだろうし…。
あと、公園施設の管理とか、炊き出しとか、どんだけマルチな役人やねん!とか…。それが減点かなぁ…。
PLAN75の是非は別として、あと10年後ぐらいからどうやって暮らそうか? そしてどう死んでいこうか?と本気で考えさせられました。それが重たかった。
ここで、自分の考えを披露すると炎上するのかも知れないけど、多くの人が老後に不安を抱え、明るい未来を想像する事ができないのは、政治や雇用制度の問題のような気もする。その意味で「自死」に頼る政策しか解決策が出せないと辛いですね…。
PLAN75は、生きてるより死んだ方がましという人には良いかも知れず、それを映画で主張するのは良いとして、一方で、生きてることが幸せという考え方を肯定できる内容を示さなかったのは、映画としてはマイナスかなぁ…と感じた。
こんな世の中ぜったい嫌
設定は近い未来でもない、この時代。日本の高齢化社会の抜本的対策として、75歳以上は死を選択できるPLAN75が国会を通過した。78歳の主人公は友達3人と仲良くホテルの清掃の仕事をしている。みんなで健康診断に行くと「長生きしたいみたいで申し訳ないわねぇ」などと話すが「高齢者を働かせて可哀想」というクレームが入ったという理由で突然仕事をクビになる。いたって健康で若々しくても78歳という年齢は変わらず再就職が難しい。
PLAN75を市役所?で担当するヒロムは炊き出しの場所に説明の机出しをして希望者に説明する。ある日、申込者が音信不通だった父の兄弟であると気づき、アパートを訪ねて交流が始まる。
磯村勇斗を映画で観たのは初めてだったが、公務員の普通っぽさがとても自然だった。
普通にしていればまだ生きられる命を、終わらせる制度PLAN75。テレビでは「今後65歳まで引き下げることも検討されています」と言っている。もう生きなくて良い、若い人に譲る、との想いがあって申し込んでいても、それは本心か。こんな制度が存在する社会を見限って申し込んでいるようにも見える。PLAN75のコールセンターの女の子が気付いているように、申込者には75年以上の人生があり、平凡であったとしても無意味ではない。
制度はあくまでも「希望者に寄り添って」というが、いかにも政治家や役人が使いそうな耳障りの良い言葉だ。それだけにリアル。こんな発想があり得る社会にしてはいけない。
人って本当に死ぬ時はひとりだろうか。
開始5分の引き込み方が容赦ない。まるでこの先起こる出来事を見届ける覚悟を試されているかのような気持ちになる。75才になると「自らの意志のみ」で死を選択できるPLAN75法が施行され3年経った日本が舞台。超高齢社会を地でいくこの国ならではの着眼点といえる意欲作。
登場人物それぞれの立場、視点からこの制度の是非を考える。正直フィクションとして見ることができなかった。働く世代の負担は増し続け少子化は加速する。そんな国の未来にPLAN75など存在するはずがないと言い切ることは果たしてできるのだろうか。
人生を全うするということが長生きすることとは限らない。全ての人間に訪れる老い、そして死。この重厚な物語に静かに向き合いながら私も将来の事を考えたいと思った。
私の母も映画好きですが、個人的にこれは観て欲しくないと思ってしまいました。70越えてますけど働いて、趣味があって、よく愚痴言って元気な人です。制度自体を否定するつもりはないけど、母が使うって言ったら泣き叫んで止めます。きっと。
挑戦的
この題材の着想が…
木内みどり主演だったら・・・号泣してたかも
PLAN75。あくまで架空の設定に過ぎないのだが、現実をもとに考えざるを得なくなってしまうことが明らか。そして、主演が倍賞千恵子。お帰り寅さんですでにすごく老けてしまったことはわかっていて、つらい。どう考えてもつらいということしか思いつかなかった。
観る前から個人的に強く思ったことは、PLAN75を受け入れるということは「負け」に他ならないのではということだった。そして、それに追い討ちをかけるような描写が、観たあとさらにそれを決定的にしてくれた。例えば、役所の職員役の磯村君が取り次いだ電話の相手先をスマホで調べ、産業廃棄物会社のホームページを見る場面。散骨以下の隠された事実。団体プランのカラクリ。身寄りのない孤独死予備軍に訴えかける。それは自己犠牲に近い善意を逆手にとっている。役所のPCを扱えなくて諦める場面は「私はダニエル・ブレイク」を想起させられた。
家の施錠はしないで下さい。これも遺品かたずけ専門業者が直ちに入り、処分されることを示唆している。さらに最後の所持品を処理するシーン。フィリピン出身の介護師が給料の高い職場として教会のNPO職員から斡旋される最終処理場。炊き出しの公園にPLAN75の宣伝のノボリ旗。臨時受付デスク。善意と背中合わせの勧誘。バケツの汚物をかけられる役所の職員。
私は騙されない❗
倍賞千恵子以外に主役(ヒロイン)は考えられないというご意見のレビューが目立つ。そりゃ、倍賞三津子では強過ぎる。三田佳子でも強過ぎる。夏木マリなんか問題外。
もし、あの女優さんが生きていたら、倍賞千恵子よりうんと悲しくて、泣けたかもと思った。
それは、木内みどり。
「10万円の最後の報酬」は安過ぎる。若い女性監督はケチだなぁと思ったが、悪質な公共事業を強調するためだと呑み込んだ。
コールセンター職員役の河合優実との1日15分のやり取りだけが楽しみだ。
オヤジ目線で恐縮だが、ボーリングまで付き合ってくれたら、もう死ぬ選択肢は霧散して、キャンセルすることしか頭になくなるだろう。クリームソーダはおかわりするに違いない。
このテーマで複数の監督作品を同時上映するという企画も面白いと思う。瀬々敬久監督だとヘブンズストーリー並みに長くなりそう。
全389件中、201~220件目を表示