小説家の映画のレビュー・感想・評価
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何気ない会話に身を委ねる時間。
カフェでお喋りしてるおばちゃんたち、電車で出会う学生たち、居酒屋の酔っ払い。。会話をこっそり盗み聞きしながら、心でクスクス笑ったり、勝手に人間関係を予想したり‥‥、まさにあの感じ!!な、映画。
なんにも起こらないけど、なんだか温かい気持ちになる。タイトルも素敵ですね♪
ものづくりの高揚の行方
キャリアハイを過ぎ、それぞれ望む望まざるは別としてスローな日々を送る作家と女優。商業路線の疲れやクリエイトへの未練を残すなか、一本の短編映画を作ることになった二人。
ジュニとギルスは互いのミューズになれるのか?この映画作りがただの気まぐれでも良い転機になっても、どちらの未来でも面白いと思わせる、独特の魅力がある二人だった。
作家・ジュニの一日の足取りの中で、シームレスに出会いと別れが繰り返される様子が面白い。芝居がかっていない無駄の多い台詞で作られる会話の中に、登場人物達の行間が表現されていて見事だった。たまたま他人の会話が耳に入ってきた時のような感覚がずっと続く。韓国語の社交辞令的定型文が分かればもっと面白いのかも知れない。
コントラストの強いモノクロの映像で人物の表情が分かりにくい点や、答えを明確に残さないところは賛否が別れるかもしれないが、観客を「一番近い傍観者」にする不思議な時間がこの作品や監督の持ち味なのだろう。
映画作りを扱った映画ではあるが、モノづくりのサクセスを感じるかどうかは観客の想像次第とも言える。
会話劇の中にある奇妙な連帯や妙な緊張感を体験したい方にはおススメである。
うっすら漂う絶望に対して
2022年。ホン・サンス監督。スランプに陥った小説家は久しぶりに郊外の後輩を尋ねに行く。過去のちょっとした行き違いもなんとなく和解した後、今度は偶然、旧知の映画監督と出会う。こちらは過去のわだかまりが解けないまま、その監督を通じてたまたま出会った俳優(キム・ミニ)と会話が弾む。そして映画を作ろうということで意気投合して、、、という話。
その映画作りで「物語はたいして重要ではない」と言われているのは、この映画自体の解題。また、小説家が話す3グループとの会話はずれながらも同じような内容になっている。そしてこの会話の発言(または無言の間)から漂ってくるのは、そこはかとない絶望感。冒頭の後輩との会話の後、観光名所のタワーに上るのだが、見ている方は不吉な予感にどきどきしてしまう(最後の映画館でも屋上に行くのでまたどきどきする)。
何か始めなければということで映画づくりをする小説家だが、危なっかしいことこのうえない。それを土壇場でぐいっと支えるのは、最後に小説家が撮ったという体で流れるキム・ミニの映像。ところが、どうみてもこの映像はホン・サンスが実生活でパートナーであるキム・ミニとの「純粋な愛」を撮影して映像として流れている。つまり、映画内でのお約束など無視して、ここで「純粋な愛」の映像を見せなければならないということなのだ(ちなみに、全編モノクロでここだけカラー)。
これを喜ばしく見るか、あざとい手法だと見るか。わたしには深い絶望に見えました。
ホン・サンス監督のキム・ミニへの想い
が溢れていた
苦手な人のカリスマ性という言葉はイラッとするので突き返したい!
好意を持ってる人のカリスマ性という言葉は素直に受け止める
相変わらず会話でニヤニヤさせてくれる
そして素朴な秋のブーケと、あの可愛らしく幸せそうな笑顔
マッコリ買って帰ろう
ホン・サンス マルチバース
一粒で二度も三度も美味しい、ホン・サンス マルチバース!
理由はなんだかわからないけど、自分の心がそう言ってるから「今日は〇〇の日」
自分自身を肯定してあげた時、出会いの奇跡が見えてくる。
小説家という人間がいるのではなく、私が書くものが小説になり、私が撮るものが映画になるのだ。
ガラス越しの“小学生”が印象的でした。
女三世代の揃い踏み。
Twitterの文字数ではとても収まりきらないです。
ほんと面白いわ〜。
少ないヒントを手がかりに、登場人物達の関係性が紐解かれていく興奮!
刻一刻と変化していく距離感。
水面下の心理が透けて見える、一挙手一投足がスリリング。
-だからあんな態度だったのか!
-黙ってるけど、さては同じだな。
-実は自分に対して言ってるのね。
ポンコツな頭がフル回転するのが気持ち良い。
1本だけでもこんなに面白いのに
『逃げた女』『あなたの顔の前に』と出演者がリンクしているので、復讐にも見えるし、答えにも見える仕掛けまで!
相当楽しめます。
小説家や女優になりたい人は山ほどいるけど、実際に名乗れる人はほんの一握り。
更に結果を残せる人となると、もはや神から与えられた恵まれた才能…。凡人からすると、その能力を活かさないのは勿体なく見えてしまう。
でも、小説家というギフテッドが書いたものだけが“小説”になるのではない。
“小説家”に限らず、レッテルやカテゴリーに求められる息苦しさやプレッシャー。
それは“女性”や“母親”にもあるだろう。(もちろん“男性”や“父親”にも)
私が書くものが小説になり、私が撮るものが映画になるのだ。
ホームビデオだって映画になる。
ってことで、“小説家”の映画なのだけど、
それはそのままブーメランで監督にも戻ってくる。“映画監督”の映画でもある。
二重構造、三重構造が面白い。
=虚構の中のリアル=
一体これは…。もしや私、現実では叶わない永遠の愛の誓いを見せつけられたのか??
ギャーッ!ホン・サンスなんてことを!
ん?いや待てよ。それにしては健気がすぎないか?
…昔、誰かが「今井美樹に『プライド』を歌わせるなんて布袋寅泰は凄い男だ。」と言ってたのを思い出しました。
確かにそう聞くと、相手に「あなたへの愛こそが、私の〜プライド〜♪」と歌わせるなんてエグいな。と当時は思っていましたが…。
創作物は絶対的にフィクションなのだ。
私小説だって書かれた時点でフィクションだし。
ドキュメンタリーだって編集された時点でフィクションなのだ。
リアルに感じさせるのがプロの腕前。
観客は、つい現実の関係性を引きずって見てしまいがちだけど、そんなことは最初から計算の上でしょう。
もちろん、それに応える今井美樹もキム・ミニも凄い。
そもそも映画なんて実態の無い幻なのに、観客は虚構の中に垣間見えるリアルを探す習性がありますよね。
そこを上手く突かれました。
ほんと面白いわ〜。
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