小説家の映画のレビュー・感想・評価
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withコロナのホン・サンス
ちょっと近寄りがたい。でも、毎回なぜか吸い寄せられてしまう、ホン・サンス作品。今回も、はっと気づけば幕切れ。きつねにつままれたようで、思わず顔がほころんだまま、劇場を出た。
相も変わらずのモノクローム、控えめなクローズアップから始まる、登場人物たちの取り止めない会話。まさしく、ホン・サンス印だ。電車やカフェでたまたま居合わせた、見知らぬ人たちの親密な会話を漏れ聞いているような気持ちになる。言葉の端々や互いの反応で、彼らの関係性や過去が何となく察せられる。とはいえ、謎解きにのめり込んでしまっては、目の前の世界が味わえない。ほどほどに頭をめぐらせながら、彼らのやり取りを眺め、聞いているうち、彼らが繰り出す言葉以上に、「あるもの」から目が離せなかくなった。
ここ数年で、誰もが日々の生活に欠かせなくなくなったもの、マスク。映画の中の彼らは、常にマスクをした姿で出会う。親しければマスクを外したり、ずらしたりして、顔全体を見せる。会話の中でも、マスクに手をやったり、少し位置を変えたりし、最後はしっかりマスクで口を覆って別れていく。
目は口ほどに物を言う、というけれど、意外にそうでもない、とこの数年で痛感した。だからこそ、以前より少し大げさに笑うし、自他の目に意識が向く。一方で、マスクをずらしたり、位置を直すことで、相手への感情(近づきたいとか、距離を置きたいとか)をさりげなく滲ませることにも長けてきた。本作の登場人物たちもまた然り…と思うと、彼らの指先とマスクから、目が離せなくなった。相手に礼儀正しくと思ってのマスクなのか、単なる無配慮ゆえのあごマスクなのか…などなど、想像がふわふわと広がった。
小説家が撮った作品を観る試写室(または小さな映画館)は、間引きのためのビニールテープが容赦なく座席に貼り付けられている。そんな頃が、身近にも確かにあった。そんな殺伐とした中で、映画は上映され、主演女優は思いのほか感情を乱す。区切りを作られても、終わりが来ないコロナとの生活のように、創作との生活もまた続いていく。
こうやって書きながら思い返すうち、いつになく幸せな気持ちにさせてくれる作品だった、と改めて気づけた。またいつか、ふっと観返し、彼らに会いたい。
不思議なほど心地よいエンドレスな会話の中で、ほっと深呼吸
『小説家の映画』はやっぱりいつものホン・サンス映画だった。ここでは取り立てて大きな事件など何も起きていないように思える。だが、「お久しぶりです」「ああ、お元気でしたか?」から始まる何の変哲もない会話のキャッチボールで、各々の性格や人生の現在地が全く説明的でなく、極めてナチュラルに紡がれていく点には驚かされる。このソウルからちょっと離れた場所で出会う二人の女性、小説家と女優は、共に本業からちょっと距離を置いているらしい。ただ、感性のままに言葉を返す女優に比べて、小説家は偶然を予め計画しているようにも思える。だから何だというわけではないが、とにかく彼らの会話に引き込まれると最後。こちらはいろんな言葉や表情に想像力を刺激され、彼らのあれこれが知りたくて仕方がなくなってしまう。そんな余白が多めなのもホン・サンス映画らしい。大都市から離れてゆっくりしている人たちの空気感が何だかとても居心地よいのだ。
Another Snack from Hong
Common elements found in Soo's films are here: women searching for the next step, egocentric male filmmakers, closure at the cinema—Novelist's Film also parallels the director's use of cinematic language to generate mystery and thought. It's much less abstract and yet harder to piece than usual. As an example, it encourages the new artist to simply string together conscious ideas to make a whole.
ホン・サンスの映画哲学
観るものの心のどこかにチクリと刺さる会話、長回しの緊張感、固定カメラからのズームアップという遊びのようなリズム。
ドキュメンタリーではないが、ウソがないってセリフがあったけど、まさにそんな感じ。
だけど、ホン・サンスの心にはそれ以外の何かが見えているはず。それはいったい何だろうと考えながら観ていた。
なんとなく寒々としたモノクロの世界で、劇中劇の鮮やかなカラーにハッとした。キム・ミニの夫の存在と二人の関係が面影として現出していたのだ。
面影とは、目の前にはいない誰かことではない。そのことやその人のことを、思えば見えてくるというか、思いをもつことがきっかけになって浮かぶもの。
葛藤を持つ大人たちの事情を「面影」として撮ること。それがホン・サンスの映画哲学なのかもしれない。
革ジャンでほろ酔いのキム・ミニ
とにかく、革ジャンでほろ酔いのキム・ミニがかわいい。
そして、ずっと横からのショットのみだったのに劇中劇でいきなり彼女が正面からのショットになり、完全に胸を打ち抜かれる。本編より先に撮っていたらしいが、まさに劇的な効果をあげていた。
モノクロの会話劇で観る人を選ぶ映画だが、登場人物の過去やそれぞれの関係や本当は何がしたかったのかなど想像が止まらなくなり、見終わった後が楽しくなる映画です。
・冒頭、ブックカフェ店主がめちゃくちゃパワハラしてた理由は?
・ジュニはなぜ過去の縁を完全に切ったブックカフェ店主の現在を知っていたのか
・ジュニはなぜブックカフェ店主を訪ねたのか
・映画を見終わったギルスの感想は
・アラームまでセットしたのにジュニとギルスの甥がロビーにいなかったのはなぜ
・ギルスの夫はなぜ1度も出てこないのか
などなど、いずれも様々に楽しく想像でき、とても開かれた映画だと思いました。
はじめてのホン・サンス
ホン・サンス監督の映画をはじめて観たが、どんな人物なのか興味がわいた。ウィキペディアで調べてみると、ある韓国の映画評論家がその特徴をうまく言い当てているようだ。
「一般的な映画は1つの事件を中心にストーリーを展開していくが、ホン・サンス作品は対話を中心に展開される。自分の周りで起こったことや行き交った会話などを脚色して登場人物の日常を描き出す。その中から人間関係や奥底にある心理など、人生の多様な側面を観客に発見させる。100人が見れば100人の解釈が出るのがホン・サンス映画の魅力だ」
「彼の映画は一見直観的に作られたように見えるが、実はとても論理的だ。テキストを細かく切り取ってみると、場面や台詞をすべて分析できる。日常の平凡さを超えた“非日常性”があり、人生の深淵にあるものを見抜き、発見させる」
それを踏まえてのこの映画だが、いわれている通り、会話が主体となり進行する。芝居がかっていない無駄の多い台詞 たまたま他人の会話が耳に入ってきたような感覚がずっと続く。監督は俳優になにをやってもいいという空間を創り出し、俳優たちはその中で自分をさらけ出しているようにみえる。一見アドリブのようなシーンも実は監督によって緻密に計算された演出が施されているのだろう。
ポスターにも描かれているガラス越しの小学生が印象的だった。
ホン・サンス監督は「ホン・サンス以前とホン・サンス以後」といわれるほど韓国映画界に影響を与え、その独特な作風は「韓国のエリック・ロメール」と呼ばれ熱烈な支持を得ているらしい。
日本では女優の筒井真理子がホン・サンス監督の大ファンとして知られ、『フィルムメーカー24ホン・サンス』という特集本の責任編集を務めている。27年間の作家人生で30本もの映画を作り出すハイペースな制作スタイル、こんな映画監督は、ホン・サンスの他に世界にひとりもいないらしい。まだ1本しか観ていない私は、まず他の作品を観てから自分の感想を述べることにしたい。
ホン・サンス監督が描きたかったものを存分に描いた感のある一作
国際的な映画祭でも数々の受賞歴を持つホン・サンス監督が、監督だけでなく脚本、さらには音楽や撮影まで手がけた本作。さらにキム・ミニなどサンス監督の作品ではおなじみの俳優を起用するなど、なんとなく自主映画的な香りすら漂う作品です。
もちろん映画作品としての水準は極めて高く、ややコントラスト強めでありながら柔らかさも同時に表現したモノクロームの映像は美しく、何気なくもどことなく緊張感を漂わせる会話劇を展開する役者の演技も見応えがあります。
サンス監督が制作上でコントロールできる幅が非常に広いためか、主人公ジュニ(イ・ヘヨン)がなぜかつての知人・友人に会おうとするのか、また彼らの間に、おそらく親密さだけではないどのような関係があるのか、といった状況説明的な描写はほぼ省かれています。「今までの作品を観てたら、私の言わんとすることがわかるでしょう」とサンス監督から言われているような気になっちゃいます。
ただ、二人の女性が、互いに不遇をかこつ状況であることを理解しながらも、それでも映画制作を経て手を携えていこうとする意思は、十二分に伝わってきます。
前述の通り、説明的な描写はごく少ないため、物語を細部まで把握したい、という人にはやや消化不良感が残るかもしれないけど、画面が醸し出す雰囲気を味わうことを重視したい、という人には鑑賞を是非おすすめ。もちろんその「雰囲気」の先に、結構読み解きがいのある大きなテーマが浮かび上がってくるのですが。一見静かなラストシーンがとても印象的。
物語はなくても、映像で、思いは伝わる
限られた登場人物たちが、ぐだぐだ喋ってるだけなのに、なんでこんなに、心地良いんだろう、うたた寝しそうなくらいに。
小説家の言葉の圧が、あんなに優しい映像を生み出すのか!
カリスマ
wikiによると『一般的には、特定の人物に宿る特別な能力や資質をあらわす概念である』とのこと
今作監督の映像作家が常々称賛されている勲章を皮肉に用いることで、"物語"を産み出すきっかけは何も頭から降って湧いてくるものではなく、日常の些細な偶然の隙間から滲み出るものとして、思ったことは躊躇せずやってみようとのエールに感じた 世のクリエーターのハウツーみたいな造りなのかな?
居心地の悪さ、酒が入っての本音、そんな人間臭さをモノクロームで描くと高尚なヒューマンドラマにみえてくるマジックも監督ならではである
長回しのカット等、俳優の技量を試される演出であるが、それぞれが期待を背負っての手数を充分に出してくれたと思う そして出来上がった劇中劇の女優の天然さは、素で持っている表情を描いていて、大変愛くるしい姿であった
今作自体がメタ構造というか、監督と女優の今伝えたい事として一本の作品にしてしまう力強さと良い意味での厚かましさにニヤリとしてしまう出来映えであった
駄目なフランス映画というか、(不調な?)濱口竜介というか。最悪では...
駄目なフランス映画というか、(不調な?)濱口竜介というか。最悪ではないのだが、それが余計にたちが悪いというか。スランプ(引退した?)の小説家が主人公だが、まさに本作監督の姿では?
たゆまなく続く会話で、ゆるり、クスり、時にハッとさせながら、私たち...
たゆまなく続く会話で、ゆるり、クスり、時にハッとさせながら、私たちを思いがけない境地へと誘なう92分。
他人からのジャッジに対する反駁や物語に対する自己言及、老いによる、創作の価値観の変化など、会話劇を通じてホンサンスの価値観がチラリ垣間見える。
何を
見せられているのだろう? チラシに有るストーリーなど全然意味無い、強いて言えば会話、コミュニケーションのぎこちなさか? マスクしているのでコロナ下を意識してるのか、結局ギルスさんに捧げた私小説なのか。
『コーヒー & シガレッツ』っぽい。
ジム・ジャームッシュの『コーヒー & シガレッツ』思い出した。
モノクロで、人が会話してるのがメインで、あまり場所が変わりません。
まー、眠い(笑)
話してる内容も結構ぬるくて、染みる人には染みるのかな?
個人的には、魂に響くセリフが少しありまして、この評価。
そのセリフがなかったら、もっと低かった(笑)
どうでもいい話だな…
この話、意味あんのかな…
と、ナメてたら(笑)
物語に意外な動きがあって驚きました(笑)
でも『コーヒー & シガレッツ』意識してるのでは?
【”芸術は、爆発だ!”筆を折った女性小説家が、映画監督や余り映画に出演しなくなった女優や年老いた詩人達と、何気ない会話をする中で、映像創作意欲を得る過程を描いた作品。】
■ホン・サンス監督作品あるある。
1.固定カメラで撮った他愛もない会話が延々と続く。だが、シーンの切り替えは絶妙。
2.会話劇の中では、屡、食事風景及び飲酒風景(マッコリ)が登場する事が多い。
3.何気ない会話の中に、絶妙なタイミングでキーワードが挟み込まれる。
- 今作で言えば、余り映画に出演しなくなった女優ギルス(キム・ミニ)に、知己の映画監督が”勿体ない・・。”と言った事に対し、小説家のジュニ(イ・ヘヨン)が猛然と抗議するシーン。
”彼女は小学生ではないのだから、自分で決めたのよ!”
これは、ジュニがギルスと自身を重ね合わせたから出た言葉であろう。ー
4.モノクロの比率が高いが、ここぞというときにはカラーになる。
5.ホン・サンス監督自身を投影させた人物が、偶に出る。
- 今作では、映画監督や小説家のジュニの年上の知己である詩人。-
6.劇中、大袈裟な音楽は一切流れない。
■故に、劇場内では結構な確率で爆睡するおやっさんが出現する。
気になるので、叩き起こすが、結構メンドクサイ。
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<以下、内容に触れています。>
<今作は、レビュータイトルに記したとおりに物語は進む。そして、ジュニはギルスとその夫を出演させた映画を製作する。
ジュニはギルスを一人ミニシアター内の先頭の席に座らせ、自分は映画製作に協力してくれた若き男女と、ミニシアターの屋上で電子タバコを吸う。
その際に男が女に言った言葉”物凄い熱量だった・・。”
今作は、筆を折った小説家が映像制作に嵌って行く様を、何気ない会話劇で描いた作品である。>
マンネリ化していないか?ホン・サンスらしさは健在だが?
逃げた女に続くホン・サンス作品2作品目だが、この監督はもう、白黒、キム・ミニの軸を動かさないだろう。意志の強さはさすがだが、作品は何も響かないし、伝わらない。キム・ミニのための作品が今回の小説家の映画だろう。そろそろ変化も欲しい。ホン・サンスの作品は日本で受け入れられるとはとても思えず。今年のワースト作品候補筆頭。
「初めてのホン・サンス」さん向きな「これぞホン・サンス作品」
カンヌ、ベルリンなど「映画祭の常連」であるホン・サンス監督。私は主に最近の作品しか鑑賞しきれていませんが、彼の描く独特な世界観は嫌いじゃありません。唐突なズームアップや窓の外に現れる人など「変な映像」は今回も折々に差し込まれます。また、設定や台本はちゃんとあるのでしょうが、一見するとアドリブのような役者同士の間が、その会話の内容と相まって何となく「不安定」な関係性を生んでいるにもかかわらず、そのくせキッチリお約束があったり、苦笑してしまう展開にホン監督独特の「味わい」を感じながら観続け、コンパクトな上映時間(本作は92分)はあっという間に過ぎていきます。
内容的には今作、今までの作品以上に映画として表現されていることと、作品内で語られているセリフ(内容)が強くリンクした「Theメタ構造」で、今まで観たホン監督作品中で最も解りやすく感じました。いわゆる「物語らしく」作り込むわけでもなければ、あんにそのままを切り取る「ドキュメンタリー」でもなく、演出してないようで全くリアリティも感じないバランスに「これぞホン・サンス作品」と感じさせてくれます。もしかしたら、今まで観てなかった人のための「初めてのホン・サンス」として打ってつけなのかもしれません。(或いは、これをつまらないと思ったら、ホン・サンス向いてないのかも)
配信だと意外と観にくい監督の一人なので、興味があれば上映中に劇場でどうぞ。
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