遺灰は語るのレビュー・感想・評価
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遺灰が主人公‼️
ノーベル賞受賞の文豪ピランデッロの遺灰を、戦後に故郷シチリアに戻してあげるお話‼️冒頭の真っ白な部屋でのピランデッロの独白による臨終のシーンは、子供たちが老いるイメージも含めて「2001年宇宙の旅」のボーマン船長のシーンを思い出しました‼️そしてイタリアの戦乱が当時のニュースフィルムを交えて紹介されるシーンは、その生々しさに戦慄させられます‼️そして遺灰はシチリアへの旅へ‼️遺灰と一緒はイヤだと乗客に拒否られる飛行機、遺灰の入った木箱をトランプの遊び台にされる列車、そして子供用しかない棺、その棺の葬列を見て「小人の葬式だ」と笑う人々‼️戦争を生き残って、帰ってくる人々と同じように、遺灰(ピランデッロ)も苦難の中帰ってくる‼️その道中をまるでピランデッロ自身が微笑ましく紹介してくれてるように感じました‼️特に列車でのエピソードでは、ピアノの演奏者による演奏に合わせて、過去のイタリア映画の名作の映像が挿入されていたり、特に印象的なのは、イタリア人男性とイタリア語が話せないドイツ人女性のカップルのエピソードで、そのモノクロ映画の美しさと相まって、忘れられないエピソードです‼️そして遺灰の一部がシチリアの海に撒かれ、ピランデッロが本望を遂げた瞬間、それまでのモノクロの画面が鮮やかなカラーに変わる‼️美しい空、青い海‼️ホントに素晴らしいです‼️そしてピランデッロが遺作として描いた短編「釘」が映像として紹介される‼️シチリアの少年が父と共にレストランを開業、大繁盛する。ある日、外で喧嘩してる二人の女の子を止めようとして、手に持っていた釘が一人の女の子に刺さってしまい、女の子は死んでしまう。少年の時も、青年になってからも、老人になっても女の子の墓参りを欠かさない主人公に涙が溢れてきました‼️人生とは何なのか⁉️いつ襲ってくるかわからない死の恐怖‼️生を与えられた者はいかに日々を過ごすか⁉️なんか監督からのエールというか、応援歌のようなメッセージを感じました‼️さすがパオロ・タビアーニ監督‼️これまではお兄さんと一緒にタビアーニ兄弟としてクレジットされてきましたが、一人でも優れた映像作家であることを証明してくれました‼️
主役は遺灰!?
内容はノーベル文学賞作家ルイジ・ピランデッロ氏の死後、遺言通りに故郷のシチリアにある固い岩の中に自らの遺灰を埋葬し、一部は海にまいて欲しいというものだが、亡くなられた1936年当時はファシズムの勢いが強く、文豪として人々からも慕わられていたピランデッロ氏の名誉を独裁者ムッソリーニが政治利用するために密葬しひっそりとローマの霊園で10年間埋葬されるのだが、ファシスト党が潰れイタリアは敗戦国になり、アメリカの統治下におかれてからのピランデッロ氏の遺灰をシチリアへ移動させるという一大プロジェクトだが、行く先々でとんだハプニングに見舞われながらも最後は遺言の内容をしっかり実現したところでエンディング。
ピランデッロ氏の遺作となった短編の釘も話の展開が独創的過ぎてなかなか面白かった。
最初はどうしたんだ?おかしいと思ったシーンからはじまり、エンドへの流れから実はこういうことがあり今に至るというのが後々になって説明されていくのだが、話の展開の仕方がユニークだったのと主人公の少年が抱える心の闇にも丁寧に描写されているのが印象的だった。
理解不能💥
ノーベル文学賞を受賞したピランデッロ📖´-
彼の遺灰について、政治や宗教やらが複雑に絡み
振り回される滑稽な人達…。
コミカルでシニカルで笑いを誘ってるのだろうけど
イタリアンジョーク?は私にはわからない🤣
ラスト、ピランデッロの短編「釘」の映像化が
流れるけれどこれまた意味がわからん。
本編との繋がりとかあったのか🤔
とても難しい作品としか言いようがございません💦
寝なかっただけ褒めて欲しいです🤣←
遺灰は語る。とある死生観について
昨今珍しい?文学映画かと。
表現としてシュールさ、滑稽さはあれど、いわゆる現代映画の味付けのそれではなくて、例えば漱石作品を読んだ時にあるような、現代と照らし合わせると「フッ」とする程度のそれだったりする感じですかね。「釘」の奇妙さは芥川のような、、?
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監督曰く、釘は原作者であるピランデッロの死の20日前の作品とのこと。
遺作が「釘」で、「遺灰は語る(さらばレオノーラ)」が死後のフィクションだから、上映とは逆順で観たならもう少し分かりやすいのかなあと思った。
purposeを「定め」なんてヒネった字幕付けるから余計に分かりにくい感じもしましたけど、少女の死を「悼む」ことが人生の目的(purpose)として描く「釘」は、ピランデッロの人生観が何かを悼むことであり、それが今回の監督としてはお兄さんの死により触発され映画化され、結局のところ美しい海に、世界そのものに溶け消えていくことが「目的(purpose・定め)」なのではないか。
っていうことを、描きたかった映画なのかなって思います。
死生観なんて人それぞれだから否定するもんでもないかな。
ここに描かれているのは「とある」死生観か。
壺の珍道中やら少女の喧嘩に示唆的な意味は無いのではないかとおもう。日本文学でも意味の無いサブストーリーってしばしばあったりするし。
列車内で目覚めに奏でられるピアノは、とてもとても美しく、劇中で唯一現代的なアプローチと感じました。
灰と釘
遺灰が語り部になって珍道中を実況する…みたいな感じなのかなと思って観に行きましたが、その心の声は序盤で終わり、あとは珍道中というか人を選ぶ笑いと、遺灰の行く末と、まさかの違う物語が始まるという、終始分からず置いてけぼりにされました。
遺灰を運搬するために乗った飛行機で死人がいるから不吉だと騒ぐ客や、自分がルールだと言い張るパイロットの様子や、電車内で弄り合う夫婦がいたりと、時代も時代なので色々あると思うんですが、説明がないというかとっ散らかってるというか、監督のやりたいことばかりやっているなというのが節々から感じ取れました。
子供用の棺に遺灰が入っているのを、小人が入ってる〜みたいな感じで子供や親たちが笑っているのはイタリアンジョークなんだと思うんですが、これはマジで笑えませんでした。価値観の違いってのはデカいなと思いました。
「遺灰は語る」自体は多分60分前後くらいで終わって、遺灰になったピランデッロが死の間際に書いた「釘」という短編が収録されています。予告は見ていましたが、このあらすじの下の方に短編も同時にやるというのを知らなかったので、急に違う物語が始まって混乱しました。
その「釘」自体も唐突な展開が多くて自分は分からないことが多かったです。女の子を釘で刺した理由が最初から最後まで分かりませんでしたし、姉妹がなぜ殺し合い一歩手前の喧嘩をしているのかも分かりませんでしたし、釘で刺した女の子を墓参りを何年にも渡ってやっているのもサイコな感じがしてゾッとしました。犬の後ろ足を持って嫌がらせしている(当人がどうかは分かりませんが)のもマイナスポイントでした。
この手の映画を好んで観ないというのもあるんだと思うんですが、改めて合わないなと思いました。こういう映画にハマれるきっかけっていつか来るんですかね。それともずっとこのままなんですかね。んー映画って難しいです。
鑑賞日 6/26
鑑賞時間 18:55〜20:35
座席 D-10
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