遺灰は語るのレビュー・感想・評価
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遺灰は語る。とある死生観について
昨今珍しい?文学映画かと。
表現としてシュールさ、滑稽さはあれど、いわゆる現代映画の味付けのそれではなくて、例えば漱石作品を読んだ時にあるような、現代と照らし合わせると「フッ」とする程度のそれだったりする感じですかね。「釘」の奇妙さは芥川のような、、?
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監督曰く、釘は原作者であるピランデッロの死の20日前の作品とのこと。
遺作が「釘」で、「遺灰は語る(さらばレオノーラ)」が死後のフィクションだから、上映とは逆順で観たならもう少し分かりやすいのかなあと思った。
purposeを「定め」なんてヒネった字幕付けるから余計に分かりにくい感じもしましたけど、少女の死を「悼む」ことが人生の目的(purpose)として描く「釘」は、ピランデッロの人生観が何かを悼むことであり、それが今回の監督としてはお兄さんの死により触発され映画化され、結局のところ美しい海に、世界そのものに溶け消えていくことが「目的(purpose・定め)」なのではないか。
っていうことを、描きたかった映画なのかなって思います。
死生観なんて人それぞれだから否定するもんでもないかな。
ここに描かれているのは「とある」死生観か。
壺の珍道中やら少女の喧嘩に示唆的な意味は無いのではないかとおもう。日本文学でも意味の無いサブストーリーってしばしばあったりするし。
列車内で目覚めに奏でられるピアノは、とてもとても美しく、劇中で唯一現代的なアプローチと感じました。
灰と釘
遺灰が語り部になって珍道中を実況する…みたいな感じなのかなと思って観に行きましたが、その心の声は序盤で終わり、あとは珍道中というか人を選ぶ笑いと、遺灰の行く末と、まさかの違う物語が始まるという、終始分からず置いてけぼりにされました。
遺灰を運搬するために乗った飛行機で死人がいるから不吉だと騒ぐ客や、自分がルールだと言い張るパイロットの様子や、電車内で弄り合う夫婦がいたりと、時代も時代なので色々あると思うんですが、説明がないというかとっ散らかってるというか、監督のやりたいことばかりやっているなというのが節々から感じ取れました。
子供用の棺に遺灰が入っているのを、小人が入ってる〜みたいな感じで子供や親たちが笑っているのはイタリアンジョークなんだと思うんですが、これはマジで笑えませんでした。価値観の違いってのはデカいなと思いました。
「遺灰は語る」自体は多分60分前後くらいで終わって、遺灰になったピランデッロが死の間際に書いた「釘」という短編が収録されています。予告は見ていましたが、このあらすじの下の方に短編も同時にやるというのを知らなかったので、急に違う物語が始まって混乱しました。
その「釘」自体も唐突な展開が多くて自分は分からないことが多かったです。女の子を釘で刺した理由が最初から最後まで分かりませんでしたし、姉妹がなぜ殺し合い一歩手前の喧嘩をしているのかも分かりませんでしたし、釘で刺した女の子を墓参りを何年にも渡ってやっているのもサイコな感じがしてゾッとしました。犬の後ろ足を持って嫌がらせしている(当人がどうかは分かりませんが)のもマイナスポイントでした。
この手の映画を好んで観ないというのもあるんだと思うんですが、改めて合わないなと思いました。こういう映画にハマれるきっかけっていつか来るんですかね。それともずっとこのままなんですかね。んー映画って難しいです。
鑑賞日 6/26
鑑賞時間 18:55〜20:35
座席 D-10
観たい度◎鑑賞後の満足度○ 人生は“on purpose ”?「ノーベル文学賞を取ったばっかりに」も“on purpose”?
フォトジェニック
ギリシャ壺
1934年にノーベル文学賞を授賞し1936年に没した作家ルイジ・ピランデッロと、彼の遺灰をローマからシチリアへ運ぶ男の話。
ムッソリーニの意向によりローマに10年留められた遺灰を故人の遺言に従いシチリアへと運ぶストーリー。
ピランデッロなるお方も作品も史実も知らずに観賞。
当時の映像を交えて世情を見せつつ、子供が出来ただのあっという間に白髪になっただのと文学的に見せていき、没後10年して遺灰を運ぶ旅になって行くけれど、今どこにいてどのぐらいの時間が経っているかが見えず…確かにストーリーとは直接関係ないけれど、そのぐらいはみせて欲しいところ。
不吉と言い出す飛行機の乗客だったり、列車に乗ってからの様子だったり、葬儀の様子だったり、当時の人達の考えや風潮がみえるし、どこかすっとぼけていてユニークではあったけれど、面白かったかと言われれば特に感情が動かされることもなく、終始ふ〜ん…という感じ。
そしてエピローグ的に、ピランデッロ著の短編「釘」が流れるけれど、こちらは父親と共にシチリアからNYへ移民として渡った少年が6年後に起こした事件を巡る話。
「釘」が絡んだ定めと少年が述べる事件から始まり、6年前と事件前の様子をみせて行くけれど、結局なにが定めで何が言いたいのかチンプンカンプン。
事件直前の少年はちょっとセンチメンタルな感じこそあったけれど、それ以外感情の機微が伝わって来ず、だから戻ってからの数十年も全然沁みず、これ又ふ〜んという感じ。
自分には難し過ぎた。
シニョリータ・ピッキ・ピッキ
死ぬこと考えてなかった。でも人間は必ず死ぬ メメント・モリ
前半はモノクロでピランデッロがノーベル賞を受賞する場面は映画ニュースのよう。死の床にいるピランデッロの独白のシーンはシュール、死ぬときはこんななのかなあと思った。戦後の映像はネオレアリズモの映画を彷彿とさせた。イタリアの映画なんだよ!って監督が伝えてくれるみたい。
そしてピランデッロの遺灰が主人公になるとロードムービーになる。迷信深いイタリア人が飛行機からみんな降りてしまったり(おまじないの手振りが面白かった)、遺灰をしまってある大きな木箱がどこやらに行ってしまったり。そしてやっとシチリアに着いたと思ったら遺灰を入れる棺桶が子ども用の小さいのしかなくて、バルコニーから葬列を見下ろす老若男女に笑いが伝染する。一人の女の子が「棺桶小さいね、こびとさんのお葬式?」と言ったから。笑ってはならない状況なのに、ママ、パパ、おじいさんその他その他へ伝わってバルコニーのみんながおもわず静かに笑ってしまう。お葬式ってそういうことよくあるなあと、普遍的な笑いと可笑しさに暖かみを感じた。子ども用の棺桶しか無かったのは、伝染病で人が沢山死んだから。イタリアは昔からパンデミックの記憶を文学に映画に残す。日本はそうでもないなあ。
シチリアの濃い青の海。そう、美しいすべすべしたモノクロからいきなりカラーになる。そしてピランデッロが死の20日前に書いたという戯曲「釘」が映画として私たちの前に繰り広げられる。シチリアの男の子が父親と移民としてニューヨークに渡りレストランを開く。音楽に合わせて踊るかわいい男の子。
その男の子はピランデッロだろうか?大人たちと一緒に食事をしないで外に出て釘をたまたま見つけたのも喧嘩している二人の女の子を見たのも、全部定めで縁で運命なんだろうか。約束通りに、必ず墓参りに行く、どんなに年とっても。
いつ死んでもおかしくないし何歳まで生きるかもわからないけれど、死を身近に感じた。少し怖い。でも笑ってくれる人がいるかな、忘れないでいてくれる人もいるかな、とちょっと安心する気持ちも生まれた。91歳の監督が作った映画なんだから、身を委ねて見ればいいんだ。音楽もとてもよかった。
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