太陽と桃の歌のレビュー・感想・評価
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太陽の帝国なら名作です。
地主から今夏を最後に土地を明け渡す様に告げられた桃農園を営む家族たちの話。
戦時中、先代の地主を匿ったことから好意で借してもらっていた土地だったが、今の地主がソーラーパネルを設置するということで明け渡すように言われて巻き起こっていく。
体調を崩しながらも桃園に拘りをみせる祖父。
桃園以外に考えられず荒ぶりつつも子供には農業より学業という親父。
太陽光パネルの管理の仕事に揺れる義弟。
家業のことを気にかけつつも手っ取り早く小銭を稼ごうとする息子。
変わらない、変われない、先が読めない、考えられない不器用な親父ですね…。
そんな家族のすれ違いと、農家の置かれた現状をみせていく感じで、面白くはあったけれど。これと言って大きな出来事も盛り上がりもなかったし、それでどうするんでしょ?と不完全燃焼。
いったい何を観せられた?(笑)
柿みたいな扁平な桃。
歌うのは声のためじゃない 夜明けや明日のためでもない 歌うのは友のため 私のために命をなくした友のため
上は歌の歌詞です。桃農園の大家族の一番年下の可愛い女の子とおじいちゃんが歌う歌です。私はこの歌を聞いて反省しました。声が出ない時期が少し続き、話せるようになった今もまだ納得いかない、そんな自分の我が儘さにがっかりしたからです。
日本では相変わらず野菜も果物もとても高い。日本の食糧自給率はとても低い。カロリーベースで3割台、ということは外国からの輸入依存が大きいのだから外交問題に力を入れてもらわなくては困る。スペインは9割以上の時もあったが今は7~8割位?映画の中の農民による抗議運動にあったように、桃一つに30セントかかるのを大手卸売り業者が15セントに買い叩く、だから農家は食べていけない、暮らしていけない、家を手放さくてはならない、若者は仕事を求めて別の土地へ行ってしまう。土地が家族が農家が散らばり潰れていく様子が太陽光パネルが設置される話と絡めて物語が進んでいく。
途中でこれはドキュメンタリーなのか俳優が演じるフィクションなのかわからなくなった。演じるのはその土地のカタルーニャ語を話せる一般の住人含む9000人を超える人達から選ばれたそうだ。本当の家族のようにリアルで自然な演技で素晴らしかった!
庭でテーブル囲む大家族ランチ。おじいちゃんもパパママも兄も姉も双子のいとこも大叔母さんもいてとっても賑やか。優しくておしゃれでハンサムなおじいちゃんは辛い立場に居る。おじいちゃんは孫娘に語る。スペイン内戦時代に友達を匿った。お礼にとその友達が土地を農地として使ってくれと提供してくれた。契約書なんてない。自分の命を守ってくれた友達へのお礼なんだから。でもそれが仇となる。土地所有契約を紙で交わし残さなかったがゆえに、土地は友達の息子世代が太陽光パネル屋に売ってしまう。
小さい子ども達の遊び道具だった壊れた車が持って行かれたり桃の木が切り倒されるが、それをやらかすブルドーザーの音は聞こえても映像は後になってやっと映る。それまで私たちはその音を聞きながら音の方を見る彼らの驚きと悲しみの顔をずっと見ていなくてはならない。家族三代で続けてきた桃農園の仕事はもうできない。日本の桃と異なって少し平たい可愛い桃、イチジクもあった、ランチではカタツムリがあったし、収穫後は家族総出で桃のシロップ漬け作業をしていた。
パパの片腕として働く高校生・長男にも、おじいちゃんとパパの気持ちがすごくよくわかる少しガンコな思春期の長女にも、まだ何にもわからず双子達と基地ごっこをしたり歯が抜けたお祝いに貰ったリコーダーをぷーぷー吹いてる末娘にも、明るくて幸せな未来が待っていると思う、そう思いたい。
歌は次のように続く:
歌うのは声のためじゃない
青空や潮風のためでもない
歌うのは土地のため
豊かな大地と愛する故郷のため
ウサギ好きにはホラー
極めて現実的な家族の苦悩
予告から、家族の感動的なストーリーを期待して、公開2日目に鑑賞してきました。しかし、なんだか最後までちょっと没入しづらく、朝イチの上映回だったこともあって眠気に誘われ、思ったような感動は得られませんでした。
ストーリーは、スペインで桃農園を営む家族が、今年も収穫の時期を迎えようとしていたある日、その土地をソーラーパネル事業に利用しようとした地主から突然土地を明け渡すように言われ、一家に関わる親戚も巻き込み、それぞれの立場でこの問題に向き合い、苦悩する姿を描くというもの。
立ち退きの危機に瀕して、家族が仲違いしながらも最後は共通の大切なものを見つけ、結束していく感動の物語を期待していたのですが、全然違います。どちらかというと、むしろ逆で、じわじわと心をすり減らしていく家族の末路を見せられているかのようです。
契約書もなく口約束だけで長年にわたって土地を所有し、そこで一家総出で桃農園を営む家族の姿は、豊かな自然の風景と相まって温かいものを感じます。そんな家族に対して、世代交代した地主が無慈悲に明け渡しを要求し、そこにソーラーパネルを設置するというのは、いかにも時代の流れを感じます。
この突然の危機に対してなんら解決策を見出せず、収穫の忙しさの中で追い詰められていく父。その一方で、賭け事に乗り出す祖父、隠れて大麻栽培を始める長男、農園を諦めてソーラーパネル管理の仕事をすすめる母。その行動の端々から、なんとかしたいという思いがあるのはわかるのですが、誰もそれを明確に口にしません。そのため、わかり合えるはずもなく、全員が独りよがりのようにも見えてしまいます。
そこに追い打ちをかけるかのように、桃を安く買い叩かれて怒りの声を上げる農家の姿が描かれます。農家たちが抗議のパフォーマンスとして、大切に育てた大量の桃をトラクターで踏み散らかし、それを投げつける姿に切なくなります。同時に、その踏み潰された桃が、強い力で押し潰された農家たちの姿と重なり、悲しくなります。
ラストは、自宅近くの桃の木をショベルカーが容赦なく倒していく様子を俯瞰して終わります。結局、強い力や時代の流れには、誰も抗えないということを訴えているのでしょうか。それでも、お気に入りの遊び場を奪われながらも次々と新たな遊びを発見する無邪気な子どもたちの姿に、わずかな希望を感じます。
ただ、極めて現実的な家族の姿が淡々と描かれ、ご都合主義的な救済もなく進むストーリーはちょっと退屈です。そのため、何度も瞬間寝落ちしてしまい、物語を正しく受け止められていないかもしれません。機会があれば、しっかり覚醒している時に改めて鑑賞したいと思います。
主なキャストは、ジョゼ・アバッド、アントニア・カステルス、ジョルディ・プジョル・ドルセ、アンナ・オティン、アルベルト・ボッシュ、シェニア・ロゼ、アイネット・ジョウノら。
私には退屈な映画だった。
「退屈な」映画だが得られるものは多い。内容考察を含むのでネタバレ扱い
今年436本目(合計1,527本目/今月(2024年12月度)15本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
「はたらく細胞」と35分違いでこちらの作品。こちらは東京テアトル配給とまぁ映画館が違うのにバラバラですね(「はたらく細胞」は木下グループ扱い。大阪市ではつい先日、旧シネマートの跡地にできたキノシネマ心斎橋が「取り扱いうる」映画館にあたる)。
ほぼストーリーはあってもないような映画で、要はソーラーパネルを付けたいから桃の収穫ができたら出て行ってくれという話でモメはじめて、結局はあきらめて1年後か桃の収穫をしてその後出ていく(直前まで)が描かれる、ただそれだけのストーリーです。
ただ、それだけの理解だと、この映画が金熊賞を受賞した理由等一切わからないし、この映画が何を述べたいのかも一度見ただけでは理解ができず(せいぜい、農家の今後はいかにすべきか、という問題提起しかわからない)、以下は海外公式や海外レビューサイト等もかなり調べた内容になります。ほぼ答え合わせに近い形ですね。
なお、当方は行政書士の資格持ちレベルの知識です(よって、映画の述べる趣旨の裏にある事情等は知っているか、調べればわかる程度の知識)。
どうにも私の書く文章は長文になることが多いので、どうでもよい内容等は最初に完結に述べて本質論は後に回します。
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(減点0.7/以下のような事情があることにたどりつくのが日本の視聴者には困難)
正直、かなりの理解力を要するし、この映画が述べたいことは「独立して」2つあるのですが、そのいずれもがかなりの前提知識を要するのでかなりの理解力を要します。
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(減点なし/参考/謎のうっすらモザイクシーン)
この映画の主人公を誰に取るかは色々ありましょうし、家族を描く映画なので「全員」ともいいうるし、だからこそ「誰でもない」ともいえますが、登場人物のイリスちゃんがお風呂から出て「着替えることなく」リビングでテレビを見るシーン、その後で「お行儀がよくないですよ」とお母さんに抱っこされて台所まで連れていかれるシーン、そこまでの部分の、イリスちゃんの胸の部分にうっすらモザイク(ぼかし)がかかっています。
ただ、イリスちゃんはどうみても5~6歳、あって7歳か8歳かという子であり、その上半身が仮にちょっと映っていてもどうでもいい話で(下半身まで映っているとさすがにアウトだし、それだとPG12以上になってしまう)、まぁ本国側の規制なんだろうと思います。
※ 「イリス」はIris。スペインではこの読み方ですが、他国では「アイリス」(花の名前、あるいは、虹の女神から)。
(減点なし/参考/この映画が金熊賞を取った背景ほかについて)
以下は、海外評価サイト等を参考に解釈しなおした内容になります。
まず、この映画はスペイン映画ですが、日本では1年に2~3本くらいかなというスペイン映画を漏れなく見ても「これってスペイン映画?」と思えるほど聞き取りが難しい部分があります。実はこの映画はカタルーニャ地方を描いた映画で(公式参考)、この地方は「カタルーニャ方言」になります(フランス語との混合言語に近い)。この映画はその撮影や主要主人公ほかを全て当地の出身者、在住者から選んだことが一つ評価されています。
※ 聞き取りはかなり難しいですが、ラスト近くの抗議ストライキシーンで Volem.... ! という部分から明確にわかります。スペイン語をある程度知っていれば、volemの原形(辞書形)がvolerになることは推測がつきますが、標準スペイン語にはそのような単語は「なく」、かつ仮にあるとしても volemos になるため(ごく初級の範囲)、この部分で明確に「ある国の地方の言語、文化を丁寧に扱っている映画だ」ということがわかります(volerはカタルーニャ方言としては「欲する」の意味。フランス語では「空を飛ぶ」で全く意味が異なる)。
※ 標準スペイン語とはかなり異なる言語で、日本映画でいえば、純粋たる日本映画でアイヌの歴史や沖縄戦を扱う等、「聞き取り」にある程度の知識が求められるような映画(最近は補助字幕を付けられる当事者が減ったので、最初から標準日本語で作られることも多いですが)がおよそ相当します。
2つ目の論点は、「スペインの電力事情」について肯定的にも否定的にも描いていない部分です。
最初に「この土地の所有権を証明する権利書がない」等というシーンがありますが、スペイン民法では不動産の所有権の主張(得喪の主張)には、「契約書の締結と、不動産登記」という2段階を要求します(この点で、ドイツ系(韓国)ともフランス系(日本)とも違う)。そして「この権利書がない」等というシーンは、海外の説明ではその「存在しない」という理由として映画として本質的ではないので述べていないとするものの「スペイン内戦で失われた」とされるものが一般的です。確かにそういわれれば納得できます。
さて、映画内では「この農園にソーラーパネルを設置したいから出ていけ」という展開になりますが、この展開はスペインにありがちな展開です。スペインを含め多くのヨーロッパの諸国では原子力や火力発電所等に極力頼らず「自然にやさしい」発電を目指す傾向があります。スペインも例外ではありません。
このとき、諸外国においては各国の取り組みはそれぞれ違っても有事の際に備えて電力のお互いの供給ができるようにしていることが普通ですが、スペインは3方向を海に囲まれフランスとはピレネー山脈で接する形になるので、他国と同様というわけにはいきません。そして、スペインではスペイン内戦やスペインかぜなどを経た経緯、あるいは2020年以降はウクライナ戦争等もニュース報道された経験があるため、「自国の電力は自国で作る」ことが国策であり、「風力発電、太陽光発電」に対しては国が力を入れて取り組んでいる事情です。特に後者の太陽光発電はスペインが「太陽の国」というように非常に有利な地であることから日本と同程度に盛んで(スペインの面積は日本の1.2倍ほど)、実際に「農産物などは最悪輸入すればよいが、電力はそうはいかない」事情があるので、映画のような展開はしばしば問題になっており(農地の極端な安価な買いたたきや、農産物の値段を極端に安くするように要求して廃業に追い込む等)、映画の述べる第二の趣旨はそこになります。
とはいえ、第二の趣旨は「ある程度」推測はついても第一の趣旨(カタルーニャ地方出身者を多く起用した点)はほぼわからない点で、何らかの説明が欲しかったところです。
(※) ソーラーパネルの設置数「それだけ」を考えれば、統計にもよりますが、第一位は日本であったりドイツであったりします(ドイツも比較的ソーラーパネルの先進国)。ただし、日本においては設置例は多いものの、日本では梅雨があったり冬にあたる11~2月ごろにはせいぜい補助電力程度にしか頼りにならないなど、スペイン・ドイツ等とはそもそも論で扱いが違います。
期待度◎観賞後の満足度◎ お母ちゃんのビンタとお父ちゃんの涙には泣いた。スペインの片田舎の一家族・親族の営みを描いた物語がどの国にも通じる普遍的な物語に昇華する時“映画”は“芸術”となる。
①冒頭とラスト、先ずプルドーザーを見せずにその音だけを聞かせ、それを見つめる顔・眼を撮したあとブルドーザーを見せる演出が上手い。
②また、登場人物達は日常的な会話はするものの、内面を吐露したり思っていることや考えていることを声高に叫んだり愚痴ったりしない。彼らの内面の感情・想いは全て彼らの行動・素振り・顔の表情・眼の表情で表される。
それもまた、非常に映画的だと思った。
③私は特に家庭的・家族的な人間ではないが、この大家族間の関係がわかってきたら、父方・母方の親族の姿とダブって見えてとても親近感が湧いてきた。
決して家族関係に共通点や類似点があるわけではない。
わが一族(ってそんな大層なもんではないが)は農家でもないし(先祖は多分水呑み百姓)。
でも、子どもの頃は聞いていても意味は分かっていなかったけれども、長ずるにつれて感じたり分かり出した親族間の微妙な空気、話題の本人のいないところでの親族間の話、伯母さん・叔母さん達の井戸端会議、お互い腹に何か有っても親族が揃うと表面は仲良くする感じ(本作の三代の大家族は妹の旦那以外はみんな血族だから、孫の兄妹の様に表面は反発したり批判的な眼で見ているけれども、やはりいざというときには家族のための行動をするから本心は親族思いなんだろう)等々とても身近で懐かしく感じる。
④一番辛いのはおじいちゃんだろう。家族にもそう言われるくらい。
恐らく内線の時に共産主義ゲリラから地主を守り食物を与えた恩義から土地を使わせて貰うようになった。でも、孫の代になると情も薄くなる。恩義も実感できなくなる。
この孫だってそんなに悪い人ではないのだろう。でも、やっぱり自分の土地は儲からない農作物を作るよりは儲かるソーラーパネルに使いたい。まあ、仕方のない選択ではある。ラスト、引き続き土地を使わせて貰えるようになった、という人情話で終わるのではなく、予定通り潰されるという形で終わる。何とも残念な結末だが、これも人の世である。
せめて自分が家族に出来ることとして、昔、先々代の地主の命を救った無花果の木から捥いだ無花果を今の地主に届けるおじいちゃんの姿が切ない。
⑤長男の言動には“何と意固地な”と思うところもあったけれども、契約書がない以上、土地を明け渡さないといけないという認識は誰以上にもあって、だからこの夏が最後という思いがより彼を意固地にしたのだろう。
同業の農民達の抗議活動に消極的だった彼は最後抗議集会に参加する。
彼の中に変化が現れ出したことを暗示するエピソードだ。
⑥
忍耐力が問われます
さて今回も鑑賞前の(本作の)前情報はほぼゼロ。もしかしたら劇場でトレーラーは流れていたかもしれませんが全く覚えがありませんし、映画.comのあらすじも読まずにサムネイルだけ見て「キッズ(がメインの)映画?」と想像しつつ、ベルリン金熊賞の受賞歴とIMDb評やRottenTomatoesの点数が高いという理由で劇場鑑賞を決めました。公開初日のシャンテ10時50分からの回、二日前にオンラインで予約しようとしたら、いつも自分が選ぶ席が早々に買われおり「これはひょっとして混むのかな?」と思っていましたが、結局は空いていました。。
で観終わり、映画.comのあらすじを確認したところ、がっつり説明してますね。とは言え、ネタバレってことはなくそもそもシンプルなストーリー。ところが、いろいろな観点でストレスを感じる121分の上映時間はなかなかしんどく、観続けるのにはそこそこの忍耐力が問われます。
ちなみにキッズ映画ではなく(w)、ある家族のそれぞれの目線で語られる群像劇。どの目線からも感じる「家族という呪縛」にわかりみが強いだけに本当にイタい。特に、長男で一家の家長であるキメットが兎に角頑固。主に外的な要因とは言え、時間的余裕なく追い詰められて相当なプレッシャーがあることは理解できるのですが、合理と割り切って逃げに出ること良しとせず、また兄弟たちの気遣いから出る意見や、更には助け舟にさえ抵抗して孤立していきます。そして、キメットの長男ロジェーと長女マリオナが、未熟な面はありつつも家族想いであり、本質的にはいい子なだけに更にイライラ。ところがようやくの終盤、溜まりに溜まった妻・ドロルスのある行動が目覚ましく、ここまで耐えてきたことが報われます。そして、そこから間もなくのシュールな終わり方に鑑賞後の余韻が深く残ります。
いやはや、劇場鑑賞でなければ最後まで集中力が保てなかったんじゃないかな。。また別の観点にはなりますが、カタルーニャの桃農園には当然外灯なんてないため暗いシーンは本当に暗い。と言うことで、(配信を)液晶画面で観るのは辛いかもしれません。決して「楽しい映画」ではありませんが、もし興味があれば是非劇場鑑賞をお勧めしたい一本でした。
悲喜こもごも、家族や親族で農業を営むところを見事に表現していた気がします
題材になっている事柄は、現代においては至るとこで目にするわけで、そしてそれは必ずと言っていいほど新しくなっていくことへの拒絶とか否定の気持ちが色濃く主張されている場合のほうが多い気がする。新しい未来、バンザーイ!これでみんな幸せで、しかもお金持ち、っていう場面なんて見たことがあるだろうか。しかも、太陽光発電そのものまでもが否定されかかっている現状、色んなフィルターがあっての観賞でしたが、果たして・・・
よくある家族の絆や亀裂を描きつつ、やっぱ別物・余所者への嫌悪感といったものが表現されていました。非常に丁寧で、かなり引き込まれて見入りましたが、もはやこういった表現こそがステレオタイプに見えて、もういいからそれでどうなったのかを見たいんだよ、と思ってしまいました。
人との関係性や繋がりなんかを眺めている分には最高の作品です。
太陽が生む食とエネルギー
スペインはカタルーニャ地方の桃農家のお話でした。親子3代に渡って桃を作り続ける一家でしたが、この土地にソーラーパネルを設置して収益性を高めたいらしい地主から土地の返還を迫られる中、一家に生まれた不協和音に焦点を当てていました。遠いヨーロッパの農村のお話ではあるものの、ソーラーパネルが国土を”破壊”しつつある事情は日本と同様で、その点が非常に興味深いお話でした。
ただ農業従事者の平均年齢が68歳と高齢化社会の最先端を行く日本の農村部の風景と異なり、本作の主人公一家は孫世代まで子だくさんで、その点は”明るい農村”の風景で、ある意味羨ましく感じたところでした。
本作を観て思ったのは、まずは邦題の秀逸さ。原題の「Alcarras」は、本作の舞台となった街の名前のようですが、邦題の「太陽と桃の歌」というのはまさに言い得て妙。本作の主題は”太陽の力”であり、従来は桃の生産を支えていた訳ですが、今後はソーラーパネルによる発電を支えることになる訳です。この大転換に際して、人々はどう対応すればいいのかがテーマの作品でした。
初代である祖父・キメットはギャンブルで土地を得ようとし、その息子・ロヘリオをその状況を受け入れられず、孫・ロジェーは大麻栽培を始めるなど、人それぞれ。太陽光発電の管理人として雇うという地主の申し出を受け入れるべきだという考えもあり、結局その不協和音がまとまらないままに桃の木は切り取られてエンディングを迎えるこのモヤモヤ感は、まさに現実世界とリンクするものでした。
因みにスペインの食料自給率は90%以上だそうで、40%を切る日本と比べると比較的高い数値になっています。スペインのエネルギー自給率は20%程度と、10%程度しかない日本同様低いため、農地を削ってエネルギーを得るという政策は、マクロ的には一定の説明がつくように思います。ただ日本の場合、食料自給率もエネルギー自給率も非常に低いため、双方の水準を引き上げて行かなければいけない状況であり、問題はスペイン以上に深刻なんだなあと、本作を観て改めて愕然としたところでした。
最後は映画と関係のない話になってしまいましたが、急速な環境変化が人間社会に不協和音を生むことを再認識させてくれた本作の評価は★4.2とします。
終わっても、終わらない家族。
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