「オードリーはプライベートが大衆にさらされることを好まなかった。その...」オードリー・ヘプバーン imymayさんの映画レビュー(感想・評価)
オードリーはプライベートが大衆にさらされることを好まなかった。その...
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オードリーはプライベートが大衆にさらされることを好まなかった。そのかわりに、表舞台に立っているときは、100%の完璧な自分を見せ続けた。
彼女がそう望んでいたかは、わからないけれど、わたしは、彼女の表舞台の100%の部分だけをみて彼女を愛したい、とおもう。
「幼少期に父親に愛されなかったから、自分に子供が産まれた時に、絶頂期だった映画の仕事に背を向けて、家族を優先した」とか、「世界中に愛された人が、あんなに愛に飢えていただなんて悲しい」とか、人々は語るけれど、彼女のほんとうの気持ちは彼女にしかわからない。彼女の身の回りで起こった事実を彼女ではない第三者が好きに解釈して、「みんなに愛されたオードリーのほんとうの姿、悲しい現実」と、オードリーが亡くなって、時間が経ったこの今、悲劇として簡単に消費されてほしくはない。
「愛したいと思う人に出会えて幸せ。それで愛されたらもっと幸せ。」
「政治は人道的でなくてはならない」
「よかったことは、苦しかった経験を自分の人生の助けにできたこと。人を無条件に愛することができたこと。」
ほかにも、お守りみたいな言葉や考え方がたくさん。素敵な人が使う言葉はやっぱり素敵だ。
たしかに彼女はずっと幸せだったというわけではなかったかもしれないけれど、彼女の悲劇をわざわざ掘り起こすより、誇りを持って取り組んだ素晴らしい映画たちを、何度でも思い起こしたい。もちろん、ユニセフの慈善活動も。映画を再生すれば、いつでも、100%のオードリーに、会える。
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