「錯乱の果てに〈狂気の使命感または無私〉を感じさせるシーンがいい」チェルノブイリ1986 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
錯乱の果てに〈狂気の使命感または無私〉を感じさせるシーンがいい
ダニーラ・コズロフスキーという人が主演、監督なのか。鬱陶しそうな人だなw
恐らく米国「ディア・ハンター」が念頭にあったのだろう。冒頭30分にもわたって、延々とコズロフスキーさん演じる消防士がかつての恋人に再会し、やたら執念深く付きまとう姿が描かれて、何ともウンザリさせられる。「ディア・ハンター」はあの日常風景に映像の快感が満ちていたのだが、いかんせんこの凡庸な監督の描く日常は退屈なだけ。途中でギブアップしかける頃、ようやく原発が爆発してくれるので最後まで見る気になったのだったw
さて爆発に続き、原子炉が溶解して直下の大量の冷却水に接触でもしたら、水蒸気爆発によりヨーロッパ全域が汚染される危険の迫っていることが明かされる。
この緊急事態に対し、原発技術者、消防隊員、そして諜報機関KGBの職員2人の4人が炉心近くまで排水作業に赴く。
原発が爆発したという状況で、炉心近くまで行くのだから、生命がけだということは誰にでもわかる。ここで米国映画だったら、愛国心とか家族愛とか使命感とかをクドクド嫌になるくらい描きまくるところだろうが、不思議にもこの作品にはそうした生命と交換の理念、ナショナリズムや愛は、主人公の女性への思入れ以外ほとんど描かれていない。本作の魅力は、実はそこにある。
原発技術者の若い男性は「部下には命令できないから自分が行く」と、淡々と歩いていく。KGB職員はただ「職務だから」と言う以外、余計なことは何一つ語らないまま率先して危険な作業に取り組む。
そしてほぼ使命達成が不可能と分かった段階になって、KGBの上司は錯乱の挙句、狂気の表情で「排水バルブはもうそこだ」と呟きながら、鉄筋やコンクリがマグマのようにドロドロに溶けた炉心の下に歩いていくのである。この狂気の使命感または無私を感じさせるシーンが不思議に胸を打つ。
作品の良さはそのシーンに尽きている感じで、その後、主人公たちが再び排水に挑んで成功するシーンとか、被爆治療が無事終わって帰国してくる主人公の子供の話とかは、オマケにすぎない。
ろくでもないラブストーリーと余計な登場人物がたくさんあるのに、一つのシーンで救われた作品だった。