「題材に比して矮小なスケール感」チェルノブイリ1986 Satoh Dawnさんの映画レビュー(感想・評価)
題材に比して矮小なスケール感
まずはアレクセイ(主人公・消防士)の自己中心性を冒頭30分を費やして延々と観せられる。
オリガ(ヒロイン・美容師)との10年ぶりの再開を喜ぶのはよいとして、バスを停めて強引に連れ出し、家まで押しかけたかと思えば、オリガに息子が居る事実に勝手に憤る。
約束はすっぽかし、それに反省の色もなくキエフで一緒に暮らそうなどとコナをかけまくる。
ここまでで主人公に対する共感性は、2022年現在のルーブル並に下落する。
肝心の原発事故について。
事故原因やソ連政府の対応についてはほとんど描写がなく、消防士としてのアレクセイの行動に焦点があてられるが、どうも脚色が過ぎるように見えた。
一次火災の消火後は、炉心のメルトダウン(メルトスルー)によって、地下水槽の水が水蒸気爆発の危機に瀕したのは事実だが、アレクセイという架空の人物はこれらの対応にことごとく参与してくる。
特に水槽の排水バルブの開放は、史実では志願した原子炉職員3名によって実施され、職員はソ連崩壊後も存命であった。
劇中のような、消防士が報酬を引き換えに潜り、バルブ開放後、水中で力尽きたような描写は、いったい如何なる記録に基づいたのだろう。
アレクセイの行動にも一貫性がなく、場当たり的にオリガと絡んでは現場に戻っていく。
これは致し方ないことなのだが、防護服にマスクという風体から、原発内部のシーンでは人物が認識しづらく、ますますストーリーラインの把握を困難にしている。
結局のところ、原発事故そのものは舞台装置程度の役割でしかなく、ソビエト的な硬直した官僚機構や原発事故全体の対策等にはほとんど触れられない。
テーマとして家族愛や友情を感じるには、アレクセイは明らかに癖がある上に、その行動は中途半端に終始したままフェードアウトしてしまう。
スケール感が大きく削がれ、それでいて首をかしげるような展開にいつまでも気を散らされる。
HBO製作のドラマにも脚色や嘘はあったが、それを割り引いてなお見ごたえのあるシリーズだった。
本作にはそこまでの期待は抱かずに鑑賞することをお勧めする。