カモン カモンのレビュー・感想・評価
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優しく重い世界
モノクロームに描かれる、優しく重い世界は素敵でした。
実際に子育て経験がある人には「あるある」ものに過ぎず、あまり新鮮味はないかもしれませんが、独身の高齢者が突然の子育てに戸惑う姿はかわいらしく。
大人って自分が思うほど自分のことはわかっていないし、子どもは一見何がしたいのか何が言いたいのか全く分からないのだけれども実はうまく喋れない(言語化しにくい)だけで、物事の本質は案外見抜いているものだと。
大きな事件が起こるような映画ではありませんが、大人は子どもに対して素直で嘘をつかず、ゆとりのある心で接することが必要ではないかと、画面から語り掛けられているような気がしました。
ところでタイトルは、"C'MON C'MON"
カモン【come on】 の短縮形。
(カタカナで書くとプレスリーの「おしゃべりはやめて/A Little Less Conversation」、横浜銀蝿「ジェームス・ディーンのように」、『ウイングマン』「異次元ストーリー」などを思い出しちゃうものの)
これは、子どもが自分を客観的に見て、自己を鼓舞するセリフでした。
自分へ「さあ来い、おいで」と誘うことで、「前へ進もう」という決意を込めた独り言。
まだ見ぬ未来へ向かって歩く子どもたちを、見守れる大人でありたいな、とほっこりさせてもらいました。
またそう思わせる演技をしていた、子役もフェニックスも素晴らしかったです。
モノクロだからこそ映像が目に残った
考えたことは起きない。思いもしないことが起こる。だから先へ進む。ずっと先へ。先へ。先へ。
なんともすごい子役だ。まるで本当にホアキン・フェニックスを手玉に取っているようだった。そしてホアキン・フェニックス自身も、何かを学んでいくようだった。
甥っ子ジェシーを預かることになるジョニー。子供と侮っていると大間違いで、しっかり一人の人間として成熟しているジェシー。そのくせ甘えん坊な一面も見せてくる。
気を抜いて付き合うと痛い目にあうジョニー。まるで神様からなにかのレッスンを受けているようだ。
この映画はとりわけ大きな事件が起こるわけでもない。なのに、僕の心にさざ波が押し寄せてきて、二人を見ているだけで涙がこぼれてきた。それはなぜだろう。たぶん二人の関係が、血じゃなくて心でつながり始めていることに気づいたからだと思う。それはジェシーがこの体験を覚えていられるか、と心配をし出したあたりだ。そのときに思った。ああ、この映画がモノクロなのはそれが理由なのかなと。いつか薄れていく記憶だからこそ、色がついていないのだと。
心が通い合ったジェシーにジョニーが言う、「大丈夫じゃなくていいんだよ。回復ゾーンの外にいる時、蹴ったり暴れたり叫んだりしていいんだよ。めちゃくちゃになっていいんだ」と。ここで、倉田百三のある言葉がリンクしてきた。「さびしい時はさびしがるがいい。運命がお前を育てているのだよ」(出家とその弟子)。まさにジョニーは愛情をこめてこの言葉と同じ気持ちでジェシーを見守っていくだろう。
さて、日本でこんな穏やかで波の少ないながらも心を打つ映画があるだろうか。是枝監督か。ないというのならそれはたぶん監督の問題ではなくて、こういう映画を求めてこなかったこちら側(観客)の問題なのかも。
ゆっくりと染み入るよう
少し歪な男と、少し歪な子どものロードムービー。
こういった「擬似親子」ものでも、叔父と甥というのは意外となかったのではないでしょうか。
本当の親子には絶対ならない設定なので、どう纏め上げるのか興味がありました。
まずこんな穏やかなホアキンの顔を見たのは久しぶりな気がします。
それとジェシー役のウディノーマン、この子がとてもチャーミング。
役所と彼の素振りがぴったりなんですよね。
非常にゆっくりと、心を通わせる様は観ていてとても心地良い。
それとホアキンが演ずるラジオジャーナリストの仕事。そのインタビューが随所に挟まれており、エンドロールでは洪水のように溢れているんです。
それははおそらく作品の軸となっているであろう多様性。
親と子、友と友、そして何より人と人の対話の大切さを描いていました。
もっと先へ、先へ先へ。
ゆっくりと染み入るような、豊かな作品でした。
子供たちと大人たちへのささやかな応援歌
なんとも小難しい作品だった(が、嫌いではない)。
全米の子どもたちにインタビューして、それをラジオ番組として放送するという、主人公ジョニーの仕事には憧れる。伊集院光か誰か日本でもやればいいのに。今の世の中、子供の声をまともに聴こうとする大人がどれだけいるだろうか。
そんなインタビューのシーンを挟みながら、ジョニーと甥っ子ジェシーのぎくしゃくした暮らしが描かれる。ちょっと癖のある性格のジェシーの言動に戸惑いつつも、寄り添おうとするジョニー。子育てをした経験のある人なら頷ける場面も多かったように思う。
小難しさを助長しているのは、時々挟まれる書籍の朗読。画面の文字情報量が一気に増えてついていけない。作品とは元来、知識の切り貼りではなく、そういった知識が一旦作者の意識の底に沈殿し、それが時間をかけて発酵して出来上がるものではないかと思う。
この作品、意図は明確に解るのだけれど、それはすなわち、まだ発酵が足りないことを意味しているような気がする。
とはいえ、未来を作っていくのは子供たちであることに間違いはない。そんな子供たちへの(そして現実と格闘している大人たちへの)ささやかな応援歌ではあると思う。
…なんて、うまくまとめようとすると、ジェシーに「poor poor」って言われそうだね(笑)。
あと、ホアキン・フェニックスの演技が、なんとなくロバート・デニーロに似てきたように感じる。
「子供との接し方なんて誰にも分からない」
途中、「クソ世界へようこそ」というセリフと共に、表題のような母親のセリフがあった。途轍もないパンチラインでした。
自分は独身で子供も居ないので、このセリフは子供が居る親ならより響いた筈。
奇をてらわずに自身をさらけ出しながらの子育てロードムービー。モノクロの映像でスクリーンいっぱいに子供に苦悩と困惑を覚えながらも瑞々しく自分自身も成長していく様を見せつけたホアキン・フェニックスの演技が白眉でした。
また、随所に盛り込まれる地方ごとの様々な人へのインタビュー、これは日本人だとどうしても人種や地域ごとの特性が分かりづらくて完全には響かなかったが、映画全体の会話劇を構成する上でのグルーヴ感の醸成に役立ってたと思う。特に、バプテスト派の彼の死後の世界描写「草原に風がなびき大きな木が一本ある」ってのが良かった。
同じくモノクロ映像のベルファストと共に今年ベスト10には入りそうな傑作でした。
物心ついてからこれ迄の人生で自分が思った事・感じた事・考えた事・気付いた事・楽しかった事・悩んだ事・夢見た事・悲しかった事等々…の中で何かを置いて来てしまったのではと振り返った時に観たくなる映画だ…
①自分は子供の心を忘れていない大人だとずっと思って来たけれども、観ている途中で自分はずっとジョニー目線で見ていてジェシー目線では見ていない事に気付いてその自信が揺らいでしまった。②インタビューに対する子供達や若者達の答えを聞いていると、自分が同じ年代の時に同じ質問をされたら“さてどう答えるか”直ぐには思い付かない自分がいることにも気付いて、生活の為に忙しく働いているうちに摺りきれて“あの頃”に直ぐには戻れない自分になっていることにも気付かされた。③所詮人は自分というゾーンの中でしか生きていけないのだから、そのゾーンを豊かなものにしようとこうして映画を観たり本を読んだり音楽を聴いたり尊敬出来る人の生き方を取り入れようとして生きているわけだけれども、結構ボロボロと忘れたり置いて来てしまっているものですね。ジョニーはジェシーに一緒に過ごしたこの日々をジェシーが忘れたら「思い出させて上げるよ。」と約束したが、私も人生の中で何か大切なものを忘れてるな、どっかに置き忘れたな、と思った時は再度この映画を観てみようと思う。④『子供と動物とを相手に演技するのが一番難しい』と言われるが、天衣無縫なジェシー役の子役の自然な演技に的確にリアクトするホアキン・フェニックスにはいつ観ても上手いなぁ、と今更ながらに唸らされるが、ヴィヴ役の女優の面影にどっかで見たことあるなあ、と思っていたらギャビー・ホフマンが成長してこんな大人の女優になっていたとは。⑤結局人生は何が有っても前に進むしかないのだが、それが9歳の子供の口から出てくる(“C‘mon, C‘mon”)のが微笑ましい。⑥あと、私も弟を精神病で何回も入院させたし、自分も軽い双極性障害なので他人事には思えなかった部分もあります。
哲学映画
実に A24制作っぽい
地球や社会の将来に関する現代の子供たちの素直な考えを全米各地で拾いつづけてきたジャーナリストが、世間の常識よりもだいぶ自分の感情に素直な甥っ子と、諸々般々の事情で二人で過ごした一ヶ月くらいがおこした心の変化の物語
ホアキン•フェニックス伯父さんと張る甥っ子、ウディー•ノーマンがとにかく凄い、その年端でそこまで深く人間を描けるかね
ロサンゼルス・ニューヨーク・ニューオリンズ、とても彩度の高い街をあえてモノクロームで撮ることで一人一人の感情が際立つ、普通にフルカラーだったら燻んでしまってたろう
いまのアメリカにとって制作陣が大事だと思うメッセージを子供の声に載せて届ける、演出も内容も、なんとも A24っぽい
本当にアメリカ映画なのかと疑ってしまった
伯父さんと甥っ子。シーンの多くがふたりのやり取りに割かれる。情緒の発露とその後の反省、そして人生観。ふたりの演技があまりにもハイレベルで、本当の伯父さんと甥っ子にしか思えなかった。ホアキン・フェニックスの演技が名人級なのは映画「ジョーカー」で納得していたが、甥っ子のジェシーを演じた子役が凄い。
子供たちへのインタビューは、用意された台詞を話しているのだと思う。子供たちの答えがあまりにも哲学的すぎるし、洞察力に優れすぎている。こんな子供ばかりだったら世界はあっという間によくなるだろう。そう願っての台詞かもしれない。本当にアメリカ映画なのかと疑ってしまった。もちろん肯定的な意味合いである。
ジェシーが自問自答のインタビューで答えた「予想したことは何も起こらない。そして思いもよらないことが起こる。僕たちは進み続けるしかない。どこまでもどこまでも(カモンカモン、カモンカモン)」という台詞が、おそらくコロナ禍を踏まえてのものだと分かる。奇しくも寺田寅彦の名言「天災は忘れた頃にやってくる」を思い出した。
ドビュッシーの「月の光」がジェシーとジョニーの心模様を彩る。何度も使われるこの名曲が流れるとき、ふたりの心が揺らいでいくシーンが映る。この曲を聞く度にこの映画を思い出すことになりそうだ。
伯父と甥のストーリーというよりもコミュニケーションのお話?
人は完璧ではない。それは大人も子供も。良いところもあれば悪いところもある。
でも子供は良いところも悪いところもひっくるめて親を鏡にしたように取り込んでしまう。
憎い時もあれば、愛しさが溢れる時もある。
話さなければ解らないけど、話しても解らないことがある。
自分を表現する術を教えてもらえる幸福。
なんか抽象的になってしまったけど、そんな感じの映画。
育児は育自のあるあるでしょうか。
二人の演技力凄い。
心を抉られるコミュニケーション
ひさしぶりに映画館に行くのに、リハビリ的な映画を選んだつもりだったのだが、完全に心を抉られてしまった。
伯父さんと甥っ子の触れ合い映画、回復映画としてほのぼの癒されて観ることも勿論できたと思うけど、皆、誰もが決して全てを素直に口にできないまま抱えていることが多すぎる。だから「ペラッペラ」な言葉で表現するし、決まった理論の台本を使ってコミュニケーションしようとする。
あのような父親を持った子、どこかそこに「将来の自分」を見てしまう子、自分の感情を「奇妙な」様態でしか伝える術を持たない子。そして親と子、兄と妹のうっすらと見える複雑な 関係性を見つめながら、「孤独が怖い、他人のことは完全に理解できない」という子どものインタビューがこだまする。
それでもやっぱり、人と人は近づけるし、分かろうとしあえる。大人は(かつて自分がそうだった)子どもの話を聞き、大人もまた不器用に感情を見せる。「大丈夫じゃなくても大丈夫」なのは、大丈夫じゃないと言える場所があるからなのだ、と思う。そういう場所が誰にでも必要だし、誰かの必要な場所になれたらいい。
ホアキン・フェニックスがこの作品にものすごく複雑味を足していると感じた。インタビューは台本なしで行ったそうだけども、ある時は奇矯にもなり得る性格俳優・ホアキン・フェニックスが子どもの話を聴く、というのが、なんというか、美しかった。そして子どもたちは語るのに飢えているのかもしれないとも。コミュニケーションが美しく見えるなら、それは多分コミュニケーションが足りていないからなのだ。
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