カモン カモンのレビュー・感想・評価
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考えたことは起きない。思いもしないことが起こる。だから先へ進む。ずっと先へ。先へ。先へ。
なんともすごい子役だ。まるで本当にホアキン・フェニックスを手玉に取っているようだった。そしてホアキン・フェニックス自身も、何かを学んでいくようだった。
甥っ子ジェシーを預かることになるジョニー。子供と侮っていると大間違いで、しっかり一人の人間として成熟しているジェシー。そのくせ甘えん坊な一面も見せてくる。
気を抜いて付き合うと痛い目にあうジョニー。まるで神様からなにかのレッスンを受けているようだ。
この映画はとりわけ大きな事件が起こるわけでもない。なのに、僕の心にさざ波が押し寄せてきて、二人を見ているだけで涙がこぼれてきた。それはなぜだろう。たぶん二人の関係が、血じゃなくて心でつながり始めていることに気づいたからだと思う。それはジェシーがこの体験を覚えていられるか、と心配をし出したあたりだ。そのときに思った。ああ、この映画がモノクロなのはそれが理由なのかなと。いつか薄れていく記憶だからこそ、色がついていないのだと。
心が通い合ったジェシーにジョニーが言う、「大丈夫じゃなくていいんだよ。回復ゾーンの外にいる時、蹴ったり暴れたり叫んだりしていいんだよ。めちゃくちゃになっていいんだ」と。ここで、倉田百三のある言葉がリンクしてきた。「さびしい時はさびしがるがいい。運命がお前を育てているのだよ」(出家とその弟子)。まさにジョニーは愛情をこめてこの言葉と同じ気持ちでジェシーを見守っていくだろう。
さて、日本でこんな穏やかで波の少ないながらも心を打つ映画があるだろうか。是枝監督か。ないというのならそれはたぶん監督の問題ではなくて、こういう映画を求めてこなかったこちら側(観客)の問題なのかも。
ゆっくりと染み入るよう
少し歪な男と、少し歪な子どものロードムービー。
こういった「擬似親子」ものでも、叔父と甥というのは意外となかったのではないでしょうか。
本当の親子には絶対ならない設定なので、どう纏め上げるのか興味がありました。
まずこんな穏やかなホアキンの顔を見たのは久しぶりな気がします。
それとジェシー役のウディノーマン、この子がとてもチャーミング。
役所と彼の素振りがぴったりなんですよね。
非常にゆっくりと、心を通わせる様は観ていてとても心地良い。
それとホアキンが演ずるラジオジャーナリストの仕事。そのインタビューが随所に挟まれており、エンドロールでは洪水のように溢れているんです。
それははおそらく作品の軸となっているであろう多様性。
親と子、友と友、そして何より人と人の対話の大切さを描いていました。
もっと先へ、先へ先へ。
ゆっくりと染み入るような、豊かな作品でした。
いい作品でした。
ジョーカーのホアンキンフェニックス
ラジオジャーナリストで録音取材を親を亡くした子供達にしている。そんな時、妹から息子を預かってほしいと。不思議な共同生活がはじまる。
はじめは、ゆっくりなんで、眠たくなる。しかし、9歳の子供とのやりとりに引き込まれていく。僕も仕事にかこつけて子育てに参加していなかったなあって切なくなる。母親はやはり子供にとって特別なんだなあ。
エンドクレジットのインタビューの言葉 よかったなあ。
君の叫びを抱き締めたい
◉世界とか、未来
世界や未来や、自分とか親や家族とかが何かなんて、そんなに簡単に分かってたまるか! だから時々、叫び声を上げたり身体を揺すったりしてしまう、愛すべき子供の物語。
子供の世界には柵がないから、素敵なことも哀しいこともたくさんあって、押し潰されてしまう。それを自分に言い聞かせるためにジェシーは騒ぐ。大声を上げたり、テーブルを叩いたりして、自分を守っていた。
◉二人が聴くもの
ジェシーは伯父の商売道具のマイクを、街や森や海に向けて、出来るだけ広い世界の自然な声や音を聞く。聴き入る彼の笑顔が、本当に可愛いらしかった。
ジョニー伯父は多くの子供たちにマイクを向ける。それは仕事だからなのだけれど、狭くなった自分の世界をちょっとでも広くしようとする試みでもあるのですね。そのように感じました。一人語りもそうした、心の作業の一つ。
◉二人が優しいもの
はい、それは母親のヴィヴに対してです。
甥っ子は大人ぶって、身勝手に振る舞っているように見えて、母が恋しくては拗ねるし、会えばひしと抱きつく。伯父は家族のことで辛い思いばかりする妹を慮って、手間のかかる甥っ子を連れて回るし、逃げられては途方に暮れる。
父親の精神状態が落ち着いて、伯父と甥っ子はひとまず離れる。この二人なら、一期一会じゃなくて、また会えます。伯父と甥の思索と探索は続くのです。
二人の役者の間で、わずかずつ高まっていく温度の感じが目に映るようで良かったです。
子を育てるのは大変そうだ💦
映画の中のインタビューで印象に残った言葉があった(正確には覚えてないけど)
『未来は過去の蓄積だから争いはなくならない』
良い映画を観ました。
子育て奮闘中の方々、お疲れさまです。
子供たちと大人たちへのささやかな応援歌
なんとも小難しい作品だった(が、嫌いではない)。
全米の子どもたちにインタビューして、それをラジオ番組として放送するという、主人公ジョニーの仕事には憧れる。伊集院光か誰か日本でもやればいいのに。今の世の中、子供の声をまともに聴こうとする大人がどれだけいるだろうか。
そんなインタビューのシーンを挟みながら、ジョニーと甥っ子ジェシーのぎくしゃくした暮らしが描かれる。ちょっと癖のある性格のジェシーの言動に戸惑いつつも、寄り添おうとするジョニー。子育てをした経験のある人なら頷ける場面も多かったように思う。
小難しさを助長しているのは、時々挟まれる書籍の朗読。画面の文字情報量が一気に増えてついていけない。作品とは元来、知識の切り貼りではなく、そういった知識が一旦作者の意識の底に沈殿し、それが時間をかけて発酵して出来上がるものではないかと思う。
この作品、意図は明確に解るのだけれど、それはすなわち、まだ発酵が足りないことを意味しているような気がする。
とはいえ、未来を作っていくのは子供たちであることに間違いはない。そんな子供たちへの(そして現実と格闘している大人たちへの)ささやかな応援歌ではあると思う。
…なんて、うまくまとめようとすると、ジェシーに「poor poor」って言われそうだね(笑)。
あと、ホアキン・フェニックスの演技が、なんとなくロバート・デニーロに似てきたように感じる。
「子供との接し方なんて誰にも分からない」
途中、「クソ世界へようこそ」というセリフと共に、表題のような母親のセリフがあった。途轍もないパンチラインでした。
自分は独身で子供も居ないので、このセリフは子供が居る親ならより響いた筈。
奇をてらわずに自身をさらけ出しながらの子育てロードムービー。モノクロの映像でスクリーンいっぱいに子供に苦悩と困惑を覚えながらも瑞々しく自分自身も成長していく様を見せつけたホアキン・フェニックスの演技が白眉でした。
また、随所に盛り込まれる地方ごとの様々な人へのインタビュー、これは日本人だとどうしても人種や地域ごとの特性が分かりづらくて完全には響かなかったが、映画全体の会話劇を構成する上でのグルーヴ感の醸成に役立ってたと思う。特に、バプテスト派の彼の死後の世界描写「草原に風がなびき大きな木が一本ある」ってのが良かった。
同じくモノクロ映像のベルファストと共に今年ベスト10には入りそうな傑作でした。
物心ついてからこれ迄の人生で自分が思った事・感じた事・考えた事・気付いた事・楽しかった事・悩んだ事・夢見た事・悲しかった事等々…の中で何かを置いて来てしまったのではと振り返った時に観たくなる映画だ…
①自分は子供の心を忘れていない大人だとずっと思って来たけれども、観ている途中で自分はずっとジョニー目線で見ていてジェシー目線では見ていない事に気付いてその自信が揺らいでしまった。②インタビューに対する子供達や若者達の答えを聞いていると、自分が同じ年代の時に同じ質問をされたら“さてどう答えるか”直ぐには思い付かない自分がいることにも気付いて、生活の為に忙しく働いているうちに摺りきれて“あの頃”に直ぐには戻れない自分になっていることにも気付かされた。③所詮人は自分というゾーンの中でしか生きていけないのだから、そのゾーンを豊かなものにしようとこうして映画を観たり本を読んだり音楽を聴いたり尊敬出来る人の生き方を取り入れようとして生きているわけだけれども、結構ボロボロと忘れたり置いて来てしまっているものですね。ジョニーはジェシーに一緒に過ごしたこの日々をジェシーが忘れたら「思い出させて上げるよ。」と約束したが、私も人生の中で何か大切なものを忘れてるな、どっかに置き忘れたな、と思った時は再度この映画を観てみようと思う。④『子供と動物とを相手に演技するのが一番難しい』と言われるが、天衣無縫なジェシー役の子役の自然な演技に的確にリアクトするホアキン・フェニックスにはいつ観ても上手いなぁ、と今更ながらに唸らされるが、ヴィヴ役の女優の面影にどっかで見たことあるなあ、と思っていたらギャビー・ホフマンが成長してこんな大人の女優になっていたとは。⑤結局人生は何が有っても前に進むしかないのだが、それが9歳の子供の口から出てくる(“C‘mon, C‘mon”)のが微笑ましい。⑥あと、私も弟を精神病で何回も入院させたし、自分も軽い双極性障害なので他人事には思えなかった部分もあります。
哲学映画
子供から大人への問い
大人から子供への問い
会話のキャッチボールを通して
見えてくるなにかを一生懸命に拾い上げたくなるような。
そんな映画でした
おしゃれすぎるし
キャッチーだし
今生きてる子たちに響く映画。
抜かりなく良い映画でそこがすこし悔しくてつまらなさもあるかなと思って星3.5です
是非観てね。
英語が勉強したくなる作品(笑)
作品は良かったし、好きな映画だが…
言葉が多く、字幕じゃなくて英語でしっかりと理解出来ないと、字幕ばかり目で追い、読んでから理解するからなかなか映像を楽しめなかったのが残念
実に A24制作っぽい
地球や社会の将来に関する現代の子供たちの素直な考えを全米各地で拾いつづけてきたジャーナリストが、世間の常識よりもだいぶ自分の感情に素直な甥っ子と、諸々般々の事情で二人で過ごした一ヶ月くらいがおこした心の変化の物語
ホアキン•フェニックス伯父さんと張る甥っ子、ウディー•ノーマンがとにかく凄い、その年端でそこまで深く人間を描けるかね
ロサンゼルス・ニューヨーク・ニューオリンズ、とても彩度の高い街をあえてモノクロームで撮ることで一人一人の感情が際立つ、普通にフルカラーだったら燻んでしまってたろう
いまのアメリカにとって制作陣が大事だと思うメッセージを子供の声に載せて届ける、演出も内容も、なんとも A24っぽい
寄り添う事の難しいさ
「叫んでいいよ!ゆっくりでいいから…」
認知症の母を看取り、夫の看護…不仲だった兄に息子を託し…
主人公ジョニーの妹ヴィヴを優しく抱きしめてあげたい
彼女の進む方角が少しでも煌めく未来であります様に⭐️
本当にアメリカ映画なのかと疑ってしまった
伯父さんと甥っ子。シーンの多くがふたりのやり取りに割かれる。情緒の発露とその後の反省、そして人生観。ふたりの演技があまりにもハイレベルで、本当の伯父さんと甥っ子にしか思えなかった。ホアキン・フェニックスの演技が名人級なのは映画「ジョーカー」で納得していたが、甥っ子のジェシーを演じた子役が凄い。
子供たちへのインタビューは、用意された台詞を話しているのだと思う。子供たちの答えがあまりにも哲学的すぎるし、洞察力に優れすぎている。こんな子供ばかりだったら世界はあっという間によくなるだろう。そう願っての台詞かもしれない。本当にアメリカ映画なのかと疑ってしまった。もちろん肯定的な意味合いである。
ジェシーが自問自答のインタビューで答えた「予想したことは何も起こらない。そして思いもよらないことが起こる。僕たちは進み続けるしかない。どこまでもどこまでも(カモンカモン、カモンカモン)」という台詞が、おそらくコロナ禍を踏まえてのものだと分かる。奇しくも寺田寅彦の名言「天災は忘れた頃にやってくる」を思い出した。
ドビュッシーの「月の光」がジェシーとジョニーの心模様を彩る。何度も使われるこの名曲が流れるとき、ふたりの心が揺らいでいくシーンが映る。この曲を聞く度にこの映画を思い出すことになりそうだ。
伯父と甥のストーリーというよりもコミュニケーションのお話?
人は完璧ではない。それは大人も子供も。良いところもあれば悪いところもある。
でも子供は良いところも悪いところもひっくるめて親を鏡にしたように取り込んでしまう。
憎い時もあれば、愛しさが溢れる時もある。
話さなければ解らないけど、話しても解らないことがある。
自分を表現する術を教えてもらえる幸福。
なんか抽象的になってしまったけど、そんな感じの映画。
育児は育自のあるあるでしょうか。
独身の伯父が、期間限定で甥っ子の面倒をみることになる、という状況を生み出すためのプロットがちょっとあざとかったかな。それと、モノクロ映像の必然性?同じ週に見た「ベルファスト」ほどにもなかったように思えた。
辛口になってしまったのは、自分がワンオペ育児経験者だからか?
けだし名言が散りばめられている。とりわけ訳知りな少年ジェシーが言っていた(再現の正
確性に欠けるのですが、)「起こると心配していたことは起こらない。思いがけないことこそが起こるものさ」という人生訓がひどく腑に落ちた。
二人の演技力凄い。
ホアキンジョーカーの演技に魅せられたため、ホアキン目当てで映画館に行きました。ホアキンのほんとにこういう伯父さんいそうだなぁっていう雰囲気が最高でした。そして子役の演技もめちゃくちゃ自然で約二時間ずっとこの世界に浸ってました。白黒の映像もなんだか新鮮に感じました。
大人子供
久々にホアキン・フェニックスが観れるなーと思い鑑賞。
うーん説教くさい作品だなと思いました。娯楽というよりかは監督の言いたいことを役者に乗せて伝えてガミガミ言われているようでした。
ジェシーの妙に大人びて冷静に物事を見れる…と言うと聞こえはいいですが、やけに大人を煽ったり茶化したりしていますし、急に元の年齢以下の駄々をこねたり叫んだりする様子が受け付けられませんでした。自分自身過去実習などでジェシーくらいの年齢の子の我儘っぷりに翻弄されて子供にあまり耐性のない人間なのでトラウマになったいたものを思い出してしまいました。その二面性を使い分けるウッディ・ノーマンは凄いなと思いました。
まぁそれ抜きにしても映画としての魅力を感じない作品でした。叔父と甥っ子の日常風景を何の変化もなく見せられてもふーんって感想しか出てこないくらい成長が感じられなかったです。所々に監督流の子供との向き合い方を押し付けられていてとてもむず痒かったです。ジェシーを甘やかしすぎて今後モンスターになる可能性も否定できないので、監督とそもそも子供という生き物との関わり方が全くを持って違うんだなと思いました。
エンドロール中もずっとインタビューが流れていますが、キャスト陣も流れながら字幕も出てと脳に送られる情報が多すぎてややパンクしました。あと変化の無さすぎさとシアターの椅子の気持ちよさに5分ほど寝ました。申し訳ない。
鑑賞日 4/26
鑑賞時間 13:50〜15:50
座席 F-3
心を抉られるコミュニケーション
ひさしぶりに映画館に行くのに、リハビリ的な映画を選んだつもりだったのだが、完全に心を抉られてしまった。
伯父さんと甥っ子の触れ合い映画、回復映画としてほのぼの癒されて観ることも勿論できたと思うけど、皆、誰もが決して全てを素直に口にできないまま抱えていることが多すぎる。だから「ペラッペラ」な言葉で表現するし、決まった理論の台本を使ってコミュニケーションしようとする。
あのような父親を持った子、どこかそこに「将来の自分」を見てしまう子、自分の感情を「奇妙な」様態でしか伝える術を持たない子。そして親と子、兄と妹のうっすらと見える複雑な 関係性を見つめながら、「孤独が怖い、他人のことは完全に理解できない」という子どものインタビューがこだまする。
それでもやっぱり、人と人は近づけるし、分かろうとしあえる。大人は(かつて自分がそうだった)子どもの話を聞き、大人もまた不器用に感情を見せる。「大丈夫じゃなくても大丈夫」なのは、大丈夫じゃないと言える場所があるからなのだ、と思う。そういう場所が誰にでも必要だし、誰かの必要な場所になれたらいい。
ホアキン・フェニックスがこの作品にものすごく複雑味を足していると感じた。インタビューは台本なしで行ったそうだけども、ある時は奇矯にもなり得る性格俳優・ホアキン・フェニックスが子どもの話を聴く、というのが、なんというか、美しかった。そして子どもたちは語るのに飢えているのかもしれないとも。コミュニケーションが美しく見えるなら、それは多分コミュニケーションが足りていないからなのだ。
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