牛久のレビュー・感想・評価
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日本人必見の映画。全国民が見るべき。
これ絶対に見るべき映画。これ見ると「軍国主義・大日本帝國」を現代に受け継いでいる人々=入管職員の実態が伺い知れます。刑務所以下ですね。本当に酷い。
これが現実の姿。日本に住む人は皆知る必要があるのでは?
隠しカメラで撮影された様子と、収容されている人からかかった電話の声と、収容所の中で公式に撮影されているカメラの映像と、空港で制圧される様子をコマ送りの写真にしたものとが組み込まれて、誰が本当のことを言っているのか、誰が権力を笠にきて非人間的な行動をとっているのか、説明がなくても感覚で気がつく。
こういう映像こそ、公的に報道して国民全体で共有するべきこと。
外国人の犯罪をことさら報道して、外国人は危険、入国させるなという世論を作ろうとするマスコミも、なんらかの政府の意向を汲んでいるからこそだろうと、この映画を見て思った。
甘ちゃんの意見かもしれないが、私の知る限り外国人は恐ろしくもなく、言葉や生活習慣が違うだけの、同じ喜び悲しみ痛み苦しみを知る人だった。
祖国に居られればどれほどよかったろう。だがそれが命の危機や人としての尊厳が踏みにじられる場所になってしまったから、こうして日本にまで来ざるを得なかった。日本はおもてなしの国と聞いてたのに、こんな目に遭うなんてと彼らの絶望した暗い眼差しが訴えている。
祖国へ帰らないのではなく帰れない人たち
茨城県牛久市にある東日本入国管理センターに収容された人々の証言を通し、日本の入管収容所の実態を捉えたドキュメンタリー。
紛争などにより祖国へ帰ることができず難民申請をしている人も多いが、その声が施設の外に伝わる機会はほとんどなかった。トーマス監督が、施設の規制をくぐり抜け、当事者たちの了解を得て、面会室で9人の証言を隠し撮で記録したものがメイン。長期の強制収容や非人間的な扱いで精神や肉体を蝕まれ、日本という国への信頼や希望を失っていく人々の姿を映している。
入管の理不尽さは、東京クルド、マイスモールランド、いろいろ観てきたが、これも酷い不都合な真実だと思った。
隠し撮りの手法については是非が問われるかも知れないが、ではなぜ撮影がいけないのか、罪人でも無いのに刑務所並みの施設に収容されなくてはいけないのか、自分が逆の立場になって考える努力をするべきで、上から目線の入管は要らないとさえ思った。
石川大我参議院議員が予算委員会で質問したのは一歩前進かも。
とにかく「おもてなし国」にしてもらいたいし、なって欲しい。
いま、劇場に足を運んで観るべき作品。見逃さないで。
圧倒的に「ちゃんと」つくれば、記録すれば、そしてその時に対応していれば、歪んだ国や教養の無い権力は何も言えない。陰でコソコソするだけだ。そこに反知性が吠える余地は無い。歴史を改変しようとするような異常な動きも抑えこめる(はずだ)。
この映画を観てあらためて感じるのは、やはり暴力や差別や戦争に立ち向かえるのは、知性と芸術、つまり頭と心なのだなという気持ち。冷たい雨の降り続くなか、終映後にトーマス・アッシュ監督と少しだけ立ち話をする機会を得たが、この映画がもっと大きな映画館で上映されもっとロングランし、ひろく宣伝され後には無料で配信され、そしてちゃんと作家にもクルーにも配給にもきちんと儲けが出るような世の中になってほしいと強く思った。
「隠し撮り」という手法が妙に取り上げられるが、これは覗き見をしたり犯罪まがいの行為をしているわけではまったくない。知ってしまった暴力に、気づいてしまった理不尽さに、人間が立ち向かうための力強い一歩なのだと思う。観客や批評家やジャーナリズムがこれを応援しなくてどうする。この映画は、怒りや勢い(だけで)つくられたドキュメンタリーではない。構成も編集も秀逸な、これは力強い「作品」だと思う。必見。
今この国で起きていること
茨城の牛久は、私にとって思い出の地。のどかなところなのだけれど、この映画で、悪名高い入管の収容所があることを初めて知った。なかなか正視が難しい場面が多く、「これが伊勢志摩サミットで難民保護を謳った国で起きていることなのか?」と自分の無知ぶりを自覚した。
これは見た目には、白人警官が黒人を殴打している絵と変わらない。いやむしろ、周人監視の中ではなく、密室で行われていることに恐怖を覚える。ビデオカメラで記録されていても、それはさも当然だと、国家が守ってくれると言わんばかりの職員の振る舞いに、この国の歪みを感じる。
今日夕方にこの映画を観ることにしたら、予定外で監督のトーマスアシュが上映前に来て、協力を求めていた。開始は5分遅れだったが、この映画に込められたメッセージが殊更に伝わった。
これは戦争なのだと思います
日本の難民申請は0.4%の認定率であるという衝撃的な数字が出てきます。数字は嘘を吐きません。日本で難民として認められる人は相当に少ないのでしょう。しかし、嘘吐きは数字を使うとも言います。果たして、この認定率の低さだけで、日本の難民問題に結論を出せるのでしょうか? 日本で難民申請をする人たちと、他の国で難民申請をする人たちとで、その難民申請の背景は同じものと言っても良いものでしょうか? また、他の国の難民申請でも100%が認められる訳ではなく、50%を超える国は多くないようです。では、今回の映画に出演された方々の半分は不当に拘禁されている真の難民で、残りの半分は偽の難民申請をしている人たちで、長期間収容されても構わないということでしょうか? 恐らく事はそんな算術的に簡単に答えが出るものではないのでしょう。
まず、難民は当然ながら不当に長く拘禁されるべきではないと思います。真の難民は早急に申請を認められて収容を解かれるべきだと改めて思いましたし、そのためにも、申請者の出身国の情報に明るい人たちが一人でも多く、難民申請の審査に関わるべきだと思いました。そして難民申請の審査を入管がすべきなのか疑問にも感じました。
出入国管理は、いわば、日本の治安を乱すような人物を日本に一人でも入国させない、既に入国している場合は、一人でも多く日本から出国させるよう水際でのコントロールを行うということですから、入管の職員の方々は非常に熱心に素晴らしい仕事をされていると思います。その一方で、難民認定というものは、それとは逆に、不法入国や不法滞在など明らかに犯罪とされる行為を行っている場合であっても、母国に帰れないという特殊な事情のある人たちに、例外的に日本での滞在を認めることなのですから、同じ役所の職員に難民申請の審査までさせるという制度そのものに無理があるように感じられました。
このような制度上の問題や不認定の際の理由の説明が不十分なことから、収容中の難民申請者の方々は入管を信用できなくなるのでしょうし、入管の職員の方々も難民申請者の方々の話を簡単には信じられないのではないでしょうか。お互いがお互いを信用できないからこそ、そして長期収容のストレスなどの事情も加わって、劇中にあったように、お互いを噓つき呼ばわりして揉めた挙句に、職員が被収容者を制圧することになるのだと思います。
「制圧」そのものについて、1人に対して5~6人で押さえつける様子を非人道と考える向きもあるかとは思いますが、あれだけ体の大きな人が暴れだしたら、5~6人で制圧することになっても仕方ないのではと思いました。レスリングの試合をしているのではないのですから、1対1で対応する訳にもいかないでしょうし、速やかに制圧するには、あの人数は妥当なのではと思いました。ただ、問題は、制圧の際に、入管の職員の方が彼に「あなた『も』嘘吐きだ」だとか「あなた『だって』嘘を吐いている」と言っていたことが気になります。「も」ってことは、入管「も」噓を吐いているということですよね。夫婦関係であれば、これだけ拗れたのであれば離婚を勧められるような関係ですが、今の難民申請の制度内ではそうもいきませんから……。やはり、難民申請の審査を入管の業務から外す法律を作るべきなのではと思いました。
そして収容が無期限なのも問題だと感じました。仮に、嘘を吐いて難民申請を繰り返している人だったとしても、際限なく収容して、人権を制約し続けても構わないと判断してもいいのか悩むところです。いつまでも外に出られないから、自分の命を武器にハンストを行い入管を脅してくる方々も出てきますし、中には命を落とされる方もいらっしゃるのでしょう。入管で餓死された方がいらっしゃるというニュースを初めて耳にした際には、どうしてそのような事が起こるのかと不思議に思ったのですが、劇中で被収容者の方が「入管とファイトする」とおっしゃっていたように、彼らは入管と戦争をしており、唯一の武器が自分たちの命ということなのでしょう。非常に痛ましい話です。
また、仮に仮放免が認められて外に出ることができたとしても、就労が認められないことから、住む場所や食べる物がなくて困るのは、火を見るよりも明らかなことです。そうすると、別の映画の東京クルドであったように、不法に就労する人たちも出てくるのだと思います。大企業から不当な金額で仕事を下請けさせられている中小企業が、彼らのような就労許可のない外国人を廉価で雇うという、現代の奴隷制度が日本で行われているわけです。バブル時代の不法就労の外国人から現代の技能実習生に至るまで、私たち日本人は、外国人を奴隷として酷使し続けているわけです。そして安い賃金でも奴隷が働くので賃金はいつまでたっても上がらない......。このような構造的な不公平や不平等な富の分配を認めながら、入管のみを問題と考える人たちが多いことが不思議でなりません。
また、難民申請そのものについては、母国で命の危険に晒されている人が証拠をきちんと集めて出国できることを普通は期待できないことを考えると、証拠が十分に提出できないから難民として認めてもらえないということを避けるためにも、制度としては、嘘を吐いて難民申請をしている人たちも含めてある程度の数の人たちを難民として認め、収容を解く制度を認めるかべきかどうかを考えるべきなのだと思います。もちろん、その場合は今以上に嘘の難民申請が増えるでしょうが、その辺りを含めて、どれだけ私たちがそれを受け入れられるのかだと思いました。
いみじくもコロナのために仮方面で収容を解かれた難民申請者の方々も増えたようですので、この映画を見て、入管に対して憤りを覚えた人たちが、今後どのようなアクションを起こすのかも問われているのだと思います。生活に困った彼らが犯罪に手を染めないようにボランティアとして彼らの生活を支える手助けをするのか、どこかに募金などをするのか、何らかセーフティネットができるよう法律の制定や改正に向けて運動を行うのか、あるいは友人とお茶をしながら入管は酷い所だよねとお喋りをするだけか、あるいは......。
あまりの衝撃に痺れっぱなし
2022年劇場鑑賞15本目 名作 85点
当サイトで目当ての作品の合間に観るのを探している時に見つけて、鑑賞。
3月中旬現在、劇場鑑賞20本ほどにして暫定1位に君臨しました。
多分、今年のベスト5に入るほどに衝撃的で、この事実をこの時期に見れたことに感動しました。
もちろん協力してくださった収容者の皆さん目線の映画なので、エコ贔屓じゃないけど多少のよいしょはあるかもしれませんが、それでも収容所での出来事や日本の現状、諸々を教養として得ることができただけでも、お金を払って観るに値する作品だとつくづく思います。
当サイトを利用していて、なんかこの映画異様に評価高いなあと思ったそこのあなた。
騙されたと思って見て欲しい。
是非。
仮放免では仕事出来ない
外国人と仕事をしていると、その矛盾はあたりまえに知るところだが、関わりのない日本人にとってはあまりにも関係のない事かもしれない。
しかもその理不尽さは、なにも出来ないと思われ、半ば諦めに近い状態で放置されていた様に感じていた。
しかし、続々と最近この様に公の場で取り上げられている事に、その労力と勇気を感じないではいられない。
この作品の対象者も言っていたが、グレーな部分を利用して難民の対象になり得ない外国人が、利益を得るためだけに滞在しているのも事実だったりするが、全てがそうでない事ぐらいバカでもわかる。
生ぬるい国会の質問シーン。大丈夫じゃない日本丸出しだったな。
東京クルドでもそうだったが、入管職員の態度ってどうにかならないもんですかね。
自身、窓口での態度にも直面した事があるので、強く共感しました
彼らがみた、カネも心も失った国、ニッポン
これほど不愉快で怒りを感じさせられる作品はない。もちろん作品そのものにではなく、当局の姿勢に対してである。
日本は国際交流の場で外面だけよくみせているものの、内実は非人権的処置をとり続けている。これは当局だけに問題があるのではなく、私たちの心の奥底に沈む、外国人に対する無関心で不寛容かつ人種差別的な精神のあらわれだ。
実際、難民条約に批准しているにもかかわらず、アジアやアフリカ諸国の人々に対し難民をひとりたりとも受け入れない姿勢を貫いている。反面、日本人が引き受けない単純な重労働に対し「技能実習」という屁理屈をつけて自分たちに都合の良いように「消費」している。
入管施設は私たちの予想以上に過酷な環境の「牢獄」だ。彼らは何も罪を犯していないのに、長期収監と暴行という罰を受け続けている。
彼らが施設の中と外から垣間見たのは、他者を思いやる経済的余裕も精神的な寛容性も失った国、以前は先進国とよばれたニッポンの実情だった。
そして、スクリーンで告発されていたのは、無関心を装う私たち自身の姿勢だ。
これは難しい問題ではある。
確かに、難民をよそおい、犯罪者や日本でお金を稼ぎたい人達が、入国してくる可能性はある。
しかし、本国に強制送還すると、生命の危険がある場合は、難民として保護しなければならないというのがタテマエだ。
かといって、難民を救う仕事など、やったところで出世するわけでもなく、公務員や政治屋がやりたがる仕事ではないだろう。
本音のところは、何週間か仮放免するわけだから、どこかへ姿をくらましてくれることを願っているのではないだろうか。
そうはいっても、日本に知り合いや家族がいる人たちは、どうにか生活できるのかもしれないが、本当の難民である場合は、本国から逃げて、日本に来ているわけだから、逃げようにも、逃げるところがないのかもしれない。
人間は日の当たるところを歩きたがる。
数百人程度のことであれば、政治的に解決していけば、異国から来て、苦しむ人もいなくなるだろう。
この問題に関しましては、専門家や知識人による委員会を設置し、その中でご議論をしていただき、適切なるご対応を行っていただきたいと、願ってやまない訳であります。
しかし、素人の人間捕獲術は見苦しい。不謹慎だが、笑うしかない。
大人だから、何か考えよう。他に手段はあるよ。
「東京クルド」に続く難民問題映画!ぜひ劇場でお確かめください!
愛無き世界
衝撃があまりにも大きい。仕事ならば全て許されると思っているのか?弱者を虐待するのが心地良いのか?あまりにも酷い世界が牛久入管の実体である。そこにいる職員は自分が何をしているのか分かっているのだろうか?そのやっている仕事を親兄弟妻子供に見せられるのか?権力を行使する心地良さに酔っているのか?人間の愚かさが際立つばかり。難民申請を出しているだけの人々を犯罪者のように扱う施設。そこは実質的には刑務所である。14日間の仮放免を受けるためにハンストをして、ドクターストップがかかって始めて許される現実に激しい怒りを覚える。しかし、これは他人事ではない。先進国から転がり落ちている途中の私たちが難民になる可能性がないとは言えないだろう。片や入管の職員のような振る舞いを絶対にしないと言えるだろうか?この日本社会において、自分の態度を貫けるだろうか?周囲の同調圧力に否を突きつけられるだろうか?結果は、毅然とした態度を取れずに陰にこもって呪詛する言葉を吐くだけではないだろうか?そんな、ネガティブな感情は共有しやすく、その捌け口を陰湿な感覚で見つけ出す。その瞬間に、人間性を棄てる第一段階をクリアする。私たちは特にその様な状態になりやすいのではないか?個人を認めない国柄が間違いなくある。それだけに、日本人はその内面に確固たるものを持てない弱さを実感しているのではないだろうか?絶対に認めたくはない暗い心の一面として。
0.4%
日本の難民認定率である。つまり、日本は、難民条約の加入国で形式上は難民申請を受け付けているが、実際は「難民お断り」の国なのである。その結果、牛久では難民申請者を非人道的に処遇する施設が国によって運営されている。「されていた」ではなく、「されている」のである。
深刻な内容のドキュメンタリー映画を観た後は重い気持ちになることがあるが、この映画は、そうした気持ちだけでなく、無力感・脱力感をももたらす。それほど、この映画は、圧倒的に非人間的・非人道的な権力行使が、入管法に則って(難民条約には違反して)合法的手続で進められている事実を可視化し、観る者の心を打ち砕く。
おそらく、多くの人は、ウィシュマさんの事もあって、こうした事を薄々察知している。しかし、自分の国のそんな残酷な現実は見たくはないだろう。私は映画を観てしまったが、「こんなひどい政策は変えるべきだ」という怒りよりも無力感が強かった。情けない話だが、年々、この国は、もう良くはならないという絶望感が深まってる。しかし、この残酷な現実から目を逸らす事も、おそらくは精神を蝕む。無意識的に視野狭窄の状態に自分を矯正し、優れた芸術・学術ほど多量に含んでいる《不都合な真実》から目を逸らし続けなければならないから。どちらを選ぶかといえば、私は残酷な現実から目を逸らさない方を選ぶ。たとえ絶望を深める事になっても、優れた芸術・学術に接したいから。それに、絶望的な状況でも諦めずに闘い続ける収容者の人々がいる事を、この映画は教えてくれる。絶望という態度も非当事者の特権的嗜好品なのかもしれない。
先頃、岸田首相は「人道的見地」からウクライナからの難民受け入れを表明した。これを牛久に収容されている人々は、どのような思いで聞いただろうか。
《付記》パンフレットは、1000円と高めの値段ですが、日本の難民政策の問題点の解説や監督のインタビュー等、充実しています。
この国の縮図
昨年のウィシュマさん事件や、映画『東京クルド』で日本の入管への疑問、というかはっきりとした「腐敗」を感じ、以来入管についてはできる限り情報を集めようとしている。
この映画も公開前から気になっていて、公開初日の今日、早速観てきた。
入管内は撮影NG。刑務所でもないのに撮影ができない時点で後ろめたいものがあるのだろうと窺い知れる。入管もすっかり悪名が高くなった。
トーマス・アッシュ監督自ら施設の難民に面会し、隠しカメラよって撮影した。映画の内容はこの「盗撮」が大半を占める。
出演する難民たちは口々に牛久入管がいかに酷い場所であるかを語っていく。それはおそらく真実だろう。映像を観る限り、私にはそう思えた。
中盤のデニスへの「制圧」の動画が痛ましい。動画は数人(5、6人はいたか)でデニズを力づくで押さえつける場面から始まる。デニズは抵抗し、叫ぶ。職員たちは「抵抗するな」と言うが、はっきり言って無茶だ。数人が力づくで身体の自由を奪おうとしてきたら、抵抗するのが当たり前だろう。さらに職員たちはデニズを力で拘束するだけではなく、はっきりと「痛み」を与えて言うことをきかせようとしていた。顎や首のあたりに指をめりこませ、呼吸をできないようにしていた。
見ているだけで気分が悪くなった。とてもショッキングな映像だった。
デニズを「懲罰房」へ連行すると、デニズと一人の職員の口論がはじまる。デニズの部屋で、先にどっちが手を出したとか出さないとかそういう話なのだが、互いに相手を責めるばかりで平行線だ。職員のおっさんもだんだんキレていって怒鳴り散らしていた。おっさんがブチギレている間、周りの他の職員が黙ったまま俯いて気まずそうな様子だったのが滑稽だった。
どっちが先に手を出したのかは、証拠の動画がないので私にはわからない。だが最初の時点でカメラを回していない(記録を取っていない)のが、そもそも入管側の落ち度なのだ。その点をデニズは指摘するが、職員側はしらばっくれていた。卑怯だ。
一体何の権利があって、彼らは難民にこのような酷い仕打ちをするのだろう。収容施設は刑務所じゃない。難民は犯罪者じゃない(犯罪者であっても人権無視は言語道断だ)。
ムショより酷い場所、それが入管の収容施設だ。
刑務所には刑期がある。定められた日数が経過すれば、外に出られる。入管にはそれがない。
難民たちは、施設をいつ出られるのかわからない。これは、刑務所で過ごすより過酷ではないだろうか。常人ならば、確実に精神を病む。終わりの見えない地獄だ。
ここにきて、コロナが幸いした。施設内での「密」を避けるために、大量の仮放免が出た。だが、難民たちは不安を抱えたままだ。仮放免はいつ終わるとも知れず、明日いきなり施設に再収容される可能性もあるのだ。希望と絶望が入り混じり、施設を出た難民たちは精神が不安定になっていた。
トーマス・アッシュ監督は参議院議員の石川大我議員に接触し、牛久入管の現状を伝える。石川氏は入管の改善を進めようと努力をする。
石川氏は国会で当時の法務大臣の森まさこ氏に、入管についていくつか質問をする。この森まさこ法務大臣の答弁が酷い。まさに木で鼻をくくったような、通り一遍の回答しかしない。(自民党の伝家の宝刀・専門家と協議します、個別の案件にはお応えできません、だ)
さらに森まさこ大臣は予想外の質問にはしどろもどろになって、まともに答えることができていなかった。映画館の場内で失笑が漏れるほどの醜態であった。こういうのを見ると国会中継は普段から見ておくべきだと思う。ただ私は全く笑えなかった。この時点で私は怒り心頭で、笑う余裕はなかった。森まさこはポンコツだということはわかった。
去年から入管というものを考え続けてきて、入管内の様々な問題は入管単体の腐敗が原因ではないと感じている。日本政府、与党にも多大な責任はあるだろう。
映画内で、収容されている難民のニコラスが鋭いことを言う。税金を費やして難民を入管に収容し続けるよりも、難民を正規に認め、働いて納税してもらうほうが日本の財政にとっても有益だということだ。全くもってその通りというか、言わてみれば中学生でもわかるような話だ。だが、日本の政府はそれをしない。超少子高齢化、働き手不足がさけばれる日本で、労働者が増えることは望ましいことのはずだ。外国人が日本人の職を奪うというようなこともないだろう。
日本政府は中学生より馬鹿なのか。そんなことはないと思う。では、なぜニコラスの言ったような対応を日本政府は取らないのだろうか。ひとつに、日本を支配している層が保守的で、排外主義的だということがあるだろう。だが、それだけではないと思う。ここに、私は民主主義の限界のようなものを感じている。大多数の国民が政治に無関心であれば、その国は腐敗し続けるだけではないのか。
今日、映画館のある渋谷では、ロシアのウクライナ侵攻への反戦デモをやっていた。
ニコラスはなにが「おもてなしの国」だともぼやいていたが、まさにその通りだ。私は「日本人として云々」というようなアイデンティティはあまり持ち合わせてないが、それでも日本人として恥ずかしくなった。滝川クリステルはこの映画を観ろ。進次郎も。
公開初日で舞台挨拶があり、トーマス・アッシュ監督はじめ、映画の出演者たちも何人か見えていた。仮放免が現在も続いていることに、ひとまず安堵する。皆、服装がオシャレだった。デニズは明日(2/27)が誕生日らしい。
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