生きる LIVINGのレビュー・感想・評価
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彼の最後の生き様に生命を吹き込んだもの。
実話モノでもない限り、映画の「つくり」としては、脚色ということもあり、必ずしも世の中で行われているありのままを描かなければならないというものでもないと、評論子も思います。
しかし、架空の会社を舞台とするならばいざ知らず、「市役所」という実在の組織を舞台に据えるのであれば、そこでの仕事ぶりや、織りなされる人間関係などが、あまりにも実際と乖離しているというのは、いかがなものかと思ってしまいます。
(A県のさる漁港が舞台のはずで、確かに映像は漁港の風景なのですが、画面に映し出される漁船は、何故かどれもB県知事から登録番号の配付を受けた漁船ばかり…などというのは、製作上のご愛嬌。)
元作は、死期の迫った市民課長自ら(市民課)が、市民から陳情のあった公園を、トップダウンで作ってしまうという、およそ「ありえへん」ストーリーでしたが、本作は、死期の迫った市民課長が、強力に働きかけたり、政治力(市議会議員?)を利用したりして、関係各課に公園を作らせるという、無難なストーリー。
まぁ、公園造成のノウハウも資源も持たない市民課としては、できることは、やはり関係各課に動いてもらうよう働きかけることが、せいぜいだったはずです。
その点では、元作よりも、ずっと現実に即した「観やすい」一本に仕上がっていたように思います。ウイリアムズ課長(ビル・レイ)の生き様を重ね合わせても。
そして、その陰には、市役所職員の実際の働きぶりについて正確な取材が行われたことが窺われます。
「役人の働きぶりは、こんなもの。」という決めつけ(?)で作られたような元作とは違って。
そして、その正確な取材が、本作やウイリアムズ課長の(最後の)生き様に生命を吹き込んだと言えると思います。評論子は。
かつて「マルサの女」が封切られたとき、「自分たちの仕事に、よくぞここまでスポットライトを当ててくれた。」と、日本全国の税務職員がスクリーンの前で涙したと言いますが(真偽の程は不明?)、それも、税務の現場についての徹底した取材がバックボーンとしてあってのことと、評論子は思います。
黒澤明の偉大さ
黒澤明の「生きる」をある意味で忠実に再映画化。
ただし、ユーモアとハラハラドキドキはなくなっている。(告知のシーンが一番笑えたし、ヤクザにも脅されるし、そして何より暇がない、暇がない、私には人を憎んでいる暇はない、志村喬の鬼気迫る名演が、、)
1952年製作の日本映画を1953年の英国を舞台に置き換えて再映画化する意味はあったのか。
(ポリコレ気にしなくていいからかな)
黒澤明はストーリーだけでなく見せ方も上手い。
シリアスな題材でも娯楽作品に仕上げてしまう。
本当に偉大だったんだな、と改めて思いました。
今作も悪くはないけど、真面目すぎて。
今作を観て感動した人も、いまいちだった人も、ぜひオリジナルを。黒澤の「生きる」を観ずに死ぬなんてもったいないですよ。
人生とは?他人のために生きる。80点
この映画はとても感動的でした。人の寿命が短くなると、他人のために頑張るようになるのかと思いを巡らせました。
また、自分の身内に対して自分の寿命が短くなったことを伝えるのは難しいかもしれませんね。同じく、職場の同僚に対しても、自分が死について考えていることを打ち明けるのは難しいかもしれません。
人間ドラマが薄く期待外れ
黒澤作品見ずに行きました。
何故、主人公は、やる気を出したのか?
主人公は家族に厄介がられているお爺さんなのか?
なのに、息子は嘆いているのか?
主人公も他の人物も感情変化のきっかけが分からないので、見てるこちらも感情を揺さぶられないまま、しらーっと終わってしまいました。
特に前半はとつとつとし過ぎていて、かなり辛抱させられました。
どうやら黒澤作品とほぼ同じだが、最後にお通夜で参列者が主人公は何をしていたか語り合い、喧々諤々やり合うという場面がなくなっているらしいので、そのため主人公の感情変化の種明かし的な部分がなくなってしまったのかもしれない。
感動を期待してハンカチまで用意していたので残念。
脚本のキレがいい!
冒頭から1950年代の古きロンドンのノスタルジックな世界観に引き込まれた。
洋の東西問わぬ男社会の事なかれ主義。書類の山が今ではオンライン化されて可視化されていないだけなのかなあとも思った。そして21世紀の今だってきっと、本気でスピーディーに確実に仕事を成そうと思ったら、やっぱりリアルに目を見て息遣いを感じての交渉がマストだよね!と再認識させられた。
無駄のない、キレのいい脚本のおかげで、集中して鑑賞でき、登場人物たちそれぞれの立場全てに感情移入できた。
残された時間を突きつけられた時、「何に」コミットするかは最重要ではない、例え小さな達成事例でも、その記憶は残された人たちに確実に伝承され、影響を与える。最後は涙なしに見られなかった。
声かけをせずに人知れず悩みを抱えていた若い巡査さんのカタルシスに立ち会えて良かった。若いカップルの誕生も微笑ましく、後味が良かった。
(以下邪推):ところで、男性が息を引き取ったブランコって、いわゆる事故物件なのだろうか。その後も気にせずに皆んな乗り続けたのかな?
生きる、とは?
ビル・ナイが慎ましくてとまどうがステキである。
(お見かけする役はたいがいクセが強いため)
いきなり本題だけど、生きるって必ずしも大きなことを目標にしたり、成し遂げなきゃいけないわけではないよな。結果自分が満足できればいいはず。
ただ社会や家族の中の一員として、ルーティンがあるのならそれが一番楽なのもわかる…
楽すぎて生きてない、ミスターゾンビ。
ルーティンを打開しようとして転職するけど、怒られてばっかりの彼女。
大仕事をしているわけではないし苦難の道でなくても、自分が満足する人生に振り切るのはなんだかとても難しい、と思う。
スモーキーな画面とアナログなクレジットのフォントがすてき。
フォートナム&メイソンのパフェと、嫁のシェパーズパイが気になる。羊みたいなうさぎのぬいぐるみもいいな。
時代を超えて残っていく様な素晴らしい映画だった。この映画の原作が日本映画というのも誇らしい。大きく感動させられた
オリバー・ハーマナス 監督による2022年製作(103分)のイギリス映画。
原題:Living、配給:東宝
黒澤明監督作は、残念ながら未視聴。
物語の語り口がとても素晴らしくて、随分と感動してしまった。
この原作が、黒澤明 、橋本忍 、小国英雄共同脚本というのも、嬉しいところ。調べてみると、物語の半ばで公務員の主人公の葬式が登場し彼の情熱的な行動を思い出すという展開、更に彼の死後も役所的仕事は変わらなかったとのオチも、原作と同様であった様だ。
役所の市民課課長を演じたビル・ナイも、無気力で部下にゾンビと言われた無気力な姿と、余命を知ってからの他部署と粘り強く交渉する理想的公務員を演じ分けて、凄く良かった。
部下課員で転職したエイミー・ルー・ウッドも、初々しくて主人公が元気を貰う若い女性をナチュラルに演じていて、好感を覚えた。
妻に操縦されて冷たい対応も本質的には父親思いの長男の設定などは原作とは異なるらしく、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本も、心に染みた。そしてやはり最後、公園で雪の中、故郷の歌を唄いながらブランコを漕いでいたという主人公のエピソードと映像、それを公園で聞かされるのが市民課の新入りだったアレックス・シャープという構成が、志しの引き継ぎの希望も見えて、とても胸を打った。
時代を超えて残っていく様な素晴らしい映画だ。こういうリメイクなら大歓迎。黒澤作品も是非とも見てみたい。
監督オリバー・ハーマナス、製作スティーブン・ウーリー、 エリザベス・カールセン、製作総指揮ノーマン・メリー 、ピーター・ハンプデン、 ショーン・ウィーラン 、トーステン・シューマッハー、 エマ・バーコフスキー、 オリー・マッデン、 ダニエル・バトセック、 カズオ・イシグロ 、ニック・パウエル。原作黒澤明 、橋本忍 、小国英雄。脚本カズオ・イシグロ、撮影ジェイミー・D・ラムジー、美術ヘレン・スコット、衣装サンディ・パウエル、編集クリス・ワイアット、音楽エミリー・レビネイズ=ファルーシュ。
出演
ビル・ナイウィリアムズ、エイミー・ルー・ウッドマーガレット、アレックス・シャープピーター、トム・バークサザーランドトム・バーク。
人生の最後に何ができるか
この映画は人生の残り時間がテーマになっている。先日観た『イニシェリン島の精霊』という映画も趣は違っても同じテーマが扱われていた。登場人物の一人が、人生の残り時間を考えたら余生は作曲に専念したい、話のつまらないやつといつもまでも付き合っているのは時間の無駄だと自分の親友に絶交をつきつけるという出来事から始まる物語だった。人間というのは人生の残り時間が少なくなってくると、生きている間に何かを成し遂げたい、何かを残したいと思うようになる。自分自身も50代となり、会社での残り時間を意識するようになってきた。こういった映画を観ると明日からの生き方を見直そうと決意するのだが、組織の中では、結局、ルーティンワークに慣らされているためにその保守的な空気に抗うことはできず、高い志はいつのまにか消え去ってしまう。映画でも、ウィリアムズ亡き後、職場の同僚たちはその遺志を継ぐことを一度は誓ったが、いざ職場に戻ると新しい上司の元でまた以前と同じように官僚主義的な業務を繰り返すというシーンが描かれている。
余命半年と告げられたウィリアムズにはほとんど時間がない。定年までに何かを成し遂げたいというならまだ計画の立てようもあるが、残された時間が数ヶ月では一体何ができるのか。書類の山の中から今までたらい回しにされていた公園整備の陳情書を探し、決意した。「市民課が先頭に立って取りまとめるべき事案だ」部下たちを連れて現場調査に出かける。
この後は、葬儀のシーンが映し出され、ウィリアムズを偲ぶ証言が次々に展開されていく。ウィリアムズの粘り強い交渉の末、公園建設は成し遂げられた背景が描かれる。最後は仕事で結果を残すというのはなにか日本人的な感じがするが、英国人にも通じるものなのか。人生の最後に何をするのかというのは人間にとって究極の問いになるが、いつ何が起こるかわからない人生、日頃から自分には何ができるのか考えておきたいものである。
ウィリアムズは何故ゾンビ化してしまったのか
単調な日常に知らず知らずのうちに飲み込まれてしまったというようなセリフがあったが、日々のささやかな変化、ウィリアムズにとってはリスクを避けコピペのような生活を送ってきたのは彼自信である。心に湧き上がる欲求、欲望に蓋をし無視し続けた結果、人生の最期になって焦って何かしようと思っても肝心の心が何にも反応せず、ただ空虚な時間のみ過ぎていく。医師から余命を宣告されても大したことじゃないんだと正面から向き合わない、自身の心と向き合えない始末。反対にマーガレットは天真爛漫で、パフェをおいしいと喜んだり、同僚に妙なニックネームをつけたり、折角の仕事をあっさり辞め畑違いの仕事に転職するなど人生の一瞬一瞬を自分の気持ちに忠実に生きており、ウィリアムズにはとても眩しく映る。
人生を如何に生きるべきか。人生は決して生まれてから死ぬまでのラインではなく毎日の集合であり、毎日は更に細かい時間の集合である。パフェが美味しい幸せだな、と感じない人が充実した人生を送れるはずがない。
最後にウィリアムズが公園のブランコで幸せそうだったのは、プランが成功したからではなく、きっと失敗もあったろうが毎日自分の思いを無視せず、自分の心に忠実に生きたせいだと思った。
生きるとは
名作が続くから最近は泣いてばかりです😂
生きるとは、ただただ生活をしていればいい訳じゃない。
余命宣告される前後でウィリアムズの表情が180度変化していく。
表情だけではなく、行動にも現れ
いままで空虚感でしかなかった"生きるゾンビ"でしかなかったウィリアムズ。
人生を見つめ直す。
人生を生き直す。
誰かのために何かをすること。に気が付き
自分だけじゃなく周りも変えていく。
あぁ、名作ですね。
日本の名作をイギリスがリメイクしたこの作品。
ぜひ劇場で…😊
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命短し恋せよ乙女
カズオイシグロが脚本の
黒澤明の生きるをリメイク
ビルナイが志村喬だな。
人は、命に限りがあるとわからないと自分らしく生きれないんだね。
今日限りの命だと思い働き
命は、限りなくあると思い学べ
って誰かが言ってましたね。
お役所の仲間も意思を継ぐと宣言しても
日常に流される。
だから
ときおり
遊び場をご覧なさいと
僕も
忘れたら
映画によりまた忘れないようにしたいね。
幸せと生きがい
イギリスの田園風景が綺麗で落ち着いた時間を過ごせました。✨
ウィリアムズが余生の過ごし方に途方に暮れながら、公務員として後世に残る仕事をやり遂げられて良かったです。
仕事も変えながら忙しいマーガレットに対して、
お金はあるけど時間がないウィリアムズが協力的なのが切なかったです😥
歳を重ねて偉そうな人にならず、他人への尊厳を忘れない丁寧な人を目標にしようと思いました…
ただ、時間配分が残念
「オットーという男」が良かったので「人生の終焉(シリーズ)」ということで鑑賞してみました。結論から言うと「(自分的には)今ひとつでした。前半(途方に暮れるところ)のグダグダが長すぎた感」がありました。もう少し前半のグダグダを短くして、後半の頑張り部分を長くして欲しかったです。俳優の演技はよかったので、ただそれだけが残念でした。
余談
どの国もお役所仕事はだめですね。できることなら顧客(納税者)評価の仕組みを組み入れて、納税者評価の低い組織の給与を下げて、納税者の評価の高い組織の給与を上げる等の仕組みを取り入れないとお客所は改善されないと思います。(⇒お役所の総給与支給額をかえないとう前提での、単なる一案です)
<主な基準(今後のためのメモ)>
4.5 観て良かったと感じた映画
4.0 おすすめできる映画、何かしら感慨を感じる映画
3.5 映画好きなら旬なうちに見てほしい映画
3.0 おすすめはできるが、人により好みが分かれると思われる映画
動くぬいぐるみの完コピ度に驚嘆!
オリジナル版『生きる』のどこがクールかと云えば、やはり後半の葬式からの展開に尽きるだろう。それまで主人公視点でリニアに物語を運んできたのに、いきなり本人の遺影の大写しからのけれん味溢れる展開は、観ていてどうしても前のめりになってしまう。何故なら我々が最も知りたい主人公のミステリアスな動向は、葬式に集まった人々の語る断片的な証言に頼らざるを得ず、不在の故人の物語を我々観客が補完する作業は、あたかもその葬式に列席して積極的に故人を悼み懐かしむような不思議なカタルシスを味わえるからである。で、この葬式の会話劇がたっぷり小一時間くらい続くのだが、『Living』の方は意外とあっさり終わってちょっと拍子抜けした。かなり冗長なオリジナル版の尺を刈り込む目的もあるのだろうが、まあ結果的に観やすくはなっていたので良しとしよう。あと、中盤の「悪所巡り」の場面も忠実にトレースされていて、非常に好感が持てた。
無の心。
黒澤明監督の「生きる」のイギリスリメイク作品。
え~私、黒澤明監督、もちろん名前は存じ上げていますが世代が違うのでこの方の作品全く観たことありません。
「生きる」を観たことある人は作品比較、否定出来ると思うんですが私この作品、作風もわからなくて・・・正直観ていてしんどかったのが率直な感想です。
作品否定はしません!ただ私との相性の問題。人物達のローテンション、しっとり寂しげなBGMがちょっとキツくて。
面白いとも、つまらないとも思えずまさに「無」で観てました。どのくらい無だったかというと座禅組んだら和尚に肩叩かれない位、無だったと思います!!
さらに例えるならボーっとテレビ観ていてヨダレ垂れてるのも気づかないでテレビ観てるくらい無でした。
何かお陰様で心が鍛えられた気分です!
まさにドラゴンボールZで例えるなら精神と時の部屋で1日過ごしたら、1年修行したのと同じって感じです!オッス!
原作を尊重し、イギリス風味を加味して生きることの意味に真摯に迫っている
黒沢明監督作品『生きる』をイギリスでリメイクした作品。原作をほぼ忠実に再現している。普遍的なテーマである生きることの意味に真摯に迫った作品である。苦悩、彷徨しながら、生きることの喜びを知った主人公の姿に、自然に涙が溢れてくる秀作である。
本作の舞台は1953年のロンドン。主人公・市役所市民課課長のウィリアムズ(ビル・ナイ)は、所内でMrゾンビとあだ名され、生きる希望を見失って働いていた。ある日、彼は、医師からガンで余命半年と宣告される。元気なうちに人生を楽しもうと考えた彼は、無断欠勤して、海辺のリゾート地に行き、歓楽街で派手に遊んでみるが、心が満たされることはなかった。ロンドンに戻った彼は、転職した元部下マーガレットと再会する。彼女の快活さに触れ、彼は、生きる喜びを感じずに死ねないと考え、職場復帰し、ある行動を起こす・・・。
余命宣告が彼に命が有限であること気付かせる。今までの生き方を猛省させる。しかし、どうすれば、生きる喜びが得られるか、彼には分からない。色々やっても空回りするだけ。
そんな時、自分の居場所を求めて転職した元部下マーガレット(エイミー・ルー・ウッド)に出会い、彼女の生き方に彼は覚醒する。陳情があった遊び場の造成に心血を注ぐ。完成した遊び場でブランコに乗っている主人公の満ち足りた表情に生きることの喜びが溢れている。名優ビル・ナイの表情、歌唱が心に沁みる。
主人公の葬儀が終わり、職場の仲間達は、主人公の遺志を継ぐことを誓う。しかし、組織に戻った彼らは何も変わらず業務を続けていく。組織に染まっていない新入社員だけが唯一の希望であるという現実的な着地点で物語は終わる。
主人公は行動することで、人生の終わりに、生きる喜び、生き甲斐を感じることができた。
明確な目標を設定し、諦めずにがむしゃらに行動していく。目標達成の充実感が生きる喜びとなり、目標未達成の悔しさが糧となり、次の目標に挑んでいく。それが生きることの醍醐味だろう。
静かできれいな映画
死を目の当たりにして、自分の生き方を振り返り、生き方を変える。
その生き方が、淡々と描かれていたと思います。淡々と、あまり起伏なく描かれていて、心を揺さぶられにくかったなぁと思います。
公園を作るために動いたけれど、時代背景を知らないからか、規模や人数や役所といったとこに惹かれなかったです。
生死、というテーマだからか、もう少し、心揺さぶられるセリフや動きが欲しかったなぁと思います。
黒澤明監督の傑作と比べてしまうと全然……
TOHOシネマズ日比谷にて鑑賞。
黒澤明監督の『生きる』を学生時代に初めて観てから何度も何度も観てきた者にとっては、このイギリス版リメイク作品は「やはり、あの最高傑作の足元にも及ばないもの」であった。
(※)初見は学生時代の1980年3月9日、並木座で鑑賞。その後、スクリーンでVHSでDVDで……繰り返し鑑賞。
本作、「オープニング・クレジット」と「エンドロール」に【原作:黒澤明の映画】と表記されている以上、「比べても良い」ということ。
人間の厭らしさを盛り込んだ脚本は、あり得ない。
――<これより先、本作を未見の方は読まれない方が……>――
黒澤明監督『生きる』は、「ある男の胃のレントゲン写真で始まる斬新さ」、「物語の途中で主人公の渡辺勘治(志村喬)が突然死んでしまって通夜に集まった人たちによって渡辺勘治の行動が描かれる素晴らしい構成」など、本当に素晴らしい傑作。
また、暗くなりがちな物語の中で、医者の診察を待っている志村喬に「軽い胃潰瘍だね…と言われたらそりゃ胃ガンだね」と言う渡辺篤。そして医者が「軽い胃潰瘍です」と発した瞬間には、映画館の観客が爆笑する…という笑いもあり、楽しいものであった。
今回イギリスでリメイクされた映画では、敢えて時代設定を1953年に設定しているが、これは役所のデスクに「山積みにされた資料を描くため」だと思われる。
そこのウィリアムズ課長(ビル・ナイ)が主人公なのは悪くはないが、リアルな余命宣告を受けて、課員の若い女性Missハリスと一緒にいるところを見て噂のタネにする…という下世話な低俗映画にするのは信じられない。黒澤明監督が、志村喬と小田切みきを描いた時に「あの二人は…」などという描き方をしたか!?
また、カレンダーが映されて「1953年7月、8月」と【欠勤】を続けるウィリアムズ課長にも違和感。
更に、ウィリアムズ課長の葬式で「公園を作ったのは彼か?」・「彼の手柄を奪った○○卿…」などと、公園作りを【手柄】という扱いで前面に出す表現もあり得ない。
しかし、何だか「黒澤明監督の傑作に、人間の厭らしさを含めると、こんな映画になります」と言っている映画に見えて、学生時代には黒澤明監督のヒューマニズムやダイナミズムに傾倒していた者には厳しいリメイクであった。
その他のキーワードのみ列挙…「ミスター・ゾンビ」、「『ナナカマドの木』という歌」、ケイリー・グラント出演映画『僕は戦争花嫁』など
<映倫No.49503>
冒頭で新入社員が現れる。駅で職場の人たちと合流した。彼が主役なのか...
冒頭で新入社員が現れる。駅で職場の人たちと合流した。彼が主役なのかな~と思っていたら、主役が登場。私の眠気が強く、記憶が曖昧だ。主役登場シーンは目を瞑っていたからどういったやり取りをしたか分からない。
役所につくと公園作って欲しいと言う3人の女性が現れる。新人に対応が任されるが、彼女たちは自分たちの方が詳しいと言う。
結局、いろいろと担当課をたらい回しにされて主役のところで受け取られた。
主役のウィリアムズは早退して病院に行くと余命が半年程度と伝えられる。帰宅したウィリアムズは明かりを点けず、ぼーっとしているが、そこに息子と恋人が帰ってきた。ウィリアムズは息子と話したかったが、断られて会話できなかった。
このあたりからもう眠くて、ほとんど見ていない。
気付くとウィリアムズは死んでいた。息子は病気を知らないようだ。
ウィリアムズは公園を作った。その公園でどうも亡くなったらしいな~。
警官は公園のブランコで幸せそうに歌を歌っているウィリアムズを見て、早く帰るよう声をかけれなかったことを後悔していたが、新人と会話して、声をかけなくて良かったんだと警官に話して、ストーリーは終わる。
デートしてる女性が不味そうなポテトを食べてたのがイギリスぽいなと思った。イギリスを知らんけどね。
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