生きる LIVINGのレビュー・感想・評価
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生きる意味
最近気力がなくて映画あんまり観てなかった
大好きなビル・ナイの主演でずっと観たいと思っていたのにようやく観ることができました
よかった…
淡々と仕事をこなす日々を送っていた男が余命を知り自らの人生を見つめ直す物語
私は生きる意味とか理由とかいう言葉が好きではない
『そんなものがなきゃ生きられないのか😡それが知りたきゃ足掻け!全力で生きてみろ!!』と思っているからだ
でもMr.ウィリアムズは見つけた
そこからの奮闘はダイジェストのように短かったけれどゾンビから力のある意志をもった紳士になった彼は凄く魅力的だった
他人の生き方を変えてしまうほどに
最期を知り、人生が輝く。
自分もそう生きたいと思った
気になる人物はサザーランド
まだ足掻いている途中だったMr.ウィリアムズしか見ていなかったと思うけど彼も生き方を見つめ直し始めたと思いたい
黒澤版生きるは未視聴だけどいつか観たいと思います
いや…先延ばしせずに探して観るぞ😃
過去を描く脚本が素晴らしい
黒澤明監督の「生きる」は未鑑賞のため原作との比較は出来ないが、リメイクされた本作も素晴らしい作品であることは間違いない。
特に素晴らしいのは過去を描いていく脚本。過去の出来事を振り返っていく逆展開の発想が非常に興味深く印象的でした。己の最期を知って人生を輝かせる主人公の生き方に強く共感しました。
2023-69
自分の人生に求めること
古き良き50年代のロンドンを観るだけで幸せ。
私たちは、今の生活がまだまだ続くと思っています。
目の前のやるべき仕事や家事、時間つぶしのSNSやゲーム、スマホに、貴重な人生を消費しています。
自分の余命が分かったら…、自分の本心と向き合わざるを得ない。
私は、余命が分かったら、まず、自分の後始末をします。
動産・不動産を現金化して、財産関係を整理します。
これは、祖父母、大叔母、叔父、両親の後始末をしてきた私の、最期の子どもたちへのプレゼントです。
それから、ひとりでヨーロッパに飛び立って、毎日日記をつけながら好きなだけかの地を堪能します。
誰かのために何かをするというより、最期のボーナスステージを存分に楽しみたい。
子どもを産んできっちり育てただけで、社会への貢献は十分かなと思ってます
(*^-^*)
そう、余命宣告受けなくても、あと1年しか生きられないとしたら今日、どうする?と自分に問いかけてみよう。
そしたら、多分、やりたいことはいくらでも浮かんでくるはず。
この映画を観て、30年以上前、学生時代に滞在したイギリスの風景を思い出しました、懐かしい。
コンパートメント式の列車、駅の風景、ダブルデッカー、ピカデリーサーカス、イギリス紳士。
うーん、やっぱり、イギリスが好き。
オリンピックで便利に様変わりしちゃった今のロンドンでもいいので、来年、行きたいです。
少しは円高になっているといいなあ(切実)。
抑制の効いた多くの人に見てもらいたい誠実な映画。
黒澤明監督の「生きる」は20代の頃に見た。もちろん封切り時ではないが、公務員として働き始めた時でいわゆるお役所仕事がユーモラスに描かれ、そこに突然激変する課長が新たな事業に取り組むというとても印象に残った映画であった。
自分もこうならねばならぬと思ったものだ。
今回の映画は、舞台をイギリスに移し時代もほぼ同じ1950年代前半である。お役所仕事的な日本の地方公務員とは違って身なりはとてもキチンとしていて言葉遣いもよく皆さん紳士であった。そのような状況でどのように黒澤映画をリメイクするのかと思いながら見ていた。大枠のストーリーは同じであったと思う。
個人的には日本語での微妙な言葉のやり取りや志村喬の表情などが、ユーモラスなシーンなどもあるのだが、英語の映画であることもあって印象のインパクトが違った。それは多分に言葉の違いなのであるが。
アメリカ人の友人と行ったが、彼も感動してくれて涙が出るシーンもいろいろあったといいう。特にラストシーンの意味するところに印象が残ったようだ。また年齢的にどう終末を迎えるかも考えさせられると。自分はその日をしっかり生きていくことを心掛けていると。
私も単純に「感動した!」というのではなく、自分に置き換えてどう生きていき、どう終末を迎えていくのか。感情を抑え、地味ではあるがいい映画であった。多くの働く人たち、高齢者だけでなく若い人たちにも見てもらいたい。
生きるとは、誰かのために行動することかな
1953年のロンドンで、仕事一筋に生きてきた公務員のウィリアムズは、妻を亡くした後も再婚せず、息子は結婚して同居してるが、人生は空虚で無意味なものと感じていた。そんなある日、ガンに冒され医師から余命半年と宣告された。残りの人生を充実したものにしたいと考えたウィリアムズは、仕事を無断欠勤し、預金をおろし、海辺のリゾート地へ来て、睡眠薬を欲しがってた男性と出会い酒を飲んだり、馬鹿騒ぎしてみたが、こんなことでは満たされないと知った。ロンドンへ戻った彼はかつての部下マーガレットと再会し、活動的な彼女と一緒に食事をしたり、映画を観たりして過ごす中で、自分も新しい一歩を踏み出そうと決意し、陳情の有った公園づくりに着手した。そんな話。
日本版のリメイクらしいが、黒澤明監督作は観たことないため新鮮な気持ちで観賞した。
公務員で陳情はたらい回し、よくある話だなぁ、って観てたけど、16ヶ月で辞めたマーガレットは活動的では有ったが、そんなに魅力的でもなく、影響を受けたというほど説得力はなかったかな。
生きる、とはなかなか難しいテーマだが、誰かのために行動する事で得られる満足感、とようなものなのかな、って思った。
黒澤明の作品も観てみたい、とも思った。
机の書類、俺と同じだった😂
原作有りのリメーク版と知り観た本作品は先入観も無く、ちょっとした人生のバイブル要素がありました。
英国紳士の気質を表していたし誰にも告げずにいた病状を彼女に告白、仕事に対しての姿勢や意欲を思い浮かべたりして奮起してしまう。
ウィリアムスは心の不安を打ち消すかの様に市民課の職員を巻き込み仕事に奮闘しなりふり構わずまい進する姿に強い意思を感じました。
主人公が他界し彼の功績を讃え意思を受け継いだ市役所職員達の姿が有りましたが果たしていつまで続くのかと心配する自分でした。
いい映画でした。
オリジナルをきちんと消化してイギリス的に置き換えた
昔見た黒澤明の「生きる」よりだいぶあっさりしてるけど、それなりに良い作品でした。
イギリス映画としてリメイクされたのが良かったと思う。
日本映画でやったらきっと、目も当てられないものになったと思う、椿三十郎の惨劇みたいな。
夜中に、雪の降る中を、なにやら歌いながら完成した公園のブランコを漕いでいるめっちゃ幸せそうなじいさん、という客観的には異様な光景を、巡査が目撃談を語る形で伝えて感動的になるのはオリジナルと一緒だけど、そこに至るまでがあっさりしているので感動もあっさりしていた。
主人公のキャラクターも含めて、オリジナルをきちんと消化してイギリス的に置き換えている。「ゴンドラの唄」を「ナナカマドの歌」にしたのも良い。
雪の中ブランコを揺らすシーンで、BGMがちょっとうるさく違和感があって、「ナナカマドの歌」の曲だけ流す、なら良かったのに、と思った。
オリジナルでは志村喬がとつとつと歌うけど、イギリス版のビル・ナイは歌がうまい。ミスター・ウィリアムズは音楽を嗜むような育ちなのが伺える。
…なんと、このシーンだけで彼らの育ちや人となりがわかるじゃないの!
改めてクロサワの「生きる」はすごい映画と再認識し、そしてイギリス版リメイクの質の高さを感じました。
地味だが、深く余韻が続く良作。
ゾンビ
黒澤映画のリメイク版と言っても 生きる を鑑賞してないからそこは解らないが 余命を宣告された者の感情の変化に日本的な情緒を感じた、その背景や環境に英国的な風情を感じた、紳士たるがゆえに向き合い方が解らない 死が迫ってきた者の共通の思いなのだろう それは老いて死期を迎えるものも同じような気がする 生きる意味 生きがいなどと表現するが若い頃に胸に抱いていた夢とそれを達成しながら生きてきた現状の先に死を目の前にして悲壮感しかないのか?
そんなことは無いと 仕事であれプライベートであれ向き合う事が 幸せ という生き方ではないのかと思ったリアルな自分に入ってきた作品だった、人は年老いて人生を見失う事が多々あるが死の直前にならないと探そうとしないのだなぁ 幸せの意味を理解する事はできるかもしれないが体現することの難しさはそれぞれの心の中にある気がします。今回は物語そのものについて考えてみました。
映画って良いですねー
それが生きるしあわせなのだろう
Kurosawa meets Ozu
黒澤明監督作品のリメイクだが、雰囲気、トーン、映像と丸で小津安二郎のオマージュである。オマケに主役のビル・ナイは笠智衆に面影が似ている。内容はオリジナルのプロットを忠実に踏襲しつつも、場面構成とオリジナルに足りなかった演出を付け加えて、オリジナルに劣らない素晴らしい出来映えとなっている。カズオ・イシグロのセンスが見事に結実されているようだ。「いのち短し恋せよ乙女」をスコットランド民謡「ナナカマドの歌」に変えたのも、秀逸である。過ぎ去ってしまった美しき日々を歌でまとめる手腕には全く脱帽である。細かな説明は控えるが、盗られた山高帽子の代わりのモダンな中折れ棒子が主役の心境の変化を映像だけで見事に語る。日本人がもし、このリメイクをしたならば、下手くそな売れっ子タレントを使った上に、恐ろしく陳腐で全くの駄作しか作れなかったのは想像するに難くない。最早、これだけ練られた脚本と映像はテレビ主体の文化的にも堕ちた日本では作れない。鑑賞後の感動が直様、暗澹たる気分させられるほどの秀作であった。
程よく良い
これはこれで良い
良かったと思える人生を送るために
生きて行く中で将来に夢や希望を持って行くのは当然ですよね。当然と言うよりそれは必然なのでしょう。若かりし頃に夢も希望も無い人の方がむしろ問題。でも人は慣れてしまうもの。若い頃の思いは叶わなくとも、日々を当たり前のように過ごし、何かに立ち向かう事も無い。そんな日常でも生きて行く事に支障は無く、いつも通り過ごす事に何の問題も無い。でもそれはただ生きているだけ。死んだように生きるのでは無く、もう一度若かりし頃の自分の思いを取り戻したい。癌による余命宣告を受けた役所の課長ミスター・ウィリアムズさんの残された日々を描く物語。名作「生きる」をリメイクしたもので、内容に大きな違いは無いと思いますが、こちらはこちらで実に心に染み入る作品だと思いました。ビル・ナイさんにはミスター・ウィリアムズが乗り移ったかのような演技、素晴らしいと思いました。人が覚悟を決めて何かを行動に移した時、それはまわりの人達をも動かす力になる事を見事に表現してくれました。そしてきっかけを与えた部下のミス・ハリス(マーガレット)。自らの病を告げ、彼女の若さと行動力に惹かれ、もう一度自分を取り戻したいと告白するシーンは心に残ります。亡くなったあと列車の中で役所の部下達が話すウィリアムズさんへの想いも印象的。でもしかし人は慣れてしまうもの。日常に流され、決意はどこかに置き忘れ。でもだからこそ、人は自身の存在を、生きた証を残したいと願うのではないでしょうか。決して大きな偉業を成し遂げたいと思うのでは無く、じきに忘れ去られるような小さな事でいいのです。大切なのはそう思い、それに向かって行動した自分自身なのです。若かりし頃の希望を忘れず、ささやかな喜びを力に変える。それが生きると言う事なのかな。そんなことを考えました。黒澤明監督の「生きる」をリスペクトしつつも、新しい事に挑戦したこの作品もやはり素晴らしい映画でした。
良き仲間に囲まれ喜ばれる存在が人生の目的
この作品を見てしみじみと思ったのは、良き仲間に囲まれ、喜ばれる存在が、人生の目的ではないかということです。そのことが一番の幸せなのかもしれません。黒沢の珠玉作品のリメイク版ですから、創作物としてかなりハードルが高いのですが、テンポ良く展開され、映像もイギリス映画らしく重厚で、かつ音楽も非常に上品でしたので、ほぼ同等の完成度を持っていたと思います。まず、可愛い部下だったマーガレットに末期がんのことを知らせたというのは、彼女の生き様が、彼の心を動かしたからなのでしょう。確かに職場において「喜ばれる存在」であったマーガレットは、死を自覚したウイリアムズにとっては、いきいきと輝く光の存在だったのでしょう。また、その彼女が彼につけたあだ名は「ゾンビ」でした。「死んでいるけれども、生きている存在」という言葉に、彼は今までの役所での人生は「ゾンビ」のようであったと気づいたのでしょう。そんな彼女に自分の死期を語り、語ることによって最後のパワーが噴出するスイッチが入ったのだと思います。もちろんちょっぴり淡い恋心もありました。そして見事、何度も陳情してきた市民のために公園を作り上げ、雪の降るなか完成した公園のブランコにのり、幸せな気持ちで亡くなって行きます。彼の最後の仕事は小さなことかもしれないけれども、周りの人間たちに、さわやかな人生の締めくくりを教えたという意味では、平凡な市民の偉大な人生の面目躍如かもしれません。
私見 人生には幸福も不幸もありません。あるのはそう考える自分だけ。その自分が幸せであると思えば、幸せなのでしょう。
仕事に忙殺された時に見る映画
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