生きる LIVINGのレビュー・感想・評価
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眠くて困った
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役所の課長だった主人公は、かなりの堅物だった。
ある日、ガンで余命宣告をされ、急に会社に行かなくなる。
そんな折に部下だった女の子と会った。彼女は転職してた。
この子の明るさに敬意を持ってた主人公は、心中を聞いてもらう。
余命宣告のことは家族にも話してないことだった。
そして一念発起、棚上げされてた婦人団体の要望に取り組む。
子供の遊び場を作って欲しいというもの。たらい回しにされ続けてた。
で見事に実現させ、そして死ぬ。
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かなり古い作品のリメイクらしいが、うーん・・・眠い・・。
映画館で寝てしまう珍しいパターンとなってしまったわ。
まあ後半は起きてたし、大体ストーリーは把握できたけどな。
思ったのは1つ、余命宣告される前から全力で仕事せえや!!
このへんは今と時代がちゃうからそう思うのか?
今は昔と比べ、仕事に全力を注ぐのが普通になってると思う。
だから主人公の頑張りに何の感情移入もないし、手遅れ感満載。
なのに何でこの作品、ここでこんなに点数高いの??不思議。
黒澤明監督 の「生きる」が ノーベル賞作家 カズオイシグロ脚本 で...
黒澤明監督 の「生きる」が
ノーベル賞作家 カズオイシグロ脚本 で
イギリスでリメイク
1953年
第二次世界大戦後のロンドン
余命半年と宣告を受けた
仕事一筋の公務員
ウィリアム
(…あだ名はゾンビ)
生きることなく人生を終えたくない
誰かのために
残された日々を大切に過ごしたい
気づき
歩んだ小さな一歩が
人々の心に火を灯す
原作を観ていなかったので
どちらから観ようか迷ったけど
ビルナイのリメイク版を先に観た
よい
すごくよい
紳士
1953年ロンドン。役所の市民課に若いピーター・ウェイクリングが配属され、ロドニー・ウィリアムズ課長は彼に婦人たちの陳情を担当させる。しかし、それは役所内でたらいまわしにされていた案件だった。そんな時ロドニーは、末期がんで余命半年と宣告される。彼は無断欠勤をし、遠くの海辺の酒場で騒いだり、元部下のマーガレットと会ったりして残りの人生を楽しむ。そして彼は気付き、人が変わったように皆を動かす。
黒澤明の名作を、カズオ・イシグロが脚本、ビル・ナイが主演でリメイク、と偉大な名前が連なっています。オリジナルは、かなり昔に観て大部分は忘れていました。ただ、リメイク版の方が今の人には良いと思う気がします。もう一度、オリジナルを観なくては。
当時の役所の課長に、良いんだけどビル・ナイは少し歳が高いかな。
この時代に、ゾンビという言葉があって、クレーンゲームもあったのかと意外でした。
オリジナルに匹敵‼️
この作品は黒澤明監督の名作をイギリスを舞台にしてリメイクした作品‼️途中で回想形式となる展開も踏まえて、ほぼ同じ作品になってます‼️主人公が公園作りに関わるプロセスが、オリジナルに比べると短いので希薄な印象を受けますが、元が名作なだけにこの作品も良く出来てます‼️主演はビル・ナイ‼️オリジナルの志村喬さんの演技があまり好きでない私にとっては、今作のビル・ナイの抑えたというか、落ち着いた演技の方が好感が持てます‼️今作もオリジナルと同じく主人公がいくら頑張っても官僚主義や体制は何も変わらないという残酷なテーマ‼️しかし、主人公を理解していた市役所の元女性職員と新人職員が恋仲になるという、オリジナルにはない展開もあって、チョットだけ微笑ましい終幕は好感が持てます‼️
ちなみに生前、黒澤明監督はオリジナルの「生きる」の事を「あまり語る気になれない作品だ」と語っておられたらしいです‼️そしてNHKの企画「黒澤明が選ぶ世界の名画100本」において、自作ではオリジナルの「生きる」ではなく、「赤ひげ」を選ばれてました‼️
短くとも
ウィリアムズは、
役所の仕事を忙しくこなしては来たが、
ただただ惰性で遂行していたのではなかったか⁉️と考えた。
命の期限を知って、ちょうど路頭に迷った
幼な子のように、今、何をすればいいのか
わからなくて、仕事に行かず、すべきことを
見つけるために彷徨う。
だが、遊興的なことにはどうしても
馴染めない。
そうこうするうちに、職場の若い職員と
偶然出会い行動を共にしているうちに、
病気を打ち明ける。
息子のマイケルと妻は、父が若い女性を
連れ回しているという噂に気が気でないが、
父本人には聞けず問い正せない。
市役所に戻った課長のウィリアムズは、
以前と打って変わって精力的に動き出す。
懸念されていた子供たちが遊んでいる場所の
改善について着手しようとする。
何度も現地に足を運んだり、市役所の
色々な管轄を辛抱強く回って段階を追って
承認を取り付け、工事着手、完成に至る。
葬儀の場面。息子のマイケル、マーガレットを呼び止め、病気のこと余命のことを
父本人が知っていたかと聞く。
市役所仲間、列車内で、ウィリアムズの功績を認め後に続こうと誓い合う。
夜に遊び場に立ち寄った部下のピーター、
巡回の巡査と話す。
巡査は、ウィリアムズさんが、
雪降る日に一人ブランコに乗る姿を目撃して、あまりに幸せそうで声をかけなかったことを後悔していると。
このことにピーターは、
課長は幸せだったと確信して気にしないように
と巡査に告げる。
惰性で生きていたかのような生活から
限りある生を感じて、
その短さゆえに精一杯生きる、
そんな人生。
余談:名優だが、年齢が行き過ぎている気がした。
その意志はしっかりと人に受け継がれている
黒澤明作品の名作「生きる」のリメイク版
ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが脚本を執筆
主人公が余命を宣告されてから
いろんな体験をしようとするが何か違う。
心情を言葉にしないが立ち居振る舞いだけで
それが観ているものに伝わる。
自分のために何かをするより
人のためにその命を最後まで使うなんて
なかなか出来ることではない。
でもその意志はしっかりと人に受け継がれていました。
「生きる」、そして「繋ぐ」
公開が決まった時からメチャメチャ楽しみにしていた「生きるliving」。黒澤明の「生きる」のリメイクで、しかも主演はお茶目でエレガントな名優ビル・ナイとくれば、今年の注目作ベスト10には確実に入ってくるでしょ!
リメイク作品はオリジナル作品と比較される宿命にあるが、今作は傑作映画「生きる」と比較しても何ら遜色のない、美しい映画だった。
オリジナルである黒澤版「生きる」はもちろん観ていて、今でも邦画のベスト3に入るほど好きな作品だが、実際に周囲に薦められるかと言えばちょっと難しい。
「古い・白黒・120分超え」の三拍子で、かなりの確率で敬遠されるからだ。しかも主演は志村喬で、志村喬はもちろん超名優なのだが、いかんせんオッサン過ぎて魅力が伝わり難いのである。オッサンなところが良いんだけどねぇ。
対して「生きるliving」はノスタルジックなアスペクト比やタイトルデザインを使用しながらも、やはり現代的なスタイリッシュさとわかりやすさが感じられる。
上映時間もコンパクトだし、主演は老いてもなお華やかさを失わないビル・ナイだし、プレゼンしやすいことこの上ない。
「オススメしやすい」という点ではオリジナルを大きく上回るかもしれない。
映画全体の印象としては、黒澤版「生きる」が志村演じる渡辺課長を強い光のように描いて、観客に「生きる」意味を問いかけたのに対し、「生きるliving」は光を受け取るピーターを用意し、映画の中にも可能性を描いたという違いがある。
もちろん「どちらが優れているか」という話ではなく、狙っている意図が違うのだ。
黒澤は「渡辺の決意」と、それが「特別」であることを際立たせるために、その後結局変わることの出来なかった役所を淡々と描き、作品の影を担わせてメリハリをつけている。
それは一言で言うなら「叱咤」なのだ。「こんなことを続けていたら、生きているなんてとても言えないぞ」という警告なのだ。だからあえて光と影を極端に描きわける。
だから映画を観終わったら闘う気力のようなものが湧いてきて、生きることに血が滾ってくるのだ。
「生きるliving」は、既にピーターがその生き様を受け止め、なんなら手紙で「遊び場のことを思い出して欲しい」と教えられている。
それは作り手が既に黒澤に焚き付けられ、それを繋いでいきたいと思っていることの現れだ。だから、今を生きる人々に対し、「わかりやすく」「優しく」そして、それを実践したウイリアムズ氏と受け継ぐピーターを優しい紳士として描いている。
だから観終わった後、血気盛んになるというより雨上がりの澄んだ空気のような、清々しい気持ちになる。
最初に「オリジナルと比べても遜色のない、美しい映画」と書いたが、あえて好みを述べるなら、私はやっぱり黒澤版が好きだ。泥臭くて、オッサン臭くて、熱い血潮を感じる方が好み。
でも現代に「生きる」を繋ごうとしている「生きるliving」も、その志は充分熱い。
熱さを感じられなかったとしても、ビル・ナイがあまりにも切なくてカッコイイので、それだけでお釣りが来るほど満足できる。
この映画を観て、普段の生活で溜まった濁りを洗い流し、「生きる」ことに前向きになれたら、ついででも良いのでオリジナルを観て欲しい。
大丈夫、ストーリーは同じだし、観たら「生きる」ことに、もの凄いテンション上がっちゃうから!
何を「生きる」とするか
今見終わって、、、、、、美しい映画。
情熱と何か達成したことへの満足感、
それは 生きる ということ。
カズオイシグロの「生きる」の脚本の見直し方、
美しい窓からの光での人物の肖像。
黒澤明の方を38年ぶりに見返してから
もう一度この映画を考えてみようと思う
ナナカマドの木
フォートナム&メイソン
シェパーズパイ
ビルナイ
ザ 純文学映画
黒沢監督の大傑作をノーベル文学賞作家がどう捌くかが観たいので、当然観ました。
「原作を見直さないといけない」と思い、見直すまでレビューを書くのが遅くなりました。
主人公を演じる ビル・ナイさんの演技は素晴らしく、
かすれ声で、聴きずらいが、教科書に出てくるような綺麗な英語を話す事から、主人公の品の高さが良く解かります。
画質が"昔風"で、デジタルマスター映画化と思える程だが、
監督が黒沢監督に敬意をはらっている事以上に、
観ている僕らが、主人公や出演している誰かに視点を合わせるのではなく、
"第三者的"視点で、この映画を魅させる様にせしめている監督の狙いがあると思われます。
この映画は終活の映画ではなく、
映画の言いたいことは最期を迎えた"こと"や小役人である事とは 無関係で、
"何かを成し遂げることの大切さ"そして それこそが、人が生きた証であり、"死ぬほど"幸せ だということ。
だから、成し得てから、次の事があっても 最後に死ななくても やはり この映画は成立しました。
黒沢監督の主人公は、自らの命を、静かに終わらせているが、
本作主人公は "成し遂げた"充実感は"全てを忘れるほどの幸福感"だったという事が、カズオ・イシグロ作品と原作との大きな違いである。
ただ、純文学映画に成っているので、映画的には ジミ である。
この映画を観たら、原作である 黒澤監督作品「生きる」を観ねばならない。
私は、生きた
黒澤明監督の『生きる』のリメイク。
黒澤映画と言えば時代劇が人気だが、現代劇でも名作多く、中でもオリジナルは黒澤ヒューマンドラマの最高傑作。『七人の侍』などを抑え黒澤のベストムービーに挙げられる事も。
私もオリジナルは大好き。それは世界中だって同じ。
この愛され続けるオリジナルをリメイクするなんて相当なプレッシャー。しかし本作は、その高いハードルに成功したと言っていい。
基本的な話は同じ。
無欠勤無遅刻無早退、真面目だけが取り柄だが、無味無色の人生を送る市役所市民課の課長、初老のウィリアムズ。ある日、癌で余命僅かと宣告され…。
初めて仕事をサボり、酒を飲んだり夜の街をさ迷うなどするが、満たされない。やがて元同僚の若い女性との再会、市役所でたらい回しにされていたある案件に人生最後の情熱を見出だす…。
あの語り継がれる名シーン、夜の公園で歌を歌いながらブランコに乗るシーンも勿論。変に逸脱せず、オリジナルへの誠意溢れたリスペクト感じる。
とは言えリメイク。そっくりそのままだったらやる意味は無い。アレンジこそ注目。
戦後のイギリスに舞台設定変更は前提として、職場に新人公務員を配置。彼の視線でも語られる。
オリジナルではもっと希薄だった親子関係だが、息子の父への思いを加味。終盤のあるシーンで活きてくる。
ブランコに乗って歌う歌。心染み入る「ゴンドラの唄」からスコットランド民謡「ナナカマドの木」へ。初めて知った曲だが、この変更はいいと思う。幾ら名シーン再現とは言えイギリス人が日本の歌を歌うのは違和感ある。その国その人、それぞれの思い出の歌がしみじみさせる。
これらアレンジや変更点が、単なる焼き直しじゃなく新たな魅力や意味をもたらしている。
オリジナルの志村喬は比類なき名演。映画史上最高の演技と称えられるほど。
こちらも比較は避けられないがしかし、ビル・ナイの演技も素晴らしいの一言に尽きる。
ナチュラルな演技やコミカルな演技やエキセントリックな演技や変幻自在のカメレオン役者だが、実直さ、不器用さ、哀愁、悲しさ、温かさ、優しさ、人生最後に燃やす生きる事への意味…。これらをしみじみたっぷり滲ませ、漂わせ、絶品!
オリジナルではもっと小心者で不器用だったが、少しお堅くも英国紳士に。これ、意味ある設定。
もっと無口で口下手だったが、オリジナルと比べると少し饒舌に喋る。
これらもその国の性格や演者のキャラが反映されたと言えよう。
リメイクでビル・ナイが演じると聞いた時果たして合うかなと思った不安は一蹴。さすがの名演技巧者!
ノーベル賞作家カズオ・イシグロが脚本を担当した事も話題。
日本長崎で生まれ、早くにイギリスへ移住。それからずっとイギリスで暮らし、話す言葉も英語らしいが(日本語がもう上手く喋れないと何かで聞いた事ある)、それでも幼き頃の日本の思い出は心に残っているという。故郷の風景や映画など。
オリジナル・リスペクトとリメイク・アレンジの巧みさは、日本とイギリス双方で生まれ育った氏だからこその手腕。勿論作家としての語り口の巧さも光る。
イギリス人でも日本人でもない、南アフリカ出身のまだ若い30代という監督オリヴァー・ハーマナス。イギリスや日本への先入観なく、ただただ純粋に人生を見つめる。誠実な演出も好感。
映像・音楽・美術・衣装も美しい。
個人的に気に入ったのは、まるでクラシック名作のようなOPクレジット。これだけでスッと作品世界に入っていってしまった。
オリジナルは今も尚愛され続けている。
このリメイクも新たなファンを獲得。
何故この作品は、こんなにも見る人の心を捉えるのだろうか。
きっとそれは、古今東西普遍的なテーマが込められ描かれているからだろう。
自分の人生への意味。自分の人生は何だったのか…?
今付けられたあだ名は“ゾンビ”。生きているけど死んでるような…。
昔はこうじゃなかった。もっと光り溢れ、生き生きとしていた。
そうだ。私は紳士になりたかったのだ。
きっかけは妻との死別。以来、空虚さや生きる意味をも失い…。
波風立てず。事なかれ主義。
そんな私にとって、勤める市役所はぴったりの“墓場”。
面倒な事はたらい回し、後回し、忘れ去る。市役所の官僚主義は昔も今も何ら変わっていない痛烈な皮肉。
これが、“紳士”なのか…?
そんな時、元同僚と再会。周囲や当人からあれこれ陰口囁かれ、変に思われるが、本人の思う事は至って真摯。
若く輝く君を見て、憧れた。私にもそんなかつてがあった。
それはもう失われたのか。取り戻せないのか。
いや、そんな事はない。何かをする事に遅いか早いかなんてない。大事なのは、それをやるかやらないか、だ。
人生最後に捧げた公園作り。決して大それた事じゃない。後生に残る偉業でもなく、いずれは忘れ去られる。
市役所の上役は手柄を横取り。同僚たちもウィリアムズ氏の最後の姿に感銘を受け見習おうとしたのも、最初の口だけ。結局…。
意義や意味、私は何を変えたのか…?
わざわざ説明する必要もない。
お偉い人たちには無関心でも、尽力してくれた人たちからすれば永遠に忘れない。
見返りや称えなど求めない。ただただ、それが私が今出来る事。それをやっただけ。
それが、人だ。紳士だ。生きるという事だ。
そこに幸せを見出だした。最後の瞬間まで、それに包まれて。
余命僅かの者が死にゆく物語じゃない。
死を前にして、見つけた誇りと証し。
私は、生きた。
どうしてもオリジナルと比較してしまうもので
本作を観るにあたり、かなり遅まきながらも、オリジナルを鑑賞しました。
結論、それと比較すると、かなり淡泊に感じてしまいました。
志村喬の、くわわっ!と目を見開く、台詞以上に感情を表情で露わにする演技を見てしまった後でしたので。
オリジナルでは、その“動”の演技の反面、しょぼくれきった“静”の雰囲気が秀逸な名作中の名作でした。
そのあたり、英国版は感性の違いか、はたまた、紳士という人物設定か、かなりの淡泊さに物足りなさを覚えたのは事実です。
それはそれで評価される向きがあるのではないかと思いつつも。
また、オリジナルでの小説家崩れとの放蕩も淡泊に感じました。
あの辺りも、自堕落にさえなりきれない情けなさを描いてもよろしかったと思い。
ですが、プロットの面白さまでは、決して失われてはいませんでした。
かなりベタではありますが、死に際の男の生き方を描く様は、国を違えど見どころのあるお話ですので。
それと相対する、お役所仕事のいい加減さの対比もよかったです。
最後にしか出ない力もある
楽しむ方法を知らない役所の市民課長ウィリアムズが余命を知って遊興にふけようとするも、自分が本当にしたいことは遊びではないと気づき、職場に復帰して散々後回しにしてきた下水汚染の解消と子供の遊び場整備を成し遂げ、寒空の下自らの手で整備した遊び場のブランコを漕ぎ満足そうに歌いながら逝った姿は、自分らしく生きることの大切さを教えてくれています。
ウィリアムズの死後、彼を見習い市民からの陳情をたらい回しにしないと誓いを立てた市民課の部下達は、やはりと言うべきか程なくして誓いを守らなくなりますが、単純な日常の繰り返しに心が麻痺してしまったというよりは、余命僅かだったウィリアムズと違いいくらでも先延ばしできる状況下で、困難な問題に率先して取り組むことがいかに難しいか、大きな感動によって奮い立った気持ちに正直でいることがいかに難しいかを、見るものに問いかけ、戒めているようにも思えます。
黒澤明監督の名作「生きる」を、ノーベル賞作家、カズオ・イシグロ氏の...
黒澤明監督の名作「生きる」を、ノーベル賞作家、カズオ・イシグロ氏の脚本でほぼほぼ、原作に忠実にリメイクした映画。
原作の主人公役、志村喬を、ビル・ナイが演じています。
あの、独特な、役所の、凝り固まり、淀んだ雰囲気は、日英共通点があるので、英国でのリメイクが可能になったのでしょうね♪ そういえば ケン・ローチの描く英国の役所もそんな感じでした。
原作では「命短し、恋せよ乙女♪」の「ゴンドラの歌」がキーになってましたが・・、リメイク版で、その点は苦心したのでしょうね・。ちょっと物足りなかったですが♪
消えかかった火の様にただただ日々を過ごし生きるか・・・、酸素を取り入れて短いながらも燃焼して生きるか・・静かながらもメラメラ燃やしていきたいものです。
「命短し、恋せよおっさん」
山高帽とフェドラ帽
伊藤雄之助が演じた遊び人風情をトムバークに充てたのもしっくりする人選だったが、Aimee Lou Woodがまさに小田切みきタイプだった。小田切みきタイプとは愛嬌があり単純かつ健全で、よく笑うからみんなにいじられる。──という感じの学内や職場や市井で人気者になるタイプの女性。生きるのポイントは死をまえにした志村喬が小田切みきのほとばしる”生”に励まされるところだ。オリバーハーマナス監督は生きるをよく観察している。むろん黒澤明のを知らなくてもくりくり目でビーバー前歯でぽちゃなAimee Lou Woodは魅力だった。
ビルナイは悪くなかったがなんとなくもっと泥臭い感じの役者のほうがいい気はした。
カズオイシグロの脚本はいいのかわるいのかわからないが、時代とその監修(衣装)と撮影がよかった。おそらく撮影はすごくいいと思う。
最初から古い映画の雰囲気ではじまり、縦横も4:3に切ってある。意図的に古い時代のことを話しているのが強調されていた。
なぜなら現代であれば貯金をおろして若い女性を買うという行為がバケットリストになりえるから。
余命宣告された人が美しいことを為すという保証はないし、現代ならもっとドライにとらえるかもしれない。
多様性や死生観の変化などによってリメイクするにしても現代劇にはできなかった──という感じが伝わってくる時代設定だった。つまりたまたまDQNがこれを見たなら「パパ活しっぱいするじじい」という感想を述べるかもしれない。映画なんてじぶんの好きに捉えればいいので「パパ活しっぱいするじじい」にもなるほどそういう見方もあるね──だが、そう見られないための時代設定なわけである。
公園の設立にみずから現地へおもむいて奮励している課長が、雨のなかへ足をふみだしたとき、懇請していた女性のひとりが傘をさしてあげるショットがそのまま使われている。
生きるをよく覚えていないがまた生きるを見たなら同じ構図がたくさん見つかるのかもしれない。
オリバーハーマナス監督は黒澤明をリメイクするという「恐怖心」をしっかり持っていて変なことは一切やっていなかった。そういうなんというか行儀のいい映画だが、黒澤明のリメイクなんて”行儀よく”以外にはやりようはないだろう──とは思った。
IMDB7.3、RottenTomatoes96%と84%。
RottenTomatoesの批評家は一様にナイを褒めているがいつものナイだったし志村喬の生きる体験者なら悪くないにとどまるのではなかろうかという気はする。
生きるは基本的に官僚主義者が改心して一念発起する話である。が、このリメイクを見るとどちらかといえばいい時代(とそこに生きるいい人)の話──に見えてしまう。
現代社会はたとえ事なかれ主義をつらぬくにしても、この時代よりも複雑で、死をまえにして何かを成しえるという状況にはならないだろう。いずれにしても現実的にはこんな事にはならないから生きるは一種のおとぎ話といえる。
しかし黒澤明の生きるは、というより生きるで課長を演じた志村喬は時代設定も公開年も作り話も超えてがつんと揺さぶるものがあった。ほかのことを忘れても何とも形容しがたい志村喬の表情は覚えている。そういうエピックの焼き増しだから個人的にはじょうずとかていねいなどの感想になった。が、Aimee Lou Woodはとてもよかった。
ビルナイってなんか指先に特徴出るんだよね。
どう生きるか?どう生きたか?
それは人間の永遠の命題だと思います。
黒澤明監督の不朽の名作1952年公開映画「生きる」が、
2022年英国でカズオ・イシグロの脚本、
ビル・ナイの主演で映画化されました。
とても嬉しく喜ばしい出来事です。
1952年。
イギリスも未だ戦後の復興途上で配給制度も残っていたそうです。
通勤のプラットフォームには山高帽に黒い仕立ての良いスーツに
ステッキの英国紳士が「通勤は私語禁止」と整然と並び
プラットフォームに入ってくるのは蒸気機関車です。
「生きる」の主役・ミスター・ゾンビとのあだ名を
部下のマーガレットから聞いて、納得して頷きつつも内心穏やかではない
市役所の市民課課のウィリアムズ氏。
ビル・ナイほどウィリアムズにふさわしい主役はいるでしょうか?
英国のレジェンド俳優を知ったのは
「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」でした。
それからは好んで彼の出ている映画を観ました。
特に好きなのは「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」
特にハンサムとも思えないのに妙にセクシーで印象に残ります。
ビル・ナイ。彼からは、生命力の薄さ・・・が匂います。
言ってしまうと、「いつ死んでもおかしくない」雰囲気の俳優。
あまりに痩せて見えるので、健康ではないのか?と危惧する程です。
カズオ・イシグロがビル・ナイのために書いたと語る脚本。
イシグロ氏は1930〜1940年代の英国映画がとても好き・・・
そう語り、
この映画もとてもクラシックな作りになっています。
スタンダードサイズの小さな画面。
クレジットの字体、エンドクレジットも古い映画そっくりです。
イギリスは建造物が立派ですから、日本版より高級な雰囲気を
感じます。
市役所の書類の山積みはオリジナルそのまま。
公園の新設を陳情に来る婦人たちに、
最初はウィリアムズ(ビル・ナイ)が課長をする市民課、
それからは、やれ土木課→水道課→公園課→下水道課→
とたらい回しになり、周り周って市民課へ戻る。
そして書類の山のてっぺんに置かれて先送りされてしまう。
程なくウィリアムズは余命宣告を受ける。
癌のため余命は6ヶ月から9ヶ月。
彼は妻の死後、正気を失い・・・
市民課の仕事を惰性でしかやって来なかった。
彼の心の中の虚しさ、やりきれなさが募るばかりです。
市民課の仕事が性に合わない部下のマーガレットを伴って、
映画を観たりランチを有名レストランで奢ったり・・・
その内にマーガレットから叱られて、
もう一度「生き生きと輝いてみよう」
そして何度も陳情に来た案件、
「子供たちの小さな空き地を遊び場にする」に、
本気で取り組むのです。
日本版とかなりよく似ています。
特に後半の30分は会話もほぼ同じ。
ウィリアムズの葬儀から、彼の残り時間を振り返る構成。
市民課の部下たちが、
「あの遊び場はウィリアムズ課長の功績か?」
と、話し合っている。
そしてウィリアムズがいかに粘り強く交渉に当たり、
実現する過程が再現映像で描かれる。
そしてラスト。
ウィリアムズは自分のただ一つ満足して
振り返れる仕事・・・
雪の降りしきる寒い夜、公園のブランコに座り、
妻の故郷スコットランド民謡「ナナカマドの木」
それを歌いながらウィリアムズは永眠する。
「早くお帰りください」とお声を掛ければ・・・
そう嘆くポリスマンが部下の新人ピーターに言う。
「本当に幸せそうでした」と。
☆☆☆
志村喬の歌う「ゴンドラの唄」
こちらも素晴らしいラストでした。
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