生きる LIVINGのレビュー・感想・評価
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ビル・ナイだけでは…
凡庸な作品だった。ビル・ナイは英国紳士とはを見事に演じていた。変化を嫌い、陳情もたらい回しにしていた公務員としての働き方、息子夫婦からも疎まれ、変化のない生活をおくっていた男が余命宣告を受けたことで、市民からの陳情の一つを叶え、一部の人に影響を与えたと言う話。前半静かなら後半はもっと盛り上がってほしかった。結局息子夫婦には何もしていないし、残された部下達も何も変わってない。
ナナカマドの木
生きる目的
まさに生きる目的を考えさせてくれる作品。
主人公ウィリアムズの気持ちが凄くよく分かる。仕事に生きてきて、なんとなく生きる目的もよく分からなくなり、残りの人生を考えたときにどう遊んで暮らすかへ。
そんなときに、マーガレットのバイタリティに魅せられる。そう、マーガレットですよ。ああいう人ってほんと確かに居て、うらやましくなる。
触発された彼が最後にとった行動にも感動。手紙にあったように確かに大きな仕事ではなかったかもしれないが、彼は確かに生きた。そしてお手本となった。
ただ、面白いのはお手本にして仕事をすることを誓った部下たちが、やっぱり行動に移せないこと。その気持ちもよく分かり過ぎて、そうなんだよなぁ・・・と思う。そこが手紙の意図に繋がって、生きる価値を考え続けることを色あせさせないところがまた、ウィリアムズが生きた証。とにかくいろいろ考えさせられた良作だった。
黒澤明作品がリメイクされない理由
が分かった気がします。どうやったって超えられないからですね。せっかくのカズオ・イシグロもあんまり色を出し切れていないような。黒澤版そのままな感じがしちゃって間違い探しをし始めちゃう。市民課に苦情を言いに来る奥さん連中がたいそうな淑女で何だこりゃと思ったら現場ではカーラー巻いたままでちゃんとお母ちゃんなのね。当時のイギリスはこんな普通の庶民でも出かけるときはゴージャスにおしゃれしちゃうのね。こんな小さなことをとっても黒澤だったらさ〜と知りもしないのに黒澤明を語りたくなっちゃう。あと何より命短し恋せよ乙女が無いのは痛いよね。あれをおじいさんがボソボソ歌うってところに悲哀滑稽打開この映画のすべてが詰まってたからね。
余命半年は短いか
じわじわと
心で仕事をする
生きるとは?
何十年も市役所に勤めた男がある日医者から癌だと告げれる。残りの人生は、あと僅かだと知った。
そんな事から今まで自分が向き合ってこなかった現実と目を向ける事になる。
どの役者のセリフも一つ一つが意味があると感じました。
特に好きなセリフ主人公の言った「私には怒っている暇などない」これは末期癌であるからこそその言葉に重みが伴っている感じしました。
自分がまだまだ死なないとしたら、何の脈絡もない生き方をして、周りからゾンビだとあだ名をつけられる事にも何の抵抗も覚えずに生きていたら?
ゾンビというあだ名自分の余命が僅かだと知ったら逆に残された命は、おまけのようなもの、やるだけやっても後悔する事ないと励ましにも似たようなものに変わっていたと感じました。
この映画がリメイクされ、今の時代に映されているのは時代が変わっても人間的な本質の部分は、いつまでも変わっていないという明確なメッセージなんだと思いました。
完璧リメイク
オリジナルなら文句なく星5つでしょう。原作では志村喬さんの熱演とブランコで歌う「命短し恋せよ乙女~♪」のゴンドラの唄のシーンが印象的でしたので英国版ではどんな歌になるのかがとても興味深かったです。最初は英国なのでビートルズの名曲が頭をよぎりましたが流石に年代的に合いませんね、スコットランド民謡の「ナナカマドの木」は企画・脚本のイシグロさんのスコットランド人の奥様が良く歌われていた唄とか。
日々の暮らしに流されがちな現代人、特にお役人ともなればセクショナリズムに翻弄され保身的な仕事ぶりになりがちなのは英国も同様なのでしょう、カンヌでパルムドールを獲った「わたしは、ダニエル・ブレイク(2016)」もお役所の不条理を指摘した社会派ドラマでしたね。後年、松戸市にできた「すぐやる課」も話題になりました。
余命半年と告げられて改めて生きることの意味を問うというシチュエーションの説得力が肝、 原作との違いは、若者にメッセージを託す前向きなところでしょうか。
志村さんに引けを取らないビル・ナイさんの抑えた熱演をはじめ文句のないリメイクですが、やはり原作の良さがあってこそ、あらためて黒澤監督の人間の本質を見抜く慧眼の素晴らしさを再認識した傑作でした。
成長譚的な
ビル・ナイの名演が染みる。自分も「生きよう」と思える。
黒澤明の「生きる」のリメイク。
1953年のイギリスを舞台にしている。
カズオ・イシグロがシナリオを担当したことも話題になった。
手堅くまとめた印象。
ロンドンの役所で働くロドニー・ウィリアムズが、末期がんを宣告される。彼は生きる意味を求めて街をさまよう。そして、偶然、元部下のマーガレットに出会う。彼女は役所をやめて転職することになっていた。
ロドニーは、彼女の明るさに生きる意味を見出す。彼女に、仕事に戻るように促され、ロドニーは役所に戻り、今まで放置していた仕事に取り組む。それはたらいまわしにされていた公園事業だった。
本作では、いわゆるお役所仕事から抜け出す事は容易ではないということが描写される。ロドニーは、人生の最後に公園事業を成し遂げるのだが、それは小さな仕事であり、いずれ忘れ去られる。しかし、それは彼が生きた証であり、感謝している人もいる。ロドニーの部下たちも彼の姿に感動し、自分たちもロドニーのように生きようと誓う。ただし、時が流れるともとのお役所仕事に戻っている。現実はそういうものだ。
それでも、生前のロドニーの「生きることなく人生を終えたくない」という言葉は大切で、人はそうあるべきだろう。
黒澤明の「生きる」が名作であることに異論はないのだが、なぜ70年後の2022年にイギリスでリメイクする必要があったのだろうか。完成度は高いと思うが、必然性の点で理由が思い当たらなかった。「生きるという事は、ただ人生を過ごすのではなく、輝いて生きることだ。」というメッセージはあまりにも普遍的で、「なぜ今なのか」という問いに対して理由を探すのが難しい。
それとも、2023年に「異人たちとの夏」がイギリスで「異人たち」として再映画化されたことを考えると、イギリスで日本映画のリメイクがトレンドになっているのだろうか。
製作費は不明。興行収入は10億円。赤字なのか黒字なのかわからないが、大ヒットはしていない気がする。売れるから作っているわけではないのかもしれない。
独特のカメラワークが印象に残った。オリジナルもこういうカメラワークだっただろうか。奇をてらっているというよりは、なにかに似せようとして作っている構図のように見える。
カズオ・イシグロが原作をどのように変えたかはわからない。
ただ、熱意もなく、ただ働くだけだった主人公のロドニーについてマーガレットがこっそり「(生きているのに死んでいる)ゾンビ」というあだ名をつけていたところなどは、「生きるとはなにか」を問うカズオ・イシグロの作風とマッチしていると感じた。
なぜ今この映画を作ったのかわからないと書いたが、こういう映画を観て、生きるということを考えるのは大切だ。
大傑作のリメイクも大傑作
原作の生きるを見た時も大傑作だと思いましたが、リメイクされたこの作品もやはり大傑作でした。
全く色褪せない脚本。
違う部分はわからないけど、この映画としての秀逸さを感じます。
また、ビルナイの味わい深い演技も最高ですね。
死を前にすれば、人は何かできると思いがちだが、そうではない。
彼は死を前にして、本当になりたい自分になる決意をしたのであって、それは誰もができることではない。本当のジェントルマンにために残りの人生を捧げることこそが、彼の生きるということ。
誰もが真似ようとしてできないという現実も皮肉的であり、この映画の面白さでもある。
日々を生活するうちに、生きる意味を失って誰もがゾンビになる。でもゾンビとは違って、誰もがいつからでも、生きようとすることはできるのだ。
この作品は原作含めて、自分にとって一番大事な映画だと言える。
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