「人生の最後に何ができるか」生きる LIVING ミカエルさんの映画レビュー(感想・評価)
人生の最後に何ができるか
この映画は人生の残り時間がテーマになっている。先日観た『イニシェリン島の精霊』という映画も趣は違っても同じテーマが扱われていた。登場人物の一人が、人生の残り時間を考えたら余生は作曲に専念したい、話のつまらないやつといつもまでも付き合っているのは時間の無駄だと自分の親友に絶交をつきつけるという出来事から始まる物語だった。人間というのは人生の残り時間が少なくなってくると、生きている間に何かを成し遂げたい、何かを残したいと思うようになる。自分自身も50代となり、会社での残り時間を意識するようになってきた。こういった映画を観ると明日からの生き方を見直そうと決意するのだが、組織の中では、結局、ルーティンワークに慣らされているためにその保守的な空気に抗うことはできず、高い志はいつのまにか消え去ってしまう。映画でも、ウィリアムズ亡き後、職場の同僚たちはその遺志を継ぐことを一度は誓ったが、いざ職場に戻ると新しい上司の元でまた以前と同じように官僚主義的な業務を繰り返すというシーンが描かれている。
余命半年と告げられたウィリアムズにはほとんど時間がない。定年までに何かを成し遂げたいというならまだ計画の立てようもあるが、残された時間が数ヶ月では一体何ができるのか。書類の山の中から今までたらい回しにされていた公園整備の陳情書を探し、決意した。「市民課が先頭に立って取りまとめるべき事案だ」部下たちを連れて現場調査に出かける。
この後は、葬儀のシーンが映し出され、ウィリアムズを偲ぶ証言が次々に展開されていく。ウィリアムズの粘り強い交渉の末、公園建設は成し遂げられた背景が描かれる。最後は仕事で結果を残すというのはなにか日本人的な感じがするが、英国人にも通じるものなのか。人生の最後に何をするのかというのは人間にとって究極の問いになるが、いつ何が起こるかわからない人生、日頃から自分には何ができるのか考えておきたいものである。