「思うに、現代的ではない価値観」生きる LIVING TWDeraさんの映画レビュー(感想・評価)
思うに、現代的ではない価値観
先に前提的なことから。まず、私はオリジナルである黒澤監督の『生きる』は未見です。
次に今作を観ながら感じていたのは、前半は正直イラっとすることもあります。ただ、後半は目頭が熱くなる展開になっています。
ということで、トータルとしては決して低い評価をつける要素はありません。それはやはりビル・ナイの滋味深い味わいの演技が大きいことは言うまでもありません。彼の長いキャリアにおいて、今回のウィリアムズのような物静かなキャラクターもハマり役ですが、結構コメディ寄りのキャラクターを演じている印象も強かったりするし、時にゾンビ役やヴァンパイア役など悪ノリを真顔でやる素敵な英国人俳優の一人だと思います。
そして観賞し終わり、いつも帰り道はレビューを書くために映画を反芻しながら歩くのですが、今回は黒澤監督作品のリメイクということで「今、この作品がリメイクされる意味(意義)」を考えてみました。結果、正直この作品って若者には響かないばかりか、むしろ「年輩」と言われる年代以上に向けた懐古主義で、何なら自慰的とすら感じてしまうことも否めず、ちょっと複雑な思いを隠し切れません。敢えて言うならば、リメイクにあたってこれを現代に置き換えず1950年代にすることによって、作品への感動が成立するのだろうとすら思います。ただ、これは映画の作品性そのものを否定するわけでなく、むしろ(50代の)自分への戒めであることは理解ください。決して嫌いではないんです。でも、正直「キレイゴト」にも感じてしまって。
そもそも、この作品の推進力であり、自分が老い先短いことを知るウィリアムズを変えるのは「若者たち」です。
余命の生き方に迷い、反動的に自暴な言動に走りかけるウィリアムズを目覚めさせるマーガレットは、本当に眩しい存在です。清々しいほど物おじしない態度と、はつらつとしてチャーミングな彼女に「甘える」ウィリアムズ。オジサンである私も十分気持ちは解ります。が、正直、「打ち明け話」はやりすぎですし、それを聞かされた方の身になっていないことに、観ていてハラハラ、イライラします。
そしてまた、社会人になりたてでウィリアムズと僅か1日しか働いていないピーターの達観ぶりに、なんなら、そんなわけなかろうと思いつつ、結局、彼のこの作品における価値観は「こうあるべきという理想」としての存在などだろうと思います。
ウィリアムズが「最期」にかけた仕事は、そもそも彼ほどの経験と立場があれば元から出来たはずで、今どきの価値観ならむしろ、それまでやってこなかったことの方が罪深いと思われて当たり前です。彼が見て見ぬふりをした陳情は山ほど存在したはずで、最期に身を呈して行った事業一つを伝説のように扱うことに、いささか欺瞞を感じるてしまったり。。
いや、いい映画だと思いますよ。でも、私も若者に嫌われたくないし、彼ら目線で考えることもせざるを得ないので、ちょっと厳しめに書いてみました。悪しからず。。