「黒澤明監督の傑作と比べてしまうと全然……」生きる LIVING たいちぃさんの映画レビュー(感想・評価)
黒澤明監督の傑作と比べてしまうと全然……
TOHOシネマズ日比谷にて鑑賞。
黒澤明監督の『生きる』を学生時代に初めて観てから何度も何度も観てきた者にとっては、このイギリス版リメイク作品は「やはり、あの最高傑作の足元にも及ばないもの」であった。
(※)初見は学生時代の1980年3月9日、並木座で鑑賞。その後、スクリーンでVHSでDVDで……繰り返し鑑賞。
本作、「オープニング・クレジット」と「エンドロール」に【原作:黒澤明の映画】と表記されている以上、「比べても良い」ということ。
人間の厭らしさを盛り込んだ脚本は、あり得ない。
――<これより先、本作を未見の方は読まれない方が……>――
黒澤明監督『生きる』は、「ある男の胃のレントゲン写真で始まる斬新さ」、「物語の途中で主人公の渡辺勘治(志村喬)が突然死んでしまって通夜に集まった人たちによって渡辺勘治の行動が描かれる素晴らしい構成」など、本当に素晴らしい傑作。
また、暗くなりがちな物語の中で、医者の診察を待っている志村喬に「軽い胃潰瘍だね…と言われたらそりゃ胃ガンだね」と言う渡辺篤。そして医者が「軽い胃潰瘍です」と発した瞬間には、映画館の観客が爆笑する…という笑いもあり、楽しいものであった。
今回イギリスでリメイクされた映画では、敢えて時代設定を1953年に設定しているが、これは役所のデスクに「山積みにされた資料を描くため」だと思われる。
そこのウィリアムズ課長(ビル・ナイ)が主人公なのは悪くはないが、リアルな余命宣告を受けて、課員の若い女性Missハリスと一緒にいるところを見て噂のタネにする…という下世話な低俗映画にするのは信じられない。黒澤明監督が、志村喬と小田切みきを描いた時に「あの二人は…」などという描き方をしたか!?
また、カレンダーが映されて「1953年7月、8月」と【欠勤】を続けるウィリアムズ課長にも違和感。
更に、ウィリアムズ課長の葬式で「公園を作ったのは彼か?」・「彼の手柄を奪った○○卿…」などと、公園作りを【手柄】という扱いで前面に出す表現もあり得ない。
しかし、何だか「黒澤明監督の傑作に、人間の厭らしさを含めると、こんな映画になります」と言っている映画に見えて、学生時代には黒澤明監督のヒューマニズムやダイナミズムに傾倒していた者には厳しいリメイクであった。
その他のキーワードのみ列挙…「ミスター・ゾンビ」、「『ナナカマドの木』という歌」、ケイリー・グラント出演映画『僕は戦争花嫁』など
<映倫No.49503>