すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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中盤からの詰めの甘さを感じる
九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽は、「扉を探してるんだ」という旅の青年に出会う。彼の後を追うすずめが山中の廃墟で見つけたのは、古ぼけた扉。やがて、日本各地で次々に開き始める扉。その向こう側からは災いが訪れてしまうため、開いた扉は閉めなければいけないのだという。不思議な扉に導かれ、すずめの“戸締まりの旅”がはじまる、というストーリー。
君の名はや天気の子より個人的には好み。前2作は雰囲気重視で感情が描かれてない部分が多かったが、だいぶSF寄りの作品となってすっと入ってくるようになった。…中盤までは。
新海作品で常に引っかかるのはどこで彼、彼女達はお互いを好きになったのかという点である。新海監督の頭の中では年頃の男女が一定の日数ともに過ごすと好きになるのだろうか??しかも命をかけられるほど。
また、すべての元凶はどう考えてもすずめである。不用意に要石を抜かなければ誰にも迷惑はかからなかっただろう。なので感情移入がかなり弱くなってしまう。
サダイジンの登場や、たまきさんの感情の吐露も非常に急であのシーンは浮いて見える。
やっぱり新海作品は相性が悪いようだ。
最後は良かったかな。
なんか重要人物が終始イスになったり、ネコが喋ってまどマギっぽい感じ出してきたり、やたら昭和の歌を押し付けてきたり、気になる点は多々あって途中飽きかけたけど、クライマックスは感動しました。
個人的に天気の子越え、君の名は未満といった感じですね。ただ周りには天気の子を一位に推す人も何人か居ますので、これが1番という人も居ると思います
題材が重い
すずめのラストの言葉が、一番伝えたい事だったのかなとは思うが、あの災害で流れた数々の悲報を思い出すと、素直に映画を楽しんで観る事は出来なかった。
被災した方々が、今新しい生活を送れている事を望みます。
新海監督の真髄ともいえる 画、STORY、音、心 の集大成
本作は、架空の出来事でない現実に起きた災害が深く関わっており、昔からの地震国である日本に起きる各地の地震が題材で、その一端をになう猫(?)、日本的な古くより受継ぐ地震災害を終息させる閉じ師、現代の女子高生➕のロードムービー。映画は、日本の繁栄に取り残され忘れてしまった、かつて多くの人が行き交ったであろう街並み、遊園地、学校、他、を描き現代地方都市の過疎化問題と人との繋がりを盛り込んだ新海風スペクタル、ロードムービー。
冒頭より新海風ともいえる映像・・アニメではあるが、新海風水彩画のような画で、大画面で見ているだけでも癒される全編➕昭和育ちの人にはノスタルジーを感じる画➕昭和を感じるエピソードに音楽、どの世代でもどこかにハートに響くのでは。
カーステレオの音楽、車に乗っている誰の年代(世代)に当てはまる曲だったの? 懐メロ好きだっただけの事? ※私の勘違いかもです
★Digital5.1CH鑑賞
★重低音 ○
★音圧 ○
★分離度 ★
★移動音 ★
★サイド(左右、後/活躍度)★
★サラウンド ★
音は総じて良かったのだが、Digital5.1CHでの鑑賞のためか、地震震災の題材がための配慮なのか、音圧、重低音の力(音量、大きさでなく)が遠慮しているふう。
ジブリのオマージュを感じたのは、自転車で坂を下る少女、空を蠢く化...
ジブリのオマージュを感じたのは、自転車で坂を下る少女、空を蠢く化け物、言葉を話す猫、喫煙、そして懐かしのメロディーかな。地震の原因がなまずではないのが驚き。でも、要石とやらで鎮めれば良いというのも腑に落ちない。『君の名は』で、過去の惨事をパラレルワールドを使って回避したのも好きになれなかった。本作も『天気の子』も、主人公が空中を浮遊するが、本作の方があらゆる場面でご都合主義である。過去の家族に向き合うのは、『未来のミライ』にも似た感じがした。東日本大震災を体験して西日本で避難生活していた少女がその故郷に向かうロードムービーという設定は、『風の電話』と同じである。つい先日旅した JR 気仙沼線 BRT 大谷海岸駅と三陸鉄道織笠駅が結末で出てきていて、主人公の実家はその近辺であると推定される。
NHK『クローズアップ現代』を観て、この作品だけでなく、『君の名は』にも批判が寄せられていることがわかった。それでも、監督はエンタメで共感を促す物語をつくりたいということで、村上春樹とも似た設定の作品ができあがったということらしい。非当事者への共感を広げることにはかなり寄与したのかもしれないけれども、当事者からの共感を得るために、監督自身が制作過程でどのような努力をされたのかが問われているのではないかとも思った。
覚悟がないと作れない作品
ここまでガッツリと、震災に向き合った作品はなかったと思う。それぞれの地域に住む人に、それぞれの想いが重なり、九州に住む私も、当時を思い出して、心を抉られるような衝撃を受けた。
素晴らしいと思う。
表現の仕方は自由だが。。。
めちゃめちゃ良いと会社の後輩が言ってたので観に行ってみた!!
何も情報を得ずに観に行ったので。
初めからあの嫌な音であの時の恐怖や光景がもぉ〜11年も前の事なのに思い出してしまって。。。
普段、平気な顔をしてるけど。
やっぱりあの音を聴いてしまうと体がこわばってしまうんだなぁ〜ってある意味気づかされた。。。
途中〜逃げたしてしまいたい気持ちになった。
でも何とか最後まで見れました。
宮城のあの風景、忘れてたのにまた思い出してしまった。
作品は良いと思うけど。
その表現しか無かったのかな?って思った。
自分達も止められるもんだったら止めたかったし。
あの光景がめちゃめちゃリアルすぎて。
あの時の気持ちがフラッシュバックしてしまって。
皆とは違う涙が溢れた。
もう〜11年!?まだ11年!!?
まだ自分には観るの早かったのかも?
素直に感動する余裕すらなく。
恐怖にしかなかった。
扉を締める時のその時の人達の想いを感じながらってそんな綺麗なもんじゃないよ。。。
良い想いばっかりじゃないし。
何であの時の出来事とからめたお話にしたんだろぉ〜!?
自分達は吹っ切れてるからOK的な??
違う話しやったら素直に感動したのになぁ〜。
同じ出来事やシュチエーションであの時の恐怖が蘇る。。、
芹澤くんと曲の趣味が一緒
『芹澤くんと曲の趣味一緒だったさ!』
見終わった後友達に感想伝える時に出る言葉これでした。
最高だった!めっちゃ面白かった!ではない
いやフツーに面白いんだけど、なんでいうんだろうなあポスト宮崎駿と言われつつも宮崎駿を追い越せる姿が想像できない新海誠の作品のままといった感じでした。
ストーリーは全国各地にある後ろ戸と呼ばれる地震を引き起こす魔物が出てくる扉を閉めに行くストーリーだったから新海誠作品の最大の強みのリアルな街並みが存分に堪能できました。特に東京を描かせたらお手のもの。
で、今回は地震というのが題材のひとつになっていて、すずめの生まれ故郷は実は東北で、幼い頃に震災を経験してたってのが分かるんですけど、恐らくこの作品観てる人は途中でそれが簡単に推測できちゃって、あんまりそこの部分明かされるところで驚かないと思うんですよね。
しかし、僕めっちゃ驚きました。すずめが昔の自分の日記めくってって例の黒塗りページが映った時の日付、3月11日。ここのシーンで僕は「ああ!すずめは幼い頃震災経験してたんだ!それでお母さんいないんだ!だから死をそこまで怖がってなかったんだ!」って。
ではなぜ僕はあのストーリー展開から容易に推測できるはずのこの展開が分からなかったのか。
それは東京から芹澤さんの車ですずめが環さんと出発するシーン。まずあそこで北の方に向かって7時間くらいかかると言うことが分かり、そこからルージュの伝言が流れるんです。
まずルージュの伝言のイントロ最高すぎ、魔女宅思い出しちゃうし。僕の頭の中懐メロで埋め尽くされました。
そして!東京から車でずーっとドライブして北に向かって行く。ドライブマイカーじゃないですか!しかも九州から始まり全国各地回ってくし、北海道来るんじゃね!僕北海道に住んでるもんで、新海誠がやっと北海道描いてくれるんだと思ってテンション上がってニヤニヤしちゃってたんです。
つまり、神戸とか東京とか震災があった場所がたくさん出てきたのにも関わらず、ルージュの伝言などの懐メロで思考停止からのドライブマイカーのオマージュだと思って勝手に北海道を期待。というわけです。
というわけで僕はあの日記のシーンで安易に驚愕してしまったわけです。なので結果とても楽しめました。
PS 終始気になってたのが、すずめの髪を光らそうとしてるカットがいくつかあって、僕にはそれが白髪にしか見えませんでした。
作画は良いし目立ったアラは無いけど
主軸の話と恋愛要素が両方中途半端で感情移入できなかった。
話と恋愛要素が上手く混ざり合ってる感じもせず、その上両方ちゃんと描こうとして結局どちらも物足りないって感じなのかなと個人的には思った。環さんとの家族問題まで入れようとしてたから余計に。
一目惚れでそこまで好きになるか?な感じだったからすずめと草太のふざけあいもなんだかしっくりこず…。
命をかけるほど好きになるようなことあったか?という感じだったから、命をかけてまでの好きな人に会ってくるというセリフも響かず…。
草太がすずめをそこまで好きになるとこあったっけ?という感じだったから草太の石になるのにあたって1番の悔いのような感じで、せっかく君に会えたのにというセリフもいまいち響くこともなく…。
話と恋愛の共存をさせることができないのなら、いっそ最後の最後で両思いくらいにしたら良かったんじゃないかなと思った。
あとダイジンがかわいそうだった。最後に一言でも良いからありがとうとか、ごめんねとかせめてすずめが声かけしてくれてたならと思ったけど草太にはあんなに必死だったのにダイジンには何の言葉もかけないって要石になるのは当然でしょとでも考えてたのかなすずめは。
そう思うと特別にすずめは優しい子でもないのかなと感じてしまった。
それでも通しての感じは悪いということもなく、酷評するほどのものでもないとは思う。
可もなく不可もなく。
あと、芹澤はなかなか良いキャラで好きだった。1番キャラ立ちしてたんじゃないかな。
涙腺がどこかへ。
災害ものが出てきた瞬間
映画に書かれていたものは、
熊本地震の事ではなかったが。思い出して泣いてしまった。
亡くなった家族の事、すずめの位置が昔の私と同じだった事。
また、最後の内容のどんでん返し。
まさか、
ダイジンは言い方が悪かったけど(最初悪役かと。)
ちゃんといい事をしてた事、
愛が欲しかった、
必要とされたかった、寂しかった、
ただ遊びたかった。
だけだった事に涙腺が死にました。
極めつけの『すずめの子になれなかった』
はもう、ダイジンの声を担当した子に賞賛です。
言葉に表すのは難しいけれど
これは見に行くべき。
でも地震等体験した方で、亡くなった家族がいる方
トラウマがある方は見ない方がいいかもしれません。
2022/12/11 @MOVIXさいたま テーマとして扱うにはま...
2022/12/11 @MOVIXさいたま
テーマとして扱うにはまだ早かった気がする(時間が経過すれば良いという問題でもないが)
特に最後の最後の幼いすずめと現代のすずめが出会うシーンは、まだ震災の傷が癒えずにいる人も多くいる中で、良い話として書きすぎていると感じた
気になる点、納得いかない点も多くあり、
・自分の命よりも相手を大事に思うには出会って五日間は短すぎるのでは
・家出少女を誰も親や警察に連絡せずに匿う
・関東と関西にいなければならないはずのウダイジン、ダイジンが東に集結しちゃってるけど大丈夫?
・すずめの叔母にウダイジンが乗り移ったわけは?
・草太の両親は?
・スナックで働いていた女性がダイジンについて問われた時に答えた見当違いな答えについて
・戸締師って他にはいないの?
・「戸締師だけでは食べていけない」ということは少なくともどこかからお金出てるの?
など
このうちのいくつかは入場特典の冊子で解明されていたのだが、出来れば映画本編で説明してほしかった
良かった点は災害を風化させないためにアニメ映画という形で後世に残していける点、映像が綺麗、演技に違和感がないなど。
せめてキャラクターを好きになりたいと思って見に行った作品だったが、キャラクターはテンプレートに当てはめたような誰もが好きになる普遍的な魅力しかなかったのは惜しかった。もっとオリジナリティがあればなお良かった。
前作と比べて
個人的には前のほうが好きです。
天気の子のほうが普遍的なメッセージで解釈のバリエーションにも富んでいたかと。
ただ映像はきれいでそこそこ楽しめました。
土地土地のクラシカルなつながりや愛情、こだわりは捨ててはいけませんね。
猫を追いかけて好きな人と日本旅行【考察あり】
震災がテーマ。
震災に遭った人達へ、未来は明るいことを伝える映画。
とにかく映像美。
ル〜ル〜ルルルルの音楽が良かった。
新海監督は、車での旅とか自転車一生懸命漕ぐとか好きだな。走ってるシーンも多かった。
懐メロはちょっと古い。オープンカーに乗るようなイケてる大学生がドライブで流すとは思えない。
事情を知らない人からすれば、猫を追いかけて家出して日本旅行しているちょっとやばい女子高生。(しかも好きな人と)
ダイジンが後ろ戸を開けて回る悪いやつなのかと思っていましたが、実は協力して案内してくれているだけでした。喋れるのだから言ってあげれば良かったのにと思います。言葉に制約があるのかもしれません。
見た目、大きさ、力からダイジンは神様になって年月がまだ浅いのではないかと思います。
ダイジン出現時の考察
要石から解放してくれた鈴芽を好きになる。→おそらく要石を抜いた人が次の要石になるので、鈴芽が要石の役割を引き継ぐ。→ダイジンは鈴芽を要石にしたくないので邪魔な草太に要石の役割を移す。という流れで草太が要石になったのではないかと思います。
ダイジンが草太を椅子にしたのはただのイタズラ的な感じでしょうか?
椅子ということに何か意味があるのか、新海監督がただ思いついただけなのかは分かりません。
椅子の脚が一本欠けていることに何か意味があるのだとは思いますが、最後まで観ても何なのか分かりませんでした。
サダイジン(黒猫)が叔母さんになぜ乗り移ったのかも分かりませんでした。鈴芽は言い過ぎだと思いました。
サダイジンがどうやって抜けたのか考えましたが、大きくて力の強い神様だと思われますので、自分で抜け出ることができたのではないかと思います。地震という力の波動が影響したのかもしれません。
サダイジン登場の考察
いつまで経ってもダイジンが要石に戻って来ないので怒る。→ダイジンを連れ戻すために地震の力を利用して抜け出る。→ダイジンと対面し対決して勝つ。ダイジン諦める。→要石として戻るためにダイジンを見張りながら鈴芽に付いてくる。
ダイジンとサダイジンには大きな力の差があると思いますので、前述の通りダイジンは若い神様、サダイジンは成熟した神様なのだと思います。
ラストはディズニー的な感じで愛のキスで草太を目覚めさせ、ダイジン達を要石としてミミズに刺して解決します。サダイジンはミミズに対抗していましたが、ダイジンは為す術もない感じでした。
全体を通してダイジンは鈴芽が大好きで一緒にいたかっただけなんだと思います。なのに鈴芽は酷いことばかり言い、地面に叩きつけようとした時もありました。
それでもダイジンは健気に鈴芽の側で協力し、最後には悲しんで困っている鈴芽のために草太と替わって要石に戻ります。(草太を抜くのを手伝って自分が要石の役割を引き継ぐ。)とても可哀想でした。
私は動物が大好きで猫も3匹飼っているのでちょっと許せなかったです。
ダイジンが要石に戻る際も鈴芽は「ありがとう」の一言だけ。もっと何かあってもいいんじゃないかと思いました。
子供の頃の鈴芽に椅子をあげたのはまさかの未来の自分でした。ここにくるまで草太だと予想していました。草太と会ったことがあるようでしたが、この時に未来の鈴芽の横にいるのを見かけた程度だったのですね。よく覚えてたな。
草太が戸締まりしながら戻ってきて鈴芽が「おかえり」と言って終了します。その後ハーピーエンドが予想されます。
恋愛ストーリー的にはいい感じでした。
新海監督の描く女性は強いですね。今回の鈴芽はちょっと言い過ぎる場面も多く、優しさをあまり持ち合わせてないようでした。叔母さんとダイジンに対して酷すぎました。恋愛一直線で周りが見えてない感じでした。
震災がテーマで地震速報が鳴りまくるので、観ていられない人も多いのではないかと思います。
新海作品で毒気が1番少なかった
新海作品はぼちぼち拝見している者です。
『君の名は。』と『天気の子』はハマらず、刺さらずでした。
今作は上記の作品よりも非常に見やすくなっていたかな…と思います。
恐らく、上記2作品が刺さらなかった人には今回の映画は刺さるかもしれません。
新海さんの持っている毒気というか、その独特なヘキというかが少なく、垣間見えても違和感がなくというかでした。
新海作品には、秒速5センチメートルや言の葉の庭など、様々な作品で毒気というかを感じます。これは良くも悪くもです。それが今回は少なかった…多目に見ると、なかったです。
声優で起用された方々はあまりアテレコに違和感はなくて、良かったと思います。
地震、震災という部分に焦点を当てて進んでいくロードムービー調の作品です。
【以下、ネタバレ込み】
旅に出る時は、宮崎県から東北地方へと上っていきますが、恐らく過去に被災した場所を巡っているように思いました。
また、スズメのいる場所である宮崎は神の地…なので、神が絡むストーリーであること(要石)の暗示であったり、宗像家(宗像氏)の存在から、神の降臨したその地を選んでいるのだろうとも思いました。
ミミズが倒れるシーンは完全にエヴァですし、キャラクターのモブキャラは細田作品で見た事あるような…。
ダイジン視点で見ると、胸が痛む作品です。
後半はもうほぼダイジンの気持ちになって見ていたので、悲しくて仕方ありませんでした。
以下、気になった点です。
・すずめが違和感なくダイジンが眠る要石を引き抜いた/引き抜けたこと
・性善説をベースにしたように優しい取り巻きの人々
・草太が閉じ師として活動する中、要石についてあまり詳しくなかったこと
・結局、恋愛映画なの?
・草太が椅子にされる必要性
・椅子の片足がない理由
・芹澤、方言使った?
すずめの存在そのものが特異すぎるのか、彼女の行動で疑問が多いのは事実でした。
特に、結局恋愛映画に落とし込んだのか、それとも仲間や同志としての意味での「好き」としてのすずめの感情表現なのかが分かりませんでした。椅子になった草太にキスをしたってことは、それだけ好きってこと?だとすれば、まだまだ語られ足りてないような気もします。あっさりというか。
大きなテーマは「傷への癒し」だったと思いますが、癒しにしてはすずめの過去を引き出すまでにかなりの時間を要し、また大災害・震災で日本全国を巻き込もうとする行動の数々。
ダイジン追いかけ、遠路遥々宮崎から来たけれど、ダイジンを要石に戻すことから目的が草太を要石の役割から解放する…にスイッチ。
そもそも要石がもつ役割、また要石の成り立ち(地震を止めるための楔以外に、要石は人柱由来なのかどうかなど)が薄い。
要石の役割をダイジンから草太へ移すことができるという点を恐らく草太は知ってても良いはずなのに、知らない…そんなはずはないのでは?と思いますが、劇中では「ダイジンを要石へ戻せ!」とそれ以上のことは語られません。
程よく広く浅くなので、もう少し深みが欲しかったです。
メッセージ性が低い。
すずめの最後の独白も、「はあ、そうか…」くらいです。ごめんなさい。
宮崎で常に無理矢理明るく振る舞っている感じもなく、転校してきました~感もなく、劇中後半になっていけばいくほど急に暗くなり出すすずめが逆に怖かったです。
その地に対するネガティブなイメージの印象を明確に出すためだと思いますが、だったらすずめが幼い頃に潜った後ろ戸をもう一度潜ることだ、と草太の祖父から言われた辺りから暗い顔をするなり何なりすればよかっただろうに、です。
すずめが被災して、宮崎へやって来たところ馴染めなかったとか、馴染むまでの苦労(表向き苦労はしてないけど、実は内心すごくしんどく感じていた、とか)そういうことはなかった分、その急激に暗くなっていく落差が薄く感じました。
「むっちゃくちゃ良い映画だった!!」というよりかは「あ~、映画終わったなぁ。それで何が言いたかったんだ?」で劇的な余韻はなかったです。
ダイジンのことが気になり過ぎて、主人公であるすずめがノイズに感じて仕方ありませんでした。
ダイジン視点で見ると、鬱です。
しばらく引きずります。
真摯に向き合った姿勢は凄い、だがしかし
正直、観る気はなかったのだが、友達か急用で譲ってくれたため視聴。新海誠作品は映画館では一度も見たことはない。初めて知ったのもニコニコ動画のMADが初めての出会いでその緻密な描写には衝撃を受けたものである。一応、そんな出会いもあり「秒速5センチメートル」から一応作品は全て視聴はしているのだが…
結果的に言うとここまで公開規模が大きい作品で地震というセンシティブな問題に向き合っているのは素晴らしいと思う。しかし、やっぱり内容が雑すぎる。西と東の要石あるのに西の要石(草太)を、東に打ち込む。最終的に西の要石(草太)を抜き西(ダイジン)と東(サダイジン)の要石を東に打ち込む。東、西設定意味ある?それも一つで足りるんじゃ…閉じ師の設定は付属の冊子を読んだところ素質が必要らしい。それなら一言ぐらい入れるなどあってもいいと思う。個人的には草太に特別感も感じなかったので(詠唱が必要なのかもしれないが鈴芽が戸締まり自体は行えていたし)西に要石あるならもうひとりぐらい守護者いてもおかしくないと思ってたし。そもそも同時に空いたら、一人なら処理しきれないだろうし。
まぁ、そんな設定に目をつぶってもご都合主義すぎるのだ。道中出会う人は全て鈴芽に理解を示す。鈴芽が地震を防ぐため、自分本位な行動をしても。それに鈴芽が草太に対して好意を持ちすぎている気がする。一目惚れだとして草太にのめり込んでいくエピソードが皆無。(すぐ椅子になってしまったのもあるが)風景の描写(季節感も含め)、地域ならではの食事も含めて緻密なのに人の心理描写に「生感」がないのである。「君の名は」ぐらいまで、いや天気の子でも少しあったはずのものが…人の嫌な部分、すれ違いなどしっかり描いてたはず。伯母さんはブチギレさしていたが仲直りもよくわからないまま、言語化もされず。
音楽も今回は挿入歌も含め浮いてた気がする。特にドライブの曲は安直な共感を狙いすぎであると思う。これなら「君の名は」「天気の子」のRADWIMPSだけのほうが統一性を感じるのでまだそちらのほうが良かったかな(あまりRADWIMPS好きではないのだけれど)
しかし、今回初めて新海誠作品で閉じた世界(二人中心の世界)でなくなったことは評価できるかもしれない。次回で新たに閉じた世界以外を描ければ今回の作品がステップアップのためのものだと納得できるかもしれない。
怪現象が出てくる扉を探しカギをかけて回る青年と一緒に、震災で母を亡くした少女が旅をするファンタジックなロードムービーです。お出かけは一声かけてカギ懸けて。
新海監督の作品は大体観ているつもりなので
新作が出たならば観てみなければ
というわけで、鑑賞しました。
始まりは九州。 宮崎。
叔母と二人暮らしの女子高生=鈴芽。
ある日、自転車で登校する途中
一人の青年とすれ違う。
「このあたりに、廃墟はありませんか?」
この出会いから始まる
青年と鈴芽のロードムービー (なのかな…?)
鈴芽が廃墟で見つけた石の置物。
何気なく手にとってしまうのだが
怪しい現象が発生。
そこに現れた青年の力で
怪現象は封じ込めることができた。
その石、災いを封じ込める 「要石」 だった。
要石は「猫」にその姿を変え
二人の前から逃げ去ってしまう。
怪異を封じる際にケガをした青年=草太を
治療のため鈴芽が自分の家に連れてくる。
と、窓の外に先程の「ネコ」が。
「鈴芽は好き。 お前は邪魔」
草太は子供用のイスにされてしまう。
二人の前から逃げ去るネコを追いかけて
鈴芽と草太(イス)の追跡劇が始まる。
◇
こうして、九州から東北へと
人びとと出会い、発生する怪異現象を抑えながら
二人の旅は続くのですが…
#鈴芽の過去 (震災で母を亡くしているのだが…)
#草太の正体 (怪異の発生する扉に鍵をかけて回る)
#椅子の草太(姿を変えられたのか 封じ込められたのか)
#ネコの真意 (どこかへ二人を誘導しようとしている?)
このあたりの設定が分かりづらく
話の展開に 「?」 を感じる事が多かった気も…。
お話に要素を盛り込みすぎて
纏まり切らなかった …のかなぁ
そんな気もしました。
(自分の理解力不足は棚の上 えへ)
◇
新海監督という人
作品を徹底的に「作り込む」タイプではないかと
「ほしのこえ」を観て以来思っているのですが
この作品に関しては、いまひとつ
こだわりを感じる箇所が少なかったかなぁ
と感じたのでした。
(※個人の勝手な感想です ( _`_;)
◇ あれこれ
震災からの避難
東日本大震災で被災し、母を亡くした鈴芽。
彼女を引き取った叔母と暮らすのが宮崎
そして、叔母の話言葉が バリバリの「九州弁」
…というのが
何故か素直には納得できませんでした…
余程のツテがなければ 「東北 ⇒ 九州」 って
避難や疎開の対象にならないと思うのです。
叔母は震災前から九州で暮らしていたのだとしても
10年そこらの生活で、ああまで
ネイティブに「九州弁」を話すようになるものか … と。
以上
東北人としての素朴な疑問でした。
廃墟から出ます
「災い」とは廃墟の扉から出現し
もっぱら「地震」を引き起こす のだとして
震源が海底の地震は 「普通の地震」 なのでしょうか…。 はて
※東日本大震災の震源は海底なので…。
それとも
沈没船の扉から怪異が出た… とかになったら
「閉じ師」は海の底でも行くのかな。
◇最後に
描かれた世界観(閉じ師、とか) は好きです。
次の作品にも期待してます。
◇だそく
鈴芽の「父」のコトって、作中に出てきませんよね?
新海監督って、父親の扱い方が雑な気が…
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
動物に感情移入するタイプは注意
ダイジンに感情移入してしまって、
「解放してくれた大好きな人間に」
「扉が開いていることを教えたら憎まれて」
(最後は誤解は解けたものの)
「また冷たくて1人の空間に戻される」
というしんどい話だなぁと。
ただ間違いなく今まで見た新海誠作品の中では1番ストレスなく見れた。
動物(の見た目をしてるもの)が舞台装置として扱われていて悲しいタイプの人にはハッピーエンドではないと思う。
【新海監督あるある】愛ゆえに世界壊しがち
思ったこと① 後半のストーリーについて
大震災が起こるかもしれないけど、何の対策も考えず、草太石をぶち抜きにいくの流石に草だった。めっちゃ短い時間でどこで草太にそこまで惚れたのか謎すぎた。やっぱ顔?
思ったこと② ダイジンについて
ダイジンは最初めちゃくちゃ悪かと思ってたけど、後半しれっと良いやつ感出てきて草だった。草太要石にしたの忘れてねぇからな!目的がすずめと一緒にいたかっただけってのもあまり伝わらなかったよ監督、ただ最後また要石に戻されてちょっとかわいそうじゃねぇか
思ったこと③ 震災関連の描写について
マジであんまり事前情報仕入れてなかったから、あそこまでしっかりとした東日本大地震の描写をぶっこんんでくるとは思わなかった。日記の"3.11"黒塗りの絵のシーン、少し体調が悪くなるレベルで怖くなった。そんじょそこらのホラーより怖い。
話としては、最初のタイトルが出るまでのところでワクワク、ドキドキ感はピーク。
ただ震災の描写をストレートに描いていたのは驚いた。少しトラウマ。
個人的には何回も見て楽しむという作品じゃないかも。心が少し重くなった。
新しいジャンルの映画
今までの新海監督映画とは、また違った映画でした。(新海さんの何を知ってるんだ)
映画の内容が、見た瞬間に嫌な記憶を思い出してしまう人が多くいる内容かも知れません。ですが、記憶が薄れてしまわないように、これだけ恐ろしい事があったんだと深く深く胸に刻まれる内容を映画にしてくれました。
恐ろしいと、言いましたが、ただそれだけではなく形が違っても親子の愛、人と人との触れ合いの愛、愛は目に見えないけど必ずその場にある物を映像にしてくれました。ありがとうございます。
何度観ても同じ場面で泣いてしまいます。
感じ方は人それぞれなので、色んな意見があって色んな見解があると思いますが、私は好きな作品でした。
円盤買います。
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