すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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よかったけど、そういうの求めてないかも
全体的にはなしがよくわからんのよなー。
猫は何がしたかったん?
主人公は文句なしで可愛く、凛々しく主人公らしい主人公で、非常に好感が持てる。
ロードムービーとしては良かったんだけど、最後の妖怪大戦争はいらんかな。
前2作の少し不思議レベルを求めてたんだけど、むっちゃ不思議やん。
そこまでは求めてなかったかも。
後半のちょっと暗くなる場面での芹澤君は本当にいいやつだなー
新海さんの進化を見た
前2作は自己中心的な子どもが大暴れしているのを、ひたすら映像美で誤魔化している感じがしていました。
今回は伏線も沢山あり、
すずめ(子ども)がいかに責任のない行動をとっているのか、おばさん(大人)というキャラがいるからこそ分かりやすくなっています。
ダイジン=すずめ自身であり、
ダイジンの気まぐれさはすずめ自身の自由さとリンクしていました。
おばさんはすずめを「うちの子」にして責任をもって育ててくれましたが、すずめはダイジンを「うちの子」としてちゃんと扱いませんでした。
ダイジンはある意味、「捨てられたバージョンのすずめ」だと言えると思います。
私たちの記憶が封じられ、風化し、3.11のことが忘れられ始めた今、
扉を開いて記憶を呼び覚まし、ちゃんと要石(心に刻む)役割を果たしたこの映画は、新海監督の進化を表していると思います。
あと家族要素と恋愛要素のバランスが良かったです。どちらかに寄せすぎてよく分からなくなる作品もあるので。
今回ジブリっぽいなと思いましたが、悪くない寄せ方だったので今後も同じようにして欲しいです。
声優も併せて宗教映画みたいな児童文学映画感
アニメとしては無難によくできてると思います。
ただ内容と配色のせいで凄まじく某宗教アニメ映画のような印象を受けて仕方ない。
そしてそこにさらに松村北斗さんが露骨に「有名人(アイドル)がアニメの声やってやってるんだぞ」みたいな声の当て方をするせいで、さらに某宗教アニメ映画感が加速する(笑)
とりあえずエルなんたらだの、降霊術だの、宇宙人だの仏陀やイエスが降臨などと言い出さなくて良かった(笑)
正直映像としては近年のアニメらしく凹凸の合わないような背景や、背景と合わないキャラの動きと移動。そしてアニメでありがちなその場ステップな歩行など、ちょっといつもより粗は目立っていた印象。
キャラの動き、特に猫や椅子の動きに関しては今までの作品と比べてもかなりアクションやスピード感がしっかりしていてファンタジー的な動きがよくできていたかと。人の動きも天気の子と比べるとかなりよくなっていた感じがします。
反面、キャラの動きと背景の合わなさ、凹凸や地形との動きの違和感、わざとらしすぎるキャラの仕草の数々など、どうしても天気の子と同様に「君の名は」でウケのいいキャラクターの動かし方を学んだのでディズニーやジブリみたいな無理にアニメアニメしてますというような動きがどうしても気になります。
今のアニメにどっぷりで、アニメキャラはアニメっぽい動きをして当たり前、現実は見たくないみたいなタイプのアニメファンにはこういうののほうがいいんでしょうが…。
とにもかくにも作品としては新海誠らしいキャラの静かな動きや心情の機微みたいなものがあまり無く、どちらかというと良くも悪くも夏休みにありがちな児童文学の映画化と言う印象。
笑わせポイントや感動ポイント、泣き所も無駄にアピールが激しく、些細なところで何かを感じさせるような新海作品の良さはなかったかなと。
悪い言い方をすればバカでも泣けて笑えて、にわかでも知ったかができるエンタメ作品。と言う点ではよくできていたかと。
内容に関しては地震が主題にはなっていますが、まぁ内容としては「地震は実は未知の大いなる存在が引き起こしているんだ!真実を知るのは僕たちだけなんだ!」「なっ、なんだってー!!」
みたいな、まぁよくある長編アニメ映画的なノリ。
内容も実際問題、関東大震災、東日本大震災や阪神淡路大震災は多くの方がなくなり日本人にはとても辛い記憶であり、地震の恐怖を感じさせますが。
そもそも阪神淡路大震災、関東大震災は火災が原因ですし、東日本大地震は津波の被害がメインなので、日本ではかなり大規模な地震があっても建物の倒壊や単純な揺れでの被害は言うほどではないので、正直なんだか少しズレてはいるなーという印象。
その場で生きている人や、被災にあった人の表面的というか絵に描いたような恐怖感ばかりで、リアルな人達が感じた日常や温かみの喪失というような何かそういう等身大の喪失感があるわけでもない…。
声優に関しては全体的に悪くなかったのですが、松村北斗さんの演技が正直酷い。
ハウルの動く城のキムタクとよく似た感じですが、がキムタクと比べると声の質は画面映えしますし、比較的喋り方も下手ではない。
のですが、とにかく口パクとセリフが合わない、一人だけマイクの距離感間違ってないか?といいたくなるレベルで声が浮いている。加えて「僕はアイドルだけどアニメ声優もできまーす」みたいな感じの喋り方や演技ががとにかく目立って、アニメや声優を馬鹿にしてんのか?という印象を受けてしまう。
開始からそうそうにキャラを椅子にしたのは本当に英断です。そして要石になった瞬間は正直「よくやった!」と思ってしまった(ファンの方すみません)
そして彼の存在と演技のおかげで神木隆之介さんの声にも違和感から入る形になってしまいさらに地獄に…。
この手のアニメ映画にアイドルや芸人、芸能人を使うのはよくあることですし、個人的にはジブリや長編アニメの棒読み芸能人もそれはそれで味だなとは思いますが…。
風立ちぬの庵野監督があれだけ序盤違和感があっても、だんだんと聴き慣れるように、本来は演出やキャラの描き方、音の調整が行われるのでしょうが。
松村北斗さんの場合は声質や喋りがそこそこできてしまったが故に、余計に半端感や「アイドルの自分」を捨てきれないような演技になってしまっている印象を受け、それが製作者の顔や意図を意識挫折しまい、映画全体の所謂メタ的な要素にも監督や客寄せ用芸能人たちの「お前らこう言うの好きなんだろ?」という部分に視聴側の意識も「見せられてる」という意識に拍車をかけてしまった感じに…。
ようは製作者の顔がちらついてしまい作品のキャラクターのリアルに没頭できないんですよね…。こうなってしまうとこの作品の根幹である被災者達の失われたリアルも、余計にただの絵ぞらごとになってしまって、ただの御涙頂戴の戯言にしかならない。
色々言いましたが、アニメ映画としてはとにもかくにも可もなく不可もなく。露骨につまらないと言う感じもありませんでしたが、別に面白くも得るものもなく、それなりに綺麗にそれなりによく動いて、笑わせどころも泣き所も用意された、ベタなアニメ映画だったなと言う印象。
天気の子ほど酷くはないですが、まぁ…新海作品である必要もないかな?と言う感じでしたね。
この内容ならある意味では星追う子供のほうがマシだった気もします。
ダイジンの気持ちが何とも切ない
ヒロインの鈴芽が草太と出会う所から始まる壮大な物語です。
終盤の絵日記の黒塗りから、また元の絵日記が描かれているため、震災で苦しんだ人々を勇気づけるメッセージ性が伝わってきます。
もう1つ注目してほしいのが、ダイジンと呼ばれるネコです。
最初は、災いを招くネコとして描かれていますが、実は鈴芽の震災でのトラウマの元である鈴芽の実家を導いていることに気づきます。
ダイジンは最初「すずめ好き」と言います。鈴芽が草太を引き抜く時、ダイジンは一緒に手伝ってくれます。終盤は「すずめの子になれなかった」と力なく言い、石像のような姿に変わってしまいます。ダイジンは鈴芽の味方だったのです。このダイジンの気持ちが何とも切ないですね。
中盤に懐メロの緩い曲が流れ、そこから終盤に一気にボルテージが上がっていく緩急のつけ方は見事ですね。
新海誠作品の中で、最高傑作の部類と感じました。
賛否両論あるかもですね
君の名は、天気の子、は映画館で10回以上は観ました。
今回も楽しみにしていて、警報が鳴る事も分かってはいたのですが、3.11の事を扱っているという事は正直知らなかったです。
震災があった地域に住んでいるのですが、友人を誘い観に行きました。
映画を見終わって、友人からは、3.11の事を扱ってるなら来なかった、途中から見るに耐えなかったと言われてしまいました。
個人的には火垂るの墓の現代バージョンのような描写だなと思った箇所もあったので、そういうところが苦手な人はもしかしたら多いかも知れません。
もう少しお知らせが必要だったかも、です。
実際震災を思い出してしまいますし、個人的にあの震災を経験した身で思う部分として、エンターテイメントにする事についての可否や必要性を考えてしまう部分もありますが、ただ他の方のコメントも見て、だからと言って腫れ物に触るように封印する事がいい事なのか、と問われると違う気もしますし難しい問題だと思いました。
死はいつも隣り合わせで、生死は運のようなもの、だから今を大切に生きる、それを伝える為に監督は賛否両論があるのは分かっていながらも、反対意見が出るのを十二分に知っていながらも身を粉にしながら創り上げたんだろうと思います。
と、見た目での感想はこんな感じでした。
そして目に映るものだけではなく、気持ち的な感想なのですが、個人的に、前に進む為の心の扉=扉を閉める、という作業にも思えました。
いや、必ずしも思い出に蓋をする必要はないのですが、生きる為にはその気持ちにお礼をして自分なりのさよならをする事も時には重要な気がします。
震災だけではなく、皆んなそれぞれ生きていると目を閉じたくなる事、思い出したくない事、何かしらあるはずです。
ちょうど私にも5年ほど目を逸らし続けてきた事があり、毎日自暴自棄になっていました。
いつまでもそれにしがみついていても、それを恨みつづけて人生が終わるだけというのも分かってはいるのですがその気持ちに鍵をかける事が出来ずにいました。
今回この映画を観て、そろそろこの思いにもきちんと戸締まりをして、前に進んでもいいんじゃないか、と思えました。
それだけでも自分には観た価値があったのかも知れません。
明日も生きるから、今を生きているからこそ見て欲しい映画だと思いました。
個人的にはもう少しradwimpsの歌が欲しかったです。
2曲では物足りない…笑
すずめが面食い尻軽女(予備軍)にしか見えんのよ笑
(作画は確かに)新海誠監督の最高傑作だった。しかし、
何 故 微 妙 だ っ た の か ? ? ? ? ?
公開初日の初回上映で行って参りました。流石に平日という事もあって満席ではありませんでしたが、上映回数もエグいのでこれからでしょうね。
はてさて、圧倒的な大ヒットで今日まで続く邦画アニメ時代の走りとなった『君の名は。』、それには及ばずだったが十分にヒットした『天気の子』。そして今作『すずめの戸締まり』はと言いますと・・・・・・・
・・・・・・ぶっちゃけ ? (クエスチョン)だった。。。。。
そもそも予告編からして僕はイマイチピンと来なくて、トゥ~ル~ルルルル~♪ のイントロしか覚えてなかった。『君の名は。』では男女が入れ替わってワチャワチャする~!?っていう分かりやすさが有ったし、天気の子もなんか天気を操作する女の子が居るんだね~という感じだった。
そして本編。これは天気の子でもそうだったのだが、まず ”驚きが無い” 。本当に予告編で見たまんま。『君の名は。』では入れ替わりにトリックが有って更に彗星から街を救う話へと変貌するが、この『すずめの戸締まり』は扉ガチャガチャするだけ。その扉が増えたり変形したり「そんな手段も有るのぉ!?」というような驚きも無く、最後まで鍵でガチャガチャ。両側から閉めたりみたいな斜め上のやり方であっと驚かされるような演出も無かった。
まず序盤から草太なる男が椅子に変えられてしまうのだが、これが非常に滑っている。鑑賞者がかなり置いてけぼりの状態で追いかけっこが始まるので「い、椅子?w」というテンションにならざる得ない。ここは予告編でも分かっていたが、予告編まんまでそれ以上の隠し要素も無かった。
それでも作画は流石の一言で、日本アニメ史上最高クラスの息を呑む迫力だったことは報告しておきたい。エヴァンゲリオンやジブリを嫌でも意識させられる感じなのだが、景色が綺麗~という新海誠監督のイメージからの脱却にもなっていて良かったと思う。
でも本作、本当に作画とすずめちゃんの可愛さぐらいしか響かなかったというのが正直な所。
そもそもストーリーラインの分かりづらさが致命的で、序盤から匂わせているすずめの過去も弱く、すずめ自身に何か秘密が有るのか?草太との関係性は?ミミズの正体とこれはいつまで続くのか?という要素が全部薄まって作画の凄さに黙らされているような感覚なのだ。
そして最後、殆どの鑑賞者は「いやなんで過去のすずめに干渉出来たねん?」とツッコミを入れる事になるだろう。これはクエスチョン付くわ。
で、最悪なのが一番分かりやすいストーリーラインでもある草太への求愛。あのさ、、、登校中に一瞥しただけで別に近所に住んでる訳でも無い ”ガチの赤の他人” にメチャクチャ惹かれて県外まですっ飛んで行って、殆ど椅子だったのにいつの間にか惚れてました!って無理有りすぎるやろおおおお!!!!!!(笑)(笑)
実はすずめの過去繋がりでこの草太に何か有るんだと思ってた時期が僕にもありました。まさかまさか本当にあの坂での出会いが初見とは。。。現代のパパ活女子を皮肉ってるのかな?(「綺麗~」というセリフもまあまあ違和感だったのでここに何か秘密が有るのかと思ったが)
船に乗ったくらいの時点で完全に惚れてるし、もう意味分からん。
『君の名は。』では入れ替わりやその歳月と組紐が結びつける運命、『天気の子』なら同年代で似た境遇同士の絆というのが有ったけれども、境遇も環境も何も共通点が無い普通に赤の他人に惚れる要素どこよ。
ここが弱すぎてすずめがただの面食い尻軽女予備軍にしか見えんのよね(笑)。何に感動するのよこれ?作画が日本アニメ史上トップクラスに良いから余計に凄いモヤモヤさせられる。
絵面は凄まじいのに感情をどこに乗っけたら良いのか分からなくて、最終的にはすずめの境遇や遠回しに描かれる東北震災の苦い記憶に甘えているような気がする。
終盤では暗にすずめが東北出身だと明かされここで少しハッとさせられるような演出になっているのだが、ぶっちゃけまだ10年余りでまだまだ地続きで生活していらっしゃる方は大勢居るだろうし、もうミミズに絡めてエンタメ化して良いものか?とも思えてくる。
それにすずめは草太と同じミミズが見える者ならそれは昔からなのかそれとも最近開花したのかどっちなのかも明らかにされていないし、結局どっちが特別なのかどっちも特別なのか、草太はそういう家業が有るから分かるとしてもすずめはただの一般人のハズだがどういう理屈なのか。全くハッキリしない。最近は一周回ってこれくらいの大雑把なのが増えてる気がする。
話を戻して、本作とにかく作画は良いのだが、新海誠作品的なノリに甘えているのだ。少女が各地を飛び回って成長していくのは分かる。けどそれの終着点が登校中に一瞥しただけのよく分からんしかも年上の男への求愛ってのがキモすぎるし、『君の名は。』的に実は会ってました展開が有る訳でも無い。更に過去のすずめに介入していたのはすずめ自身で、その原理もよく分からず急にタイムリープ要素が絡んでくる。
前情報ですずめが日本各地を飛び回るのは知っていたので、この辺でもっと色んな人々との絆が深まって最後「オラに元気を分けてくれー!」的な展開かとも予想していたのだが、実際は道中でお世話になるだけ。結局仲間に加わったと言えるのはオラつき瀧君くらいで、それも半分はファンサービス。
すずめの性格がある部分ですげえ拗れているだとか、そういうギャップが有れば面白かっただろうに、 ”普通に聖人” なので各地で出会う人々とも問題無く触れ合い良好な関係を築いていく。なので、ある意味本当の成長がそこには無い。すずめは結構面倒くさい方が面白かったかもしれない。
何より圧倒的に致命的なのが、終盤にて無理矢理に感動的な雰囲気を演出してくるところ!!!『君の名は。』であんなに感動的な再会シーンを作れた新海監督はどこに行ったのよおおおお~~~!!!と言いたくなるほど、スカして置いてけぼりな状態だった。
えっと、、、そんなよく分からんアンバランスな男女が再会したところで感動の要素なんて無いし、むしろ育ての親関連とかそっちの方がよっぽど泣けるわ!と言いたい。草太も草太で実は病気ですとかすずめを昔救った人ですとかそんな関係性も一切無いので、「え、、この草太との再会に感動すればええん?」という空虚な感覚を抱かされる。
いっその事すずめに元彼が居てその苦い記憶が有るだとか、そういう構図ならまだ新しい恋として映えていたかも。純真無垢だからこそなのか?う~んむしろ初めての恋がそれで良いのかすずめ!?(って作中でも誰か言ってなかったっけ)
日本人にとって身近な地震とあの震災の記憶。それを絡めて日本各地を救い、元気にするすずめというバランス感覚なのだろうが、流石に欲張り過ぎだ。『君の名は。』では男女の高校生。『天気の子』ではやや男性向け寄りで不思議系ヒロインだったので、今回はやや女性向けにシフトさせているのだろうが、結果は失敗だったと言えるだろう。
単純に作品の面白さでいうとやはり今回も『君の名は。』を超えられなかったという印象。やっぱり大きくなるとシガラミも増えるということなのか・・・・・。
次は似た立場の男女でシナジー込み込みで行きましょう!新海監督!!
この脆く儚くもあまりに美しい世界
地震
地球表面を構成している岩盤の内部で
固く密着している岩石同士が断層を
境目にして急激にずれ動くこと
これによって起こる大きな地面の振動
(地震動)
日本は地震大国で100年に一度は
歴史的大地震が必ず起こっており
太古より地中深くの巨大ナマズが
暴れることで起こるとされ
要石でナマズを抑えることで
地震を防ぐという信仰がなされている
神社もある
これまでも美麗な日本の風景を
舞台に隕石や洪水などの自然現象を
テーマにしてきた新海誠作品
今回はついにこのテーマ
感想としては
一言今作も素晴らしかったと思う
伏線を少しずつ回収していきつつ
ずっと抱えていたモヤモヤがラストで
スッキリ晴れる作りは見事でした
あの人(子)を救うためなら
世界がどうなってもかまわない
という選択が結局正解になるという
監督ならではの展開も上手にはまって
いたと思います
新海作品では珍しく
ダイジンやイスなどのキャラクター
が登場したり目新しさもありますが
何より手がかりのないダイジン
探しにハッシュタグ付きのSNSが
役にたったり交通系ICが足取りの
手掛かりになったり現代のツールを
しっかり理解して作られてる感じが
親近感と没入感生んでると思います
田舎の女子高生がスマホ一個で
宮崎から東京まで行けるか?
行けちゃうんですね
(残高さえあれば)
しょっちゅう故障で屋根が閉まらない
某社のオープンカーなど
これを出すからにはこうなるといった
仕掛けがちゃんとあって細かい
そんな近代の日本がこれまで
経験してきた未曽有の大震災の中心地を
主人公たちが意図せず立ち寄っていく
展開には日本人ならではのそこ行くんだ
みたいな複雑な心境になりますね
そしてかつて訪れた人の思いがたくさん
あったはずの夢果てた廃墟から
ミミズが這い出して来る・・
いくつもの大災害があっても
いつしか忘れて気が緩んだところで
また突然どうしようもない災害が
起こるというジレンマを
表現していたように思いました
そして
主人公たちが最後にたどり着く
「あの地」
テレビを介して目の当たりにした
あの地獄のような光景と
新海作品の書き込まれた災害前の
美麗な風景でやられるとこうも
刺さるのかと思ってしまいました
そうした災害にあたっても
人々はどうにか割り切って生きようと
するけどどうしても納得しきれず
漏らしたくなる本音があります
母を失ったすずめを引き取った環が
思わず吐露するシーンなどにも
よく表れていました
でもそのシーンで出てきた
「そういう思いもあるが
それだけではない」
この一言は全てですよね
こうした作品を3年に1度の
サイクルで作るたびに
人材が集まってきて進化する
新海作品
かつては・・某スタジオが
これをやっていたわけですが
あちらはもう公園作るくらいしか
やる事がなくなってしまいましたが
(新作製作中ですが)
それを観ていた世代の人たちが
こういう作品作るわけですから
受け継がれていると言えます
今作も前作以上に大ヒット
するんじゃないかなぁと思います
元気が出る。やりたいことができる。
•絵が好き
•焼きうどんにポテトサラダ入れるのめっちゃ美味しそう→美味しかった
•オープンカー乗りたい
•旅したくなる
•猫飼いたくなる
最近辛いことがあって元気がなかったけど明日から頑張ろうと思えました。
2023年10月1日おかえり上映(2回目)視聴!
•一回目よりめっちゃ感情移入した。
•死ぬのは怖いし、死はいつも隣り合わせだということもすごく分かるし大切な人と離れ離れになるのはとても怖い、、だけど、これから自分のことを好きになってくれる人もたくさん現れると思うと勇気が湧いてくる。
•これから自分の未来がどうなるかは分からないけど精一杯生きようと思った!
未来なんか怖くない!
内容は良いとして声優が下手すぎ
まず内容としては昔の新海誠が帰ってきたような内容です。お話は天気の子とジブリを足して割った感じです。淡々とストーリーが進んでいくので考察とか過去作品の発見とかを期待してる人はそう言った内容は無いので気を付けた方がいいです。
声優は主人公のすずめを演じた原菜乃華さんの演技力は以前の作品と変わらずの演技力の子を起用したんだなと言う感想です。そして問題なのは草太を演じた松村北斗さんの演技は正直聞いていて気持ち悪くなるほど下手でした。棒読みなのはもちろん笑いの演技に関しては聞いてて下手だなと思わずにはいられませんでした。原菜乃華さんは役者さんだからかあまり違和感なかったのですが、松村北斗さんは演技指導が入っていないのか広告費を浮かせるためだったのか知りませんか起用しない方がよかったろうなと言う感想です。
スッキリした
最近の新海監督の作品にしては、君の名はを見て、天気の子をまだ見ませんでした。戸締りを見終わった感想を一言に言えば、スッキリした感じになりました。
学校という環境をある程度離れて、青春だからこそ何も考えなくてもいい、ひたすら旅を出るストーリーな感じになるかな。boy meets girlの構成で穏やかの構成の割には、ずっと旅をするゆえに、ストーリーの進むテンポはそんなに当たりやすくならなくて楽しくなりましたね。
当時君の名を見終わったら、モヤモヤしてたまらなくて真っ直ぐもう一回見たいという気持ちで、今回はいい出会いかな、祝福したいかなというスッキリしてかなり満足できました!
後音楽も個人的にニーア、ghost in the shellのような感じの曲すごく気にいります。何より、ストーリーの構成は今回はそんなにコマーシャルではなく、監督と製作陣が表現したいことを伝われて嬉しいかった。
0.5マイナスしましたけど、映画自体の感動さと印象深さは以前より減って、少しだけ物足りない気がしましたね。
全体的にいいアニメ映画と思います。
エヴァであり、ジブリであり、ディズニーでもあった..。
結論から言うと、君の名は、100点。天気の子、80点。すずめの戸締まりは、、60点、でした。
絵はいつもながら美しく、壮大で、音楽も良かった。
しかし、東日本大震災をそのまま追体験したような悲しみは、観ていて少々辛かった。後半に自然と涙は出たが、それはこの映画の内容に対してでは無く、震災で被害にあった子を思うと悲しくて泣けて来たような気がした。それでも強く、生きるんだ、というメッセージは分かるが、被災した方々が本当にこの映画を観て強い希望を抱くのかは、疑問に思った。映画として、エンターテイメントとして昇華させる以上、そこは隠喩であったり、もっと全体的に間接的な表現であって欲しかった。
そして猫のダイジン。どこがダイジンっぽいのだろう?最終的に良い猫?だったのなら、なぜ要石を押し付けたのか?要石は人の世の為にあるはずなのに、もはや呪いのように誰かが背負わなければならないものなのか?またダイジンを悪者に無理にミスリードするようなセリフも後で思い返すと、??なところが多く、スッキリはしなかった。
そして何より、
ミミズの描写はエヴァだし、
左大臣はジブリだし、
イスの動きはディズニーだし、、。
気にはしないようにしたけど、なんだかヒット要素を詰め込んだような既視感が少しあって、その辺りは少し醒めてしまった。
良くも悪くも「君の名は」が大きな呪縛となり、
自由なクリエーションが出来ないのか、
作品への参加者が増えたせいなのか、
もしかしたらこのままだと、次回作は映画館には行かないかも知れない。
でも次回作はもっと素晴らしいものができる事を祈りつつ、
監督やスタッフを応援することにします。
ありがとうございました。
疑問に思うことも多いが、新しいことをやろうという意欲は感じ取ることができる
いつもながらの映像の美しさと、アニメーションとしてのレベルの高さは申し分ない。
人の思いと地震の発生とを関連付けて、日本の抱える「過疎化」と「自然災害の多さ」という問題を浮き彫りにする着想も斬新である。
気持ちがまっすぐで行動力のある主人公のキャラクターには好感が持てるし、何よりも、「天気の子」とは違って、自己犠牲を肯定的に描いているところにも共感することができる。
ただし、物語に引き込まれたのは東京の地震を食い止めるところまでで、それ以降は、疑問に感じることが次から次へと沸き上がってくる。
例えば、現役の「閉じ師」は草太だけなのか?だとしたら、もし、草太が要石のままだったら、この先、日本はどうなっていたのだろうか?
ダイジンとウダイジンの目的は何なのか?要石としての役割を放棄して自由に暮らしたいのかと思っていたら、鈴芽や草太と一緒にミミズを封じ込めようとするのはどうしてか?それとも、要石の配置を変えることが本当の目的で、そのために鈴芽と草太を導いたということなのか?
なぜ、ミミズが死者の世界である「常世」にいるのか?ミミズは、地下に溜まった地震エネルギーだと思っていた(草太がそんな説明をしていた)が、死者の世界にいるということは、人間の怨念や恨みが形を変えたものだということなのか?それにしても、何度も常世を覗いている鈴芽や、子供の頃の鈴芽がミミズを見ていないのは不自然であり、やはり、常世とミミズの棲みかは別にした方がよかったのではないだろうか?
常世はあらよる時間に通じているようだが、東京で要石になった草太に宮城で会えたということは、空間も超越しているということなのか?だとすれば、ラストで、鈴芽たちは、どこで発生しようとしていた地震を封じ込めたのだろうか?それとも、地理的な概念は関係なく、地震そのものの根源を絶ったということなのだろうか?そうであれば、日本のどこにも(少なくともしばらくの間は)地震は発生しないということになるが、その一方で、前述の「要石の再配置」という考え方とは矛盾することになってしまう。
と、こうした様々な疑問符のせいで、ラストの「自分に会う」というせっかくの仕掛けがあまり心に響かなかったのは残念だった。
とはいっても、「新海誠」色を残しつつも、マンネリには陥らないようなチャレンジ精神も垣間見ることができて、全体としては満足することができた。
震災を語る、描く資格とは
当事者にしか分からない感情、想いがあるのは確かだと思う。
現に私は東日本大震災を外側から見ていただけの立場なので、触れてはいけない、安易に分かるフリをしてはいけない、という意識というか、何をしてもこれ以上は理解できない、近づけない部分があると、理解できたと思ってはいけない立場だと感じてしまう。
ただ、津波の映像に恐れ慄き、もう戻らない家族を想い泣く人たちの姿に、一緒に泣き、今生きている自分の大切な人を抱きしめ、自分だったらと色んなことに想いを馳せて悼んできたことは事実。
君の名は。を観た時に、現実では救われなかったものをエンタメの中で救われるものとして描いていて、本当にそうだたったらどれだけよかったか、そうしたかった、そうさせたかったという想いが伝わって私は泣けた。
今回の作品はより具体的に東日本大震災を扱っているわけで、監督が世に出すのが怖いという気持ちが分かる。当事者が、被災者がこれを観てどう思うか、私が作り手でも怖いと思うだろうし、描く資格があるのかないのか考えてしまうと思う。
けれど、考え続け、向き合い続け、表現し続けることの意味はどの立場の誰にとっても必ずあるし、それを誰かが批判するのもまた違うと思う。震災の記憶を持たない人へ届ける意味も大いにあると思う。
、、と、震災のこと中心に観たら、色んな人たちの「いってきます」と家族と交わすシーンが尊くて切なくて泣けた。
声優はどれが誰か気にならないくらいうまく役にはまっていた。エンドロールで、あ!そうだったの!というかんじ。
劇場で観れて良かった。
脱臭しすぎながらも、確かに揺さぶられるものはある。
ストーリーとしてはかなり駆け足だった「天気の子」と比べて、綺麗にまとまった内容でした。
ただ何というか、脱臭されすぎなんですよね。
「君の名は。」でも新海監督らしさを脱臭したと言われていましたが、それでも新海監督だなーと思うシーンは端々にありました。
それが今回は……ほぼ無い。
深い新海監督のファンなら「そんなことはない!」と言うかもしれませんが、一般的アニメ映画ファンの自分には新海監督らしさがかなり薄れてしまった印象があります。
・ポエムがない
あの聞いてるとこっ恥ずかしくなるような、新海監督の代名詞である心象描写のポエムが無い。
なんかアッサリしてるなと思ってたら、劇中でポエムが無いのです。
あれも賛否両論だとは思いますが、アレが無いと新海作品を観たという気にならないんですよね。
・背景描写がアッサリ
相変わらず背景は美しいんですけど、なんか印象に残らない。
「君の名は。」や「天気の子」って劇中で背景を主役にして、やり過ぎなくらい美しい背景を観させるシーンが随所にありましたよね。
今作は「背景はあくまで背景。」と言わんばかりに、美しい背景を主役にしたシーンが無い。
・MVみたいな演出が無い
「君の名は。」で斬新な手法として受け入れられ、「天気の子」ではやり過ぎと批判を受けた、曲を使ったMVみたいな演出。
アレ好きなんですよね。
印象的なシーンとともにいやでも曲が耳と頭に残る。
前前前世とかスパークルとかなんでもないやとか。
愛にできることはまだあるかいとかグランドエスケープとか。
今作無いんですよそういうの。
・ハイライトらしいハイライトが無い
「君のは。」では黄昏時の瀧と三葉の逢瀬や、手のひらの「好きだ。」、隕石の衝突、そして最後の例のアレ。
「天気の子」では花火シーン、そしてグランドエスケープ。
これら印象的な映画の盛り上がりどころが用意されていましたが、今作ってあまり思いつかないんですよね。
私が一番心揺さぶられたのは過去の自分との会話ですが、過去2作とは揺さぶられた理由が違います。
過去2作はその映像に心揺さぶられたのです。
観たあと何度も頭の中で繰り返し、物足りなくなって「やっぱり映画館でもう一回観ないと!」ってなるようなシーンに。
今作は子供の悲痛な叫びに心揺さぶられたんですよね。
悪くはないんですが、新海監督に求めてたものとは違うと言うか……。
・ヒロイン兼主人公が可愛い
新海監督の描くヒロインってまぁ現実にはいないよね、と言われるようなキャラばかりですが、それが良いのです。
今作も素直で芯のしっかりしたヒロインで素晴らしかったです。
ただ一つ難を上げるなら、主人公が草太にあそこまで肩入れするのかイマイチ伝わらないというか。
イケメンなのはわかりますし、旅を重ねて恋愛感情を抱いたのはわかるんですが、映像としての説得力がちょっと足りないといいますか。
草太がすずめに惚れるのはわかります。
あそこまで甲斐甲斐しくともに旅をしたんですし。
要は草太の魅力が描き切れていないような気がするんですよね。
すずめと草太が絆を深める前に椅子に変えてしまったのは失敗だったと思いますね。
どんなにともに旅をして絆を深めても、スクリーンに映っているのは椅子です。
最後に元の姿で戻ってきても映像の説得力が弱いのです。
「君の名は。」では二人が惚れる決定的なシーンなんかありませんでしたが、それを力づくで黙らせる圧倒的な映像の説得力がありました。
あと瀧と三葉は映画内でどういう人間なのか描けていましたし。
・ロードムービー
行く先々の人たちは魅力的でした。
特に芹沢は良いキャラしてました。
・かなり直接的な超常描写
今までの超常現象って明らかに神様の存在が示唆されていましたが、一応神様を明確に描写はしていませんでした。
それが今作は明確にダイジンという神様的な存在を出してきました。
個人的には過去2作の、明らかに超常現象だけど神は人間が触れることのできない存在である、という描写が好きだったんですよね。
全体的に惜しい、あと一息だと思う作品でした。
MV要素と背景をたまに主役にして、あとポエム。
椅子に変身するのは後半にすればちょうどいい塩梅だったんじゃないかなと。
あと作画が雑なところが見受けられました。
最後の最後とか本当にアレで良いんですか? と思いました。
ただ叔母の心情を吐露するシーンとか、子供の自分との対話とか、心を揺さぶられたシーンは確かにありました。
叔母の「それだけじゃないんよ。」という言葉に込められた愛情は深いですし、子供の自分との対話は「遺された者の悲哀や希望」を感じることができました。
取り敢えずあと3回は観るとして、次回作も期待しています。
〜以下追記〜
2回目観ました。
ごめんなさい評価変えます。
めっちゃ最高でした!!
2回目はすずめが娘のように見えて、ボロボロ泣きました!!
小すずめが慟哭するシーンは「おあああああ」って心で号泣しました。
扉はトラウマを表現しており、鍵をかけて封印していく。
でも最後は自ら扉(トラウマ)を開けて、過去の自分を救いに行く。
道中の人々は支えてくれてすずめを成長させ、最後に成長したすずめは自分自身を助けに行く。
母親の死後死が怖くないと達観していたが、「生きたい。」と願うように成長したすずめが。
そして鍵をかけるという行為は、それが大切なものだということでもある。
子供時代の記憶(トラウマ)は確かに悲惨な記憶だけど、だけどそれだけではない家族との大切な思い出も詰まっている。
ここは叔母の「それだけではない。」というセリフに掛かってる。
それらを大切にしつつ、光ある未来に向けて「行ってきます。」
ああああああ!!
エンタメとしては君の名は。が最高傑作ですが、新海作品としては「すずめの戸締まり」こそが最高傑作と自信を持って言えます!
新海作品は2回目が本番です。
是非みなさん2回目行って下さい!!
描いてくれてありがとう
当事者だったから分かる。被災地から来たと強調されればされるほど「被災地出身だから何なんだよ」という陰口を聞いた。震災というテーマは必ずしも万人受けするテーマでは無いにも関わらず作品にしてくれて嬉しかった。
「私の人生返してよ」黒い化け猫が憑りついたから出た言葉ではないことが解かった。亡き姉妹の子を1人で育てて来たおばさんとおばさんの気持ちも振り返ることのできた優しい娘。本当に良かった。
ダイジン!!!!
何故あの白猫がネット上でダイジンと呼ばれ始めたのか誰が呼び始めたのか。
まあその辺のツッコミは野暮なのでしませんが、すずめに嫌われて、ダイジンが「ガーン…」って表情でしおしおになっちゃうところでこっちまでメンタルダメージ食らいました。
猫の形をした神様だけど、愛嬌があって憎みきれないダイジン。
長年誰にも認識されず、一時的とはいえ自由になった後に美味しい食べ物を貰ったらそら好きになっちゃうよね。分かるよ。
そして最後はやっぱりそうなるよね…と思いつつもダイジンのラストに涙した。
ダイジンが元の石に戻るところで涙腺崩壊してしまった。
そうするしかないのはメタ的には分かってるんですけど、石に戻る時のダイジン可哀想過ぎんか。
いや、それも運命か。ダイジンは元々石だしな。いやでもな。
なんかこう、葛藤を抱えながら映画を観終える羽目になりました。
圧倒されました
最後まで全く中弛みなく、ハラハラしながら観ました。
朝観て、昼御飯食べてからもう一回観たくなって観ましたが、
二回目もハラハラしながら観ました。
ちょうど公開日が仕事休みだったので得した気分。
同日に同じものを二回観るなんて初めて。
洋画で字幕版と吹替版を続けて観ることはあるけれども。
アニメは観ないし、新海ファンでもないのだけれどそれでも新海作品は何回も観たくなってしまうのよね。
11/18現在、一週間で4回観ました。
考察とか能書きとかは置いといて。
何度も観たくなってしまう何かがあるみたい。
昨日IMAXで観たときは結構泣いてしまってよく見えなかったので
改めてもう一回観に行かなければならんな。
ダイジンフォーカスで観ると猫好きはめっちゃ泣けてしまうよ。
(どうでもいいのに)気になっていた点→
神戸でマクドに寄ってビグマを食べていたようだが
ルミさんがダブチなのに、鈴芽がビグマ。
ルミさんのおごりではなくて、鈴芽がみんなの分を支払っていたのね。乗せてもらったお礼か。
あと、車内でビグマを食すならばラップでオーダーしようぜ。レタスが大惨事だ。
ということで、現在6回目観賞済み。
そうそう、何度か観ているうちに思ったこと。
草太を救いに行く理由。
一目惚れでそこまでするかってことだけど、
『大事な仕事なのに』『草太さんのいない世界が怖い』『私が要石になるよ!』
鈴芽の恋愛感情より以上に、この世界には閉じ師である草太が居なければならないという理由からではないのかなと思ったり。
先日池袋サンシャイン60にすずめの椅子が展示されていました。あのサイズ感からすると、鈴芽は背が高いのかな?バリケードやガードレールを軽やかに飛び越せるわけだ。
面白かったです。
イケメンの草太さんに完全に一目惚れで追いかけて巻き込まれた女子高生。いや巻き込んだ女が正解だと思う、彼女がいなければイケメンが椅子にされる事もなく試験にも行けて事件も起きずに平和な可能性が高い。
これがイケメンでなければ発生しない事案である。もし俺が女子高生に声をかけようものなら、作り笑顔か嫌な顔で見られるだろう。私から早く離れて忘れたい女子高生が爆誕するに違いない。
何も持たずにスマホがあれば電子マネーで今や旅に出られる。この作品をいつか遠い未来で見た子供達が電子マネーって何?と聞く事が訪れるだろう。※私は独身です。
---------------【すずめ】------------
最初に言っておく。『最高に可愛い』
めちゃくちゃ行動力があり、ちょっとS気があり。(私も足で乗られたり座られたい。)運動神経抜群でスタイルも良くて優しくて、辛い過去を背持った女子高生。色んな人に好かれる性格の彼女。人間らしさを持っていて叔母が重く感じている。目標や目的の為なら死ぬような事でも、どんな怪我でも恐れず死んでも構わない系女子である、とりあえず『もっと生きたい!』と言うのは、持っている。
---------------【岩戸 環】-----------
めちゃくちゃ可愛い。結婚したい
、もちろん自分はすずめちゃん派ではあるものの環さんも可愛い
自分も稔側なので、気持ちは痛い程、わかる。美人に恋愛対象外にされている事が。
芹澤と会った後だと岡部稔の存在は更に恋愛対象から離れていくと思った。
彼女の苦労は恋愛とは別にある。
すずめがいようが恋愛は可能だから、そこまで好きになった男が現れなかっただけだと思う。
すずめに絶対に言ってはいけない言葉を出すも、反省し逃げずに、ちゃんと最後まですずめの側にいた素晴らしい女性
---------------【感想】------------
面白かったです。本当は長々と書いていたのですが、間違えて消してしまい断念しました。見て良かったと思いました。泣きました。
---------------【オマケ】------------
①猫の気持ち、あまり考えずにすずめちゃんが最後に普通に使って、ちょっと悲しくなる。まあ、迷惑かけただけだしね
②朝、目が覚めたら
部屋の中に蝶々が2頭飛んでるのに違和感があります。あれは何か新海誠さんのメッセージだと思うのですが、わかりませんでした。ただ、常世で幼いすずめと会話中に困った時に椅子に気づき蝶々が2頭椅子の所に飛んでいました。
③常世に持ち込まれた『すずめの椅子』
これは草太さんが開放された椅子だと考えてます。傷とか考えても、となるとタイムパラドックスが発生します。
『すずめの椅子』、高校生で幼い自分に渡す→幼い自分が成長し高校生になり幼い自分に渡す。繰り返します。
事件後、椅子が出ない事から憶測ですが、すずめの部屋には『すずめの椅子』はないと思います。
そう考えると『すずめの椅子』は存在してはいけないモノです。
椅子の足が一本なくなった理由も明かされずに終わりましたが、すずめちゃん本人も知らないと考えると、どうしようもありませんね。ただ、あの場所に突如として現れた椅子と考えると蝶々は両親で災害場所から持って来た可能性もあります。
大事にしてたから傷も災害時のまま部屋に保存。旅時は呪いのお陰で新たな傷はつかなかった可能性。
冒頭の蝶々の2頭は、いつも見守っていると言う父と母なのかも知れないですね。
---------------【完】------------
教材のような映画
感動させられたというより、元から知っていた災害の凄惨さと登場人物とを結び付けて情が移ったという方が正しい。こちらの記憶や感性にここまで依存したアニメは初めて観た。ドントフォーゲット●●といった風に凄惨な記憶を呼び戻して、いろいろと繰り返してしまう人類を戒める目的が込められている。だから教材と呼ぶのが相応しい。
教材として魅せたいであろう部分同士をつなぎ合わせる要素(※つまりストーリーの本筋)に違和感が多くオリジナルアニメとしては星3つ。こちらの感性に頼らない部分が実に頼りない印象。普遍的なテーマがしっかりあるのだから、次回は教材と割り切ってもっと短い作品にしてもいいんじゃないかと思った。
死は常に間近にある
とりあえず一言素晴らしいかったです。
地震災害といった少し触れづらい題材を扱いながらも、地震大国である日本で起こり得る未来を表した作品でした。
被災された方々が多い日本で挑戦的な作品を作ったことで批判も多いかも知れませんが、地震被害にあったことがない方々にこそ観ていただきたい作品だと思います。
間接的にではありますが、被災された方の気持ちをアニメーションとキャラクターを通して味わわせてくれるのは、親身になって他人を悼み合うことのできる気持ちにさせてくれるイイ映画だと思いました。
途中にビビるシーンが多くありましたが、叔母さんが
心の中を晒すシーンは色んな意味で怖かったので、
お気をつけて鑑賞して頂きたいと思います。
改めましてとても素晴らしい作品をありがとう
ございました。次回作も期待しております♪
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