すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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脚本の間違いを指摘できない、日本的なチームの悪癖
まず大前提として、21世紀に2万2000人もの犠牲者を出した、近代日本最大の自然災害である東日本大震災は科学的検証の情報が大量に上がっていて、それを神話に仕立てるのはさすがに幼稚過ぎる。東北の痛みに寄り添おうとする気持ちは尊いと思うが手法が軽いのではないか。あんな若い男女で防げるような災害と感じたのなら共感性が低すぎる。
東の要石を守る!って動機も、彼のためじゃだめだろ。自分の、家族の、友人や故郷すべての人々の人生を奪ったあの悲劇を忘れたのか・・・。あんな悲しいことを二度と起こさない!って動機が正しい救いのはず。
また伏線をぐるっと回収して幼い日の自分に、大丈夫だよ、ちゃんと大人になれるよって、いったいどの口が言うのかな。育ての親への態度があまりにも未熟で、そんな高校生に大丈夫って言われてもなあという気になる。
幼い男女愛に世界を任せようとするのは新海誠監督のクセなのか。生かされていることへの感謝、世界への愛が未発達なのではないか。人は成長すればもっと大きな責任、愛、義務を知るのだが、それがわからないのだろうか。制作スタッフの中にこれじゃ薄いですよと指摘する人はいないのか、または言える雰囲気がないのか? 残念だ。
とはいえ映像作家としての技術は大きく進化しているので、エンタメとしてはよくできている。精緻な描写はさすが。あとは「そんな幼稚な考えではダメだよ」と指導できる優秀な脚本の師匠との出会いがあればぐっと良くなるのだが・・・。
映像が半分、脚本半分で2.5。
ミミズではなくナマズでは?
語り継がれる全国の要石について、この作品を見るまで知らなかったので、
「監督あなたは何をご存知なのですか?」
ただただその疑問を抱えながら最後まで鑑賞。
日本人が常に恐れ備える地震に、勝手な仕組み付けを創作で加えているとしたらすごい加筆だし、被災経験のある国民が全国にいる中で随分な勇気だよなぁと。
観終わって調べてみて。
ミミズではなく、ナマズでは?
九州、神戸、東京と来て、鈴芽の幼少期の常世で雪が降っていたことから、芹沢が向かう先はそうか東北なんだなと気付く。
君の名は同様、その予想が決定的になる鈴芽の絵日記の3月11日の日付まで、ひたすら終末を知ってしまっている未来人として、やっぱりそうなのか、を待つ感覚。加担したくはないのに傍観するしかできない、とても残酷な状況が辛いという心境に陥る。
あの頃小さかった子供達が進路を考える年齢になっている。その子供達が、鈴芽同様、あの日とそれからの変化を、認識し理解するまでにどれだけの哀しみと寂しさと悔しさと喪失と、、を受け入れて口に出せたり出せなかったりしながら日々過ごしてきたのか。
明日は来ても、災害当事者の中で、災害が忘れ去られる過去になる日は来ない。
そういう恐ろしい災害が、全国のどこにいつ来てもおかしくない日本の土地の上で、日々を暮らし人生の時間を重ねる私たち日本人の気付かないところで、
その地震を起こさぬよう日本人と日常を必死に守ろうとする人達の奮闘に視点がいく作品。
フィクションアニメの中では九州の要石のダイジンや東京の要石のサダイジンや戸締まり家業として描かれる宗像家が、実際は気象庁や地震予測や防災士の方々なのかもしれないし、人工地震など言う人もいる現代では政治勢力や外交や軍事に奮闘する官僚達なのかもしれない。
要石がミミズ(ナマズ?地殻プレート)を抑えきれなくなった時、人々の意識が薄くなったところの扉から現世にミミズが出てきて大惨事を引き起こすので、それを少しでも防ぐために、扉を閉じる戸締まりを生業とする者がいる。
そこに偶然巻き込まれる鈴芽の物語。
過去東日本大震災で被災し看護師の母を津波で亡くした鈴芽には、地震を止めるために活動するのは学校より当然大切なことであり、亡き母との記憶を辿る旅でもある。
すでに身内を亡くしている鈴芽にとっては失うものは何もない気分で、簡単に命がけに挑めるが、そうやって鈴芽の元気を守ってきた、被災孤児を引き取り、人生を投げ打って育ててきた叔母や、九州で鈴芽を見守る地域の人々の存在もある。
見ず知らずでもそうでなくても、
誰かが誰かを想ってくれる現世が鈴芽の道中ずっとあり、そこに目を向けて欲しい。
母がいる常世に惹かれても簡単に行かないでほしい。
それに最後に鈴芽は気付き、過去の鈴芽に椅子を渡して、今の鈴芽は扉を超えて現世に戻ってくる。
「本当はもう全て貰っていたんだ」と鈴芽はずっとずっと母の戻りを待ち、母を求めていた気持ちに17歳で納得してけりをつける。4歳時点で薄々母の死に気付いていたが受け入れるには余りに酷で、自己防衛をかけてきたんだと思う。大きなショックを受けた子供達の絵を見た事があるが、絵日記の絵も黒塗りで、鈴芽の負った心の傷を物語る。
そして、でも誰かが日本を守らないととなった時、鈴芽や、教師になるかもしれなかった未来ある草太のような若者が命を差し出しているようでは、この国は個人の命頼りの特攻時代から学習も進歩もしておらず、鬼滅同様こういう個人の純粋な動機を犠牲にする話を美談や良い話と思ってしまう感覚を、日本人は真剣に改めないといけないと感じる。
子供は大人に甘えて良いし、芹沢のように若者は若者らしく過ごして良い期間があって良い。
そういう日本を守るために、大人が頑張らないといけないが、草太の祖父のように、この国は超高齢化しすぎていて、ちょうど良い年代層が少ない。
日本の行く末が、天災の意味でも、国民構造の意味でも、政治の意味でも、全てにおいて心配だ。
ただいま。視聴後、好奇心をしずめるためネットサーフィンの旅に行ってきた。
先日放送された金曜ロードショーの録画を視聴。
字幕も出せて良かった。
絵がとても美しい。
キャラクターの動きだけでなく、背景やエフェクト効果などの演出、色使いなど芸術作品である。
九州から東北までの旅は、世界に向けて現在の日本を紹介しているかのようだ。
ジブリ作品を彷彿させる服装や髪型、建物や演出、シチュエーションが多くある。
地震といえば地中、地中といえばミミズ、ミミズは雨上がりに地上に出てくるので、新海誠監督アニメの前作『天気の子』の次の作品としてシャレている。
椅子、足が不足しているデザインなのは『すずのへいたいさん』(アンデルセンの絵本)のオマージュなのかもしれない。
『ドラえもん』に登場する”どこでもドア”の玩具を部屋に置くだけで願いが叶うという話がある。
信憑性のないスピリチュアルだが、私は一応置いている。
今作は、鍵を持って地下に行けば真実がわかるかもしれないという『進撃の巨人』のワクワクするポイントとも類似している。
大神(おおかみ)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)のことでもあり、ダイジンとも読む。
日本神話の要素もあり、地震を阻止する縁の下の力持ちの存在にも言及していて、タイムパラドックスもあって深みを感じる。
ラストは、将来きっと草太と鈴芽は結婚するんだろうなと思わせる終わり方で良かった。
挿入歌『すずめ feat. 十明』の他、数々の懐メロの選曲も良かったし、エンディング曲『カナタハルカ』(RADWIMPS)も素敵な歌で印象に残る。
恋愛要素が微妙
正直よくわからなかった。
後ろ戸はいろんなところにあるけど福岡と東京の後ろ戸をカナメが抑えてても他が
簡単に開いてミミズが出て来てしまうのならサダイジンとダイジンの役割はなんなのかが
よくわからなかったな。
そしてサダイジンはカナメであることをやめてしまったのかがわからなかった。
なのでなんだか何やってるのか微妙にわからなくて物語に集中しにくかった部分が多かった。
そして一番おかしいと思ったのがすずめと草太は出会って間もないのにすずめが草太への思いが強すぎること。流石にあの短期間で草太の身代わりでカナメになろうとしたり命をかけて助けようなど、ただのBTSに恋する高校生と変わりなく軽い感じがしてならなかった。
こういうものは二人の積み重ねた想いが成せる技なので草太との関係性はもっと深いものにするべきだったと思う。なので見ててこの後付き合っても3ヶ月くらいで別れちゃったらなんだったのか?と思いながら見てしまった。
映像はあまりアニメは最近見てないのでなんとも言えないけど、かなりクオリティは高いなあと思った。背景のこだわりは毎度のことだと思うけど、よく走るシーンは躍動感溢れてて素晴らしかったと思う。
新海ワールド
良くも悪くも新海ワールド、震災をテーマにした妄想劇。
絵が綺麗なことは相変わらず、ドラえもんのどこでもドアではないが現世と魔界をつなぐドアが日本各地に存在、災いを戸締りで防ぐという閉師という突飛な発想、江戸時代、地震は巨大鯰が引き起こすとされていたが龍に似た巨大ミミズが元凶、猫は魔物と言われたから本作でも不可思議な役どころ、何故か椅子に変えられるとかミステリーを秘めたファンタジー。全ての要素が新旧の日本文化に根差した新海監督の生い立ち、感性による世界観からできているからユニーク過ぎて理解に戸惑うが、ただ味合えば良いのでしょうね。
メインの2人の関係性が浅すぎ
金ローで見ましたが、とにかく鈴芽に感情移入ができないまま終わってモヤモヤ。
愛媛で宿に泊まらせてくれた同年代の女の子や、神戸まで送ってくれたスナックのママとの人間模様は短期間ながら親しくなる過程が描かれていたのに、肝心のメインの2人はいつの間にか「お互いが1番大切」みたいな流れになっていて、何で鈴芽は家族でも恋人でもない草太のために命を賭けられるのか全く理解できなかった。
草太がイケメンで一目惚れしたにしても、よく知らんイケメンのためにそこまで頑張れますかね普通?
あまりにも親しくなる描写が無さすぎるので、実は過去に会ったことがあって〜、とかそういうのがあるのかと思いきや特にそういう事もなく…。
また、閉じ師という職業?もミミズという概念も、現代日本でやるべきテーマでは無いなと思いました。
作中でもミミズを止められなかった描写はありましたが、下手に現代日本を舞台にしたせいで今後日本で大きな地震があった時「閉じ師全然仕事してないじゃん」ってなりますよね
日常に潜む非日常、みたいなのがやりたいんだろうなというのは分かるんですが、実際の日本の街並みを忠実に表現したり、実在する企業をスポンサーに付けてまで作中にサブリミナル的に登場させたりして「現実」の描写に拘ってる作風で地震という災害を扱うのはあまりにも無謀だったと思います。
また、それを抜きにしても現代日本が舞台なのにファンタジー色が強すぎて作品に入り込めない。
だったら最初から舞台ごとまるっきりファンタジーにして欲しい。
映像や背景だけは相変わらず綺麗ですが、褒めるところがそれしか無いですね。
好きな人は好きみたいですが、私にはとにかく相性が悪い作品でした。
オカルトで天災を制御し続ける新海誠
美しい絵、Girl meets Boyの甘酸っぱさは流石。東日本大震災の被災者に託す希望の言葉も感動的。ただ、3作続けて天災を人間が制御し得るものと描く拘りには若干戸惑う。
「君の名。」では隕石落下こそ防げないが、災害後の現在から情報を送る事で、住民を正しい避難位置に誘導した。ただ今はまだ、タイムリープで災害から逃れる技術はない。
「天気の子」は、ヒロインの命を優先して、東京が雨に沈むバッドエンド。ただ、特殊な条件が整えば、人間が天候を操作可能と描き、ヒロインを生贄にすれば降雨災害を防げる選択肢も提示されていた。天候を制御する技術は無くはないか、少なくとも日本では毎年起きる豪雨災害をそれらの技術で防げてはいない。
「すずめの戸締り」では、東日本大震災こそ防げなかった過去と描かれているが、要石や閉じ師が地震の芽を摘めるとも描いた。しかし、実際の地震は予知も抑制も出来ない。できるのは、緊急地震速報で震源から揺れが到達する短い時間で体制を整えたり、津波が届く場所から避難する事くらい。耐震性の強化や防潮堤の建設は可能だが、地震そのものを制御できる訳ではない。
新海監督には天災を制御したい願望が垣間見えるが、科学技術が追いつけていない現在、オカルトで天災を制御する映画は、現実のリスクを矮小化してしまわないか心配。
ラストで繋がった
事前知識一切無しの初見での感想ですので、説得力あるレビューが出来ていません。もう少し詳細を知りたい方は別の方のレビューをご参考下さい。
自分はこの映画の劇中で何故、子供が日記を黒塗りするような描写があったのか?何故、時々過去の災害のような描写があったのか?最初は全然意味が分かりませんでした。
最初はただ単に、主人公の岩戸 鈴芽(いわと すずめ)と、「閉じ師」をしている宗像 草太(むなかた そうた)が、各地で災害が発生する元になる不思議な扉を閉めてまわる物語かと思っていましたが、劇中終盤でようやく物語の意味が理解出来たような気がしました。これは、東日本大震災を表現した物語だったんですね。そして、主人公が子供の頃に出会っていたような描写は、実は母親ではなく自分自身だったとは。更に、物語最初に鈴芽が草太を見て、何となく会ったような気がしたという部分が、まさかラストに繋がっていたなんて。この映画の作り方は、個人的にとても不思議な感覚に包まれて、何とも言えない高揚感に満たされるような気持ちになります。この映画の率直な感想はと言うと、ただただ素晴らしい映像作品だったという一言につきます(語彙力なくてすみません)。
初見だと、細かい描写で意味が分からない部分も多いと思いますが、それでも見た者を魅力する新海誠監督の作品は一見の価値があるので、まだ未視聴の方には強くおすすめしたい1作だと思います。
感想会したくなった映画
表題の通り、個人の感じ方や賛否両論あると思いますが、鑑賞後に誰かと感想を話し合いたくなる映画である時点で星4つとしました。
311あの日のこと思い出しました。
そして、また最近も地震があったばかり。
映画と自分は重ならないけど、共感しないところが1つも無いわけでは無い。決して共感するところばかりとは言え無いのですが…
ファンタジーでありフィクションだけど、個人的には、あの時のこと未だ癒えてないし震災に怯えてる私としては素晴らしい作品だけど再鑑賞までに時間がかかりそうです。
ストーリーは支離滅裂ながら映像に引き込まれた
SFなんで多少のことはごちゃごちゃ言いませんが、やはり理屈が通ってないと引っかかってしまう。
ダイジンが夢叶わないと悟り、せめてすずめの手で戻してと願うシーンが不憫で、思い返すたびに泣けてくる。
日本人にしか描けない新しいファンタジー
遅ればせながらようやく、鑑賞できました。
音響に映画館ならではの工夫がされてるとのこと、是非映画館で観たかった!
スピーディーな展開、映像の美しさ、素晴らしかったです。でも、何より、ストーリーが独創的でした。
これは、災害をいくつも経験した日本人にしか作れない日本独自のファンタジーです。
「君の名は」「天気の子」をも越える傑作といってもいいと思います。
「君の名は」でも主役の女の子は巫女の血をひく女の子でしたが、今回も主役の草太は災害を防ぐ役割を持つ「閉じ師」でした。こういう設定が日本的な味わいを深めてくれて魅力的ですよね。大好きです。
草太の「戸締まり」する時の祝詞のような呪文、古事記から取ってるようですが、これもとてもよかった。なぜなら日本人が、ずっと神社を通じてやってきたことだと思うからです。
それを上手く新海流で現代風に描きました。
また、恋愛の要素も無理なく入っていて、いつもながらハッピーエンドなのもよかったです。
個人的には伯母さんの環さんに同情しました。
そりゃー、怒るでしょ!あれは。
ちゃんと説明しろ!って言いたくなりますよね。
意地悪だった元要石の猫も、最後はまた要石に戻ってくれたところが感動しました。
声優陣も素晴らしかったです。特に神木隆之介が上手いなあと思いました。北村北斗もすごく、あってました。
強いて言えば曲の印象が今回は他よりやや薄いかもしれません。でも、これはこれで作品の印象が強くなるので、いいと思います。
EDは良かったです。
震災の元となる扉を閉める為、要石の大将を追う少女の奮闘を描く物語。
ヒットメーカー新海監督のオリジナル作品ですね。
物語はロードムービー。前半は、椅子となった草太と共に、要石・大将を追って旅をします。愛媛で、神戸で現地の人の温かみに触れながら、すずめと草太の関係が深まっていきます。
後半は叔母と姪の物語。草太を助ける道行きに、二人の苦悩とすれ違いを描きます。
中盤とクライマックスにあるミミズとの激闘は迫力十分。特に、中盤御茶ノ水でのシーンは、見知っている街並みだけに臨場感を強く感じることが出来ました。
また、お茶の水で草太を失い傷ついたすずめの描写は秀逸でした。心身共に深く傷ついた状態なのに、草太を助けるために力強く歩むスズメの強さに心打たれます。
映像は流石の新海クォリティ。背景もキャラも、そして動きも文句なしの一級品で、物語を引き立てます。
ただ、それでも私的評価は2.5にしました。
この作品の問題は3点。
一つ目は、スズメが旅に出る理由がないこと。言い方を変えれば、旅に出て成長しなければならない理由が序盤に明示されていないこと。
例えば、反抗期をこじらせたスズメが叔母との関係が微妙になっていて・・・とか。
例えば、震災のトラウマがぶり返して・・・とか。
旅に出て色々な人に触れ合い、困難にぶつかり、本音で叔母と喧嘩して、故郷に帰ることでそんな状況が改善する流れなら、物語として深みが増すのでしょう。
でも、そんな前振りがないので、物語全体を浅く感じてしまいます。
二つ目は、スズメが自分の命を賭けて草太を救おうとしたこと。
勿論、愛情の深さと係わった時間はイコールではないかもしれません。でも、自らを要石にして草太を救おう・・・という決断は、極端過ぎます。
その場の感情で「思わず」ならまだ少しは理解出来ます。
草太を救うには、命に危険が及ぶ行動が必要になる・・・なら理解出来ます。
でも、一定の時間を経ってまだ、自らを要石にする決断は、寧ろ現実感がなく興ざめしてしまいます。
これは叔母を救う・・・とからな納得感も出るのですが、流石に浅すぎます。
そして、最後になりますが・・・、声優の力不足。主役を務めた二人、厳しい言い方をしますが、本当に下手くそでした。なぜ、この演技でOKが出るのか理解出来ません。あのクオリティの映像を作り上げたアニメーターの方々への冒涜・・・とすら感じます。
ジブリへのオマージュも戸惑い以外感じることは出来ず、映画としての評価は厳しくなりました。
イケメン男への思い入れ
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女子高生のすずめが登校中、一人の男に会う。
このあたりで廃墟はある?と聞かれ、教える。
でふと気になって、すぐに自分もそこへ行ってみる。
そこにはどこでもドアみたいなのがあった。
近くに変な封印石があり、地面から引き抜くと猫になった。
そしてどこかへ走り去ってしまった。
その後、ドアから黒いものが天に向かって生えて来た。
であの男が必死でドアを閉じようとした。すずめも手伝う。
そして何とか閉じて鍵をかけた。
男によると、血の底にはミミズという物の怪?がいるらしい。
それが戸から出て来て空に上がり、地上に落ちると地震になる。
日本中にそんな戸があり、ミミズが時々出て来るらしい。
それを閉じるのが先祖代々、その男の仕事らしい。
やがて上記猫が現れ、男を椅子に変えてしまう。
すずめは椅子と共に猫を追い、宇和島、神戸で戸を閉める。
そして東京へ。そこで巨大なミミズが出現。
これを収めるために、椅子(男)が封印石となった。
それを雀がミミズに刺し、何とか収める。
男を好きになってたすずめは、男の爺さんに会いに行く。
で、自分が少女時代に誤って戸をくぐったことを知る。
その戸からならミミズの世界に行けるとの話。
ということで故郷の東北へ。そこへ猫も来て、一緒に行った。
で戸を見つけてミミズの世界へ行き、封印石(男)を抜く。
すずめは男を助け、自分が封印石になるつもりだった。
でも猫が自ら再度石になってくれて、それで封印できた。
こうして男は現世に戻って来られた。
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うーん・・・・・・。
率直に言って、確かに面白い。いい映画だと思う。
でも爆発的ヒットするほどか?ってのは少し思ったな。
すずめは自分の気持ちに従って行動できる、魅力的な女の子。
多少ムチャはするが、若い頃はそれくらいの方がいい。
最後までそれが一貫してたし、そこは感情移入できる。
でも、え?って思ったのが、自分が封印石になるとか言い出す所。
何で??男は確かに優しく魅力的だったとは思う。
でも会って間もない関係で、自分の人生を捨ててまで助けるか??
そんなことまずないし、そこで急に猫が自ら石になるってのも、
あまりにも都合が良過ぎというか、話にムリがないかい?
それにこの男は偶然イケメンやったわけやけど、
もしあれが平凡な顔だったら、この話ってどうなんの?
すずめがあそこまで行動するとは思えないんですけどw
つまりこれは、顔が格好いい男が女子高生から惚れられ、
それによって命を救われ、人生を取り戻す話。ってことになる。
何かそう考えたら、低俗やな~ってちょっと冷めるわw
大事なことをずっと心に刻んでおける映画
3.11の震災を地元で経験した友人と見た。
友人は映像を見ただけで地元のことだと分かったそう。
映画終わりには泣いていた。
私はこの映画を通して、震災時に東北から離れたところにいたため、心なしか震災がリアルではなくテレビの中での出来事のように思えていたことに気付かされた。
大事なことは忘れてはならないし、日本は地震大国とも言われてるくらいこれからも地震はなくならないと思うので、みんなで助け合えるようにしたい。
映像、音楽、ストーリー、何もかも美しくて世界に発信したい映画だった。
『ネコと和解せよ』
今更ながら、『すずめの戸締まり』のレビューを書く。
本作の公開日は令和4年11月11日。私が本作を映画館で鑑賞したのは同年11月22日だった。
結論を先に書くと、本作は傑作である。
自分の中でのベスト1である『君の名は。』(前々作)と順位を入れ替えるには至らなかったが、それでも、『天気の子』(前作)を上回る出来であった事は間違い無い。
で、本作を鑑賞直後に私が思った事が、このレビューの表題そのまんまである。
……これだけだと意味不明なので、以下、主に主観的な記憶を頼りにして、私がレビューの表題の通りに思った理由を書く。
例によって、他者のレビューに影響される事を防ぐため、私は本レビュー執筆に当たって他者のレビューを読んでいない。
前作『天気の子』のレビューでも書いた事であるが、「芸術家はデビュー作で追い求めたテーマやモチーフを生涯追い続ける」とはよく言われる事であり、本作も例外ではないと思う。
本作にも、既存の新海誠作品から踏襲してきたと思われるテーマやモチーフが多々見られる。
「思わず祝福したくなる様な若き男女の愛」
「その愛を阻もうとする理不尽や不条理」
「少年少女にとって、時に敵や障害となり、時に味方となる大人達」
「大きな災いに抗おうとする人々のつながり」
「ドラマを引き立てる小道具や舞台装置としての、
SF的あるいはファンタジー的ガジェット」……等々。
但し本作の場合、前々作や前作と違い、主人公カップルの愛の成就にとって最大の『障害』になるのは『大人達』ではない。
『神』である。
もう少し詳しく言うと、制御する術が殆ど無い自然現象や怪奇現象の戯画・擬人化としての『神』であり、本作では白猫の姿をし、「ダイジン」という通称で呼ばれている。
この「ダイジン」、恐ろしい超常能力を持っており、主人公カップルのカタワレである宗像 草太 を造作も無く3本足の幼児用椅子に変えてしまい、主人公カップルの前から逃げ出してしまう。
草太に惹かれ始めていた主人公カップルのカタワレのもう片方である女子高校生、岩戸 鈴芽 は、草太を元の姿に戻す(※)ために奔走する破目になる。
(※草太は何故か幼児用椅子の形態でとりあえず行動可能であるが、後に劇中で判明する通り制限時間が有り、その制限時間を過ぎると元に戻れなくなり、ダイジンの身代わりとして要石になってしまう)
ダイジンの正体は、劇中で大震災を引き起こす超常的存在(劇中では『ミミズ』と呼ばれていた)を封じる『西の要石』であり、背景設定によるとかつては人間の子どもだったらしい。
『要石』としての境遇に不満を感じていたのであろうダイジンは日本列島を北東に向かって神出鬼没に移動し、気ままに遊びまわるが、その結果、封じられていた『ミミズ』が動き出し、東京都であわや大震災が起こりかける。
物語の中盤、ダイジンを追う過程で要石とミミズの関係を知った鈴芽は、先代要石であったダイジンを知らぬとは言え自分が解放してしまったという自責の念も有ってか、ミミズを封じるため、大震災がもたらす被害と草太の存在とを天秤にかけ、号泣しながら、要石と化した草太をミミズに突き刺す。
……前作『天気の子』では大水害がもたらす被害と想い人の存在とを天秤にかけ、帆高は想い人の方を選んだ。
本作の鈴芽の選択は前作の帆高の選択と真逆であったが、それぞれの置かれていた境遇の違いも有るので、「どちらの選択が正しかったか?」を問うのは、難しい。
この辺りの問題(トロッコ問題の様に、主観的な選好と功利主義的な判断とのせめぎあいが現れる問題)については『天気の子』の方のレビューで書いたので、ここでは多くを語らない。
ただ、本作中盤での鈴芽の選択が、前作を見た人に対して新海監督が提示した「トロッコ問題の別の答え」である事は、おそらく間違い無かろう。
ここで物語が終わっていたら本作は悲恋ものになるのだが、終盤へ向けて鈴芽は、ダイジンが再び要石に戻って元来の役割を果たしてもらう様、そして草太が再び人間の姿に戻って帰ってくる様に、様々な人達の助け(※)を得て、奔走する。
(※人間に限らず、ダイジンと対を成す黒猫の姿をした神『サダイジン』の助けも有った事を、ここで言い添えておく)
……ここから先の展開は是非とも本作を見て確認していただきたい。「心地良いハッピーエンドである」とだけ言っておこう。
何にせよ、鈴芽とダイジンが和解しなければ、ハッピーエンドにはたどり着けなかった。だからこそ、本作鑑賞直後にこう思った。
「ネコと和解せよ」(※銀河万丈さんが威厳に満ちた役を演じる時の様な、厳かな声で)
震災で幼い頃に亡くした母への想い、大丈夫だよ!って言える未来の自分が心を救う!
コロナ第8波到来か、ワクチン4回目打つも
そろそろ限界に達してきてる人類と思う今日この頃。
劇場封鎖に成らないでくれよと願うばかり~
そんな中、新海作品待望の「すずめの戸締まり」を観に行った。
前作の2019年の天気の子から3年だな。その時は
7月19日 公開されたんだが、その前日 京都アニメ放火事件が
有った事は記憶に新しい・・・。
(CAST声)
岩戸 鈴芽(主人公):原菜乃華さん
岩戸 椿芽(母、東日本震災で亡くなる):花澤香菜さん
岩戸 環(すずめの育ての叔母):深津絵里さん
宗像 草太(閉じ師、イス):松村北斗さん
ダイジン(要石、猫):山根あんさん
芹澤 朋也(草太の友):神木隆之介さん
宗像 羊朗(閉じ師師匠):松本白鸚さん
新海誠氏の初心作「星を追う子ども」の頃に回帰した感じを受けた今作。
前作の『天気の子』よりは 数段良かったかな。
前作同様に気象ネタに挑む姿勢には賛否が出そう。
特に東日本大震災から11年過ぎて、これを扱うにおいて
人それぞれ思いが違うでしょうし、神戸も出てきますが
阪神大震災からでも27年。
軽々しくは扱えないテ-マだとは感じます。
ネタが偏ってるようにも感じられるけども
地震をナマズではなくて ミミズで表現しているのが新しい感覚かな。
安政2年(1855年)の安政江戸地震の頃に、
鯰(ナマズ)をモチーフにした錦絵が出まわった。
これは鯰絵と呼ばれるそうで、鹿島大明神が ”要石(かなめいし)”で
大ナマズを押さえている絵などがあるそうですよ。
それが元ネタなんでしょうかねぇ。
作画の美しさや、声当てに関しては
違和感なく定番通りと感じます。
ただ、ダイジンキャラに 少々イライラ感を発しましたがw。
何のために要石役を降りられたのか・・・
結局元のお役目に戻ってしまって。
悪さする割にはすずめ達にくっついてきて、
結局 他人に無視されては何処にも行けないダイジン。
知らぬ間に もう一匹の黒猫(要石)もやってきて
皆でハチャメチャドライブは ありゃりゃ~の感じ。
実のところ まとまりが悪すぎて
前作同様に展開死に至りそうに感じてはいましたが、
この 育ての叔母(環)が心配してすずめを追いかけてきて
すずめと本気で口論するところは良かったです。
実際 震災の被災者とそれを保護した人々との圧壁も
当時も今も有ったと思うし、
育ての叔母と心の底からの本音吐露が、
より生きてる実感を増してると感じました。
そして、扉の隙間のアノヨ世界で
草太と二人で最大ミミズに要石を刺して
大いなる地震の災い発生を納める~
冒頭にあった、寒い夜の震災跡地の草原を駈けていた~幼女すずめに
手を差し伸べていたのが、母ではなくて
未来のすずめ本人で~ ”大丈夫だよ!” って過去の自分に対して
ギュッとハグするところは とっても良い場面でしたね。
ここは凄く心がグッときましたよ!
それは震災の被災者だけで無く、日本各地の豪雨災害、豪雪、土砂災害はじめ
交通事故、病気など 色んな事で肉親を急に亡くしてしまった
人々総てにエ-ルを贈る~ それなんだと感じます。
どこかで・・・、どこかで心に整理を付けて
前に進ま無きゃいけない、そんな自分があるわけで。
そんな空虚な心の扉が開いたままの 自分があって
だから 最後の言葉に
”行ってきます” ・・・と自分でその扉に鍵をする~。
その意味を知った時、
彼女の成長とこれからの幸せを願わずにはいられない、
そんな思いに浸りました。
今 劇場が凄くホットな状態になってます。
是非、ご家族揃ってどうぞ!
あの世にいるときは過去も未来も知ってる、かも。
★四つ以上
★★★★☆
★五つ未満
ぼくの個人的な見解です。間違ってるかもだけど悪しからず。
ネタバレあります。
~
~
~
~
~
~
~
~
■自分が地獄を引き寄せたと思う人はこの映画をみて過去を思い出すかもしれない。
ボクは思い出した。
■お母さんの思い出は、やっぱりお母さんなんだと思う。
■おばさんとの口論は、昔のことおばさんが忘れるわけないから、たぶん記憶がすぐに思い出せなかったか、多層世界の重なり具合で違う世界の同じ姿かたちの、ちょっとイライラしてる世界のおばさんだったと思う。
■あの世で人に会う場面、台詞が思い出の
と違うけど、今回の主人公目線ではその台詞になってて、主人公としては今回の台詞で会話したと認識されて、
一方で
相手が受け取った台詞は映画での今回の台詞とは違って昔通りの台詞になってるんだと思う。
■同じ世界にいるのに災害の予兆が見える人と見えない人がいる描写があるから、
自分が認識してる言葉のやり取りにも、
個人個人で個別に違ってると、拡張解釈してみた。
■あの世では服が自動修復されてる感じだから
あの世にいるときは服にも命が宿ってるのかもしれない。
だから重要アイテムもあの世にあるときは命が宿って自動修復されてるんだと思う。
■あの世で魔物を鎮めるクサビ形の石になる存在は、次第に神の力を得る台詞とか、人間でもなれるかもしれない描写があるから、元人間なのかなと思う。
■無邪気なあいつは、あの世にいるときは時空を超えて未来と過去の事を繋げて認識してて、それで関係あるスズメがどんな人か知ってたんだと思う。
この世にいるときは超越認識ができないから
ただのイタズラっこな子供みたいになってたんだと思う。
■この映画は女の子と無邪気なあいつがダブル主人公だと思う。
助ける対象(男性&姫属性)も主人公仲間とカウントすればトリプル主人公だと思う。
■最後の方で思い出が嘘だったんだと思ったら涙がすこし出ちゃったけど、思い出を見てる主体ごとに、別々の世界を見てるとしたら、別になにも失っていないんだと思うし、泣く必要なかったな、と思う。泣いて損したというか、もっと違うときに泣けるようにしたいと思った。
■現実で同級生が泣いても、現実で親が泣いても、ぼくは現実のことでは泣けないから。
共感力が無いのと、人の気持ちに鈍感で、いつも批判的な意識で緊張してるんだと思う。
現実でも悲しいときに流れる定番のBGMがラジカセAIから自動的に流れるAIシステムあれば泣けると思うけど、それは現状無理だから困る。
■これは恋人向けなので、仲良くなりたい人と一緒に見ることをおすすめ。
こんなんでジブリの後継になれると思わないでね シナリオライターといえるレベルではない
まずここまでで判明しているパクリ(オマージュといえば何してもいいんですか??)をまとめます。
特別な鍵で扉を閉める→もろキングダムハーツ
みみずのデザイン→エヴァの使徒、もののけ姫のデイダラボッチ
扉の向こうが草原の広がる時間のない世界→ハウル
ソウタのキャラデザ→ハウル
いすのデザイン→よつばとのダンボー
猫のデザイン→魔女の宅急便
昔の自分と対話→ハリポタ、ドラクエV
みみず・話→村上春樹 かえるくん、東京を救う。
とにかく多すぎ。どこにオリジナリティがあるの。
あとアマノウズメをモチーフにしてるていうけどアマノウズメって上半身裸で踊ってみんなを爆笑させた女性なんだけど大丈夫???
弟スサノヲの狼藉にショック受けて太陽神の天照大神が閉じこもってしまい、世界が真っ暗になってみんな困ってた。
そこでアマノウズメが自分の乳をさらけ出し、アホみたいな踊りを披露して楽しい笑いが起きて、なんだろう、この私がいないのに何がそんなに楽しいの?と天照大神が出てくるって話で、
特にリンクしてないよね。
そのくらい監督は知ってるはずなんだけど。
で、すずめはチラッとあっただけのイケメンがいない世界がめちゃくちゃ怖いらしい。
その一方あんないい一軒家に住まわせて経済的にも何不自由なく、人生犠牲にしてまで育ててくれた叔母さんのことは過保護モンペ扱いでイケメンのために逃げる逃げる。
挙げ句「(育ててくれなんて)頼んでないっ!!!」
完全に人の心がありません。
家出の理由「言ったってわかんないよ」って、ダイジンや椅子が話すのも目に見えるんだから、荒唐無稽な話でも信じさせるのは可能だよね。三葉のパパみたいな頑固親父でもないのになぜ説明放棄?
こんな恩知らずを引き取った叔母さんが不憫でならない。
あとソウタが年上の教員志望である必要まっったくなし。
そもそも一家代々閉じ師でありながら教員なんか志望する意味がわからん。激務だよ、平日休み取れないだろ。土日や夏休みしか地震おきないのかな??
無理があるだろー…さすがに…
あと中途半端に叩かれたくないのバレバレ。
地震が来そうで来ないんだもん。閉じてるから。最近は真面目に全国行脚してるから閉じられて良かったねって感じ?
全部閉じ師の頑張り次第なわけ?
違うでしょ?プレート同士のぶつかり合いなんだよ?
例えばプレートに見えるものは実は地中に潜った神でそれが争っているとか、何か整合性とってよ。ミミズが湧き出してそれが倒れた衝撃で揺れるなんておかしいじゃん。
で、3.11のときは無念にも都合悪くて?力強くて?要石の都合で?閉じられませんでした。。て?
じゃ、事情を知りながらどうにもできなかった閉じ師のせいで起きた人災てことでOK?
そんなものすごい自責の念抱え切れないよ…。
これからもやるなら全力で365日24時間やんなきゃだよね。閉じ師だけでは食べてけないって誰がお金くれてんだか知らないけどわかっててお金あげてるわけだから衣食住絶対保障されるべき超重要職だろ。
なんで困窮させてんだアホか
話の流れとしても椅子になる意味がわからん。
民話か何かのオマージュとか言ってたけど意味がわからん。必然性がないんだもん
震災のショックから立ち直れない人が唯一心を開ける同級生が何してるかと思ったら実は閉じ師だった。とか、そういう方がまだ説得力あるよね。
なんか子供の頃見た二人は大人になった自分たちって話もさ、そうはいってもその二人であって5日だからねってのは変わんないし、生きてりゃイケメンと恋する楽しみが待ってるよ!て!軽薄すぎて。まあ新海誠はこんなもんだな…。
おばさんも綺麗で若いよね,そういう人しか描けないもんね。カンタのばあちゃんみたいに綺麗じゃないけどみんなの心が温かくなるような人描いてみろや。
まあ無理だろうけどね…。
結局ダイジンの情緒もキャラクターも定まってなくて意味不明、いっぱい人が死ぬことをなんとも思っていない超越的感覚を持ちながら、すずめに嫌われて傷つく心はある。
そして傷心自殺的に要石にもどる。
すずめから「当たり前だろ!じゃあな!っしゃあ!!!これでイケメンとつきあえる〜っ♪」という声が聞こえてきそうです。
シナリオになってないレベル、そのへんの漫画家さんのほうがちゃんとしてるよね…??
この人も絵と演出専門の方がいいよ。
芹沢が出てきたのも意味不明…。ソウタでいいんだよ、ずっとソウタで。椅子になる必要もなし!!!
二人きりはちょっとってことなら、天気の子みたいにもう一人子供とか連れてけばいいだろ。芹沢×叔母パートとかなんなんだよ一体。
これだけの注目度で現実の震災を扱うのなら、もう覚悟して、あの震災についてインタビューしたり被災地訪問したりして、しっかり向き合って真正面から火垂るの墓みたいに描いたら?あ、得意のオマージュって意味でなくね。
観れない人はたくさんいるだろうけど、そのほうが世界には多分社会的意義があると思う。
ソータの事を好きになって、大事な人になるの、早すぎ ソータがちょい...
ソータの事を好きになって、大事な人になるの、早すぎ
ソータがちょい棒読みがあるが、大事なシーンでは上手で助かった
ちびスズメに椅子を渡して、彼女がモノクロの世界に帰っていくシーンが悲しい
絵は流石に綺麗
ミミズはもののけ姫の祟り神とデイダラボッチに見えてしかたなかった
歌は良かったー
ダイジンというネーミングがすぐ定着するのも違和感
サダイジン、いきなり来て馴染みすぎ
この2匹の立ち位置が分かりにくかった
スズメが旅をして行くのは、楽しかった
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