すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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ついにハマった新海ワールド!
『君の名は』『天気の子』と、全くハマらなかった私。
こんなに大ヒットした作品にハマらない自分の鈍い感性が悲しかった。
私にはきっと理解できないのだ・・・と、諦め、もう観るのはやめよう・・・と思っていたところ。
ファンである松村北斗さんが声優を務めるという事で、もう一度だけチャレンジしましたwww
色々な評価を目にして先入観が生まれる前に・・・と、いうことで封切2日目に。
やりましたっ!
ついにやりましたっ!!
やっとハマりましたぁぁあぁぁー!!
初めて泣けました。
最後は涙が止まりませんでした。
とっても面白かったです。
すずめちゃんを演じた原菜乃華ちゃんがとても良かったし、すずめちゃんのおばさんである環さんを演じた深津絵里さんはさすがでした。
松村北斗さんの声も相変わらず色っぽくてステキな声だったし。
新海作品の声優さん選びはいつも絶妙だと思います。
『戸締り』というのは、辛かった過去を封印するということなのでしょうか?
もう必要のないものだから手放す・・・ということなのかなぁと思いました。
今回は『地震』が題材だったかと思いますが、いつか東京を直撃する大地震がくるかもしれない・・・という不安感も抱きましたが、見えない力に守ってもらっているのかもしれないなぁという思いにも駆られました。
『岩戸』『宗像』『要石』と、今回も神話絡みの命名でしたねぇ。
そして。
やっぱり疑問に思う事もありました。
★すずめは、初対面で、しかもすれ違っただけの草太を追って何故あの廃墟に行ったのか?
★『ダイジン』はなぜ意地悪い態度で接していたのか?
★サダイジンが突然現れて、環さんとすずめちゃんに本音を語らせたのは何故?
などなど。
唐突な展開だなぁ・・・と思う所もあったけれども、すずめちゃんを成長させるための神様の導き・・・だったのかなぁ~?
そういう作品なのかなぁ~?
と、思うことにしました。
すずめちゃんの幼い頃からの悲しい気持ちが救われて良かった。
草太さんも助かって良かった。
もう一度観に行ったらまた違う解釈ができるかもしれない。
皆様がリピートして観に行く意味がやっと分かりました。
あぁー、嬉しい!
設定がぶっ飛びすぎて付いていけない。
製作陣にそのつもりは無いのは、
重々分かっているが、
「天間荘の三姉妹」を観たからかもしれないが、
あの震災を雑に扱っているように感じて、
私には不愉快な作品だった。
観終わったあとの清々しさ
心の琴線に触れ心を揺さぶられる場面が何度もあり、知らずしらず涙が零れた。この映画に人の優しさや人の強さ、大切なものを守る力や歳を重ねるごとに失われてしまった感情を思い起こされ、未来への希望が失われていない事、失ってはいけない事を思い出させてくれた。
そして、たとえ少しの間だとしても観終わったあとの清々しさを胸に抱いて家路につこうと思う。
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----- ここからはネタバレ要素あり -----
2日連続で鑑賞。
やっぱり同じところで泣けてくる。
ダイジンが可愛くて憎めなくて切なさすぎる。表向きの主人公はすずめだけど2回目を観て真の主人公はダイジンだと確信した。
3回目の鑑賞。
王蟲の触手と草原、ナウシカとキツネリスと異国の服、ダイダラボッチ… リスペクトを込めてジブリ作品のオマージュが散りばめている気がする。
それにしても… やっぱりダイジンが好きだ。
4回目の鑑賞。
猫を飼っているからなのか、ダイジンの気持ちが伝わりすぎて心が痛くなる。ダイジンの気づき、優しさ、すずめを思う気持ちが辛い。ダイジンが好きすぎて泣ける。
ロードムービーの要素もあるだけにエンディングでほっこりさせてくれるのがせめてもの救い。
そして「行ってきます」「お帰りなさい」の何気ない日常が如何に大切なことか改めて考えさせてくれた。
5回目の鑑賞。
マックでのシーンで一瞬でしたがすずめが手にしていたのはビッグマックだけど箱がないから違うかなと思ったら、その事に気が付かれた方がレビューを書いていてちょっと嬉しくなった次第。
それにしても… ダイジン(ばっかりでスミマセン)で今日も泣かされてしまった。
ダイジンに会いにまた観に行くかも…
6回目の鑑賞。
最後にすずめが戸締りする際に言った「行ってきます」の言葉に明日への希望と過去の出来事を決して忘れないという覚悟を感じた。
それにしても芹澤くんは本当にイイ奴だったしチカちゃんやルミさんも。環さん、これから先もたとえ形は違ったとしてもずっと幸せで居て欲しいと願う。
(閑話休題)
東京駅のコンコースで右往左往しながら中央線のホームに上がるエスカレーターの上り口がいつも利用している場所だったので見た瞬間嬉しかった。
7回目の鑑賞
ダイジンに会いたくて久しぶりの鑑賞。やっぱり同じところで泣いてしまう。すずめが「私が要石になる」と言った時の「えっ!」ってすずめの横顔を見るダイジン。
草太を救い出したあと「ダイジンはね、すずめの子にはなれなかった」「すずめの手で元に戻して」で涙が止まらない。改めてダイジンが好きって思った。
最高傑作?
新海誠の作品は大好きで
特に言の葉の庭は1番好きで 有名になってから君の名は。 天気の子 といい、すごい良作で今回もかなり期待してたのですが 新たな新海誠を見た気がします 君の名は。からRADWIMPSが音楽を担当し 挿入歌多めの作風が多かったイメージでしたが 今回は挿入歌少なめですずめ と カナタハルカだけで少し物足りない感じもありましたが歌詞の深さがすごい刺さりました
映画の内容を触れるとロードムービー で 震災がテーマ 自然災害を ミミズと例えるのはすごいなと思いました。 青春の感じ 家族の絆 そして先々で出会う人達の人の良さ 全ての登場人物がこの映画良さにつながっています。 人の温かさ 家族の大事さ そして好きな人 大事な人 家族に 本気になれる って本当に素晴らしいことだなと思いました。 逢いに行く 迎えに行く 救いに行く 凄い心に刺さる作風でした 是非見てください
最後まで見ると面白かった
ミミズを封印していくまでは、作業的なことの繰り返しな印象で少し退屈なところもあったが、後半からはすずめが能動的に動いて何かを得るために行動していくシーンが多く感動した。
やはり、人の心を動かすのは、何かを求めて行動している姿なのだろうか、と改めて思った。
新海誠監督だからこそ許される作品
IMAXで鑑賞。
※視聴済み新海作品は末尾参照。
見事の一言。代表作『君の名は。』に並び得る作品と言えるだろう。
以下、これまでの新海作品とも比較しながら
、この作品の評価すべき点を3点、残念だった点を1点上げて述べていく。
まずこの作品で評価すべき点は、新しくファンタジー要素の強い作画を取り入れた点だ。
新海作品の作画の特徴は、現実と見間違える程の圧倒的な背景描写とそれを活かした心理描写にあり、特に『言の葉の庭』以降の作品ででその傾向は顕著だった。
しかし、本作ではリアル志向よりもファンタジー色の強い作画にすることで作品への没入感が強まり、また、終盤のここぞという場面で圧倒的画力を解放することで、作品内でのメリハリを生むことにも成功した。
次回作以降の制作の幅も広がることだろう。
次に評価すべき点は、東日本大震災の要素を真正面から描いた点だ。
これは『君の名は。』で日本を代表するアニメーターの地位を確立した新海誠監督でなければ、なし得なかったことと言える。
半端な監督が手掛けたならば炎上は避けられなかったはずで、芸術作品としてのタブーを打ち破るその挑戦の姿勢を大いに評価したい。
最後に評価したい点は、鑑賞後にも楽しみを増やす要素を与えてくれた点だ。
聖地となる可能性のある場所が宮崎、愛媛、神戸、東京、福島と少なくとも5か所以上ある。
「地方の人は聖地巡礼が大変だろうから日本全国に配置したろ♪」の精神は素直にありがたい。
また、中盤の怒涛の懐メロ挿入も面白い要素だった。新海作品というネームバリューと大企業のバックアップがなければ、著作権的にも実現できなかっただろう。中盤の中だるみを防ぐという観点でも大いに貢献していた。
一方で残念と感じた点は、登場人物の関係性の深まりに納得感を得られなかった点だ。
果たして「草太さんの居ない世界なんて~」と鈴芽が言えるほど、鈴芽と草太の関係は深まっていただろうか?
テンポを重視したと理解はできるし、『君の名は。』と比較すればまだマシとも言える。この点は次回作以降に改善を期待したい。
以上が本作品の感想だが、本作品によって、新海誠監督はまた一段階レベルが上がったのではないかと感じている。
自分の描きたいことに全振りした『秒速5センチメートル』、
世間のニーズに全振りした『君の名は。』、
世間のニーズを捉えつつ自分の描きたいことを多いに盛り込み視聴者を少々困惑させた『天気の子』...
新海誠監督はこれらの作品を経て、本作品でようやく世間のニーズと自分の描きたいこととの融合に成功したのではないだろうか。
次回作も期待したい。
◎参考:視聴済の新海作品
『雲のむこう、約束の場所』
『秒速5センチメートル』
『言の葉の庭』
『君の名は。』
『天気の子』
p.s. 観たかったよね、富士山...
題名にしては少しインパクが弱かったなぁ…
ずっとずーっと楽しみにしていた
「すずめの戸締り」当日に観に行きました。
観に行った後の気持ちが何故かモヤモヤというか満足感がなかったというか…。
少しネタバレになります。
今回の映画の内容は「地震」ってテーマで作ったみたいです。これは簡単に触れていい物なのか?って少し疑問に思いました。この映画を観て、この先代々と忘れちゃダメな出来事なんだよって新海誠監督はそういう風に言いたのかなって思いました。でも、やはりモヤモヤします。実際映画化になっているので通ってたんだなぁって分かりましたけど、何だかなぁって感じです。
あと、タイトルに少しインパクが弱かったという部分は、ただただ旅をしながらドアを閉めるんだなぁって観てて思いました。
やはり新海誠監督は走らせる事が好きだなっていう再認識をしました笑笑
インパクが弱かったなぁって素直な気持ちです。
地震にトラウマがある方は観ない方がいいと思います。映画館の中で観てるはずなのに、こっちまで振動が伝ってくるぐらいの迫力があります。
もう1つは、今回の主人公にモヤモヤしました…。
今回の主人公「すずめ」ちゃんという女の子です。
すずめちゃんの見た目は「君の名は。」のみつはちゃんに寄せてるなぁって感じがありました。
「君の名は。」と「天気の子」の主人公達が印象が良すぎてThe主人公!って感じが強かったので、今回の主人公にモヤモヤしてました。
上手にいえませんが、多分映画観たら分かるかもしれません…。
まぁ最終的には皆が幸せでめでたしめでたしって感じで終わっていたので、私自身は終わりが良ければそれでよし!です。
でも、迫力はあります。絵も前の映画と比べにならないほど凄く綺麗でした。何よりもダイジンとサダイジンが可愛くて癒されました。
最初からダイジンは何がしたったの?って思った部分もありましたけど、最終的に思ったのがすずめちゃんに可愛がられたかったのかなって思いました。
ストーリー性は悪くなかったと思います。
ただ色々詰め込み過ぎる、、というイメージです。
後はやっぱり大事な事で2回も言っちゃいますけど…
地震にトラウマがある方は観ない方がいいと思います。
それでも観たい人は覚悟を決めて観に行ってください。
新海誠パワー全開!
鈴芽(すずめ)と草太の戸締まりロードムービーです。新海監督の新境地になる作品!全体的に、作画・ストーリーに引き込まれる作りが凄いとおもいました。九州…愛媛…神戸…東京…東北へと旅を続ける!一時、草太はすずめの椅子へと……?ダイジンの目的も…!後味のよい終わり方に、さすが新海監督だと感慨無量でした。
理解が追い付かなかった
今回は鑑賞前に「新海誠本」というものが配られた為、上映前に一読。
内容は、今作を製作するに至った経緯、過程、何を伝えたいのか、インタビュー等となっており、鑑賞前に知りたかった情報が色々載っていたのでとても助かった。
本編は前半の鈴芽と草太が旅をしているシーンは二人の距離感が縮まっている描写などがすごく伝わってきたのでとても良かったが、後半になり物語の核心に迫ってくると色んな情報がなだれ込んでくる割に説明不足?で、情報の咀嚼が間に合わなかった。
意味不明な流れでは無いので、もう少し説明や時間があれば理解が追い付いたかもしれないが、色々考えている間に震災のシーン、クライマックスと展開がどんどん進んでしまう為最後は完全に置いてきぼりになってしまった。
最後まで必死に情報を整理していたがどうしても整理しきれず、エンドロールで「るーるるるるる」と流れ出した時はなんだかゲド戦記を思い出した。
新海誠版ハウル。ファンタジー化の功罪
久々のレビューが今作かと思うと、指が震えます。
新海誠作品は残念ながら全部は観れていない状態で、「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」と今作を含めた天災3部作を観ています。個人的には「言の葉の庭」以降の、新海誠が一歩一歩と運命や壁を前向きに超えていこうとする流れは、1人の人間の変化をまじまじと見ている感覚があって好きです。特に「天気の子」は、そのエモーションが最高潮に到達して全力でドライブしていて、一番好きでしたね。
そんな中で今回の「すずめの戸締まり」は、「新海誠監督集大成にして最高傑作」とコピーで謳われるくらいですから、個人的には「天気の子」の後で何をやる気なのかな?という期待と不安がありました。
端的な感想としては、「結構好き」という感じでした。このニュアンスなんですよね。「最高傑作!」とか「全人類観ろ!」とか、どこがどう良いんだと熱を上げて語る感じじゃなくて、かといって「期待はずれ」とか「凡作」とかいう事ではなくて、「あー、結構好きだなぁ」という感じ。凄いふわふわしてるな。w
やたらジブリ感というかまんまジブリというのは色んな人が言ってるかと思うのですが、個人的には「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」への挑戦のような感じがしたのが、かなり好印象でした。ハウルがねぇ、好きなんですよねぇ。
ただ、かなり言いたい事は出てくる映画で、そこは色んな人と話して、賛否両論あってってなったら良いなぁと思いますね。
ここから、多分あんまり褒めにならない言いたい事を徒然なるままに書き留めていきます。
◯ガールミーツボーイについて
本作はザックリ言うなら、主人公鈴芽と閉じ師草太のロードムービーものと言ってよいのかと思います。その道中で祟り神の邪気を浄化する、という言い方をすると凄いもののけ姫感がしますが、実際やってる事は大地震から日本を救うという体を取っているものの、過去の無念の記憶を聞いて見届けて呪いから解放するというのが本筋という気がしています。やたらファンタジー感が強いので魔法使い感がしますが、それよりはエクソシストとか霊媒師とかに近しいものかと思いました。
まぁ、その点はひとまず置いておいて、この映画においてのガールミーツボーイはちょっと微妙というか、この2人の親密さの構築っていうのがあまりされていないと感じました。それはまさに戸締まりが本筋になっているからだと思います。ロードムービーとしての、観光や場所ごとでの住民との触れ合い要素はあるのですが、2人で過ごす甘い時間みたいな要素がほとんどありませんでした。恋愛までいく必要はないと思うのですが、あまり親密さの構築をしていないために、最後の方の「草太さんを救う」とか「草太さんがいない世界が怖い」というのがイマイチ納得がいきづらいなぁと思いました。キャラクターそれぞれは魅力的で声優も良かったのですが、そこからのバディ的楽しさは弱い印象でした。
◯地震の扱いについて
本作は前2作以上に分かりやすく天災テーマを描いてる作品としても特徴的でした。しかし、アニメーションで大地震を直接描写するという事ではなく、スマホのアラート音、地面の歪み、川が波打つといった関節表現によって、見えない地震の得体しれなさを表現していたというのは演出力の高さを感じました。また、関東大震災の再現が起こりそうになる所では、東京に住む人々の日常が描写される事で、この日常が破壊されてしまうという恐怖が見事に表現されていました。
ただ、この関節表現というのは今作では考えもので、1箇所決定的なカタストロフがあっても良かったんじゃないか?と思いました。というのは、今作では地震が発生する原因は扉の向こう煉獄から這い出てきたミミズ(地震を起こす大鯰という所ですかね?)によって発生しているとなっており、止めようのない自然現象ではなくなっています。勿論、一般人からしたら、そこに差異はないわけですが、観客側としては今作での地震は「コントロールができるもの」になっています。しかし、実際そんな事はないわけではないですか。現に、鈴芽は地震の被害に遭ってるわけです。何故、あの地震を閉じ師は防ぐ事ができなかったのか?防げない地震があるという事なのか?
ならば、1箇所でいいから、決定的に防げない地震による大量虐殺を描く事は、地震の恐怖を訴える上で必要があったのではないか?と思います。物語設定上、防ぎようのあるファンタジーなものに一貫したために、そこの現実感は弱くなってしまっていたと思います。この映画本編内では1人も死なないんですよね。
ここが多分一番「ハウルの動く城」に似てるポイントで、本来戦争の恐怖を描くはずだったあの作品も魔法使いなどのファンタジー要素によって、決定的な喪失がなく、現実としての戦争の恐怖を描くことにはかなり失敗している作品でした。逆にそこを日常とともに決定的に表現していたのが「この世界の片隅に」であり、日常としての描写は淡々と一定でありながらも決定的にどんどん奪われていく事の辛さが描かれていました。
◯ねこ・人身御供について
おそらく今作で一番無理があるポイントだと思います。地震を起こす地中の大鯰を要石で封じたという神話が根底にあるため、地震を防ぐ要石が抜かれてしまう事で厄災が発生するという事だとは思います。ただ、その要石の扱いはかなりご都合的としか言いようがないものだなぁと思いました。
まず、草太が要石としての責務を継承してしまったという点。これは言い方は悪いですが、鈴芽と草太が運命によって引き裂かれるという、いつもの新海誠展開をやるための設定ですよね?これは勿論、「天気の子」でもあった人身御供の責務を勝手に任されてしまうという設定で同じなのですが、「天気の子」と違い決定的に避けようのない大殺戮と天秤にかけさせられているため、否応なく人身御供の選択をしないわけにいかないわけです(そこまでのガールミーツボーイが弱いせいでもありそうですが...。)。ただ、どちらも死者数の規模は違えど自然災害としては本来同じ事なわけです。しかし、今作では前述したように「コントロールできるもの」である上に、それが前代の要石で継続的に防止できるものになっているために、日本を守るための人身御供の継承の立ち位置が曖昧になってると思いました。だから、それを放棄するという「天気の子」の方向に振り切る事もできず、かといって人身御供の選択をしていく事の選択もしないという、ギャルゲーのルート選択的には大分ズルい展開になっているなぁと思いました。
しかも、そこがズルいだけではなくて、「じゃあ猫の立場はどうなるんだよ!」と思いました。この物語の設定から考えるに、あの猫というのは前代の人身御供として要石になった人間なんですよね?多分。喋り方から考えると、下手すると子供なのかなぁとか、単に子供受けのために可愛い喋り方なのかなぁとか考えていました。あの猫は要石から一度は解放されて、(物語上は鈴芽たちを東京まで導くための仕掛けではあるものの)自由を再び手に入れたわけじゃないですか。あの猫にはあの猫の人格?猫格?があるわけで主張がありますよね?つまり、キャラクターなわけです。そのキャラクターに物語の設定上、再び要石としての責務を引き受けさせるというのはかなり残酷なのではないか?と思いました。主人公たちが自分達の意志の元、要石の責務を放棄しようとしてるが故に余計「猫の立場はどうなるんだよ」と思ってしまいました。
◯まとめ-今作で一番恐ろしい事
全体にツッコミを入れまくってますが、観てる分には「流石」という感じで、面白く観れる作品ではあると思いました。地震描写には人によって意見がやはり分かれるとは思いますが。
ただ、勿論地震は恐ろしいのですが、私が一番恐ろしいと思ったのは、宮城へ鈴芽が幼少期の頃入った扉を探しに行くシーンでした。実際行った所、扉はあったわけですが。10年です。あの日から10年、あの扉は何事もなく存在していたという事なわけです。これほどに改修が遅いという事実には、改めて恐ろしいものを感じました。勿論、これは自然災害が強大だったから、だけが理由ではないでしょう。これは忘れないようにしていくべき記憶であり、早く修繕されるべきものなはずです。正にタイトルになっているように、ちゃんとどの記憶も実害も戸締まりをしていかなければいけないんです。そこのテーマに関しては、震災を扱った作品としてはファンタジーになってしまって寓話的ではありつつも、かなり身につまされるものになっていて良かったと思いました。
では、また。
※追記
◯喧嘩シーン
あそこは本当に良かったですね。近年久々に見たキツい喧嘩シーンでしたね。つい言ってしまった後の「どうしてあんな事を...」と泣き崩れる所までの描写は本当に秀逸で、多分一番好きなシーンでしたね。
◯ラスト
あれ、草太が電車に乗って別れていったけれど、旅費はどうやって返してもらったんだろうか?実は本当は借金踏み倒し犯なのか?w
◯仕事
鈴芽がスナックで働くというシーンは、「千と千尋の神隠し」を思い出しましたね。喋る猫が出てくるから「魔女の宅急便」な感じもしますが、子供が仕事をする、また草太も閉じ師とは別に教師を目指している、といった感じで労働への入門を描くというのには、宮崎駿じゃあないですが責任感があるんですかね。
※追追記
色々考えた結果、星4はないな...。
前提の感想は変わらないのだけれど、やっぱり無理矢理な所が多いし。
そもそも新海誠監督は物語や人物のバックグラウンドのディテールを描くよりも背景やアニメーションによる情動の表現が上手いのだから、変にファンタジーをやらないで、リアルな方に注力した方が作品としては観た事ないものになって良かったんじゃないか?と思ってしまいますね。
次は、ジブリっぽい感じは3部作で切り上げて、日常ものをやってほしいですね。そういうやり方でも、今回のようなテーマを扱う事はできると思いますし。
すずめさん、日本を救う
冒頭、九州弁が行き交う教室の中でただ一人標準語を操る少女。山と海に囲まれた宮崎の田舎町で、なぜ彼女だけが標準語なのか?この些細で丁寧でなおかつ巧妙な違和感を種火に、物語は地理の横軸と歴史の縦軸を繊細かつダイナミックに往還する壮大無比なファンタジック・ロードムービーへと展開されていく。
草太や鈴芽が行う「みみず」の封印作業(=「戸締まり」)は、言うまでもなく地理からも歴史からも忘れ去られた人々の鎮魂に他ならない。草太と鈴芽は「みみず」の噴出する扉に身体を預け、そこにあったはずの無数の声を聴く。そうすることによって声たちは美しい雨粒へと浄化され、街一帯に降り注ぐ。ここで破壊や抑圧といった暴力的手段に訴え出ないのが偉い。
さて、「みみず」を地震のメタファーとして用いる作品といえば、新海が敬愛してやまない村上春樹の『かえるくん、東京を救う』が真っ先に想起される。『かえるくん』もまた阪神・淡路大震災への鎮魂という射程を明確に持って執筆された作品だ。本作は「かえるくん」が「閉じ師」に、「阪神・淡路大震災」が「東日本大震災」にそれぞれスライドした「みみず」鎮魂物語の再演だといえる。
本作では今までのように村上の滑らかで感傷的な語り口だけを体裁よく取り込んでいた新海作品(『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』など)とは異なり、村上春樹の抱いていた文学的使命がダイレクトに継承されている。身が引き裂かれるような惨事に直面したとき、文芸にはいったい何ができるのか?文芸を成す者として何をすべきなのか?阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を契機にデタッチメントからコミットメントへと作風を大きく転換した村上春樹の懊悩と決意を、本作において新海はきわめて実直に受け継いでいる。
たとえば彼は劇中で幾度となくあの忌々しい災害アラートを鳴り響かせた。人によっては二度と聴きたくないであろうあの音を。しかしそれは物語をとりとめもない空想として雲散霧消させないためだ。大地震を「みみず」に置き換えたうえ、その接近を知らせる警鐘までもをメタファーに置き換えてしまえば、物語は単なる観念の遊戯以上の射程を持ち得ない。それゆえ、空想の遠心力に現実の求心力を吊り合わせるためにも、実際の災害アラートを繰り返し鳴り響かせたことには大きな意義と必然性があると私は考える。
ただ、そうはいっても当事者でない一介のクリエイターや我々観客が、東日本大震災とその被災者というセンシティビティに留保なくコミットすることはできない。新海もその辺りはよく理解しており、それゆえに芹澤という不思議なキャラクターが存在する。芹澤は劇中でしつこいくらい良心的人物であることが強調されるが、そんな彼が東北のかつて市街だった東北の草原を見て「このあたりってこんなに綺麗だったんだな」というグロテスクな所感を漏らす。どれだけ良心があっても、どれだけ細心の注意を払っても、当事者の心の深淵に直接触れることは決してできないのだという新海自身の自戒にも似た線引きが、芹澤というキャラクターを介して行われている。
さて、空想世界から現実世界への転向という点に関連して、彼は今や完全にセカイ系の呪縛を脱したと考えてよいと思った。新海誠といえば『最終兵器彼女』『イリヤの空、UFOの夏』と並び立つセカイ系の代表作『ほしのこえ』の制作者であり、それ以降も「ぼく-君」の閉ざされた関係の中で成り立つ自涜的な作品を乱発していた。しかし『君の名は。』を境に、彼は明らかにセカイ系の不健全な自閉性から逃れ出ようもがきはじめる。セカイ系の元牽引者である彼にとっては、それは自分自身を真っ向から否定する絶望的営為に他ならない。それでも彼は苦闘を続け、『天気の子』では遂に「セカイ」側による「ぼく-君」的自閉性の無効化を達成した。
帆高と陽菜が自分たちの愛を優先したことで東京は永遠に雨の止まない街(=ある種の終末世界)に変貌してしまった。しかしそこには絶えず無数の人々がいて、無数の生活を営み続けていた。過度な感傷に浸る「ぼく」と「君」に対して、「お前らの愛がなんだ?お前らなんかいてもいなくても俺たちの人生は続いていくんだぜ」と冷静に諭してやった。それが『天気の子』という映画だ。
そして本作ではさらにその先の倫理が描かれている。物語終盤、鈴芽は鎮魂の最終段階として、自らも母親を喪った東日本の故郷へと向かう。鈴芽は帆高と同様に、世界の命運or個人的な愛のトレードオフに直面させられ、最終的に後者を選択する。それによって要石を解かれた「みみず」は常世を抜けて現世に現れようとするが、鈴芽と草太がこれを食い止める。このときの草太の叫びはきわめてクリティカルだ。
いつか死ぬとわかっていても、それでも一分一秒でも長く生きていたい。生き続けていたい…
無念と後悔の中で命を断たれた無数の声に耳を傾け続けてきた彼だからこそ、自分自身も「要石化」という形で死を経験した彼だからこそ、その願いはことさら痛切な響きを帯びる。どちらを選ぶべきかというアポリアを、ただ生きたい、生き続けていたいという強い願いが圧倒する。それは「草太の死」か「世界の破滅」かという二者択一そのものを貫通し、一切合切を躍動的な生へと突き上げる。「みみず」は鎮魂され、鈴芽と草太は現実世界に帰還を遂げる。
留意すべきはこの「生きたい」が、「(誰もが)生きていてほしい」という外向きのベクトルを併せ持っているということだ。「戸締まり」と日本縦断の旅を経て、二人は他者というものの重みを知った。そして他ならぬ他者によって自己の存在が定立されているということも。鈴芽は東日本大震災によって母を喪ったトラウマを今なお根強く抱いているし、草太は鈴芽がいたからこそ「要石化」=死の呪縛から逃れ出ることができた。あるいは二人が「みみず」の内側で聴いた無数の「行ってきます」と「行ってらっしゃい」。それらは「おかえり」「ただいま」という応答を迎えられないまま途絶し、ゆえに「みみず」に姿を変えて暴れ回っている。したがって彼らの「生きたい」には「生きていてほしい」という他者への祈りが不可避に含まれているといえる。
自己を開き、他者世界と積極的に関わっていくこと。それはちょうどセカイ系の「ぼく」と「君」が閉じられた世界の中で己の自意識に終始していることの裏返しだ。
新海誠のこうした自己反省のダイナミズムは、我々に以下のようなことを示唆してくれる。それは、自分の過ちや後悔を振り返り、見つめ直し、再練する機会は万人に平等に開かれているということだ。そういった意味では本作の鈴芽と新海誠には少なからず重なる部分がある。鈴芽は事情を知らないとはいえ他ならぬ自分の手によって「扉」を開いてしまい、それによって現世に「みみず」が解き放たれた。鈴芽は自分の過ちを深く後悔する。しかしそんな彼女の後悔に対し、物語は「戸締まり」の旅という反省の道筋を優しく示す。
近年では加害者と被害者の関係性において加害者を極端に矮小化する言説をよく見かける。要するに「いじめた側には何も言う権利はない」みたいなやつだ。ただ、そうやって反省の契機さえ奪われた加害者が向かうのは自罰の究極形としての死か、あるいは逆ギレ的な憎悪の発散しかない。それゆえ新海は問う。「それが本当に正しいことなのか?」と。これはともすれば「いじめられる奴にも原因がある(だから加害者を許せ)」的な傲慢にも取られかねない危ういものだ。しかし他ならぬ新海自身がセカイ系から他者との関係へと真摯な更生劇を演じた元罪人だったからこそ、この言説は信用に足る処方箋として我々を治癒してくれる。
さて、新海誠の反省の旅はいったいどこまで続くのだろうか?次は何を相手取って乗り越えてくれるのか。彼の創作的葛藤の痕跡をこれからも辿り続けたいと思う。
薄い
3.11東日本大震災?
描写が軽すぎる。現地の映像化は良いとして、どれだけの方にレポートしたのだろう?
友人があのような子どもたちをケアしてるが、一番最後に言葉だけで救われるそんな簡単な話ではない。
何を伝えたいのだろう?
3.11を知らない方、客観的に見れる方は楽しいのでしょう。
まだまだ福島も復興途中ですし、軽い気持ちで聖地巡礼などしないで欲しい。
外国人としての感想
初めて日本での映画。新海誠監督の映画はわたしの国でもすごく有名だから友達と一緒に見に行った。
君の名はや天気の子みたいな純正ラブストーリーと違って、観たあとは一緒に長い旅をした感じがした。「母はなくした」と言ったけれど具体的にわからないが、そのノート上の数字を見たはしめてわたしはわかった。この旅はただ九州から東北までではなく、生きているわたしたちや災いで命を失った人々の距離ほどの長い旅だ。この長い旅をした自分は、「わたしは生きている」という「当たり前」のことを、もう一度考え直させられた。
幸いに、最後で主人公は大事な家族と仲直りてきた、好きな人も救い出した、何回も災いを止めた、昔の自分を慰めた、そしてそのすべてのことで、自分の成長を成し遂げた、本当に素晴らしい結局だと思う。画面もいつも通り美しい、音楽も素敵、ストリートも好みのタイプ、(個人見ると)満点に違いない。
感動する、考えさせられるいい映画
切なく良いストーリー。
ヒロインすずめの生い立ちは、東北大震災で被災した人々の声を代弁しているよう。
また、すずめ同様ストーリーのキーパーソンになる猫のダイジン。
草太を椅子にしてすずめと草太を翻弄するダイジンには怒りも湧いた。
しかし、ダイジンノ正体は日本の地震から守る要石。
人間の草太を椅子に化けさせ要石の役割を押し付けたのは、今の世の異常気象などの自然からの災害を防ぐのは人間である、という新海監督なりのメッセージ。
とは言えダイジンの「すずめの子になれなかった」という一言は観てる側としても辛いものがあった。
自然は純粋でいたずら好き、だが人間が何が要石か忘れたならば人に返ってくると考えさせられる作品。
そうきましたか
実際大きな被害のなかった地域にいた自分が、震災で被害にあった方の気持ちを推察するかのような感想を述べるのは違うと思うので、それは置いておいて。
過去と向き合い、自分は今生きていることを実感する
自分にとってそういう映画でした。
なんでもそうですけど、
今の自分、今までの自分、
その経験の引出しにあるものが
見るものの捉え方を決めたり
そのシーンに呼び起こされたりします。
廃墟となった母校を想い涙し、
愛媛の言葉を話す、亡くなった友人を想い泣きました。
そして、叔母の心の中にあるネガティブな感情に触れた時に。
大切にしているからといって、いつもポジティブな感情であるわけではない。蓋をしても、悪く思う時もある。
でも、そういうもの全部ひっくるめて、やっぱりとても大切にしてるってこと。
そうなんだよ。て、思いました。
フラれた直後に見る恋愛映画と、告白が上手く行ってラブラブな時に見る恋愛映画の捉え方が違うように、結局メッセージは自分の中にある、と思って私は映画を見ます。
今回も、自分の中にメッセージを見つけることが出来たので、いい映画でした。
悲しみに潰されそうな子供のすずめに、大きくなったすずめが伝えたメッセージ。
どんな辛くても時間は戻ったり、待ったりしてくれないけど、色んな人に支えられてちゃんと生きていける。どんな想いを抱えても、この世界は生きていくに値するんだって、そう思いました。
きっと批判も少なくない映画になりそうですけど、それだけエネルギーのある映画であり、その批判の感情もまた尊いのだと思います。
震災の前
初日、会社帰りに鑑賞して参りました。
新海監督の前作から早何年ですかね。
君の名は、天気の子ととても楽しませて
くれたので楽しみしてました。
ネタバレが怖いのでやはり初日が安心ですね。
震災の影が始めから出ていて重い映画かなあ
と思っていましたが以外とコミカルでした。
しかし、始めのミミズがバッタンした
時は皆死んでしまったかと思ったよ。
すずめと草太の戸締まりの旅
草太は早々にすずめの椅子に
なってしまうが(笑)
宮崎から東北まで
行く先々の人が温かい、
チカ、ルミ、草太のおじいちゃん
芹澤そして環
サービスエリアでのすずめ、環の吐露が
怖かった聞きたくないすごい言葉
右大臣が言わせたのもあるがそれまでの
ちょいコミカルな旅が一変したよ。
その後の自転車2ケツシーンでほっと
したけどね。
すずめが故郷に戻って絵日記を見る
シーンは心がワシ掴みになった
3.11
真っ黒で真っ黒
あの大震災の日
沢山の人の人生が変わった
行ってきます
気をつけて
何気ない言葉の集合に涙がでた
大切な人がいなくなる辛さ
この映画を見て震災を思い出す人もいるだろう
辛い人もいるだろう
忘れてはならないです。
あと、最後のRADWIMPSの歌の入り方は
個人的に涙です。
君の名は、天気の子もでした(ToT)
ああ、良い映画に出会えると気持ちがイイね。
そんな映画でした。
新海監督解釈の巡礼の旅
この映画の表層を表すのなら、ロードムービーです。
日本人は無宗教の人がほとんどだと思いますが、これは巡礼の旅だと思う。
新海監督の長所である美しい背景は健在で、特に「カクリヨ」の存在は煉獄そのもので、本当はハロウィンに公開を合わせたかったのではと思ってしまいます。
またストーリーは良くできていて、ダレる部分はなく、最後まで楽しく視聴出来ました。
個人的な見どころは、子供のころ妄想した様なことを映像化されていると感じるところでしょうか。細く言うと、物の大きさ、高さの表現が素晴らしいです。
またネタバレ含みますが、
右大臣、左大臣の様子を見ると過去何があったかは想像でき、「ダイジン」がすずめに執着した理由や最後の選択に重みが増します。
願いや幸せには代償があるということは、本作にもテーマとして見え隠れします。
さらに隠したテーマとして、生者には時間が救いとなるが、煉獄には時間がないから救いはなく扉を閉めるしかないという…少し胸糞が悪くなりました。
ですが、すずめとソウタのお話としては綺麗に終わったので、プラマイゼロです。
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