すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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理解が追い付かなかった
今回は鑑賞前に「新海誠本」というものが配られた為、上映前に一読。
内容は、今作を製作するに至った経緯、過程、何を伝えたいのか、インタビュー等となっており、鑑賞前に知りたかった情報が色々載っていたのでとても助かった。
本編は前半の鈴芽と草太が旅をしているシーンは二人の距離感が縮まっている描写などがすごく伝わってきたのでとても良かったが、後半になり物語の核心に迫ってくると色んな情報がなだれ込んでくる割に説明不足?で、情報の咀嚼が間に合わなかった。
意味不明な流れでは無いので、もう少し説明や時間があれば理解が追い付いたかもしれないが、色々考えている間に震災のシーン、クライマックスと展開がどんどん進んでしまう為最後は完全に置いてきぼりになってしまった。
最後まで必死に情報を整理していたがどうしても整理しきれず、エンドロールで「るーるるるるる」と流れ出した時はなんだかゲド戦記を思い出した。
新海誠版ハウル。ファンタジー化の功罪
久々のレビューが今作かと思うと、指が震えます。
新海誠作品は残念ながら全部は観れていない状態で、「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」と今作を含めた天災3部作を観ています。個人的には「言の葉の庭」以降の、新海誠が一歩一歩と運命や壁を前向きに超えていこうとする流れは、1人の人間の変化をまじまじと見ている感覚があって好きです。特に「天気の子」は、そのエモーションが最高潮に到達して全力でドライブしていて、一番好きでしたね。
そんな中で今回の「すずめの戸締まり」は、「新海誠監督集大成にして最高傑作」とコピーで謳われるくらいですから、個人的には「天気の子」の後で何をやる気なのかな?という期待と不安がありました。
端的な感想としては、「結構好き」という感じでした。このニュアンスなんですよね。「最高傑作!」とか「全人類観ろ!」とか、どこがどう良いんだと熱を上げて語る感じじゃなくて、かといって「期待はずれ」とか「凡作」とかいう事ではなくて、「あー、結構好きだなぁ」という感じ。凄いふわふわしてるな。w
やたらジブリ感というかまんまジブリというのは色んな人が言ってるかと思うのですが、個人的には「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」への挑戦のような感じがしたのが、かなり好印象でした。ハウルがねぇ、好きなんですよねぇ。
ただ、かなり言いたい事は出てくる映画で、そこは色んな人と話して、賛否両論あってってなったら良いなぁと思いますね。
ここから、多分あんまり褒めにならない言いたい事を徒然なるままに書き留めていきます。
◯ガールミーツボーイについて
本作はザックリ言うなら、主人公鈴芽と閉じ師草太のロードムービーものと言ってよいのかと思います。その道中で祟り神の邪気を浄化する、という言い方をすると凄いもののけ姫感がしますが、実際やってる事は大地震から日本を救うという体を取っているものの、過去の無念の記憶を聞いて見届けて呪いから解放するというのが本筋という気がしています。やたらファンタジー感が強いので魔法使い感がしますが、それよりはエクソシストとか霊媒師とかに近しいものかと思いました。
まぁ、その点はひとまず置いておいて、この映画においてのガールミーツボーイはちょっと微妙というか、この2人の親密さの構築っていうのがあまりされていないと感じました。それはまさに戸締まりが本筋になっているからだと思います。ロードムービーとしての、観光や場所ごとでの住民との触れ合い要素はあるのですが、2人で過ごす甘い時間みたいな要素がほとんどありませんでした。恋愛までいく必要はないと思うのですが、あまり親密さの構築をしていないために、最後の方の「草太さんを救う」とか「草太さんがいない世界が怖い」というのがイマイチ納得がいきづらいなぁと思いました。キャラクターそれぞれは魅力的で声優も良かったのですが、そこからのバディ的楽しさは弱い印象でした。
◯地震の扱いについて
本作は前2作以上に分かりやすく天災テーマを描いてる作品としても特徴的でした。しかし、アニメーションで大地震を直接描写するという事ではなく、スマホのアラート音、地面の歪み、川が波打つといった関節表現によって、見えない地震の得体しれなさを表現していたというのは演出力の高さを感じました。また、関東大震災の再現が起こりそうになる所では、東京に住む人々の日常が描写される事で、この日常が破壊されてしまうという恐怖が見事に表現されていました。
ただ、この関節表現というのは今作では考えもので、1箇所決定的なカタストロフがあっても良かったんじゃないか?と思いました。というのは、今作では地震が発生する原因は扉の向こう煉獄から這い出てきたミミズ(地震を起こす大鯰という所ですかね?)によって発生しているとなっており、止めようのない自然現象ではなくなっています。勿論、一般人からしたら、そこに差異はないわけですが、観客側としては今作での地震は「コントロールができるもの」になっています。しかし、実際そんな事はないわけではないですか。現に、鈴芽は地震の被害に遭ってるわけです。何故、あの地震を閉じ師は防ぐ事ができなかったのか?防げない地震があるという事なのか?
ならば、1箇所でいいから、決定的に防げない地震による大量虐殺を描く事は、地震の恐怖を訴える上で必要があったのではないか?と思います。物語設定上、防ぎようのあるファンタジーなものに一貫したために、そこの現実感は弱くなってしまっていたと思います。この映画本編内では1人も死なないんですよね。
ここが多分一番「ハウルの動く城」に似てるポイントで、本来戦争の恐怖を描くはずだったあの作品も魔法使いなどのファンタジー要素によって、決定的な喪失がなく、現実としての戦争の恐怖を描くことにはかなり失敗している作品でした。逆にそこを日常とともに決定的に表現していたのが「この世界の片隅に」であり、日常としての描写は淡々と一定でありながらも決定的にどんどん奪われていく事の辛さが描かれていました。
◯ねこ・人身御供について
おそらく今作で一番無理があるポイントだと思います。地震を起こす地中の大鯰を要石で封じたという神話が根底にあるため、地震を防ぐ要石が抜かれてしまう事で厄災が発生するという事だとは思います。ただ、その要石の扱いはかなりご都合的としか言いようがないものだなぁと思いました。
まず、草太が要石としての責務を継承してしまったという点。これは言い方は悪いですが、鈴芽と草太が運命によって引き裂かれるという、いつもの新海誠展開をやるための設定ですよね?これは勿論、「天気の子」でもあった人身御供の責務を勝手に任されてしまうという設定で同じなのですが、「天気の子」と違い決定的に避けようのない大殺戮と天秤にかけさせられているため、否応なく人身御供の選択をしないわけにいかないわけです(そこまでのガールミーツボーイが弱いせいでもありそうですが...。)。ただ、どちらも死者数の規模は違えど自然災害としては本来同じ事なわけです。しかし、今作では前述したように「コントロールできるもの」である上に、それが前代の要石で継続的に防止できるものになっているために、日本を守るための人身御供の継承の立ち位置が曖昧になってると思いました。だから、それを放棄するという「天気の子」の方向に振り切る事もできず、かといって人身御供の選択をしていく事の選択もしないという、ギャルゲーのルート選択的には大分ズルい展開になっているなぁと思いました。
しかも、そこがズルいだけではなくて、「じゃあ猫の立場はどうなるんだよ!」と思いました。この物語の設定から考えるに、あの猫というのは前代の人身御供として要石になった人間なんですよね?多分。喋り方から考えると、下手すると子供なのかなぁとか、単に子供受けのために可愛い喋り方なのかなぁとか考えていました。あの猫は要石から一度は解放されて、(物語上は鈴芽たちを東京まで導くための仕掛けではあるものの)自由を再び手に入れたわけじゃないですか。あの猫にはあの猫の人格?猫格?があるわけで主張がありますよね?つまり、キャラクターなわけです。そのキャラクターに物語の設定上、再び要石としての責務を引き受けさせるというのはかなり残酷なのではないか?と思いました。主人公たちが自分達の意志の元、要石の責務を放棄しようとしてるが故に余計「猫の立場はどうなるんだよ」と思ってしまいました。
◯まとめ-今作で一番恐ろしい事
全体にツッコミを入れまくってますが、観てる分には「流石」という感じで、面白く観れる作品ではあると思いました。地震描写には人によって意見がやはり分かれるとは思いますが。
ただ、勿論地震は恐ろしいのですが、私が一番恐ろしいと思ったのは、宮城へ鈴芽が幼少期の頃入った扉を探しに行くシーンでした。実際行った所、扉はあったわけですが。10年です。あの日から10年、あの扉は何事もなく存在していたという事なわけです。これほどに改修が遅いという事実には、改めて恐ろしいものを感じました。勿論、これは自然災害が強大だったから、だけが理由ではないでしょう。これは忘れないようにしていくべき記憶であり、早く修繕されるべきものなはずです。正にタイトルになっているように、ちゃんとどの記憶も実害も戸締まりをしていかなければいけないんです。そこのテーマに関しては、震災を扱った作品としてはファンタジーになってしまって寓話的ではありつつも、かなり身につまされるものになっていて良かったと思いました。
では、また。
※追記
◯喧嘩シーン
あそこは本当に良かったですね。近年久々に見たキツい喧嘩シーンでしたね。つい言ってしまった後の「どうしてあんな事を...」と泣き崩れる所までの描写は本当に秀逸で、多分一番好きなシーンでしたね。
◯ラスト
あれ、草太が電車に乗って別れていったけれど、旅費はどうやって返してもらったんだろうか?実は本当は借金踏み倒し犯なのか?w
◯仕事
鈴芽がスナックで働くというシーンは、「千と千尋の神隠し」を思い出しましたね。喋る猫が出てくるから「魔女の宅急便」な感じもしますが、子供が仕事をする、また草太も閉じ師とは別に教師を目指している、といった感じで労働への入門を描くというのには、宮崎駿じゃあないですが責任感があるんですかね。
※追追記
色々考えた結果、星4はないな...。
前提の感想は変わらないのだけれど、やっぱり無理矢理な所が多いし。
そもそも新海誠監督は物語や人物のバックグラウンドのディテールを描くよりも背景やアニメーションによる情動の表現が上手いのだから、変にファンタジーをやらないで、リアルな方に注力した方が作品としては観た事ないものになって良かったんじゃないか?と思ってしまいますね。
次は、ジブリっぽい感じは3部作で切り上げて、日常ものをやってほしいですね。そういうやり方でも、今回のようなテーマを扱う事はできると思いますし。
すずめさん、日本を救う
冒頭、九州弁が行き交う教室の中でただ一人標準語を操る少女。山と海に囲まれた宮崎の田舎町で、なぜ彼女だけが標準語なのか?この些細で丁寧でなおかつ巧妙な違和感を種火に、物語は地理の横軸と歴史の縦軸を繊細かつダイナミックに往還する壮大無比なファンタジック・ロードムービーへと展開されていく。
草太や鈴芽が行う「みみず」の封印作業(=「戸締まり」)は、言うまでもなく地理からも歴史からも忘れ去られた人々の鎮魂に他ならない。草太と鈴芽は「みみず」の噴出する扉に身体を預け、そこにあったはずの無数の声を聴く。そうすることによって声たちは美しい雨粒へと浄化され、街一帯に降り注ぐ。ここで破壊や抑圧といった暴力的手段に訴え出ないのが偉い。
さて、「みみず」を地震のメタファーとして用いる作品といえば、新海が敬愛してやまない村上春樹の『かえるくん、東京を救う』が真っ先に想起される。『かえるくん』もまた阪神・淡路大震災への鎮魂という射程を明確に持って執筆された作品だ。本作は「かえるくん」が「閉じ師」に、「阪神・淡路大震災」が「東日本大震災」にそれぞれスライドした「みみず」鎮魂物語の再演だといえる。
本作では今までのように村上の滑らかで感傷的な語り口だけを体裁よく取り込んでいた新海作品(『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』など)とは異なり、村上春樹の抱いていた文学的使命がダイレクトに継承されている。身が引き裂かれるような惨事に直面したとき、文芸にはいったい何ができるのか?文芸を成す者として何をすべきなのか?阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を契機にデタッチメントからコミットメントへと作風を大きく転換した村上春樹の懊悩と決意を、本作において新海はきわめて実直に受け継いでいる。
たとえば彼は劇中で幾度となくあの忌々しい災害アラートを鳴り響かせた。人によっては二度と聴きたくないであろうあの音を。しかしそれは物語をとりとめもない空想として雲散霧消させないためだ。大地震を「みみず」に置き換えたうえ、その接近を知らせる警鐘までもをメタファーに置き換えてしまえば、物語は単なる観念の遊戯以上の射程を持ち得ない。それゆえ、空想の遠心力に現実の求心力を吊り合わせるためにも、実際の災害アラートを繰り返し鳴り響かせたことには大きな意義と必然性があると私は考える。
ただ、そうはいっても当事者でない一介のクリエイターや我々観客が、東日本大震災とその被災者というセンシティビティに留保なくコミットすることはできない。新海もその辺りはよく理解しており、それゆえに芹澤という不思議なキャラクターが存在する。芹澤は劇中でしつこいくらい良心的人物であることが強調されるが、そんな彼が東北のかつて市街だった東北の草原を見て「このあたりってこんなに綺麗だったんだな」というグロテスクな所感を漏らす。どれだけ良心があっても、どれだけ細心の注意を払っても、当事者の心の深淵に直接触れることは決してできないのだという新海自身の自戒にも似た線引きが、芹澤というキャラクターを介して行われている。
さて、空想世界から現実世界への転向という点に関連して、彼は今や完全にセカイ系の呪縛を脱したと考えてよいと思った。新海誠といえば『最終兵器彼女』『イリヤの空、UFOの夏』と並び立つセカイ系の代表作『ほしのこえ』の制作者であり、それ以降も「ぼく-君」の閉ざされた関係の中で成り立つ自涜的な作品を乱発していた。しかし『君の名は。』を境に、彼は明らかにセカイ系の不健全な自閉性から逃れ出ようもがきはじめる。セカイ系の元牽引者である彼にとっては、それは自分自身を真っ向から否定する絶望的営為に他ならない。それでも彼は苦闘を続け、『天気の子』では遂に「セカイ」側による「ぼく-君」的自閉性の無効化を達成した。
帆高と陽菜が自分たちの愛を優先したことで東京は永遠に雨の止まない街(=ある種の終末世界)に変貌してしまった。しかしそこには絶えず無数の人々がいて、無数の生活を営み続けていた。過度な感傷に浸る「ぼく」と「君」に対して、「お前らの愛がなんだ?お前らなんかいてもいなくても俺たちの人生は続いていくんだぜ」と冷静に諭してやった。それが『天気の子』という映画だ。
そして本作ではさらにその先の倫理が描かれている。物語終盤、鈴芽は鎮魂の最終段階として、自らも母親を喪った東日本の故郷へと向かう。鈴芽は帆高と同様に、世界の命運or個人的な愛のトレードオフに直面させられ、最終的に後者を選択する。それによって要石を解かれた「みみず」は常世を抜けて現世に現れようとするが、鈴芽と草太がこれを食い止める。このときの草太の叫びはきわめてクリティカルだ。
いつか死ぬとわかっていても、それでも一分一秒でも長く生きていたい。生き続けていたい…
無念と後悔の中で命を断たれた無数の声に耳を傾け続けてきた彼だからこそ、自分自身も「要石化」という形で死を経験した彼だからこそ、その願いはことさら痛切な響きを帯びる。どちらを選ぶべきかというアポリアを、ただ生きたい、生き続けていたいという強い願いが圧倒する。それは「草太の死」か「世界の破滅」かという二者択一そのものを貫通し、一切合切を躍動的な生へと突き上げる。「みみず」は鎮魂され、鈴芽と草太は現実世界に帰還を遂げる。
留意すべきはこの「生きたい」が、「(誰もが)生きていてほしい」という外向きのベクトルを併せ持っているということだ。「戸締まり」と日本縦断の旅を経て、二人は他者というものの重みを知った。そして他ならぬ他者によって自己の存在が定立されているということも。鈴芽は東日本大震災によって母を喪ったトラウマを今なお根強く抱いているし、草太は鈴芽がいたからこそ「要石化」=死の呪縛から逃れ出ることができた。あるいは二人が「みみず」の内側で聴いた無数の「行ってきます」と「行ってらっしゃい」。それらは「おかえり」「ただいま」という応答を迎えられないまま途絶し、ゆえに「みみず」に姿を変えて暴れ回っている。したがって彼らの「生きたい」には「生きていてほしい」という他者への祈りが不可避に含まれているといえる。
自己を開き、他者世界と積極的に関わっていくこと。それはちょうどセカイ系の「ぼく」と「君」が閉じられた世界の中で己の自意識に終始していることの裏返しだ。
新海誠のこうした自己反省のダイナミズムは、我々に以下のようなことを示唆してくれる。それは、自分の過ちや後悔を振り返り、見つめ直し、再練する機会は万人に平等に開かれているということだ。そういった意味では本作の鈴芽と新海誠には少なからず重なる部分がある。鈴芽は事情を知らないとはいえ他ならぬ自分の手によって「扉」を開いてしまい、それによって現世に「みみず」が解き放たれた。鈴芽は自分の過ちを深く後悔する。しかしそんな彼女の後悔に対し、物語は「戸締まり」の旅という反省の道筋を優しく示す。
近年では加害者と被害者の関係性において加害者を極端に矮小化する言説をよく見かける。要するに「いじめた側には何も言う権利はない」みたいなやつだ。ただ、そうやって反省の契機さえ奪われた加害者が向かうのは自罰の究極形としての死か、あるいは逆ギレ的な憎悪の発散しかない。それゆえ新海は問う。「それが本当に正しいことなのか?」と。これはともすれば「いじめられる奴にも原因がある(だから加害者を許せ)」的な傲慢にも取られかねない危ういものだ。しかし他ならぬ新海自身がセカイ系から他者との関係へと真摯な更生劇を演じた元罪人だったからこそ、この言説は信用に足る処方箋として我々を治癒してくれる。
さて、新海誠の反省の旅はいったいどこまで続くのだろうか?次は何を相手取って乗り越えてくれるのか。彼の創作的葛藤の痕跡をこれからも辿り続けたいと思う。
薄い
3.11東日本大震災?
描写が軽すぎる。現地の映像化は良いとして、どれだけの方にレポートしたのだろう?
友人があのような子どもたちをケアしてるが、一番最後に言葉だけで救われるそんな簡単な話ではない。
何を伝えたいのだろう?
3.11を知らない方、客観的に見れる方は楽しいのでしょう。
まだまだ福島も復興途中ですし、軽い気持ちで聖地巡礼などしないで欲しい。
外国人としての感想
初めて日本での映画。新海誠監督の映画はわたしの国でもすごく有名だから友達と一緒に見に行った。
君の名はや天気の子みたいな純正ラブストーリーと違って、観たあとは一緒に長い旅をした感じがした。「母はなくした」と言ったけれど具体的にわからないが、そのノート上の数字を見たはしめてわたしはわかった。この旅はただ九州から東北までではなく、生きているわたしたちや災いで命を失った人々の距離ほどの長い旅だ。この長い旅をした自分は、「わたしは生きている」という「当たり前」のことを、もう一度考え直させられた。
幸いに、最後で主人公は大事な家族と仲直りてきた、好きな人も救い出した、何回も災いを止めた、昔の自分を慰めた、そしてそのすべてのことで、自分の成長を成し遂げた、本当に素晴らしい結局だと思う。画面もいつも通り美しい、音楽も素敵、ストリートも好みのタイプ、(個人見ると)満点に違いない。
感動する、考えさせられるいい映画
切なく良いストーリー。
ヒロインすずめの生い立ちは、東北大震災で被災した人々の声を代弁しているよう。
また、すずめ同様ストーリーのキーパーソンになる猫のダイジン。
草太を椅子にしてすずめと草太を翻弄するダイジンには怒りも湧いた。
しかし、ダイジンノ正体は日本の地震から守る要石。
人間の草太を椅子に化けさせ要石の役割を押し付けたのは、今の世の異常気象などの自然からの災害を防ぐのは人間である、という新海監督なりのメッセージ。
とは言えダイジンの「すずめの子になれなかった」という一言は観てる側としても辛いものがあった。
自然は純粋でいたずら好き、だが人間が何が要石か忘れたならば人に返ってくると考えさせられる作品。
そうきましたか
実際大きな被害のなかった地域にいた自分が、震災で被害にあった方の気持ちを推察するかのような感想を述べるのは違うと思うので、それは置いておいて。
過去と向き合い、自分は今生きていることを実感する
自分にとってそういう映画でした。
なんでもそうですけど、
今の自分、今までの自分、
その経験の引出しにあるものが
見るものの捉え方を決めたり
そのシーンに呼び起こされたりします。
廃墟となった母校を想い涙し、
愛媛の言葉を話す、亡くなった友人を想い泣きました。
そして、叔母の心の中にあるネガティブな感情に触れた時に。
大切にしているからといって、いつもポジティブな感情であるわけではない。蓋をしても、悪く思う時もある。
でも、そういうもの全部ひっくるめて、やっぱりとても大切にしてるってこと。
そうなんだよ。て、思いました。
フラれた直後に見る恋愛映画と、告白が上手く行ってラブラブな時に見る恋愛映画の捉え方が違うように、結局メッセージは自分の中にある、と思って私は映画を見ます。
今回も、自分の中にメッセージを見つけることが出来たので、いい映画でした。
悲しみに潰されそうな子供のすずめに、大きくなったすずめが伝えたメッセージ。
どんな辛くても時間は戻ったり、待ったりしてくれないけど、色んな人に支えられてちゃんと生きていける。どんな想いを抱えても、この世界は生きていくに値するんだって、そう思いました。
きっと批判も少なくない映画になりそうですけど、それだけエネルギーのある映画であり、その批判の感情もまた尊いのだと思います。
震災の前
初日、会社帰りに鑑賞して参りました。
新海監督の前作から早何年ですかね。
君の名は、天気の子ととても楽しませて
くれたので楽しみしてました。
ネタバレが怖いのでやはり初日が安心ですね。
震災の影が始めから出ていて重い映画かなあ
と思っていましたが以外とコミカルでした。
しかし、始めのミミズがバッタンした
時は皆死んでしまったかと思ったよ。
すずめと草太の戸締まりの旅
草太は早々にすずめの椅子に
なってしまうが(笑)
宮崎から東北まで
行く先々の人が温かい、
チカ、ルミ、草太のおじいちゃん
芹澤そして環
サービスエリアでのすずめ、環の吐露が
怖かった聞きたくないすごい言葉
右大臣が言わせたのもあるがそれまでの
ちょいコミカルな旅が一変したよ。
その後の自転車2ケツシーンでほっと
したけどね。
すずめが故郷に戻って絵日記を見る
シーンは心がワシ掴みになった
3.11
真っ黒で真っ黒
あの大震災の日
沢山の人の人生が変わった
行ってきます
気をつけて
何気ない言葉の集合に涙がでた
大切な人がいなくなる辛さ
この映画を見て震災を思い出す人もいるだろう
辛い人もいるだろう
忘れてはならないです。
あと、最後のRADWIMPSの歌の入り方は
個人的に涙です。
君の名は、天気の子もでした(ToT)
ああ、良い映画に出会えると気持ちがイイね。
そんな映画でした。
新海監督解釈の巡礼の旅
この映画の表層を表すのなら、ロードムービーです。
日本人は無宗教の人がほとんどだと思いますが、これは巡礼の旅だと思う。
新海監督の長所である美しい背景は健在で、特に「カクリヨ」の存在は煉獄そのもので、本当はハロウィンに公開を合わせたかったのではと思ってしまいます。
またストーリーは良くできていて、ダレる部分はなく、最後まで楽しく視聴出来ました。
個人的な見どころは、子供のころ妄想した様なことを映像化されていると感じるところでしょうか。細く言うと、物の大きさ、高さの表現が素晴らしいです。
またネタバレ含みますが、
右大臣、左大臣の様子を見ると過去何があったかは想像でき、「ダイジン」がすずめに執着した理由や最後の選択に重みが増します。
願いや幸せには代償があるということは、本作にもテーマとして見え隠れします。
さらに隠したテーマとして、生者には時間が救いとなるが、煉獄には時間がないから救いはなく扉を閉めるしかないという…少し胸糞が悪くなりました。
ですが、すずめとソウタのお話としては綺麗に終わったので、プラマイゼロです。
嫌いなわけじゃ無いです、どっちかって言うと好きなんですけど…
映像が綺麗、キャラも好き、音楽も相変わらず良い感じ、話も起承転結がしっかりしている。
どっちかって言うと好きなんですけど、この映画を通して見てる人に何を伝えたいのかがわからなかったんです。
例えば震災がミミズの所為だとしたら、閉じ師(字はあってるのか?)の草太は以前の震災を防げなかった事などもっと熱い話の展開で良かったような気がします、震災の話の割には震災の部分に対して登場人物があっさりしているなと。
個人的には実は他にも閉じ師がいてラストはみんなで閉めるみたいな胸熱展開があってもありだったんじゃないか。
他にもダイジンはネットから名前が付いたんじゃ無いの?後から出て来たのにサダイジンって何?
イスの足が一本無い理由は結局何?
すずめは草太のお爺さんの病院が何故わかったの?近くにって言うだけでそんな描写ありました?
ダイジンがすずめの子にはなれなかったってどう言う意味?
ダイジンは何故草太を要石にしたの?
そして、一番の謎は震災っぽい表現必要でした?
などなど色々な謎(?)を私に残したままエンドロールに突入してしまいました。
小説読んだら全部の謎が解ける事を祈りつつ明日小説買って来ます。
でも、地震はナマズ説から新しくミミズ説になった事だけは私の中の新しい発見です。
あと、キャラは好きでグッズはめっちゃ買いました(笑)
(補足)
これ書いた後に映画好きと熱く話し合った結果、私達の解釈はダイジンもサダイジンも元々は人間でサダイジンは大人が要石になったから宿命に納得しているが、ダイジンは元々閉じ師の関係者で子供が要石に何かしらの理由でなってしまったからまだまだ遊びたくて逃げ出した。
だから草太が要石になった事に特に意味は無いし、ダイジンがラスト間際にすずめの子にはなれなかったって言ってるって事も納得できるので勝手にこの内容で納得しました。
この視点でもう一回すずめの戸締りを見たいと思ってます。
他の方の意見もお待ちしてます(笑)
映像5音楽5脚本2
初週末やリップサービスのご祝儀期間が解ければ、評価は下に引きずられるだろう。
映画館が「初日の上映回数」を異常なまでに増やすのも納得。
初週末を過ぎて感想が出始めれば、ネット外の口コミから鑑賞を控える人は逓増する内容だったと感じる。
映像は最上質。すごい。
音楽も歌もいい。いい。
が、問題はそれらを駆使して描かれる「内容」である。
その内容は、主要キャラクターの無神経さやセットアップの弱さで感情移入が難しく、序盤から緩急のない急だらけのバタバタが続き、魅力が乏しい話の展開パターンに序盤で予想がつき、それがその通り繰り返され、自己満足的な説明不足が増え続け、ジブリやガンダムのパロディ、テーマやギミックは君の名は。の焼き回し……という、鑑賞後、劇場にいた人々が疲労感を口にしたりヤケクソ気味な苦笑が見られる内容にとどまってしまった。
『天気の子』も各言動や状況設定、物語の展開装置が「そうはならんでしょ」のご都合的で鼻白んだが、ここまで「観客たちが、耐えながら付き合う」映画体験ではなかった。「映画は映像と演出とテーマだけ、脚本は細部から大筋に至るまで全く気にしない」という人しか高い評価にはならないと思う。
以下、具体的に本作の難点を指摘。
・好きになれない子、すずめ
行動原理が不明。最初の扉を閉めるまでのシークエンスでも、「イケメンだから話す前から一目惚れ」「なぜか廃墟を伝えたことを悔い、なぜか登校を中断して廃墟に向かう」「その後、学校に登校」「人には見えないモノが見えたら、なぜか再び廃墟へダッシュ」という、わざわざ明示した「2023年の日常に暮らす女子高生」とは思えない行動を連発する。制作サイドの「最初の扉を閉めるまで早くやりたい」にひきずられて、人間の思考回路で生かしてもらえていない。さらに叔母の正当性ある心配を無視して、ノリでフェリーに乗って、スマホ一つで四国に行ってしまう。四国ではソウタに帰って日常に戻れと言われるがなぜか帰らず、扉閉めを継続。叔母の心配はもちろん、学校生活や学校の友人たちを気にも止めない態度が人間ではない。その後も「協力者に協力を求めるが説明はしないし理解させる気もない」態度で、任されていたスナックの仕事を放り出したり、要石を打ち込んで人々を救ったすぐ後に好きな人の方が大事だから大災害が起きてもいいからやっぱり抜きたいと言い出し、大学生のアルファロメオジュリアに高速道路を走らせ、叔母からいいかげん説明しろと言われたら「心配されるのが重い」「家族にしてなんて言わなかった」と逆ギレで叔母を悪のように罵り、黒ダイジン乱入の成り行きで叔母の大事にしてくれる気持ちと通じ合ったかと思ったら、すぐに「ソウタを助けて私は死ぬ」と叔母のことなんてやはり何も考えてもいない(まるで成長していない)……そりゃ叔母さんも「……しんどい」が堆積しただろう。
「十代の無垢さ、純真さ、初々しさってこういうものだよね」と監督世代に言われたら十代がキレそうな内容なのだ。「~だわ」「~わよ」もあるし。後半で「実は3.11の震災&津波の孤児だった」という情報が明かされるのだが、「母は死に自分だけ生き残ってしまった=命なんて運だ、死んでもいい(だから日常へのこだわりはない)」というのは、叔母に12年間愛情を持って育てられ友人もいることから、「無神経・恩知らず」も同時に発生してしまう。「震災孤児の思考をリアルに描いた」とは受け入れられないので、「無神経・恩知らず」部分はすずめの個性だと受け止めるが、それだとやはり好きになれない。
主人公兼ヒロインが好きになれない言動・精神構造をしているというのはこの手の作品では致命的で、『君の名は。』の主人公の片割れである三葉の方がずっと言動・性格的にかわいい。後述するテーマのかぶりもあって、自身の過去作と比べられてしまう宿命の中で、シンプルに負けてしまう印象なのはいただけない。
・セットアップの弱さ
結局、天気の子のような「大勢のモブの命と運命の一人の命と」のテーマがもたげてくるが、天気の子や君の名は。のようにすずめとソウタの縁や絆、成り行きから個人的な好き合いへと移る過程が描かれていない。なので、いきなり「100万人の命よりもソウタさんを助けたい」という中盤以降の大逆の葛藤・決意が「そういう設定だからそうなった」にしか見えない。作中で描かれた程度の交流(一目惚れからの、なりゆき仕事)でラブってしまうなら、すずめが人生で出会ってきた宮崎県の全男性は相当に無味乾燥だ。ずずめとソウタが「縁あって、一緒に特殊な仕事をする関係」から、「それぞれ個人に興味が移っていく描写」が必要だった。神戸の観覧車では呪いを解く鍵であるダイジンを放り出してすずめを助けに行ったわけだが、そこはもっと丁寧に「そういう決断をしたシーン」として描いてほしかった。
・緩急の弱さ
後半まで、ドタバタではなくバタバタが続く。緩急の相乗効果で物語は面白みを得るのだが、本作は薄味の全国行脚がノルマだったのか、緩急ではなく急急のリズムで作られている。鑑賞者に心の置き所が乏しく、後述の予想できる展開と相まって疲労感が高く耐える鑑賞になりがち。
・魅力が乏しい話の展開パターンに予想がつき、それがそのまま繰り返される
ご都合でダイジンの居所がわかる(この名前も後述でつっこむが)→行く→都合良くミミズ出現→扉を閉める→ダイジンは取り逃がす→次の地域へ……これが九州・四国と続いた時点で嫌な予感がするが、さらに神戸、東京と繰り返されるのが辛い。東京は一応話が少し動くが、骨子は変わらないし、その後もそう。各地のエピソードも「各地ならでは」や「地域ごとにアラカルト的な良さ」があるわけではなく、ただ行った、「絵として街を綺麗に描写した」という程度。エピソードとしてのパンチ力はない。その低火力を2時間かけて5回繰り返すので、上映後の十代客たちの「長かった」「疲れた」「東京で終わると思ったのに」という感想に共感した。
メイン・地域ゲストのキャラクターたちを掘り下げて滋味を味わわせる物語ではなく、映像表現の腕前を誇示できるパッケージを延々とスライドショーされていた感じが拭えない。例えば神戸編は、地域の特異性やそこに在る生活描写よりも、それらと関係の無い超美麗観覧車バトルの方が尺が長いように感じた。他の地域も同様。この優先度設定は、ロードムービーの型を持つ本作には逆効果である。
・自己満足的な描写による説明不足
主にダイジン2匹回りについて。あとお爺さんの心変わり。
主人公が岩戸で戸締まりだから、天岩戸でうずめで右大臣左大臣的なんだろうな……と思うも、ふんわりしすぎ。作品で描かず無料配布パンフレットで解説をするのは、クリエイターではなく教祖の志向だ。そもそも野良猫を「大臣っぽいからダイジン」とモブたちが命名し、すずめも「あの猫、大臣っぽいし」と理解を示す表現は、首をかしげない鑑賞者の方が少ないだろう。大臣にも、歴史物の大臣やファンタジーものの大臣、現国務大臣などいろいろありすぎて、唐突に、まして猫にイメージを共有できる言葉ではない。制作サイドだけがわかる「そういう設定だから、そうなんです」という素人然のテリングが、作中世界の共通認識・事実として、違和感だらけのまま波及してしまっている。
結局ダイジンたちは何をしたくて、何をしたくなかったのか。宮崎の要石は扉のこちら側にあったが、すずめが触れてしまったために封印は解けたのか。では、東京の要石は誰がorなぜ独り手に解けたのか。すべてに説明が必要とは思わないが、観客の悩みたいところと作り手側の悩ませたいところのズレが大きかったと感じる。お爺さんは「人類を滅ぼすことになるぞ」と正論を言っていたのに、会話途中で何をもって心変わりでヒントを与えたのかも不明瞭。最終的になりゆきでなんとかなったからよかったが、ならなかったら日本は「すずめのトラウマを全員が共有する悲劇」となっていた。運命的で深いのではなく、粗くて雑だと感じる。母絡みのエピソードの真相も、小さな驚きと引き換えに深みが失われてしまっている。
・パロディ
ジブリやガンダムの演出やセリフのパロディは小手先の曲芸。そういう歩み寄りは求めていないので、ノイズに感じた。
・題材やギミックは君の名は。
大災害を食い止める主人公。好き合う運命の二人。実は過去と繋がっていた現在。要素としては傑作である君の名は。を踏襲する物が多い。だからこそ、映像良ければそれで良しなヤケクソ具合が、監督自身の過去作君の名は。の下位互換となることを許してしまっている。君の名は。の監督自身によるノベライズを読んだ限り、そもそも原作である映画版の脚本スタッフに相当な腕前の人がいたようだが。監督自身の脚本力は、そのスタッフやシナリオチームに全然及んでいない。
・方言、地域性
大予算大期間の大プロジェクトなのだから、九州の方言のイントネーションは、監修者を一人は雇ってほしかった。方言を使う・日本列島制覇・しかも冒頭と決めたなら、そこで妥協をしてはいけない。
また、宮崎、愛媛、神戸、東京、(宮城)、福島……という、中国・東海甲信越スルーは、全国行脚を商品性に宣伝している以上、嫌な人はいただろうなと。「震災の発生地だけを選んだ」としても深読み要素なので、売り出し方と内容不一致の免状にはならない。
それと、過去作の東京表現を皮切りに「日本の持つ美しさを再発見して描ける監督」というブランディングを意識しているようだが、今回の全地方のキラキラ描写はかえって理解の浅さを感じる。弱き地方への理解者・寄り添いのつもりかもしれないが、そうだとしたら逆に「全然わかっていない自覚がない、肩を組もうとしてくるありがた迷惑な来訪者」になってしまっている。地方は映像美的に綺麗なのではなくて、くすんだ街並みの中に文化と生活の輝きがある。しかしフィルタを用いて画一的に綺麗にする視覚的美化を「掘り出す行為」と捉えている節があって、当事者たちの誇りからずれた視覚的美化は、かえって無理解と断絶を強調してしまっている。
・主題
過去との対峙、トラウマへの心の戸締まり、一区切りつけて扉のこっち側、現実へ行ってきます、再出発……はわかるのだが、そこに無理矢理運命の二人を入れた感が、セットアップの弱さと相まってかみ合わせの悪さを感じるところ。
また、藤本タツキ『ルックバック』と同じく、現実の具体的悲劇への歩み寄り行為自体を商品化しているような「流行の売り方」も感じてしまい、全体的な粗さとあわせて個人的に厭な感じを受けた。悲劇が起きればマーケターたちが大喜びするような「コツ」のある世の中にはなってほしくない。
・怒っていい人たち
①命知らずゆえの恩知らずになると解釈され描かれた、3.11の震災孤児や被災者
②イケメンであるという理由だけで一目惚れを許すことになった、過去にすずめと会っていた宮崎県の男性たち
③全国行脚の中に含まれたことになっている中国、東海甲信越、北海道の人々
④全国のお父さん
難癖をつけたくて観たのではない。『君の名は。』はここで書いた次元の指摘はなぜか全部クリアされていて、私が畏敬する高みの作品だからだ。
しかし本作はそうではなく、脚本に感動が漏れる穴が多すぎる。監督には、今年の作品ならトップガンMやRRRを何度も見て、感動を生む(狙い通りに、最大化する)手法の網の目が、実はどれほど細かく存在して、真摯に向き合われ、確信的にコントロールされ調理されているか学習してほしい。その上で専門家に頼むのは全く恥ではない。できないことをできると言い張って大勢を巻き込み、企画が労力の割に低調に終わることの方が問題だ。キャリアも長く声望もあるので、この次元にとどまっているとチームを低質に付き合わせる迷惑な増上慢になりかねない。結果をどう受け止めるか、分かれ道に感じる。(『天気の子』もそのタイミングだったのだが、一歩追い詰められてなお)
この内容に黙々と従った超絶アニメーターさんや音響さん、関係者の皆様はお疲れ様です。
ファンタジーすぎるかも、、、
今作は個人的に少しファンタジーに飛びすぎていると感じました。別にファンタジーが強い映画が嫌なのではなく、今作も今までと同じように普通の日本に住む高校生が主人公である現実的な世界観がベースなのに、異空間に繋がる扉や椅子に変えられてしまうソウタさん、なぞの閉じ師という家業にダイジン、左ダイジン、ミミズといった妖怪たちと、あまりに個性の強い設定から上手く現実世界と絡めて脚本を書けていないように感じました。前作、前々作の「君の名は」や「天気の子」も非現実的な設定ではあるものの今作程突飛な物ではなく上手にまとめることが出来ていたように思います。
主人公のすずめがなんだこれって感じで拾い上げた要石が発端で大災害が起こりそうになるという展開の無骨さや、ダイジンが要石に戻ることを散々嫌がっていたのに、物語終盤で急にやっぱり戻るわって秒で石の姿に戻ってしまうことの都合の良さや、なにより主人公が物理的に九州から東北までの長距離を移動をするとなると、それ相応にたくさんの物語があるわけで、たしかに道中様々な出会いがあったけど、それ故にやっぱり駆け足ぎみになっているようにも感じました。
やっぱり「君の名は」から「天気の子」と期待値も増しハードルが上がっているさなかのコロナ流行と今まで通りに作品を作ることの出来ない時期があったかもしれないし、映画特典にも「我々作成陣は全身全霊を尽くしたが、観客からは我々の裏での尽力は見られず作品そのものしか評価されない」とあまり今作に自信の無いような言い方をしている発言が見受けられるので、監督自身も今作にはあまり納得がいっていないのかなと思いました。
また監督の現実的な世界観にすこしだけのイレギュラーをテイストに混ぜ合わせた不思議な感覚になる映画が見て見たいです!
いろんな視点で楽しめそうな
いろんなキーワードが浮かんで来た。
オープニングから、魔女の宅急便、千と千尋の神隠し、もののけ姫等々の宮崎駿オマージュ。
天の岩戸神話。玄界灘の古の豪族。
片割れ時。南海トラフ地震。阪神大震災。東日本大震災‥
まだまだ気づかないキーワードがたくさんありそうな予感ありありです!
深海誠の
ジブリ映画オマージュ作品?かな?
ジブリのあの作品たちを思い出させるような場面が沢山あって、あー好きなんだねぇって思いました。
作品自体は普通に面白かったてす。
クスッと笑えるところも、ほろっとするところもあって。親代わりの叔母さんの気持ちはちょっと泣けた。
でも普通。
戸締りが地震を抑えるっていう事だったのかと。
描き方は賛否が分かれそう。
芹沢の神木隆之介がやっぱり上手かったと思う。
あと椅子の動きが好き。欲しくなった。
18時の時間帯だったからか高校生が多かった。
若い層にどこまで響くかで名作になるか普通になるかになりそう。
今作は「まぁどうせいつもの新海誠やろ?背景綺麗でしょ〜RADWIM...
今作は「まぁどうせいつもの新海誠やろ?背景綺麗でしょ〜RADWIMPS聞いてね〜みたいなそういうやつやろ?」の期待値で観に行ったらあまりの素晴らしさに腰が抜けました。
なんやこれ。
新海誠らしさはそのままに、全体的に完成度が爆上がりしている…!
前情報通り、地震速報は何度も鳴りますがこれは必要な演出。
ほくちゃの声優もどうかな?と思っていたけれど、草太の純朴で優しい人柄にマッチしていて素晴らしかったです。
個人的にはダイジンがもう本当に切なくて…
鈴芽のことが好きだっただけなんだよね…
最後要石になってしまった時は映画館で咽び泣きそうだったよ…そばにいてあげられなくてごめんね…
映画が終わったあとは泣き腫らした目でそのまま売店に。
私みたいな人がたくさんいてよかったです。
みんな大量にグッズを買い込んでました。わかるよ〜ダイジン、かわいかったもんね…
実は私、アンチ新海誠だったんですがそれは今日で卒業しました。
売店で鍵のネックレスを購入したので今日からは閉じ師として生きていきます。
よろしくお願いいたします。
現実に起きたこととも思える
3.11という現実に起きた出来事を絡めることで、本当にあった話のように感じられた!
各地の移動まで現実世界とのギャップがない、、
宮崎-愛媛間のフェリー、予讃線、明石海峡大橋、東海道新幹線などの移動、そして伴う時間の流れ、そんなふうに作品に入り込める作品でした!
色んな見方ができるロードムービー
震災を物語の軸にしているので、見る人によっては辛い見づらい部分もあるけれど、どんどん舞台を移動して色んな価値観の人に出会うロードムービーとして面白かった。
ラストの近くの子供のころのすずめとの対話は感動した
相変わらず風景は美しい
しかし神と人というスペクタルファンタジーはもう3回目‥壮大な描写のないような「言の葉の庭」のような大人の長編作品が見たいな
最高傑作や!
毎回楽しみ最高傑作!作画も超良いし、ヒロインすずめの声がマジで最高やったぁ。2時間がホントに一瞬で終わった!
毎回楽しみにしている新海誠監督の新作。だが、予告だけを見ている限り「恋愛要素強めかなぁ。あんまりかもなぁ。」って思い、期待と不安を胸に映画館に入った。でも、見終わったら最高過ぎて、グッズもサントラやクリアファイルなと¥8000分も買ってしまった。個人的には「君の名は。」「天気の子」よりも面白かった!今回は前2作品の神秘的な要素と「君の名は。」の災害要素(3.11など)を踏襲し、実際に作品の中に入り込めた。
東北へ向かう高速を走ってる中で懐メロが流れてたけど、それもテンション上がった。
日本的アニミズムがやっぱりいいなぁ。2回目は細かい所に注意して見ようと思ってたけど、フェリー乗って四国に行くところから作品に入り込んでしまって結局フツーに楽しんでしまった笑。鈴芽が床世に行って草太さんを救ってるシーンで気づいてそこからまた注意して見ようとしたけど、結局あんまり気づけんかった。でも、それだけこの映画がのめり込めるぐらい面白い作品やってこと!!3回、4回、5回と普通に見れるなぁ。受験終わっても、人気で”君の名は。”みたいにロングランすると思うから、絶対IMAXで何回も見る!!
鈴芽の声めっちゃいいからボイス付きのLINEスタンプ発売してほしい!!
あと初めてTOHO プレミアムシアターで見たけど、なかなか良かった!!
君の名は。天気の子。すずめの戸締り。を災害三部作って言うらしい。
今回気づいた新しい点
・冒頭の草太が鈴芽の部屋で治療受けるシーンで、散らかってる鈴芽の部屋のたくさんの物の中に「看護師になるためには」って言う本があった。お母さんが看護師やったから鈴芽も看護師になりたいんやなぁって思った。
・最後の駅で草太が鈴芽にハグしたシーン。鈴芽の顔がめっちゃかわいかった。その後に、スズメが空に羽ばたいていっていた。コレは鈴芽がこれから、羽ばたいていく!っていう暗示かなぁ。
・最初はダイジンに対して優しかった
→いろんな人に優しくされる。
・東京でダイジンに冷たくする
→東京の人に冷たくされる。服破れてたりしてても、陰で言われるだけで何もしてくれない。
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