すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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次世代へのエール
総理大臣も、姪の為に一生懸命働いてる人も、漁師さんとして全国に美味い物を届ける事も、様々な事で、それぞれが役割を成してこの世界は回っている。
深海監督が訴えるクリエイターの役割は要石。作る作品によって人々の悲しみや憎しみなどのどうしようもない負のエネルギー(ミミズ)を抑えていると言う事なのだろう。
観客(すずめ)は勝手だ。
自分の都合でかわいいと言ってみたり、あんたなんか観たくもないと言ってきたりする。
だけどその声が、その熱意が猫になって逃げたくもなるクリエイターに再び要石となって次の作品を産む原動力にもなるのである。
作中明言はされていないが、閉じ師は様々な事を経験していきながら最終的には要石になっていくのだろう。
言わば閉じ師は次世代のクリエイター
最後再び大臣が要石になるシーンは
そんな次世代のクリエイター(草太)への深海監督からの
「俺もうちょい頑張るから早く次の奴出てこいよ!」
というエールに感じた。
カナタハルカ
新海誠監督3年ぶりの最新作、常に災害というジャンルに立ち向かってきた新海監督が遂にストレートに災害と対峙する物語という事もあり、今までの繊細な描写とは少し離れてモンスターらしきものもいましたし、どのような作品になるか期待半分、不安半分で鑑賞。仕事終わり直行なので体に鞭を入れながら。特典は新海誠本です。
色々と気になる部分はある…けれどやはり新海監督の作る作品は改めて面白く、それでいて自分や他者と向き合う事を教えてくれる、好きだなと思えるものになっていました。
まず登場人物の表情の豊かさ、新海監督作品に常に備わっていたものは今作でも健在でした。すずめの快活な様子、日本を横断しまくるにも関わらず持ち前のガッツで突き進んでいく姿がとても凛々しかったです。可愛さも備えていて新海監督作品の新たなヒロインにしっかり名を刻んでくれました。草太は基本的に椅子の姿で日本をすずめと共に横断しますが、単独行動しようとするとすずめに捕まってモノ扱いされたり、実際のイスのフリをしたり、助けに入ったり、すずめの手伝いをしたりと、新海監督作品には珍しいマスコット枠がシリアスにしすぎない役割を果たしていてとても良かったです。
アニメーションの美しさは磨きに磨かれており、日本の風景の美しさ、もう一つの世界の幻想的な空間、登場人物たちの行動、さらに今回は災害をモチーフにしたミミズの化け物の存在感も加わって壮大に仕上がっていました。新海監督作品の新感覚を味わえることができました。
日本とは嫌なほどに密接な関係にある災害、今作はそれに焦点を当てた作品という事で、どこまで踏み込んでいくんだろうと思いましたが、想像以上に踏み込んでいた作品でした。ミミズが発生するのは日本の下にあるプレートが動くことによる地震をモチーフにしていて、実際にミミズが倒れたら地震が起こる仕組みになっており、草太とすずめが止めに向かいます。ある種のボランティアとしての役割も果たしつつ、日本の現状を強く訴えかけてもいました。「君の名は。」で復興を描き、「天気の子」で災害後の生き方を描き、そして今作へと繋がり、新海監督の集大成といっても過言ではない出来でした。
「言の葉の庭」で新海監督の独自性が色濃く描写されていて、「君の名は。」ではエンタメ向けに仕上がったので最高に面白いんですが、とても見やすくなっており(口噛み酒は独自性が強かったですが)、「天気の子」で少しその独自性が戻り、今作でかなり戻ってきたなと思いました。そのためエンタメ性は少し弱まっていましたが、感じた事のない感覚に引き込んでくれたのが最高でした。
気になった点として、展開が少し駆け足気味になった後半はロードムービーの良さが薄れてしまったなという印象です。複雑な話ではないのでスッとは飲み込めるんですが、後味は微妙という終わりの方は少しモヤモヤしました。ただ121分に詰め込まれた話とは思えないほどの濃密さを味わえるのは新海監督の手腕が全開で発揮されていたなと思いました。
初見でもかなり面白いなと思っていたんですが、時間が経って作品の事をぼんやりと考えていると色々と思いを馳せる場面が多く、2度目を見てより一層作品内で描かれた新海監督の想いがじんわり沁みてきました。何度もリピートしてしまいそうです。今年ベスト級になりそうな予感がしています。今年は大混戦です。
鑑賞日 11/11
鑑賞時間 24:00〜26:05
座席 O-15
注意‼️震災経験者
地震の描写と、セリフや物語で触れていないが東日本大震災とわかる描写がたくさん出てきます。
東日本大震災経験者としては、ずっとゾワゾワしながら見てました。
上映中、途中退席する人も2人いました。(退席したまま戻って来なかったので。)
テレビとかネットの予告や特番で、地震や東日本大震災の描写があることを知らせてほしかった。
展開のテンポが良く、いい感じで観ていると泣かさます。
退屈なところ無く、序盤からテンポ良く展開していきます。ドキドキ・ワクワク観ていましたが、いつの間にか泣かされてしまいました。
東日本大地震のとき、私は東京に居ても怖かったのですが、東北の方々がどんなに恐い想いや辛い目にあったのか物語の中から自分に流し込まれて来るようで、その世界に引き込まれるせいなのか、気づいたら涙と鼻水出てました。
そんな中、すずめよく頑張った!
それを支える人たちもね。
50過ぎのオジサンも感動するいい作品だと思いました。曲も良かったです。
高校生の子供にも早速オススメしました。
効果最大の場所で決め球を使う
「行ってきます!」が決め台詞的に使われてたのに。トレーラーでは。一向に鈴芽の口から出てこんなぁ、と思ってましたら。はいはい、忘れた頃にやられましたー。新海誠の十八番、やられましたー!ここしかないだろ?って場所でやられましたーw
「天気の子」は期待外れと言われ。東京を沈めるなんて共感出来ないと叩かれたりもして。それを受けてのハッピーエンドです。
今回はロードムービー。「君の名は」のプチ・ロードムービーから本格化です。伊藤沙莉ちゃんは老け役です。ハマり過ぎです。アニメ特有の、狭い世界の内輪ウケ感が最小化されてます。アニメを見てるとたまに感じるんです。同業者の排他的な中間うちでは楽しいんだろうけど、ちょっとついて行けない、的なコント。それが鼻につく感じが、あまりしません。普通の映画の脚本みたい。
劇場は1日20回上映がザラ。田舎のJRの便数より多いって。凄い人気です。IMAXは満席に近いので敬遠しましたが、通常上映も若い人で席が埋まってます。トレンド化するマーケティング戦略の勝利です。
新海誠のメッセージは次世代向けた「行ってらっしゃい」だと思うんですよね。なるべく多くの子達に伝わりますように。
良かった。
普通に。
さすがの映像力!
まず冒頭の伏線から、カンのいい人は途中からあの震災と気付くかな?私は引っかかりを感じながら、スルーしました。震災の記憶の風化。反省。
今作はロマンス少なめで(少女のほのかな恋心、だけど彼女の原動力でもある)、少女の冒険、出会い、成長を描いた点が良かった。もちろん、新海監督得意の美しい風景が素晴らしかった。自然は時に恐怖で、それでも美しいんだなあ、と思わせる。
すずめが出会う、人々もみんなドラマがあって感情移入できた。
ラストのSF的な伏線回収も面白かったよ。ネコちゃんのミスリードにも騙されました。
テンポよく進む厄災話
前作の天気の子は、あまり合わなかった人です。
今回の厄災は『地震』
九州から始まり、大地震のあった都市を巡るロードムービーです(笑)
鬼ごっこが縦軸としたら、家族関係と旅先で出会う人が横軸。
最後の仕掛けまで、ありきたりですがよく練られてると感じます。
左大臣が動き出した理由がよく分からなかったです。
そしてダイジン、せつなかったです。
そりゃ嫌にもなるだろうね。
ハッピーエンドですが切なさ、やるせなさも最後にのこりました。
でも、総じて今回は満足出来ました。
最後に何故お前は80年代の曲ばかり流すのか。
雰囲気の違う魔女宅のオープニングは最高だったぞ^_^
期待以上!!観て損はないと思う。
最初に出てきた大人の女性が主人公であることが簡単に読めてしまったこと序盤の物語の進行度合いが少し唐突で早く感じたこと、常世の話が出た段階でラストの流れが視えてしまったことが少し残念だった。
その他は、かなりよかった。
旅先であった人との関わり方と関係性、叔母さんとの関係性など随所に様々な‘繋がり’を感じたのもよかった。
そのおばさんとの関係性が垣間見える駐車場のシーンはなかなかだった。
心の奥底に仕舞い込んでいた感情を全て吐き出すシーン、言わされた言葉だったけど、あれは真実と主人公に長い間愛情を注いでこないと出ない感情(言葉)だったと思った。
芹澤君もとてもよかった。言葉では心配していないような事を言いつつも実はかなり友の事を心配している彼はとても優しい人。いい先生になれると思う。
彼の曲選が最高だったので一緒にドライブしたい!!
1番心打たれたのは、幼少期の自分に語りかけ母の形見である椅子を渡すシーン!このシーンは台詞も良かったし、今の自分よりもこの椅子が必要であった幼少期の自分に渡す所は過去との決別、感謝など色んな感情が伝わってきた。
東日本大震災と地震をテーマで扱うことは、まだ傷の癒えない人が多数いる中で大変なことだったように思う。
難しいテーマをよく上手くまとめあげたと思う。
かなりいい映画でした!
2回見てきました ダイジンが切ない
昨日今日と連続して見てきました。
2回ともダイジンの切なさに泣きました。
うちの子になる?って言ってもらえて嬉しかったダイジン
すずめの子になりたくて、要石の役割を押し付けてしまったけど
今まで頑張ってきたダイジンも救ってあげたかったなー
自ら石に戻るところは号泣でした。
サダイジンと二人だから、寂しくありませんように(T ^ T)
人の気持ちも、ダイジンの気持ちも 裏表
見えてるものが本質ではない
とても考えさせられる作品でした。
天気の子では自分達を優先して、災害を受け入れると言うちょっと??な結果だったけど
今回は自分のための行動と、人のための正義感
どちらも納得できるバランスがとても良い作品だと思いました。
要石、後ろ戸、ラストについて
一つ目は「要石」について。
前半パートでは「廃れた温泉施設」「土砂崩れによる廃村」「休止した遊園地」で後ろ戸が開き、地震をもたらすミミズが出るのを、後ろ戸を閉じることで防ぎます。で、なんとなく後ろ戸が開く=捨てられた土地、という印象ですが、これは違うのではないか?と
なぜなら、東京で後ろ戸があります。また、一度後ろ戸が開いたすずめの実家である東北の地でも古くなった後ろ戸があります。
後ろ戸を閉じる時に草太とすずめは、かつて賑わいのあった頃の声を聞いて扉を閉めます。でも、東京の後ろ戸を閉める時には、そういったシーンはなかったと思います。また常世で後ろ戸を閉める時に「本当は必要ないのだけど」声を聞くシーンを入れた、とパンフにあります。
そうする「後ろ戸は何処にでもあるが、地守りや要石が無くなると後ろ戸が開く」と解釈するのかな、と。捨てられた土地では、地鎮する人々がいなくなる。地鎮や後ろ戸を閉める行為には人々の祈り=願いが必要で、その代行者である閉じ師はその想いを声として聞くことで閉じる力を得る。
東京は人々がまだ住んでいて想いがあるので、声を聞く必要がない。また常世は死後の世界だから、そもそも想いなど必要がないので、本来は声を聞く必要がない。
だとすると、何故東京の後ろ戸が開かれたのか?作中から分かるのは、東の要石である左大臣が外れたこと(猫の姿ですずめ達の前に現れています)、閉じ師の爺さんが死んだ(たぶん死ぬのでしょ)こと、ぐらいです。ただ、閉じ師が死んだぐらいでは後ろ戸は開かないでしょう。
とすると、要因は左大臣。ダイジンが外れた理由は、すずめが外したから?いや、それは表面的な理由で、途中で「ダイジンは後ろ戸を開けて回っているのではなく、空いている後ろ戸に導いている」とありますよね。だから、左大臣も意味を持って、自らの要石としての役割を一時的に草太に委ねて、すずめ達の合流した、と考えるのかな?では、合流して何をしたかと言うと、常世でミミズを封印した、のでコレが目的。
そうすると、ダイジンと左大臣はこれから起きる大地震を察知して、草太とすずめを使いこれを鎮めにいった、という解釈かな。
2つ目は「後ろ戸」について
後ろ戸というのはお寺の本堂の後ろにある扉。鬼はこの扉からやってくる、とされており、法会の際、やってくる鬼の気を逸らすために、踊りを踊ったのが、後の能楽(後戸の猿楽)になった。つまり、日本のエンターテイメントの源流の一つです。
元来エンタメはこのように神様への奉納や悪魔祓いが目的だった。ヒロインが宮崎から旅立ち、名前が岩戸すずめ、ですから、もちろん天の岩戸で舞を舞ったアメノウズメのこと。なので、この作品も神か悪魔か、地震をもたらす「人ならざるもの」への神事の意味があります。
怠ると神罰がくだるので、神事で最も重要なのは「忘れずにやる」こと。ただ、この話のメインプロットって「忘れる」にあるように思います。ヒロインのすずめは震災の後、小さい頃に後ろ戸に入ったことを忘れていて、それを思い出し記憶を取り戻すのが、この話の流れです。
震災後12年が経って記憶も薄れてくる。神への畏れを持ち続けるために、神事としてこの作品がある、と考えると、尊いですな〜。
3つ目はたいした話ではないですが、ラストの意味。すずめは幼い頃に後ろ戸の先で出会ったのを死んだ母親だと思っていたが、ラストでそれが未来の自分だった、ってオチでした。
これって涼宮ハルヒの「笹の葉ラプソディ」だな〜って、ってのは、どーでもよいけど、この解釈。この作品のテーマの一つである、すずめの成長、の意味を考えると、自分を導くのは結局自分だけ、という意味なのかと思います。
宮崎では自分のアイデンティティが曖昧で、草太に出逢い自分探しの旅をして、過去の「自分」を思い出すことで、自分に向き合い前に進む。また過去のすずめも、母親の死を受け入れられず迷い込んだ先で出会ったのは、やっぱり未来の「自分」で、その出会いをきっかけに立ち直る。
作家性で解釈すれば新開誠は自分の創作にとって「指針とすべきは過去と未来の自分でしかないのだ」というメッセージかな。前作の天気の子では「世の中がどうなろうと、俺は俺のエンタメを作る」というメッセージだったので、やはり作家性が強い作風なんだろうな〜、と。
あと、これもどーでも良い謎ですが、東京の後ろ戸って、何でしょう?
陰陽道に従うと東京は鬼門・裏鬼門に沿って、上野/寛永寺、神田明神、日枝神社、芝/増上寺と配置されています。本作でもお茶の水=神田明神を舞台に聖橋から丸ノ内線のトンネルを見下ろしています。そもそもこの作品の旅って、宮崎から東京を通り東北なので、やはり裏鬼門→鬼門への旅なんですね。その線上にあるのが後ろ戸。
すずめが東京上空の第10使徒サハクィエル、もとい、ミミズを倒して落下するのが竹橋あたりですね。ここの地下に東京の後ろ戸がある設定。だとすると、皇居の平川門の真下、となります。
平川門というと、ここは別名「不浄門」と言われています。江戸城の頃、日々の不浄(汚物など)はこの門の脇から舟で運び出されています。城内で出た死骸や、絵島生島事件の奥女中・絵島や赤穂藩の浅野内匠頭といった罪人もこの門から追放されています。
まあ、そういう逸話をもとに後ろ戸に設定したのかな〜、確証はありません。
ちなみ、トンネルから地上に出るシーンは首都高の北の丸トンネルですね。ここにあるのは乾門で別名「明治門」で明治時代に作られた門。桜や紅葉の通り抜けの際に使われる門なので、あまり後ろ戸には相応しくないですね。
さて、これで語り尽くしました。長文・駄文にお付き合いくださり、ありがとうございます。
見応え十分!でも物足りなさも…。
色々な要素がうまく混ざり切ってない感はあれど、見応え十分な作品だった!
作品を思い返しながら脳内を整理するために分解していくと、大きく3つの要素があったと私は理解した。
ひとつ目はやはりポスト3.11としての側面。
名言はされなかったけどすずめは明らか東北に大震災の被災者(そして孤児)だ。
叔母の愛情を受けながらも、すずめは生まれ故郷を離れ、母の不在を感じながら生きている。
作中に舞台として登場する廃墟となった街や学校などは、なんとなく放射能で人が住まなくなった福島の被災地を彷彿とさせた。
そして終盤、すずめが過去の自分に送ったメッセージは監督からの3.11の後を生きる被災者の方々へのメッセージなのだと理解した。
十年以上経とうが、震災で変わってしまった人生を生きる人たちの中で震災は終わらない(本作のすずめのように一見してそうとはわからなくても)。
人気監督になっても、いや人気監督だからこそ、エンタメとして成り立たせつつ、この重く難しいテーマを真摯に描いているところに敬意を払いたい(そして過去2作で自然災害を取り扱ってきた中で本作が臨界点という感じがした)。
ふたつ目はロードムービー的な側面。
すずめと椅子になった草太は、草太をもとに戻すため猫の「ダイジン」を追う旅に出る。
九州から愛媛、神戸、東京へ移動しながら、さまざまな人に出会い、助け助けられながらを彼ら彼女たちと交流を深めていく。
また東京で草太に取り戻すための気づきを得たすずめが、叔母さんと草太の友人・芹澤と生まれ故郷に向かう旅?に出る。
どちらも良いシーンがたくさんあるんだけど、いまいち本筋に絡んでない気がして物足りなさを感じたり…。
(そういえば芹澤さんの車で流れた懐メロの数々は何だったんだろう。何か意味がありそうだけど…)
みっつ目がすずめと草太とラブストーリー的な側面。
新海誠監督は主人公の中にあるなにかしらの欠落感(「君の名は。」はこの描写がめちゃくちゃ良かった…)を運命の(と信じる)相手で埋める(あるいは埋まらない)、を長らく描いてきたと思っているのだけど、この2人に関してはちょっと描写が足りない感じがしてなんとなくそこが物足りなかった。
この作品のメインテーマではないから仕方ないのだろうけど、草太が「君(すずめ)に会えたから」と思いながら意識を手放すところとか、「いつのまにすずめちゃんにそんな思い入れを?」と思ってしまったり唐突感が否めないというか…。
こういういくつかの要素がラストにうまく集約してる感じがなくて、個人的にそこは物足りなかったけど、「いつ死んでもいい」と思っていたすずめが草太を大切に思う過程を経て、自分の「生きたい」という気持ちにも気づけたのは良かったと思うし、震災の一つの描き方としても良かったのかもなと思う。
あと新海誠監督作品の、胸がしめられるような美しい風景が今回は感じられなかった気がして、そこは少し残念(映像はめちゃくちゃ綺麗なんだけど)。何が違ったのかな。
ある意味の集大成だが現実の震災を扱うには薄っぺらさが否めない。
災に立ち向かう作品としては三部作の3つ目で、ある意味の集大成だと思う。
絵も美しいし、すずめのキャラクターも魅力的だ。背が高くてすらっとしててポニーテールなのも素敵。
草太は長身のイケメンで萌えポイントの泣きぼくろまである。
ちゃんとRADWIMPSの曲もかけてくれるし、前の作品からの繋がりはなくとも前の作品の声優の神木隆之介の起用もあったりで、はずしはない。
絵日記の真っ黒のページが続くシーンあたりからは胸に込み上げるものもあった。
ただ、君の名は。や天気の子のように何度も劇場に通って観たいかとなると、そこまで心が動かされないのは何故だろう。
ストーリーはシンプルで、ロードムービーの要素もあって話の展開がどこに向かっていくのかとてもわかりやすい。
路上のアクションはハリウッド映画並みのスリル、ダイジンや椅子のキャラクターは子どもにもウケが良いだろうし、ジブリ作品並に後世に残ると思う。
でもそのふたつともが余計だ。
大学生の若者が何故か車の中で懐メロを聞いているという設定も邪魔。
おじさんが主たるお客さんのスナックでチェッカーズのような懐メロが流れるのは理解出来るけれど、ロードムービー部分で懐メロばっかりはちょっとやりすぎか。
特にユーミンをかけたらもうジブリ。松田聖子をかけたら打ち上げ花火…
漫才だったら、もうええわどうもありがとうございました。と終わるところが河合奈保子に井上陽水にと古い曲がしつこい。
誰に聞かせたいのだろうか。なんなら震災が起きた年の曲が続く方がまだ理解出来る。
地震で身内を無くしたことを扱っているので、心の葛藤とか苦しみをもっと丁寧に描いて欲しかったので残念だ。
月9の監察医朝顔ぐらいの現実に家族を震災で亡くした方への寄り添いの表現が足りなかった。
すずめみたいに大丈夫で元気に生きてる人ばかりでは無い。
観ている側としても一緒に苦しんで悲しみたかった。
猫との追いかけっこを見たいわけじゃない。
個人的には天気の子や秒速5センチメートルを観た時の感動には及ばなかった。
ちょっとファミリーに寄せすぎたかな?
そして、恋が圧倒的に足りない。
命を懸けて相手を救おうとする程、すずめと草太は好きあってはいない。そんなところはどこにも描かれていない。
すずめが草太のことをちょっと好みのタイプだっただけだ。ラブストーリー感が圧倒的に足りないのだ。
草太が早々に椅子になってしまうから人間同士の男女の物語が描ききれていない点で天気の子より劣る。
深海飯も天気の子では貧困な中、豆苗やネギを育ててる陽菜の工夫されたチャーハンが人物の性格をよく表現していた。そしてとても美味しそうだった。今回のポテトサラダ焼きうどん陽菜のチャーハンみたいにコンビニで販売されることも無さそうだ。
それでもあと1回は劇場で観ると思うし、テレビ放送した時にもいつか観てしまう気がする。
災三部作として集大成と思うので、次はまた心を揺さぶりまくる作品を作って欲しいと切に思います。
映像が綺麗なだけ。
正直、今回の作品は題名のような感想しかありません。
地震災害を扱ってる割には、地震アラートくらいしかリアルな描写はなく、挙句の果てに地震の正体はミミズが異世界から出てきて倒れて起きますなんて言われてな、、、って感じでした。
現実とファンタジーが上手く合わせってる感じがしなかったです。
実際に起こった地震を扱っている割には、設定が雑すぎるかなと。
それと、ダイジンの扱いが雑すぎませんか?
要石から解放されてやっと気ままに生活してたのに解放した張本人のすずめから終始ウザがれる始末。
好きな人を助ける為に、ダイジンが要石に戻るという展開には納得いきませんでした。
すずめが、母親の死を受け入れて前に進むという最後でしたがこれも微妙でした。
草太を通じて自分の過去と向き合う展開だったので、母親との思い出のシーンがあまり無く、すずめがどれだけ母親のことを思っているのか感情移入できませんでした。
これまでの「君の名は」「秒速5センチメートル」など、異性を好きになる過程をきちんと描いてた過去作と比べても今回の「すずめの戸締まり」は好きになる過程を雑に描いてる気がしてなりませんでした。
一目惚れから始まり、椅子になっていたといはいえ草太にキスしたり。100歩譲って、すずめが草太のこと好きになっていたとしても、草太がすずめのことを好きになる理由がほんと意味わかりませんでした。
「君の名は」「天気の子」で瀧くんを演じた神木隆之介を中途半端な役でキャスティングしたのも残念でした。
映像は、いつも通りのクオリティーで良かったです。
新海誠の集大成は嘘じゃない
ネタバレを目にしてしまう前に、と急いで鑑賞。良かった。泣いた。何で泣いてるのかよくわからないけど泣いた。
「君の名は。」「天気の子」より好きかもしれない。たぶんそれは自分が過去二作の主人公よりもその周囲の大人の方が近い立場だから。これまではどこか感情移入出来ないところがあったけど、今回は主人公の旅を通して廃れていく故郷の今と昔を思ってどうしようもない気持ちになるからだと思う。今や日本全国に後ろ戸がありそうだな、と。
震災から12年が経とうとしてるからこの映画の意味があるように思う。まだ生々しく記憶がある世代もいれば、もはや教科書の中の出来事でしか無い世代もいるし、また同じ世代でも震災当事者とそうで無い人との間にも格差があるわけで劇中の芹澤とすずめの街を見下ろした時のセリフがその象徴だな、と思った。
残念ながらすずめと草太には通過されてしまった地域住みではあるけど、家の近くがワンシーンになってたことに感動したのでまた観に行こうと思う。笑
内容はとても良かった。
先程鑑賞して来た。
主人公の鈴芽の過去(生い立ち)と人間の生き死としての宿命を絡ませながら、好きな人を助ける為に動いていくと言うお話。
全体的に話の内容は分かり易く、テンポ良く進んでいくので途中で飽きる事もなく観る事が出来た。
主人公の鈴芽役・草太役の俳優さん達も迫真のある演技で話に入り込めたし、最後のシーンやエピローグ的なスタッフロールも良かったと思う。
ただ、気になった点もあった。
・チカの民宿に泊まった際、制服と椅子しか持たない女子高校生に異変を感じずに泊まらせてるチカの家族。
・ヒッチハイク中に声を掛けてきた大阪人のシンママ、自分の家に泊めて、幾ら裏方とは言えその日知り合った未成年を自分の幼い子供達の面倒だけでなく、自分のスナックで働かせるのってどうなんだ??
後、個人的には芹澤の前半と後半の温度差が余りにもあり過ぎて、車で御茶ノ水前で合流辺りから違和感しか感じなかった。ナツメロばかりを掛けまくり、口ずさんでいるシーンを見ていても芹澤の風貌からしても全然しっくり来なかった。寧ろあれは叔母さんに恋焦がれている岡部の方が良かったんじゃないか?とさえ感じた。
ただ、その岡部も最初にアレだけ伏線張っときながらあれしか出番が無いのもなぁ…と、言ったところ。
また鈴芽の苗字が「岩戸」とあるのを見て、真っ先に「天岩戸」を思い起こしたが、話の内容からイザナミ神とイザナギ神に絡めているのかと勝手に思っていたのだが、劇場で頂いたミニパンフレットには鈴芽の名前はアメノウズメから来ていると書かれていて、成る程。と納得した。
総評としては、最後まで飽きる事なくストーリーを楽しむ事が出来たが、鈴芽と草太の恋愛の展開が些か強引過ぎるなと思える点も気になった。椅子になっているシーンが多かったから表情が見えない部分も多く、致し方ないのであろうが、チカの家に宿泊していた際に2人で恋バナをしていてもウントモスントモしていなかった椅子(草太)が、危ないから帰れと鈴芽に連呼しているかと思えば、凍りつく直前に君に会えて良かった…には「急に何故?」と言った感じに。
草太の心情がもう少しのぞけていれば良かったかも知れない(鈴芽が見た草太の心情だけでも少ない気がした)。
※ ここからは個人的な話になるが、今回この映画を休日に観た事や時間帯、それとアニメと言う性質上どうしても中学生〜高校生の団体客が多く、観覧中も周りに聞こえる程の私語や頻繁な立ち上がりや出入りが激しく、いつも観ている感じで集中して観ることが出来なかったのは残念だった。
現在観覧した映画館では15分おきに上映開始しているようだが、暫くはこう言った幼い客層が多いと思うので、それが嫌な人は夜間帯で観るか、平日の午前中に観るのがベストだと思う。
地震を起こす化け物を鎮める閉じ師、311被災地慰霊、スズメのインナーチャイルド救済。
結論として、面白かった。見ていて鼻につくところはなく、数度涙腺が緩む場面があった(個人的に結構久しぶりに緩んでしまった)。それだけのめり込めた。
涙腺が緩んだ場所は、被災者への慰霊を感じる場面数カ所と、最後にすずめが子供の頃の自分に出会って慰めるところ。具体的な出来事に感動するのではなく、劇中の登場人物が体験している感情・実感に共感して感動していた。そのため、なぜ感動したのか視聴中は言語化できなかった。今回の作品はすずめのノートに『311』とあったように、被災者を慰めるために作られたのだと自分は解釈した。そのテーマ性はとても自然に表現されていて、比較するのはおかしいが『火垂るの墓』とは対照的に被災者に寄り添ったマイルドな表現になっていたと思う。それとともに、すずめが扉を閉める旅の道中でいろんな人々と出会ってその暖かさに触れたり、おばさんとの心のすれ違いから衝突へのエスカレートとそこからの和解を繊細に描きっている(すずめが各地で別れのたびに抱擁するシーンが強く印象に残る)これはコロナ下で人との距離が希薄になった視聴者のニーズに強く合致していると思う。
また、今作で新海賊さんのえぐみが少なくなったと感じる。えぐみと自分が解釈するのは、フェティシズムのことだ。今作でも『Mな椅子になりたい』願望があるのかな?と冗談半分で思うことはあったが、これまでの作品ほど気になるものではなかった(その突飛な表現は寧ろ小さな子供受けの方が大きいとも思う)。今作で前作に感じた青少年や青年の性的指向に与する少し倒錯した部分もあった性的願望表現は少なくなり、より一般受けのする作品になっていると思う。これは驚きで、今後もこのような傾向で日本の地域性、古き日本独自の信仰の表現を取り入れた良い作品を作ってくれたら嬉しいなと思う。
最後に枝葉末節ではあるが気になったり印象深かったりしたところ。①今回制作陣は廃墟に常世に通じる扉が生まれる事を設定したと思うがその設定に至った経緯を知りたい。たしかに廃墟はこの世とあの世の堺がゆるくなっているかもとは夢想できるが。②なぜ要石の二匹を猫型にしたのか?子供、女性受けしぬいぐるみやキーホルダー等でグッズ展開しやすい可愛いキャラだから以上のことはあるのだろうか?③なぜ要石を大臣、左大臣という名前にしたか④今回は疑問じゃなくて、蒼汰の大学の友達の名前忘れた男の子のキャラが良かった。他の観客席からも彼が関わる展開ではちらちら笑いが起きていた。
追記。感想を書いた後、映画館でもらった『新海誠本』を読んだ。彼による言葉で今作のテーマや創作姿勢が書かれていて彼を今まで自分は過小評価していたと感じた。小さいことだが印象に残ったことが一つ。『すずめ』という名前は、古事記の天『岩戸』開きの話において岩戸を開けるきっかけを作ったアメノ『ウズメ』から来ているとの事。
再追記。今作では扉から地震を起こしに『ミミズ』が度々出てくる。自分は過去に個人的にミシャクジ様という神様が地震に関係するという事を聞いていたので短絡的に監督はミシャクジ様をモチーフとしたんだと思ったが、おそらく違う可能性が高そうだ。閉じ師が上げる祝詞は『ヒミズの神』に奏上するもので、ヒミズ=日不見=モグラとなるため(なるため、と書いたがtwitterでそれを指摘している方が居て知った)、監督がモグラの善神がミミズの悪神を食べるという分かりやすい図式を創作した、という事が考えられるからだ。
期待していた分、全てがチープに感じた
新海誠のファンです。
今回の作品は、すずめの成長ストーリー、災害から街を救うファンタジー要素、違う境遇の2人のラブストーリーが三本の柱だったようですが全てが中途半端で結果見た後あまり何も残らなかった印象。
ベースが現代な分、ファンタジーな要素が浮いていてすずめの家出に無理があるような気がした。
あそこまで過保護なのに、数日間放置する叔母にも連絡も叔母からしか入っていないところにも違和感。
また、すずめそうたに惹かれたところがわからない。見た目と物腰くらいじゃないか?と思う。
一目惚れの相手に災害で何万人が死ぬかもしれない時に天秤にかかりまた災害を起こすかもしれないのに後ろ戸をもう一度開こうとするし、それを誰も止めない。
すずめ、そうた以外の解像度が著しく低く、メイン2人も感情移入しきれない。
芹沢の役回りはもはや車の運転係としか思えない……。
環がただただかわいそう。姪が心配なのに、説明もしてもらえずついて行くことしかできない。
「天気の子」の帆高も家で少年であったが、帆高は家庭環境に事情がありそうだったり冒頭の描写からもネグレクトや虐待が示唆されてるためまだ納得できたけど、、、。
新海誠はこれまで恋愛を描く時にその時の感情、なぜ惹かれたかという場面を丁寧に描いていた印象があるのにそこがとても残念でした。
成長という面でも、環の気持ちを理解したところがまぁ成長と言えるのかなと思ったけどそれ以外は受け取れられなかった。
言の葉の庭では夢に向かうタカオが登場したが、すずめは看護師が目指し始めた理由もまたよく分からない。母親のトラウマからの成長という割に母親との思い出や尊敬するようなシーンが少なすぎる。
全ての事象に理由が欲しいわけじゃないけど、理由もわからなければ心動かされる心情描写もその土台もないまま終わってしまって、最後に恋愛っぽいRADWIMPSの歌がずっと冷めてしまって流れてなんだかなー…となりました。
過去作品と似ているところも多いですが、今回の話は全てに置いて説明不足。映像美と勢い、ファンタジー設定に委ねすぎていると思う。
好き嫌いは分かれると思うけど、過去作の独白のような始まり方が引き込まれて好きでした。
欲しい説明を省いているのに蛇足が多すぎる。
多分要素が詰め込まれすぎて薄くなってしまったんだと思います。
on heart
すずめは草太さんを助けに行き自分がその身代わりとなり要石になるつもりだった気がする
そうとしか思えない
死ぬのなんか怖くないの台詞通り
ダイジンは神様だけど気まぐれで草太さんの代わりにまた要石に戻るというよりもそんなすずめの気持ちをお見通しですずめの代わりにまた自ら要石へと戻ったのだと思う
誰かのことを思うのは時として歪んだ愛情をも生み出すけれどその中にある相手を想う気持ちがプラスへと働いた時やさしさに包まれる
人を生かすことができるのは
自分の誰かの温かな心
言葉にすればするほど遠ざかるモノ
涙だけがそのモノに対する答でしょう
胸に届いたこの気持ち大切にします
あ、実際にすずめ自分が要石になるって宣言してました
乙女はイケメンのためなら命を懸けられる
前半面白かった
イスの動きがコミカルで猫との追いかけっこに笑った
乙女はイケメンのためなら命を懸けるのだな、わかる笑
ラスト、幼い主人公に現在の主人公が励ますくだり、
なぜかどうしても冷めてしまった
30年後に観たら号泣する
変な感想だけど、30年後にこの映画を観たら号泣するんじゃないかと思う。「今」の日本がタイムカプセルみたいに凝縮して記録されてる。
衰退しつつある地方都市、中核都市、そして首都東京の美しい風景、人の生活の生々しさを丹念に克明に描き出していく。
経年劣化により時間を積み重ねた跡のリアルさ。音楽も昔流行った曲を順に流していき、この国の歩んできた時代を思い起こさせる。
寂れた都市と、侵食していく自然と、空の美しさ、雲の美しさ。よくもこんなに今の日本の美しさを表現してくれたと感動する。
今の日本の美しさとは、太陽が照り盛る元気な若者だった高度経済成長の時期を過ぎ、懐かしく若者だった時代を振り返る夕暮れのような時代の美しさ。
藤子F不二雄の短編に「老年期の終わり」(幼年期の終わりのオマージュ)という作品があるけど、まさにそれを思わせる。
ぼくは廃墟が好きなのだけど、そこがかつてはにぎやかでしあわせな空間であったと感じさせるものであればあるほど、胸がしめつけられるような思いにとらわれる。
この映画の「常世」とは、単に死後の世界を意味するのではなく、多くの暗喩を含めていると思う。
それは、過去の日本の記憶。良いことばかりではなく、苦難苦闘や大災害の記憶でもある。われわれはつい過去への感謝と思いを忘れがちであるが、それを忘れてしまってはいけない、ということだろう。
スズメ、扉、戸締り、要石、天の岩戸、三番足のイスなど、神話、昔話、民間伝承のモチーフを使って、くどくならない程度に世界観を作ってるのもうまい。
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