すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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うるっと来そうで来なかった。
絶賛のコメントが多いなかで、そこまでの思いは沸いてこない。
以前、「君の名は」だったと思うが、売れる要素を詰め込んだような、という皮肉な意見をTVで見たことがあったが、まさに今回もそんな感じがする。
震災のこと、失った(要石になった)人を救う、地震から地球を守る使命感、といった涙を誘う要素。
ネコ2匹は結局どんな立ち位置だったのか。人間の誰かがネコになったのかと思ってたけど違ってた。
恋、旅、アクション、切り替え
一目惚れした草太と一緒に九州から東北まで地震を封じる旅を続ける話です。
■良い点
・魅力的なキャラ
ヒロインから脇役まで皆人間味溢れた魅力を持ってます。
・日本を巡る旅
九州、四国、東京、東北。それぞれの地方の魅力を上手く見せています。
そんな中で様々な人と出会っていくのは面白いです。
一人旅をしていた時を思い出しました。
・美しい映像とアクションシーン
美しい景色やアクションは見ているだけで楽しいです。
・それなりにまとまったストーリー
旅をしながら地震を封じて、最後にガチャンと区切りをつけるストーリーは最高というほどではないにせよ悪いものではなかったです。
■悪い点
・あまりにも忙しすぎる。
これに付きます。
君の名はの時はかなり長い間、愛を育む時間があり、そしてアクションシーンが一つです。
しかしすずめの戸締まりは、ヒロインは冒頭5分一目惚れですし、危機は何度も何度も起こります。
そのため、ヒロインが草太に惚れるのも、その後あそこまで草太に入れ込みあんな危険な旅を始めるのも唐突に感じます。一目惚れ+罪悪感があったというのは推測できても納得させるための時間や伏線が弱すぎて、リアリティを感じずイマイチ感情移入できません。
それ以外にもキャラの行動一つ一つが説明不足・伏線不足で、そのような行動を行う根拠が弱く、プロットだから動いているのかなと感じることが多かったです。
総評として、君の名はよりは落ちるけど、見て損はない作品ではあると思います。
今までの中で一番最高なる作品と出会えたかもしれません!
5回目の鑑賞をしてきました!初日のアイマックスで見て以来私は凄く新海誠監督の超大作映画に感心を描いていました
なぜなら主人公の岩戸 鈴芽が扉という物を探しにもう一人の主人公宗像 草太と共に
冒険に行く話が本当に印象に残るぐらいな最高のファンタジーアドベンチャーになっていて。期待値がマックスに上がった完成度でした!
当時この映画が発表された時はまだ。主役も主人公も発表されないまま誰かな?誰が声をやるのかな?ってワクワクしてました!しばらくして。キャストが原 菜乃華というのが決まった時やったー!やっと発表された!になりました!
その後にもう一人の主人公に松村北斗くんが決まったのがめっちゃめっちゃ嬉しかったです!
地震のこともあり。津波のシーンが一部あります。地震のシーンを追加するきっかけになったのが東日本大震災がちょうど10年というのもあったので今度こそこの作品で追加しようと思ってたらしいです。
実はずっと地震のシーンは追加したかった新海誠監督ですが。君の名は。天気の子にはなぜ追加しなかったのかそれには。ある理由があるからです!
君の名は。隕石の落下までに、二人の入れ替わりをメインにしたラブストーリーです
天気の子は洪水警報やら気温をメインに2人が晴れに変えるための魔法みたいな恋のラブストーリーでした。
これが地震のシーンを入れられなかった理由みたいです
扉を閉じる閉じしとして冒険にでる2人がダイジンという猫に1人が椅子に変えられてしまいますそれがきっかけで呪いを解放するための冒険でもあるし旅の始まりでもあります。そこにはすずめの悲しい出来事が待ち兼ねてました果たして二人の冒険はどのような展開になるんでしょうか!
続きは映画館で!
僕がこの映画に出会えてこの作品に出会えて本当に自分自身のうちなる思いや悲しみが溢れたりストーリーに細かく今現代に伝えたいことが語られていたのでそれを聴いた瞬間に涙が溢れました
まだ。見てない方にもこれから見る方にも是非とも見て欲しい映画なので
最後まで宜しくお願いいたします!
大切な人の声
震災のテーマだということで、上映も最終週になるまで、決心がつきませんでした。見るべき映画かもとやっとみにいきました。
行ってきます!行ってらっしゃい!ただいま!おかえり!の当たり前の挨拶ができることが、どんなに貴重なことか。大切な人は、きっと近くに帰ってきているはず。そんなことを思いながら帰りました。
Amazonレンタルで鑑賞。 映像の方は流石の新海印だけあって文句...
Amazonレンタルで鑑賞。
映像の方は流石の新海印だけあって文句なし。特に椅子になった草太のアクションは、足音?の気持ちよさと映像の気持ちよさがリンクしていて良かった。
ストーリーの方も個人的には思う所は多々あるけれど、そもそもが僕のようなオッサンではなく10~20代前半の若者がメインターゲットだと思うので、そういう人たちが面白いなら大成功何なんだろう。
「君の名は。」からなる「災害三部作」の中でも、一番エンタメ性が高かったと個人的には思うんだけど、その分、新海誠の作家性は完全に漂白されてて、その分、殆どの人が作品の奥底にあるテーマ性の部分に辿り着けないまま表面的な感動で終わってしまう感じがした。
『ネコと和解せよ』
今更ながら、『すずめの戸締まり』のレビューを書く。
本作の公開日は令和4年11月11日。私が本作を映画館で鑑賞したのは同年11月22日だった。
結論を先に書くと、本作は傑作である。
自分の中でのベスト1である『君の名は。』(前々作)と順位を入れ替えるには至らなかったが、それでも、『天気の子』(前作)を上回る出来であった事は間違い無い。
で、本作を鑑賞直後に私が思った事が、このレビューの表題そのまんまである。
……これだけだと意味不明なので、以下、主に主観的な記憶を頼りにして、私がレビューの表題の通りに思った理由を書く。
例によって、他者のレビューに影響される事を防ぐため、私は本レビュー執筆に当たって他者のレビューを読んでいない。
前作『天気の子』のレビューでも書いた事であるが、「芸術家はデビュー作で追い求めたテーマやモチーフを生涯追い続ける」とはよく言われる事であり、本作も例外ではないと思う。
本作にも、既存の新海誠作品から踏襲してきたと思われるテーマやモチーフが多々見られる。
「思わず祝福したくなる様な若き男女の愛」
「その愛を阻もうとする理不尽や不条理」
「少年少女にとって、時に敵や障害となり、時に味方となる大人達」
「大きな災いに抗おうとする人々のつながり」
「ドラマを引き立てる小道具や舞台装置としての、
SF的あるいはファンタジー的ガジェット」……等々。
但し本作の場合、前々作や前作と違い、主人公カップルの愛の成就にとって最大の『障害』になるのは『大人達』ではない。
『神』である。
もう少し詳しく言うと、制御する術が殆ど無い自然現象や怪奇現象の戯画・擬人化としての『神』であり、本作では白猫の姿をし、「ダイジン」という通称で呼ばれている。
この「ダイジン」、恐ろしい超常能力を持っており、主人公カップルのカタワレである宗像 草太 を造作も無く3本足の幼児用椅子に変えてしまい、主人公カップルの前から逃げ出してしまう。
草太に惹かれ始めていた主人公カップルのカタワレのもう片方である女子高校生、岩戸 鈴芽 は、草太を元の姿に戻す(※)ために奔走する破目になる。
(※草太は何故か幼児用椅子の形態でとりあえず行動可能であるが、後に劇中で判明する通り制限時間が有り、その制限時間を過ぎると元に戻れなくなり、ダイジンの身代わりとして要石になってしまう)
ダイジンの正体は、劇中で大震災を引き起こす超常的存在(劇中では『ミミズ』と呼ばれていた)を封じる『西の要石』であり、背景設定によるとかつては人間の子どもだったらしい。
『要石』としての境遇に不満を感じていたのであろうダイジンは日本列島を北東に向かって神出鬼没に移動し、気ままに遊びまわるが、その結果、封じられていた『ミミズ』が動き出し、東京都であわや大震災が起こりかける。
物語の中盤、ダイジンを追う過程で要石とミミズの関係を知った鈴芽は、先代要石であったダイジンを知らぬとは言え自分が解放してしまったという自責の念も有ってか、ミミズを封じるため、大震災がもたらす被害と草太の存在とを天秤にかけ、号泣しながら、要石と化した草太をミミズに突き刺す。
……前作『天気の子』では大水害がもたらす被害と想い人の存在とを天秤にかけ、帆高は想い人の方を選んだ。
本作の鈴芽の選択は前作の帆高の選択と真逆であったが、それぞれの置かれていた境遇の違いも有るので、「どちらの選択が正しかったか?」を問うのは、難しい。
この辺りの問題(トロッコ問題の様に、主観的な選好と功利主義的な判断とのせめぎあいが現れる問題)については『天気の子』の方のレビューで書いたので、ここでは多くを語らない。
ただ、本作中盤での鈴芽の選択が、前作を見た人に対して新海監督が提示した「トロッコ問題の別の答え」である事は、おそらく間違い無かろう。
ここで物語が終わっていたら本作は悲恋ものになるのだが、終盤へ向けて鈴芽は、ダイジンが再び要石に戻って元来の役割を果たしてもらう様、そして草太が再び人間の姿に戻って帰ってくる様に、様々な人達の助け(※)を得て、奔走する。
(※人間に限らず、ダイジンと対を成す黒猫の姿をした神『サダイジン』の助けも有った事を、ここで言い添えておく)
……ここから先の展開は是非とも本作を見て確認していただきたい。「心地良いハッピーエンドである」とだけ言っておこう。
何にせよ、鈴芽とダイジンが和解しなければ、ハッピーエンドにはたどり着けなかった。だからこそ、本作鑑賞直後にこう思った。
「ネコと和解せよ」(※銀河万丈さんが威厳に満ちた役を演じる時の様な、厳かな声で)
エンターテインメント
本作に興味を持ったきっかけはNHKのドキュメンタリー。新海誠監督が東日本大震災と真摯に向き合う様子が伝わってきた。
映像も美しかったし、迫力もあった。単純に楽しめたけど、心に残る作品か、と問われたらそうは思えなかった。
幅広い人に向けて作られているからこその細部にわたる「心配り」は、どこまでもエンターテインメント(娯楽)に資していた。
ジブリリスペクトで言えば、言わずもがなの「ルージュの伝言」(流石にストレート過ぎるのでちゃんと他にも懐メロを流して緩和させていた)「人の手で返したい」や最後の「会いに行くよ」などのセリフも、もののけ姫を思い出した。
これまで観た新海監督作品で一番退屈
この作品について言えることはほとんどない。面白いという人の気持はまあ分からなくもないけれど、個人的には何が面白いのか全く分からなかった。
ドラマ性というのは登場キャラクターの変化や成長だ。事象の転がり、つまり展開のことではない。
新海監督の作品には、このドラマ性がないんだよね。
純粋なラブロマンスものであった「君の名は」は、恋する男女を描けばよかったのでなんとかなったのだろうが、もう少し踏み込んだ複雑さを含んだ心情になると描写不足がおきたり、上っ面だけを撫でた浅いものになる。
ネタバレしない程度に書くと、作中で経験する出来事とラストシークエンスの関連性が薄すぎて、なんとなく「いい感じ」になるように用意されただけのように思えてしまうのだ。
とはいってもあまり複雑な心情になると若年層がついていけなくなるだろうし、このバランスでいい気もする。
文句を書いているけれど、作品が失敗しているとはいえないということだ。
要は、全年齢向けのやや下よりな作品だったわけで、ダーゲット外にいそうな私が退屈に感じてしまうのも仕方ない。
「君の名は」が面白かったので惰性で観ているけれど新海監督の作品はもう観なくていいかな。
過去に観た新海作品の中で一番退屈だった本作をもって落第とさせていただきます。
だいたいだいじんのせい
背景や風景などアニメーション映像の綺麗さ。
音楽が映画の内容とマッチして良い。
すずめが空に飛んでいくときの周りモブの反応が微妙。
テーマが現実の出来事と関わりがあって、
メッセージ性のある作品だと思う。
そうたの滑舌が少し悪い「お頼み坊主?」
震災で幼い頃に亡くした母への想い、大丈夫だよ!って言える未来の自分が心を救う!
コロナ第8波到来か、ワクチン4回目打つも
そろそろ限界に達してきてる人類と思う今日この頃。
劇場封鎖に成らないでくれよと願うばかり~
そんな中、新海作品待望の「すずめの戸締まり」を観に行った。
前作の2019年の天気の子から3年だな。その時は
7月19日 公開されたんだが、その前日 京都アニメ放火事件が
有った事は記憶に新しい・・・。
(CAST声)
岩戸 鈴芽(主人公):原菜乃華さん
岩戸 椿芽(母、東日本震災で亡くなる):花澤香菜さん
岩戸 環(すずめの育ての叔母):深津絵里さん
宗像 草太(閉じ師、イス):松村北斗さん
ダイジン(要石、猫):山根あんさん
芹澤 朋也(草太の友):神木隆之介さん
宗像 羊朗(閉じ師師匠):松本白鸚さん
新海誠氏の初心作「星を追う子ども」の頃に回帰した感じを受けた今作。
前作の『天気の子』よりは 数段良かったかな。
前作同様に気象ネタに挑む姿勢には賛否が出そう。
特に東日本大震災から11年過ぎて、これを扱うにおいて
人それぞれ思いが違うでしょうし、神戸も出てきますが
阪神大震災からでも27年。
軽々しくは扱えないテ-マだとは感じます。
ネタが偏ってるようにも感じられるけども
地震をナマズではなくて ミミズで表現しているのが新しい感覚かな。
安政2年(1855年)の安政江戸地震の頃に、
鯰(ナマズ)をモチーフにした錦絵が出まわった。
これは鯰絵と呼ばれるそうで、鹿島大明神が ”要石(かなめいし)”で
大ナマズを押さえている絵などがあるそうですよ。
それが元ネタなんでしょうかねぇ。
作画の美しさや、声当てに関しては
違和感なく定番通りと感じます。
ただ、ダイジンキャラに 少々イライラ感を発しましたがw。
何のために要石役を降りられたのか・・・
結局元のお役目に戻ってしまって。
悪さする割にはすずめ達にくっついてきて、
結局 他人に無視されては何処にも行けないダイジン。
知らぬ間に もう一匹の黒猫(要石)もやってきて
皆でハチャメチャドライブは ありゃりゃ~の感じ。
実のところ まとまりが悪すぎて
前作同様に展開死に至りそうに感じてはいましたが、
この 育ての叔母(環)が心配してすずめを追いかけてきて
すずめと本気で口論するところは良かったです。
実際 震災の被災者とそれを保護した人々との圧壁も
当時も今も有ったと思うし、
育ての叔母と心の底からの本音吐露が、
より生きてる実感を増してると感じました。
そして、扉の隙間のアノヨ世界で
草太と二人で最大ミミズに要石を刺して
大いなる地震の災い発生を納める~
冒頭にあった、寒い夜の震災跡地の草原を駈けていた~幼女すずめに
手を差し伸べていたのが、母ではなくて
未来のすずめ本人で~ ”大丈夫だよ!” って過去の自分に対して
ギュッとハグするところは とっても良い場面でしたね。
ここは凄く心がグッときましたよ!
それは震災の被災者だけで無く、日本各地の豪雨災害、豪雪、土砂災害はじめ
交通事故、病気など 色んな事で肉親を急に亡くしてしまった
人々総てにエ-ルを贈る~ それなんだと感じます。
どこかで・・・、どこかで心に整理を付けて
前に進ま無きゃいけない、そんな自分があるわけで。
そんな空虚な心の扉が開いたままの 自分があって
だから 最後の言葉に
”行ってきます” ・・・と自分でその扉に鍵をする~。
その意味を知った時、
彼女の成長とこれからの幸せを願わずにはいられない、
そんな思いに浸りました。
今 劇場が凄くホットな状態になってます。
是非、ご家族揃ってどうぞ!
主演の原さんの声が良き
新海誠監督が特別だったのは「君の名は」の直前までだったように感じる。
前作に比べて、君の名はが大ヒットした監督だよアピールが減った結果、普通のまあいいアニメ映画へ。
二度目見たいかと言われると・・・ちょっと
声優さん良かった。
娯楽ではなく教訓として観るべし。
強いメッセージ性を感じた。生きる事の辛さ、命の儚さ、新しいものを始める事、育む事の苦労、その中で忘れていく大切な事、何が大事で何を守りたいのか、今一度自分と向き合い考える事。そして、生きる事の素晴らしさ。明日がある事への喜び。今までの新海誠作品とは違うなと感じました。メッセージを受け取ることができれば見た価値ありです。
あの世にいるときは過去も未来も知ってる、かも。
★四つ以上
★★★★☆
★五つ未満
ぼくの個人的な見解です。間違ってるかもだけど悪しからず。
ネタバレあります。
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■自分が地獄を引き寄せたと思う人はこの映画をみて過去を思い出すかもしれない。
ボクは思い出した。
■お母さんの思い出は、やっぱりお母さんなんだと思う。
■おばさんとの口論は、昔のことおばさんが忘れるわけないから、たぶん記憶がすぐに思い出せなかったか、多層世界の重なり具合で違う世界の同じ姿かたちの、ちょっとイライラしてる世界のおばさんだったと思う。
■あの世で人に会う場面、台詞が思い出の
と違うけど、今回の主人公目線ではその台詞になってて、主人公としては今回の台詞で会話したと認識されて、
一方で
相手が受け取った台詞は映画での今回の台詞とは違って昔通りの台詞になってるんだと思う。
■同じ世界にいるのに災害の予兆が見える人と見えない人がいる描写があるから、
自分が認識してる言葉のやり取りにも、
個人個人で個別に違ってると、拡張解釈してみた。
■あの世では服が自動修復されてる感じだから
あの世にいるときは服にも命が宿ってるのかもしれない。
だから重要アイテムもあの世にあるときは命が宿って自動修復されてるんだと思う。
■あの世で魔物を鎮めるクサビ形の石になる存在は、次第に神の力を得る台詞とか、人間でもなれるかもしれない描写があるから、元人間なのかなと思う。
■無邪気なあいつは、あの世にいるときは時空を超えて未来と過去の事を繋げて認識してて、それで関係あるスズメがどんな人か知ってたんだと思う。
この世にいるときは超越認識ができないから
ただのイタズラっこな子供みたいになってたんだと思う。
■この映画は女の子と無邪気なあいつがダブル主人公だと思う。
助ける対象(男性&姫属性)も主人公仲間とカウントすればトリプル主人公だと思う。
■最後の方で思い出が嘘だったんだと思ったら涙がすこし出ちゃったけど、思い出を見てる主体ごとに、別々の世界を見てるとしたら、別になにも失っていないんだと思うし、泣く必要なかったな、と思う。泣いて損したというか、もっと違うときに泣けるようにしたいと思った。
■現実で同級生が泣いても、現実で親が泣いても、ぼくは現実のことでは泣けないから。
共感力が無いのと、人の気持ちに鈍感で、いつも批判的な意識で緊張してるんだと思う。
現実でも悲しいときに流れる定番のBGMがラジカセAIから自動的に流れるAIシステムあれば泣けると思うけど、それは現状無理だから困る。
■これは恋人向けなので、仲良くなりたい人と一緒に見ることをおすすめ。
こんなんでジブリの後継になれると思わないでね シナリオライターといえるレベルではない
まずここまでで判明しているパクリ(オマージュといえば何してもいいんですか??)をまとめます。
特別な鍵で扉を閉める→もろキングダムハーツ
みみずのデザイン→エヴァの使徒、もののけ姫のデイダラボッチ
扉の向こうが草原の広がる時間のない世界→ハウル
ソウタのキャラデザ→ハウル
いすのデザイン→よつばとのダンボー
猫のデザイン→魔女の宅急便
昔の自分と対話→ハリポタ、ドラクエV
みみず・話→村上春樹 かえるくん、東京を救う。
とにかく多すぎ。どこにオリジナリティがあるの。
あとアマノウズメをモチーフにしてるていうけどアマノウズメって上半身裸で踊ってみんなを爆笑させた女性なんだけど大丈夫???
弟スサノヲの狼藉にショック受けて太陽神の天照大神が閉じこもってしまい、世界が真っ暗になってみんな困ってた。
そこでアマノウズメが自分の乳をさらけ出し、アホみたいな踊りを披露して楽しい笑いが起きて、なんだろう、この私がいないのに何がそんなに楽しいの?と天照大神が出てくるって話で、
特にリンクしてないよね。
そのくらい監督は知ってるはずなんだけど。
で、すずめはチラッとあっただけのイケメンがいない世界がめちゃくちゃ怖いらしい。
その一方あんないい一軒家に住まわせて経済的にも何不自由なく、人生犠牲にしてまで育ててくれた叔母さんのことは過保護モンペ扱いでイケメンのために逃げる逃げる。
挙げ句「(育ててくれなんて)頼んでないっ!!!」
完全に人の心がありません。
家出の理由「言ったってわかんないよ」って、ダイジンや椅子が話すのも目に見えるんだから、荒唐無稽な話でも信じさせるのは可能だよね。三葉のパパみたいな頑固親父でもないのになぜ説明放棄?
こんな恩知らずを引き取った叔母さんが不憫でならない。
あとソウタが年上の教員志望である必要まっったくなし。
そもそも一家代々閉じ師でありながら教員なんか志望する意味がわからん。激務だよ、平日休み取れないだろ。土日や夏休みしか地震おきないのかな??
無理があるだろー…さすがに…
あと中途半端に叩かれたくないのバレバレ。
地震が来そうで来ないんだもん。閉じてるから。最近は真面目に全国行脚してるから閉じられて良かったねって感じ?
全部閉じ師の頑張り次第なわけ?
違うでしょ?プレート同士のぶつかり合いなんだよ?
例えばプレートに見えるものは実は地中に潜った神でそれが争っているとか、何か整合性とってよ。ミミズが湧き出してそれが倒れた衝撃で揺れるなんておかしいじゃん。
で、3.11のときは無念にも都合悪くて?力強くて?要石の都合で?閉じられませんでした。。て?
じゃ、事情を知りながらどうにもできなかった閉じ師のせいで起きた人災てことでOK?
そんなものすごい自責の念抱え切れないよ…。
これからもやるなら全力で365日24時間やんなきゃだよね。閉じ師だけでは食べてけないって誰がお金くれてんだか知らないけどわかっててお金あげてるわけだから衣食住絶対保障されるべき超重要職だろ。
なんで困窮させてんだアホか
話の流れとしても椅子になる意味がわからん。
民話か何かのオマージュとか言ってたけど意味がわからん。必然性がないんだもん
震災のショックから立ち直れない人が唯一心を開ける同級生が何してるかと思ったら実は閉じ師だった。とか、そういう方がまだ説得力あるよね。
なんか子供の頃見た二人は大人になった自分たちって話もさ、そうはいってもその二人であって5日だからねってのは変わんないし、生きてりゃイケメンと恋する楽しみが待ってるよ!て!軽薄すぎて。まあ新海誠はこんなもんだな…。
おばさんも綺麗で若いよね,そういう人しか描けないもんね。カンタのばあちゃんみたいに綺麗じゃないけどみんなの心が温かくなるような人描いてみろや。
まあ無理だろうけどね…。
結局ダイジンの情緒もキャラクターも定まってなくて意味不明、いっぱい人が死ぬことをなんとも思っていない超越的感覚を持ちながら、すずめに嫌われて傷つく心はある。
そして傷心自殺的に要石にもどる。
すずめから「当たり前だろ!じゃあな!っしゃあ!!!これでイケメンとつきあえる〜っ♪」という声が聞こえてきそうです。
シナリオになってないレベル、そのへんの漫画家さんのほうがちゃんとしてるよね…??
この人も絵と演出専門の方がいいよ。
芹沢が出てきたのも意味不明…。ソウタでいいんだよ、ずっとソウタで。椅子になる必要もなし!!!
二人きりはちょっとってことなら、天気の子みたいにもう一人子供とか連れてけばいいだろ。芹沢×叔母パートとかなんなんだよ一体。
これだけの注目度で現実の震災を扱うのなら、もう覚悟して、あの震災についてインタビューしたり被災地訪問したりして、しっかり向き合って真正面から火垂るの墓みたいに描いたら?あ、得意のオマージュって意味でなくね。
観れない人はたくさんいるだろうけど、そのほうが世界には多分社会的意義があると思う。
アニメ歴代興行収入 低くて…。
ガッカリした作品でした。
この監督は人の不幸をネタにしか作品化出来ないんですかね。宮崎駿監督の作品はどれも他人におすすめ出来る作品です。子供にも喜んで見せられます。それが宮崎駿監督とこの監督の違いじゃないでしょうかね。こんな重い内容のアニメは観るに値しないと結論付けました。2度とこの監督のアニメ映画には観に行かない方針を決定付けた作品でしたよ。
おもしろくてかわいいタイトルからすずめたちのほんわかした物語だと本気で思っていた…が、大間違いだった。
忘れることのできない災害の爪痕を感じさせ、それを背負うことを余儀なくされた複雑な心の動きに正面から向き合う作品は、単なるレクイエムにとどまらず、被災者である主人公・鈴芽に、閉じ込められた時間から飛び立つ旅を仕掛けた。
そして一瞬衝撃的でもあった、生身の人間関係だからこそのストレートな感情、時には溜め込まれたわだかまりの存在があることをあえてぶつけてみせるのだ。
生きているから知っていく。
生きているから越えていく。
そこに自分にしか助けてやれない自分がいることを教えるために。
そして重要なもうひとつ。
私達が澱みなく与えられた尊いものはいつも、それを感じられる自分のなかにありそれが自分を突き動かす基本の糧であると伝える。
作者は私達に鈴芽の戸締まりの体験を共有させながら、一方で支える側の必要性を説く。
自分の速度で一歩ずつ進んでいこうとする(生きていこうとする)誰かの背中側にそっとまわり、立ち止まるときも、座りたくなるときも、また歩きだすときも、いつでもささえられる位置にいられる私達でいようと呼びかけているのだろう。
いってらっしゃい。いってきます。
ただいま。
おかえりなさい。
何人もの人々が交わす挨拶だけのシーンに胸が詰まりこみあげる。
慣れてしまうとわからなくなるこの上なく幸せな時間のやりとりを強烈にみせる短く深いシーンに涙がぽたぽた落ちた。
なんでもない日常は奇跡とよべる時間だ。
こうして生かされていることに感謝し行動しなければと思わせられた作品だった。
本当に伝えたいことが何だったのか最後まで私には分からなかった
公開時のオープニング部分の無料公開を観てから興味がすっかり失せてしまって何ヶ月も経った今日、レンタルDVD借りて来て鑑賞
最初から最後までワクワクせず退屈してしまった。私のような年寄りには驚きも喜びも、何の気付きも考え込ませられる場面もないまま時間だけが過ぎた
過去作もほとんど観てきたけど、とても上手に作る監督なんだよね
だけど 厳しく言えば、
J-POPの売れっ子バンドの多くが作曲の時に使い続けてきた大衆受けする売れ線の魔法のコード進行みたいに、気持ち良くなっちゃう脚本作りや絵作りの味付けを監督が心得てしまったのかもしれないなぁと邪念が頭をもたげたまま終映
薄味 見終わった後の正直な感想でした
宮崎駿作品「君たちはどう生きるか」を観た時の混乱😵💫や考え込んだり🫤の飲み込んでしまった異物感の正体が何か、何ヶ月か経った今も未だに明確に答えが出てこないのだけど、この映画からは残念ながら何も問いかけが感じられずにスルスルと流れてゆく話を少し淋しい気分で眺めていた
作家として震災をテーマに扱う責任は重たいね
ソータの事を好きになって、大事な人になるの、早すぎ ソータがちょい...
ソータの事を好きになって、大事な人になるの、早すぎ
ソータがちょい棒読みがあるが、大事なシーンでは上手で助かった
ちびスズメに椅子を渡して、彼女がモノクロの世界に帰っていくシーンが悲しい
絵は流石に綺麗
ミミズはもののけ姫の祟り神とデイダラボッチに見えてしかたなかった
歌は良かったー
ダイジンというネーミングがすぐ定着するのも違和感
サダイジン、いきなり来て馴染みすぎ
この2匹の立ち位置が分かりにくかった
スズメが旅をして行くのは、楽しかった
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