すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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効果最大の場所で決め球を使う
「行ってきます!」が決め台詞的に使われてたのに。トレーラーでは。一向に鈴芽の口から出てこんなぁ、と思ってましたら。はいはい、忘れた頃にやられましたー。新海誠の十八番、やられましたー!ここしかないだろ?って場所でやられましたーw
「天気の子」は期待外れと言われ。東京を沈めるなんて共感出来ないと叩かれたりもして。それを受けてのハッピーエンドです。
今回はロードムービー。「君の名は」のプチ・ロードムービーから本格化です。伊藤沙莉ちゃんは老け役です。ハマり過ぎです。アニメ特有の、狭い世界の内輪ウケ感が最小化されてます。アニメを見てるとたまに感じるんです。同業者の排他的な中間うちでは楽しいんだろうけど、ちょっとついて行けない、的なコント。それが鼻につく感じが、あまりしません。普通の映画の脚本みたい。
劇場は1日20回上映がザラ。田舎のJRの便数より多いって。凄い人気です。IMAXは満席に近いので敬遠しましたが、通常上映も若い人で席が埋まってます。トレンド化するマーケティング戦略の勝利です。
新海誠のメッセージは次世代向けた「行ってらっしゃい」だと思うんですよね。なるべく多くの子達に伝わりますように。
良かった。
普通に。
さすがの映像力!
まず冒頭の伏線から、カンのいい人は途中からあの震災と気付くかな?私は引っかかりを感じながら、スルーしました。震災の記憶の風化。反省。
今作はロマンス少なめで(少女のほのかな恋心、だけど彼女の原動力でもある)、少女の冒険、出会い、成長を描いた点が良かった。もちろん、新海監督得意の美しい風景が素晴らしかった。自然は時に恐怖で、それでも美しいんだなあ、と思わせる。
すずめが出会う、人々もみんなドラマがあって感情移入できた。
ラストのSF的な伏線回収も面白かったよ。ネコちゃんのミスリードにも騙されました。
誠実・面白く内容も深い
新海誠は日本を殴りにきている
集大成にふさわしい作品
展開が早い
前を向くことが大事なんですね。
幸いにして、これまで大きな災害に遭ってはいませんし、大きな痛手も受けてはいないのですが。評論子は。
でも、そういうトラウマを心の内側に抱えている人の苦痛は並大抵ではないことでしょう。
でも、人間は未来に向かって生きていかなければならないので、今を大切に生きることが大事であることは、多言を要しないでしょう。
「記憶の中にすっかり封印してしまえ」ということではないにしろ、やはり既往だけに囚われていては、いけないということでしょう。
その意味で「已往の諫められざるを悟り、來者の追ふ可きを知る」という言葉は、一面の真理をついていると思います。
(現に過去のトラウマに苦しんでいる人の苦しみを否定するものではなく、あくまでも前記のようなトラウマにを抱えてはいない評論子の考えですが)
本作で鈴芽が果たしてきた「戸締まり」というのは、そういうことでは、なかったでしょうか。
新海版シン・ゴジラ。 ダイジン、あざと過ぎ萌え。 東日本大震災の経...
テンポよく進む厄災話
前作の天気の子は、あまり合わなかった人です。
今回の厄災は『地震』
九州から始まり、大地震のあった都市を巡るロードムービーです(笑)
鬼ごっこが縦軸としたら、家族関係と旅先で出会う人が横軸。
最後の仕掛けまで、ありきたりですがよく練られてると感じます。
左大臣が動き出した理由がよく分からなかったです。
そしてダイジン、せつなかったです。
そりゃ嫌にもなるだろうね。
ハッピーエンドですが切なさ、やるせなさも最後にのこりました。
でも、総じて今回は満足出来ました。
最後に何故お前は80年代の曲ばかり流すのか。
雰囲気の違う魔女宅のオープニングは最高だったぞ^_^
期待以上!!観て損はないと思う。
最初に出てきた大人の女性が主人公であることが簡単に読めてしまったこと序盤の物語の進行度合いが少し唐突で早く感じたこと、常世の話が出た段階でラストの流れが視えてしまったことが少し残念だった。
その他は、かなりよかった。
旅先であった人との関わり方と関係性、叔母さんとの関係性など随所に様々な‘繋がり’を感じたのもよかった。
そのおばさんとの関係性が垣間見える駐車場のシーンはなかなかだった。
心の奥底に仕舞い込んでいた感情を全て吐き出すシーン、言わされた言葉だったけど、あれは真実と主人公に長い間愛情を注いでこないと出ない感情(言葉)だったと思った。
芹澤君もとてもよかった。言葉では心配していないような事を言いつつも実はかなり友の事を心配している彼はとても優しい人。いい先生になれると思う。
彼の曲選が最高だったので一緒にドライブしたい!!
1番心打たれたのは、幼少期の自分に語りかけ母の形見である椅子を渡すシーン!このシーンは台詞も良かったし、今の自分よりもこの椅子が必要であった幼少期の自分に渡す所は過去との決別、感謝など色んな感情が伝わってきた。
東日本大震災と地震をテーマで扱うことは、まだ傷の癒えない人が多数いる中で大変なことだったように思う。
難しいテーマをよく上手くまとめあげたと思う。
かなりいい映画でした!
2回見てきました ダイジンが切ない
昨日今日と連続して見てきました。
2回ともダイジンの切なさに泣きました。
うちの子になる?って言ってもらえて嬉しかったダイジン
すずめの子になりたくて、要石の役割を押し付けてしまったけど
今まで頑張ってきたダイジンも救ってあげたかったなー
自ら石に戻るところは号泣でした。
サダイジンと二人だから、寂しくありませんように(T ^ T)
人の気持ちも、ダイジンの気持ちも 裏表
見えてるものが本質ではない
とても考えさせられる作品でした。
天気の子では自分達を優先して、災害を受け入れると言うちょっと??な結果だったけど
今回は自分のための行動と、人のための正義感
どちらも納得できるバランスがとても良い作品だと思いました。
3部作集大成!シンプルな恋愛映画も観てみたいです。
要石、後ろ戸、ラストについて
一つ目は「要石」について。
前半パートでは「廃れた温泉施設」「土砂崩れによる廃村」「休止した遊園地」で後ろ戸が開き、地震をもたらすミミズが出るのを、後ろ戸を閉じることで防ぎます。で、なんとなく後ろ戸が開く=捨てられた土地、という印象ですが、これは違うのではないか?と
なぜなら、東京で後ろ戸があります。また、一度後ろ戸が開いたすずめの実家である東北の地でも古くなった後ろ戸があります。
後ろ戸を閉じる時に草太とすずめは、かつて賑わいのあった頃の声を聞いて扉を閉めます。でも、東京の後ろ戸を閉める時には、そういったシーンはなかったと思います。また常世で後ろ戸を閉める時に「本当は必要ないのだけど」声を聞くシーンを入れた、とパンフにあります。
そうする「後ろ戸は何処にでもあるが、地守りや要石が無くなると後ろ戸が開く」と解釈するのかな、と。捨てられた土地では、地鎮する人々がいなくなる。地鎮や後ろ戸を閉める行為には人々の祈り=願いが必要で、その代行者である閉じ師はその想いを声として聞くことで閉じる力を得る。
東京は人々がまだ住んでいて想いがあるので、声を聞く必要がない。また常世は死後の世界だから、そもそも想いなど必要がないので、本来は声を聞く必要がない。
だとすると、何故東京の後ろ戸が開かれたのか?作中から分かるのは、東の要石である左大臣が外れたこと(猫の姿ですずめ達の前に現れています)、閉じ師の爺さんが死んだ(たぶん死ぬのでしょ)こと、ぐらいです。ただ、閉じ師が死んだぐらいでは後ろ戸は開かないでしょう。
とすると、要因は左大臣。ダイジンが外れた理由は、すずめが外したから?いや、それは表面的な理由で、途中で「ダイジンは後ろ戸を開けて回っているのではなく、空いている後ろ戸に導いている」とありますよね。だから、左大臣も意味を持って、自らの要石としての役割を一時的に草太に委ねて、すずめ達の合流した、と考えるのかな?では、合流して何をしたかと言うと、常世でミミズを封印した、のでコレが目的。
そうすると、ダイジンと左大臣はこれから起きる大地震を察知して、草太とすずめを使いこれを鎮めにいった、という解釈かな。
2つ目は「後ろ戸」について
後ろ戸というのはお寺の本堂の後ろにある扉。鬼はこの扉からやってくる、とされており、法会の際、やってくる鬼の気を逸らすために、踊りを踊ったのが、後の能楽(後戸の猿楽)になった。つまり、日本のエンターテイメントの源流の一つです。
元来エンタメはこのように神様への奉納や悪魔祓いが目的だった。ヒロインが宮崎から旅立ち、名前が岩戸すずめ、ですから、もちろん天の岩戸で舞を舞ったアメノウズメのこと。なので、この作品も神か悪魔か、地震をもたらす「人ならざるもの」への神事の意味があります。
怠ると神罰がくだるので、神事で最も重要なのは「忘れずにやる」こと。ただ、この話のメインプロットって「忘れる」にあるように思います。ヒロインのすずめは震災の後、小さい頃に後ろ戸に入ったことを忘れていて、それを思い出し記憶を取り戻すのが、この話の流れです。
震災後12年が経って記憶も薄れてくる。神への畏れを持ち続けるために、神事としてこの作品がある、と考えると、尊いですな〜。
3つ目はたいした話ではないですが、ラストの意味。すずめは幼い頃に後ろ戸の先で出会ったのを死んだ母親だと思っていたが、ラストでそれが未来の自分だった、ってオチでした。
これって涼宮ハルヒの「笹の葉ラプソディ」だな〜って、ってのは、どーでもよいけど、この解釈。この作品のテーマの一つである、すずめの成長、の意味を考えると、自分を導くのは結局自分だけ、という意味なのかと思います。
宮崎では自分のアイデンティティが曖昧で、草太に出逢い自分探しの旅をして、過去の「自分」を思い出すことで、自分に向き合い前に進む。また過去のすずめも、母親の死を受け入れられず迷い込んだ先で出会ったのは、やっぱり未来の「自分」で、その出会いをきっかけに立ち直る。
作家性で解釈すれば新開誠は自分の創作にとって「指針とすべきは過去と未来の自分でしかないのだ」というメッセージかな。前作の天気の子では「世の中がどうなろうと、俺は俺のエンタメを作る」というメッセージだったので、やはり作家性が強い作風なんだろうな〜、と。
あと、これもどーでも良い謎ですが、東京の後ろ戸って、何でしょう?
陰陽道に従うと東京は鬼門・裏鬼門に沿って、上野/寛永寺、神田明神、日枝神社、芝/増上寺と配置されています。本作でもお茶の水=神田明神を舞台に聖橋から丸ノ内線のトンネルを見下ろしています。そもそもこの作品の旅って、宮崎から東京を通り東北なので、やはり裏鬼門→鬼門への旅なんですね。その線上にあるのが後ろ戸。
すずめが東京上空の第10使徒サハクィエル、もとい、ミミズを倒して落下するのが竹橋あたりですね。ここの地下に東京の後ろ戸がある設定。だとすると、皇居の平川門の真下、となります。
平川門というと、ここは別名「不浄門」と言われています。江戸城の頃、日々の不浄(汚物など)はこの門の脇から舟で運び出されています。城内で出た死骸や、絵島生島事件の奥女中・絵島や赤穂藩の浅野内匠頭といった罪人もこの門から追放されています。
まあ、そういう逸話をもとに後ろ戸に設定したのかな〜、確証はありません。
ちなみ、トンネルから地上に出るシーンは首都高の北の丸トンネルですね。ここにあるのは乾門で別名「明治門」で明治時代に作られた門。桜や紅葉の通り抜けの際に使われる門なので、あまり後ろ戸には相応しくないですね。
さて、これで語り尽くしました。長文・駄文にお付き合いくださり、ありがとうございます。
見応え十分!でも物足りなさも…。
色々な要素がうまく混ざり切ってない感はあれど、見応え十分な作品だった!
作品を思い返しながら脳内を整理するために分解していくと、大きく3つの要素があったと私は理解した。
ひとつ目はやはりポスト3.11としての側面。
名言はされなかったけどすずめは明らか東北に大震災の被災者(そして孤児)だ。
叔母の愛情を受けながらも、すずめは生まれ故郷を離れ、母の不在を感じながら生きている。
作中に舞台として登場する廃墟となった街や学校などは、なんとなく放射能で人が住まなくなった福島の被災地を彷彿とさせた。
そして終盤、すずめが過去の自分に送ったメッセージは監督からの3.11の後を生きる被災者の方々へのメッセージなのだと理解した。
十年以上経とうが、震災で変わってしまった人生を生きる人たちの中で震災は終わらない(本作のすずめのように一見してそうとはわからなくても)。
人気監督になっても、いや人気監督だからこそ、エンタメとして成り立たせつつ、この重く難しいテーマを真摯に描いているところに敬意を払いたい(そして過去2作で自然災害を取り扱ってきた中で本作が臨界点という感じがした)。
ふたつ目はロードムービー的な側面。
すずめと椅子になった草太は、草太をもとに戻すため猫の「ダイジン」を追う旅に出る。
九州から愛媛、神戸、東京へ移動しながら、さまざまな人に出会い、助け助けられながらを彼ら彼女たちと交流を深めていく。
また東京で草太に取り戻すための気づきを得たすずめが、叔母さんと草太の友人・芹澤と生まれ故郷に向かう旅?に出る。
どちらも良いシーンがたくさんあるんだけど、いまいち本筋に絡んでない気がして物足りなさを感じたり…。
(そういえば芹澤さんの車で流れた懐メロの数々は何だったんだろう。何か意味がありそうだけど…)
みっつ目がすずめと草太とラブストーリー的な側面。
新海誠監督は主人公の中にあるなにかしらの欠落感(「君の名は。」はこの描写がめちゃくちゃ良かった…)を運命の(と信じる)相手で埋める(あるいは埋まらない)、を長らく描いてきたと思っているのだけど、この2人に関してはちょっと描写が足りない感じがしてなんとなくそこが物足りなかった。
この作品のメインテーマではないから仕方ないのだろうけど、草太が「君(すずめ)に会えたから」と思いながら意識を手放すところとか、「いつのまにすずめちゃんにそんな思い入れを?」と思ってしまったり唐突感が否めないというか…。
こういういくつかの要素がラストにうまく集約してる感じがなくて、個人的にそこは物足りなかったけど、「いつ死んでもいい」と思っていたすずめが草太を大切に思う過程を経て、自分の「生きたい」という気持ちにも気づけたのは良かったと思うし、震災の一つの描き方としても良かったのかもなと思う。
あと新海誠監督作品の、胸がしめられるような美しい風景が今回は感じられなかった気がして、そこは少し残念(映像はめちゃくちゃ綺麗なんだけど)。何が違ったのかな。
ある意味の集大成だが現実の震災を扱うには薄っぺらさが否めない。
災に立ち向かう作品としては三部作の3つ目で、ある意味の集大成だと思う。
絵も美しいし、すずめのキャラクターも魅力的だ。背が高くてすらっとしててポニーテールなのも素敵。
草太は長身のイケメンで萌えポイントの泣きぼくろまである。
ちゃんとRADWIMPSの曲もかけてくれるし、前の作品からの繋がりはなくとも前の作品の声優の神木隆之介の起用もあったりで、はずしはない。
絵日記の真っ黒のページが続くシーンあたりからは胸に込み上げるものもあった。
ただ、君の名は。や天気の子のように何度も劇場に通って観たいかとなると、そこまで心が動かされないのは何故だろう。
ストーリーはシンプルで、ロードムービーの要素もあって話の展開がどこに向かっていくのかとてもわかりやすい。
路上のアクションはハリウッド映画並みのスリル、ダイジンや椅子のキャラクターは子どもにもウケが良いだろうし、ジブリ作品並に後世に残ると思う。
でもそのふたつともが余計だ。
大学生の若者が何故か車の中で懐メロを聞いているという設定も邪魔。
おじさんが主たるお客さんのスナックでチェッカーズのような懐メロが流れるのは理解出来るけれど、ロードムービー部分で懐メロばっかりはちょっとやりすぎか。
特にユーミンをかけたらもうジブリ。松田聖子をかけたら打ち上げ花火…
漫才だったら、もうええわどうもありがとうございました。と終わるところが河合奈保子に井上陽水にと古い曲がしつこい。
誰に聞かせたいのだろうか。なんなら震災が起きた年の曲が続く方がまだ理解出来る。
地震で身内を無くしたことを扱っているので、心の葛藤とか苦しみをもっと丁寧に描いて欲しかったので残念だ。
月9の監察医朝顔ぐらいの現実に家族を震災で亡くした方への寄り添いの表現が足りなかった。
すずめみたいに大丈夫で元気に生きてる人ばかりでは無い。
観ている側としても一緒に苦しんで悲しみたかった。
猫との追いかけっこを見たいわけじゃない。
個人的には天気の子や秒速5センチメートルを観た時の感動には及ばなかった。
ちょっとファミリーに寄せすぎたかな?
そして、恋が圧倒的に足りない。
命を懸けて相手を救おうとする程、すずめと草太は好きあってはいない。そんなところはどこにも描かれていない。
すずめが草太のことをちょっと好みのタイプだっただけだ。ラブストーリー感が圧倒的に足りないのだ。
草太が早々に椅子になってしまうから人間同士の男女の物語が描ききれていない点で天気の子より劣る。
深海飯も天気の子では貧困な中、豆苗やネギを育ててる陽菜の工夫されたチャーハンが人物の性格をよく表現していた。そしてとても美味しそうだった。今回のポテトサラダ焼きうどん陽菜のチャーハンみたいにコンビニで販売されることも無さそうだ。
それでもあと1回は劇場で観ると思うし、テレビ放送した時にもいつか観てしまう気がする。
災三部作として集大成と思うので、次はまた心を揺さぶりまくる作品を作って欲しいと切に思います。
映像が綺麗なだけ。
正直、今回の作品は題名のような感想しかありません。
地震災害を扱ってる割には、地震アラートくらいしかリアルな描写はなく、挙句の果てに地震の正体はミミズが異世界から出てきて倒れて起きますなんて言われてな、、、って感じでした。
現実とファンタジーが上手く合わせってる感じがしなかったです。
実際に起こった地震を扱っている割には、設定が雑すぎるかなと。
それと、ダイジンの扱いが雑すぎませんか?
要石から解放されてやっと気ままに生活してたのに解放した張本人のすずめから終始ウザがれる始末。
好きな人を助ける為に、ダイジンが要石に戻るという展開には納得いきませんでした。
すずめが、母親の死を受け入れて前に進むという最後でしたがこれも微妙でした。
草太を通じて自分の過去と向き合う展開だったので、母親との思い出のシーンがあまり無く、すずめがどれだけ母親のことを思っているのか感情移入できませんでした。
これまでの「君の名は」「秒速5センチメートル」など、異性を好きになる過程をきちんと描いてた過去作と比べても今回の「すずめの戸締まり」は好きになる過程を雑に描いてる気がしてなりませんでした。
一目惚れから始まり、椅子になっていたといはいえ草太にキスしたり。100歩譲って、すずめが草太のこと好きになっていたとしても、草太がすずめのことを好きになる理由がほんと意味わかりませんでした。
「君の名は」「天気の子」で瀧くんを演じた神木隆之介を中途半端な役でキャスティングしたのも残念でした。
映像は、いつも通りのクオリティーで良かったです。
新海誠の集大成は嘘じゃない
ネタバレを目にしてしまう前に、と急いで鑑賞。良かった。泣いた。何で泣いてるのかよくわからないけど泣いた。
「君の名は。」「天気の子」より好きかもしれない。たぶんそれは自分が過去二作の主人公よりもその周囲の大人の方が近い立場だから。これまではどこか感情移入出来ないところがあったけど、今回は主人公の旅を通して廃れていく故郷の今と昔を思ってどうしようもない気持ちになるからだと思う。今や日本全国に後ろ戸がありそうだな、と。
震災から12年が経とうとしてるからこの映画の意味があるように思う。まだ生々しく記憶がある世代もいれば、もはや教科書の中の出来事でしか無い世代もいるし、また同じ世代でも震災当事者とそうで無い人との間にも格差があるわけで劇中の芹澤とすずめの街を見下ろした時のセリフがその象徴だな、と思った。
残念ながらすずめと草太には通過されてしまった地域住みではあるけど、家の近くがワンシーンになってたことに感動したのでまた観に行こうと思う。笑
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