すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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『君の名は。』『天気の子』も見たけど、これが一番私には良い。ちょっと泣きそうになった。
殆ど最後の方のすずめと小さいすずめが邂逅するシーン。小さいすずめの言葉に、泣きそうになっちゃったよ。はっきりとは示されていないけど、東日本大震災を下にしていることは間違いないので、その背景を踏まえたセリフとして聞くと、泣かずにはいられなかった。
それ以外と言えば、松村北斗。声優するなら、もうちょっと頑張れ。他の俳優陣の声は違和感ないけど、彼だけちょっと浮いていた気がしますね。
自分とは新海監督は合わないと再認識する作品だった
まず人物に魅力がない。現実味がない、奥行きがない、行動原理がガタガタだ。
絵は綺麗なのでかろうじて観ていられる。
話は大きなテーマに挑んだという気概はわかるけれども。むしろそれをやめてほしい。世界救わなくていいから。
ちんまい範囲内を丁寧に描いた言の葉のが何万倍も良い。大きなテーマをさばく力が無いんだから無理しないでほしい。あるいはストーリー面は別の人を入れてほしい。
すずめと叔母のやりとりで、どうよ人間の内面も出せてるでしょと言いたいのかもしれないが。あれだって実の親にならあんな甘えも言えるだろうけど、いくら親同然に仲良くしたって、叔母なんだから双方に若干の遠慮と言ってはいけない一線の線引きの認識くらいはあって当然だ。その距離感は女性同士ならじんわり掴んでる。それができないなら社会不適合度合いが高い。本音ぶつけあえたでしょ?じゃない、そういうところが人間を描けてない。
ちょっと会っただけの顔のいい男のために、女子高生が少ない手持ちのお金で全国移動して見知らぬお宅に泊まったりして東京では知らん男の友人(つまり知らん人)にも会って、飯も食ってないけど山に行ったりチャリで走るの?どんなスーパー女子高生だ?
さほど付き合いのない相手の為そこまでする?ってのは宮崎駿作品だって同じなのだけれど、宮崎のはその行動に入るまでの間に、そうしちゃうんだろうなこの人なら、というくだりがあるので、強引な運びでもそんなに疑問を感じずに観ていられる。新海作品では製作中に、そこ指摘してくれる人がいないんだろうか?君の名は、のときは結構プロデューサーが口を出したというが、だからこそあれは比較的違和感なく観やすかったんじゃないだろうか。
人間を描けないんだから、現実に傷ついた人、いまも苦しんでる人がいる災害をネタに使わないでほしかった。関係ないファンタジー作品ならここまで反発もおぼえなかった。
観もしないで毛嫌いするのも良くないなと、結局何本も新海監督作品を観ているけれど、そのたび自分とは合わないなと繰り返しわかってしまう。私とは相性悪いんだろう。クレヨンしんちゃんを観たいよ。
タイトルなし(ネタバレ)
映画の日。今年は『すずめの戸締まり』を観に行った。新海監督作品は初鑑賞。
『君の名は』の頃から映像の美しさで話題になっていたのは知っていたので、作品を見ながら確かに美しいなと目を奪われた。
結論から言えば、人って自分次第でこんなに変われるのかと思った。そして改めて震災の記憶を忘れてはいけないと思った。
予告では想像できないようなストーリー。
ラストにかけてのシーンで、色々と繋がって涙が出た。
でももっともっと色々と暗示していることがあるのではないかと、気になって調べてはっとさせられた気付きたち。
〜以下ネタバレ
①「うちの子になる?」というセリフ。
環が鈴芽に言った言葉で、鈴芽を救った言葉でもあるけど、同時に環から他のものを奪うきっかけにもなった言葉。同じ言葉を、鈴芽もダイジンに言っていて、鈴芽もその後学校生活だけでなく命でさえも捨てる覚悟でダイジンを追いかけることになった。
②初対面の草太を「どこかで会ったことがある」と言っていた理由がラストの常世のシーンで分かる。常世は全ての時間が同時にある場所。
③1度なくした椅子。(実際は津波に流されてしまい、死者の世界である常世に流れ着いた。これを成長した鈴芽が見つけ、幼い自分自身に渡した。という考察がされていた)
④12年間ずっと燃えていた常世。(被災者である鈴芽の見る常世。12年間ずっと燃え続けていたように、まだ震災は終わっていないことを暗示しているらしい)
⑤
鈴芽の故郷の宮城県に向かう道中、芹澤は「このへんって、こんなに綺麗な場所だったんだな」と語る。すずめはその言葉にハッとし、「綺麗?ここが?」と呟くように返す。“被災者”である鈴芽と、被災者ではない芹澤の被災地に対する見え方の違いを明確に描き出している。震災の記憶が薄れつつある人々にまだ終わっていないことを告げている。
⑥
東日本大震災が起きたのはお昼。多くの人たちの最期の言葉が「いってきます」「いってらっしゃい」となったと思われる。(劇中でも多くの人たちが鈴芽に対し、色々な方言で「いってらっしゃい」と言い、その言葉が鈴芽を応援する言葉にもなっている。)
そして最後のシーンは言えなかった「おかえりなさい」。
⑦草太のセリフと坂や日向/日陰の演出の工夫。
〜〜〜
当時小学生だった私は東京に住んでいて、放課後のクラブ活動中にいつもより大きめの揺れがあって、でもすぐに収まったから怖かったね〜なんて言って、教室に戻ったら「保護者が迎えに来るまでは帰れない」と先生たちが慌ただしくしていて、そんなに大きな地震だったのかと思いつつもあまり理解できていなかったけど家に帰ってテレビをつけたら、いつものテレビ画面ではなくてどのチャンネルでも、左側と下側に常に地震関係のニュースが流れていて、映像もずっと流れていて、同じ国に住んでいる人がテレビに映る大きな揺れや大きな波を実際に体験して、多くの人が亡くなって、行方不明の方も沢山いると知って、少し考えただけで恐ろしくなって悲しくなって、小学生の頭じゃ理解できないくらいの衝撃的で信じられない出来事だったから被災者ではない私でさえ、今でも忘れられない記憶。そのあと被災した同い年の子達が一時的に自分の小学校に来て、いろいろな話をしてくれて、本当に起きた出来事なのだと、だんだんと理解していった。そんな記憶もやはり被災した方と直接被災していない人とでは全く心に刻んだ記憶の数が違うと思うし、地震描写はきっと被災された方々にとっては辛い記憶で、リアリティーもあるし、気軽に観てほしいなんて言えないけど、この作品は伝えたいことが痛いほどはっきり、しっかり伝わってきたし、何年経ってもこういう作品で長い歴史の中の1つの出来事ではなく多くの人の記憶を思い起こさせ、残すべきだと思った。(被災者ではない人は時間と共に忘れていってしまうので)
色々な伏線や込められた想いも含めて、もう一度観たい作品。もうすぐ今年が終わるこの時期にまた心に残る作品に出逢えて幸せだなと思った。
恋愛と死との関係がテーマの壮大な物語ではあるが平坦なストーリー。
女子高生の主人公が朝の通学途中に謎の青年に偶然出会い事件に巻き込まれ旅をしているうちに日本の危機を救い主人公は自身の過去を思い出すストーリー。この映画は起伏の少ない平たんな一直線の道路のように淡々と都合よく話がテンポよく進んでいく。主人公の恋愛の気持ちがわからず。2.5点。
私は主人公が謎の美青年を見た後に空に大きなミミズを見る場面は思春期の妄想だと思ったのだが実際あの大きなミミズは思春期からの湧き出るように発生する止まらない性欲を表していると思う。鈴芽と草太は扉からあふれ出る性欲を二人で止めるがこれは性欲を二人で発散したと解釈できる。死の世界である常世から扉を通って現実世界に出てくる大きなミミズは巨大な性欲と巨大な死(地震や災害などでの大量死)を表現している。なぜ性欲の放置が大量死と関係するのかという理由は 、恋愛による性欲の発散がない場合は恋愛が存在しないということなので子孫が生まれなくなりそれは人類の滅亡につながる大量死と同じ事となるからだと思う。愛し合う二人による恋愛のみがミミズ(性欲)を退治する方法であり恋愛をしないでミミズが放置されると子供が生まれない(人類の大量死につながる)ということである。大きなミミズは日本人の性欲であり日本人の恋愛がなく性欲が放置されると生まれるはずの大勢の子供が生まれない。それは災害級の大惨事に匹敵する。大ざっぱに言うと鈴芽と草太は性欲を放置せず恋愛をして子供が生まれるようがんばっている。
結論:鈴芽の恋愛と母の死との関係がテーマの壮大な物語ではあるが平坦なストーリー。
追記:
なぜ人は恋愛するのか。そして性欲はなぜあるのか。
それは人は死ぬ事を知るからだと思う。人は人が死ぬことを知りそれゆえ恋愛し性欲を獲得する。鈴芽の場合はあの扉の世界で母の死を知り理解して同時に草太との恋愛が生まれたと解釈できると思う。常世(死の世界)からミミズ(性欲)が発生するのは人が死を知ることと関係がある。もしも人が不死身なら恋愛はたぶん起きない。
まとめ:
人の死の意味は他人に死を教えるということである。他人の死を知った人は自分の死も知り同時に性欲が湧いてくる。発生した性欲を抑えるため恋愛をする。やがてその人も死に他人に死を教えて他人の恋愛の起点となるという生と死のサイクルが本作品の主題(メインテーマ)であろう。
ストーリー:
女子高生の鈴芽は過去の震災での母の死をまだ心の中では認めていなかった。ある日イケメン大学生の草太と偶然出会い自然に性欲が湧いたがそれが何かを知らなかった。出来事がいろいろあってやっと母の死を認めることができた鈴芽は草太と恋愛をスタートしたのだった。ラストシーンあたりで鈴芽が「行ってきます」と行ったのは実家を出て独立したことを意味しており「おかえり」と草太に言ったのは新しい家庭を築こうとしていることを意味する。
追記その2:
現代では恋愛と死の関係の密接さは古代よりは薄れている。現代では映画などのメディアが多感な時期の若者に対し恋愛をファッションとするよう扇動しているように見える。
追記その3:
本作品はキリスト教の聖書の創世記に書かれている最初の人類アダムとイブの最初の子作りの話がモチーフであろう。二人以外誰もいない廃墟で鈴芽と草太つまりイブとアダムは子供を作るための作業をする。つまり戸締りとは子作りのことである。また二人は廃墟で子供を作って人類を復興させるという役割も担っている。大地震などの大災害では確かに大勢の人が死ぬが性欲が適正に発散されず恋愛をする人が減り子供がいなくなると大地震の被害以上に人がいなくなり、しまいには町は廃墟となる。本作品では大ミミズは性欲の象徴として、草太が変身する椅子は自慰行為の象徴として描かれる。大ミミズという性欲を放置し子作りしない場合、子供が生まれなくなり町は廃墟となるのである。戸締りとは疑似的子作り行為である自慰をやめるという意味合いも持っているのであろう。現代日本では性の話題は恥ずかしいこととしてやハラスメントとしてや場合によっては罪に問われてタブーであるが神聖な行為としての性活動をこの作品は描いていると思う。私としての感想は恋愛の減少が原因で子供が減るなどの仮説のように現代日本の人口減少問題は単純なものではなくもっと地理的で複合的で歴史的な要因の結果として人口減少があると思うので本作品での子供を作ろうという単純なメッセージ性は宗教的で聖書的で清らかすぎる感じがする。現実世界の本質は聖書のように色眼鏡を通して見たような単純な世界ではなく人類の理解を超えたカオスであると私は思う。とはいえ私はこの作品の美しい映像世界に魅かれたのは事実である。
大好き
雰囲気は良いのだが
さらっと見ると面白いのです。ダイジンがかわい子ぶりすぎなのは好みじゃないけどアニメだからこれくらいはこちらが譲らねばならない。ダイジンやサダイジン悪意なの?と思うけどそうでもないらしい。何だよと思うけど、これも太古の神々はイタズラずきでわがままで暴力的と相場が決まってるのでまあ良し。でもさ一番大事なところ、すずめは東北の震災でお母さんを亡くしてる気配だよね?もう大震災起こったあとの世界でしょ?その後にすずめは要石を抜いている。ん?そもそも筋成り立ってなくない?雰囲気重視なのは良いけど、そっち優先するために一番大事なところないがしろにするのって、しかもまだ傷跡も生々しい東日本大震災を描くなら細心の配慮をしてもまだ足りないくらいなのに、こんな片手でこねるような使い方ってちょっとしっくり来なかったです。君の名はほど話題にならなかったのもこの辺りが原因じゃないでしょうかね?
盛りだくさん
草太とともに扉を閉める前編と、草太を助ける旅をする後編
前編で終わるってもいいなと思ったり、
扉の中の世界を充実させる話でもいいなと思った
草太は要石のままでも良かった気もする
鈴芽とのラブにはあまり盛り上がれなかった
地震がテーマなのだから他の閉じ師が出てきてもよかった
もっと日本を世界を救って欲しかった
ところどころジブリのコクリコ坂やもののけや魔女の宅急便やラピュタを感じた
新海誠作品なのにそれでいいのかな
猫のキャラクターやイスのキャラクターはまた別のターゲットを狙っているのかな
廃墟も扉の中の世界も美しかった
映像はとても綺麗
もっともっと暗い気持ちにさせられるかと思った
恐怖を感じさせられるかと思っていた
だけどなんだか盛りだくさんで中途半端に思えた
自分には合わないのだろうなあ
松村北斗君にとっては初の声優、しかも椅子に感情をのせて演技するのは...
松村北斗君にとっては初の声優、しかも椅子に感情をのせて演技するのは難しそうですが、声自体が美しく聴きやすく、変な作為や癖がない言葉が率直に伝わってきて、期待以上の声優ぶりでした。新海監督が安心感を与えて力を発揮できるようにさせて下さったお陰もありましょうし、北斗君の声や技術だけでなく人となりを含めて選ばれた草太さんだったこともあるのでしょうか。とはいえ草太さんに使命感や自己犠牲を感じこそすれ、監督の仰る神聖さはあまり感じられず。確かにこれまでも北斗君の役は、祝詞を唱えたり矢で祓ったり鍵で封じたり英霊になってしまわれたりする何やら神聖な設定で、もれなく眉目秀麗。でも本作の草太さんは「ありがとう」の声やすずめを思い遣る言葉の抑揚に現れる誠実さのみならず、例えば焼きうどんにポテサラトッピングにどんびきする呟きや、何気ないリアクションにコミカルさもあって。登場した瞬間に「きれい…」とJKに頬赤らめさせてしまう「ザ・イケメン」でありながら、どこかおかしみの滲む、そんな草太さんの人物(椅子)造形は北斗君だからこそ表現できたキャラクターのように思いました。監督が北斗さんの不憫さや面白さに気付いて書かれたのか、北斗君という声優を通じて表現がそうなったのか。実際、あて書きとも思える位、人・椅子問わず草太さんの役柄、台詞、動き...様々な場面の草太さんから「私の知る北斗君」が匂い立ってくるようで、それが本当に心楽しくて。そんな役、制作者に出会える冥利を想像して、私まで幸せになるのです。本作を通じて北斗君の幅広い表現力、多様な魅力を多くの人に知って頂けそうで嬉しいです。
お話自体は「鹿男あをによし」や「帝都大戦」などでも親しんできた、人の世に災厄をもたらすものを封じ込めるというSF奇譚的モチーフに、震災の記憶と日本の地方の在り方という社会的テーマを絡めたもの。考察は再見時と原作読了後に譲るとして、すずめの真っ直ぐな逞しさに加え、ヒーロー然としていない草太さんの存在があったから、新海監督作品に私が感じてしまう一種の気恥ずかしさを本作では感じずに、照れや戸惑いなく初見では冒険活劇と成長譚として堪能できたのだと思います。背景にある東日本大震災の描写には被害の少なかった私ですら心の奥の記憶を揺さぶられて涙腺がゆるみそうだったので、仙台で被災した友人に勧めることは躊躇してしまいますが。 想像以上に心躍らされたのは草太=椅子の躍動感でした。椅子アクション史上最高の縦横無尽の動き、ミミズが天に拡がり蠢く様のスケール感は大きいスクリーンで観てこその醍醐味でした。「天気の子」「君の名は」はビスタサイズだったと思うのですが、本作がシネスコのアスペクト比で製作されたのは、その水平方向の拡がりと、北へ向かうロードムービーとしての性質からなのでしょうか。そのためせっかくの池袋の25.8×18.9m IMAXスクリーンで上下に余白ができてしまっていたのだけが残念。12日のTOHOシネマズ日比谷の新海監督ティーチイン付上映はスクリーン12のVIVEオーディオ、13日は夫を連れてTCX+DOLBY ATMOSで、と其々お気に入りのスクリーンで鑑賞するので、見比べ・聴き比べるのも楽しみです。
「すずめの戸締まり」は、私が目撃してきた中でも松村北斗君にとっての大きな転換点に思えるのです。それは内容や実績というよりも北斗君の在り方、受け止め方という点で、理由はこの宣伝期間の映像、写真の表情が、前述のように何か悟りを開いたかのような、すっきりした穏やかなものだったことです。年下の原さんを見守る立場だからなのか、監督はじめとする制作陣に委ねることができたという新しい経験によるものなのか。
6回目は、この物語が欧州でどのように受け容れられるのだろうか、と考えながら観ていました。ある年齢以上の日本人なら日記の日付や陸に高くうちあげられた船等と結びつく震災の被害。事前に説明することなく鑑賞させたとして、震災の記憶が脳の特別な領域を刺激する私達と受取り方はどう違うのでしょうか。ロンドンで参加した東日本大震災のシンポジウムでは、被災地の映像に留学生達も心を大きく動かされたようでしたが、一方でアフリカ出身者が「我々の地域では飢餓や紛争で毎日この程度の人間が死んでいる。欧州は豊かな日本より我々にこそ目を向けるべき」と発言していて、はっとさせられました。現在戦乱が陸続きの国で続いている欧州でこの映画がどのような感情をもって観られるのか。そして、キリスト教文化圏の人々の自己犠牲や利他主義といった要素の受けとめ方にも興味があります。ただ、人種や社会文化背景を問わず普遍的な、幼きすずめに贈られたメッセージ、アニメならではの椅子とダイジンのアクションの痛快さはもちろん、日本の景色、津々浦々の土地の物語、すずめの成長譚、災厄に纏わる奇譚、友情、家族愛、ほのかな恋慕...多様な要素が世界中をきっと魅了するでしょう。ベルリンでは笑い声が多く聞かれたとの事ですが、私もこの作品のコメディ要素とアクションの楽しさが最も好きなので、そこがうけたのかしらと嬉しく想像しています。
違和感がいっぱいで没頭できないストーリー
うーん…
私にはノイズの多すぎる作品でした
劇中ですずめちゃんと草太くんの絆を育んだものが私には見つけられず、命を賭けてまで草太くんを助けたいとするすすずめちゃんの愛情がインスタントに感じられました
猫を追いかけるのに学校を欠席して女子高生が一人でスマホ片手に旅するのも…だったら設定を夏休みにすればよかった
出会う人がみんな女性で家に泊めたり子供を任せたりもそんな上手い話ある?と思っちゃったし、あれだけスマホを使っていてスマホの電源が切れたシーンは一度だけっていうのもね…
ファンタジーだからっちゃそうなんですけど、違和感が強かった
監督はジブリに畏敬があるんだと思いますが、ジブリ作品を思い起こさせるシーンや音楽が多すぎてうんざりするレベル
あなたのジブリ好きを垣間見たくてこの映画を観たわけではないのです
閉じ師も、祝詞は唱えていたものの、力技で戸を閉め鍵を回すだけではなく、何か儀式的な動作を加えたほうが良かったのでは?と思いました
力技にしたことで閉じ師のお仕事の重みが伝わりにくくなった気がします
すずめちゃんの震災孤児設定はいいんですが、東日本大震災の現場につなげたのは悪趣味に感じました
あと子供のすずめちゃん、4歳ですよね?4歳らしい話し方にしてほしかったです
監督のお子さん使ってらっしゃるのかと思う小学生くらいのしゃべり方で不自然でした
絵も良かったし声優さんたちもキャラクターと合っていて良かったんですが、作者が恍惚と自画自賛しているような作品に感じました
というわけで、この作品と私は相性が良くないのだと思いました
女子高校生がイケメンと異世界で暮らすバディものみたいなイメージを勝...
全く興味無く
たまたまTVでやってたので観てみました。
色々とびっくり。
まさか椅子が走るとか、地震の原因がミミズとか、、
もっと難しい話しなのかと思っていたらとてもファンタジーでした。
ハッピーエンドで良かったです。
勧められてみたけど
兎に角、神がかった話
3.11その時、私たちは、。
この傑作映画の為に用意された圧倒的な映像美とテンポの良いストーリー展開、個性的なキャラクターたちとその声優陣。映画としての何もかもに最高点が与えられて良い。
「君の名は」彗星を「天気の子」は異常気象がテーマであったが、それはこの「すずめの戸締まり」を作るための伏線ではなかったのか?と思えるほど地震の存在を大胆な発想と迫力ある映像で描き切ってきっていた。
映画を観終えてからも沢山の印象的な場面が今も私の頭をよぎってくるが、鈴芽が4歳の時の絵日記が3月11日からは黒いクレヨンで塗りつぶされていたシーンからは、私の涙腺は崩壊し、タイトルバックが流れるまで嗚咽を抑えていた。近くにいた方には申し訳なかったが、気持ちはわかってもらえたと思う。
大切な人と観る映画である。
タイトルなし(ネタバレ)
君の名は以来の新海作品をみた。「3.11」をテーマにした作品だというのは途中で分かったが、美しい瀬戸内海の風景など、映像美は素晴らしかったが、物語としては惹きつけられるものが少し不足しているように感じてしまった。
映像美は流石。だけれど...
新海誠監督の作品はある程度見たことがあり、この映画の存在は知っていたが見る機会がなく、かなり出遅れて、Amazonプライム・ビデオにて視聴。
やはり映像が美しい。劇中で実際の日本の風景が出てくるが、自分が愛媛出身なのもあって「あ、この場所見たことある!」という場面もあり、見ていて楽しかった。
ただ、ストーリーに関しては詰め込み過ぎ感があったこと、細かな説明を端折っているところも多く、上手く登場人物に感情移入ができなかった。
主人公のすずめが看護師を志している設定は、もう少し深堀りしてもよいのではと感じた。
おそらく母親が看護師だったから、という理由だけでなく3.11の時に何かあったと推測しているが、そこを細かくストーリー内で描写されていないが故に忘れてはいけないあの日を軽んじているように見えてしまっているのが残念だった。
旅を通して、地方の人達との交流を深めていく描写は良かったように思う。
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