すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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何も調べずに観て下さい。
普段アニメが好きじゃない僕ですが観ましたよ。
初、新海ワールド。
観た時に、観たい映画すべて観てしまい、観る映画なかった事、
『天気の子』がアメリカで上映された時の様子を過去にニュースで観ていて、監督の事を気になっていた事、
テレビで、極楽の加藤さんが、監督に、
“このテーマ”を扱うっていう事は…
ってインタビューしてて、
“このテーマ”が何なのか気になり確かめたくなったから。
結論を言うと、これが大当たり!!
久々に映画で泣いてしまった。
初めて観た日に、すぐ2回目を観たくなり、同日に急遽2回目を観ました。
今までに4回観ていて、最低あと1回は観る予定です(笑)
映画館で流れていた予告を観ていて、
ラブストーリーっぽくてな…
イスが歩いたりとか子供向けだな…
と思ってたけど、
いざ観てみたら、恋愛要素は薄く、子供向けどころか大人向け。
子供が観ても分からないのでは?
名作だと思う。
出会えて良かった!!
まだ、ご覧になられてない方は、ぜひ何も調べずに観て下さい。
エンドロールに歌が流れますが、余韻が凄いので、
映像と音の良いドルビービジョンが、オススメです。
さぼり同士気が合う
女子高生のすずめと椅子になった男が、各地の扉から邪悪な物がでてこないよう全国をまわる話。一応感動作のよう。
新海は狭い描写は上手いが、広いものはそれほどでもないのかもしれない。
今作は「君の名は」と比べるとテーマこそ重いものの、
やりたいことが先行しすぎで詰め込み過ぎ、洗練されておらず浅く粗末な出来である。
そしてややジブリテイスト。
監督自身の「君の名は」の成功に引っ張られ過ぎているのもあるのだろう。
良い点
・芹沢>>草太
・チカやルミのショートストーリー
・絵は基本的に綺麗
・棒読みがほぼ居ない
悪い点
・椅子男が不要なシーンで劇場モード(逆棒読み)
・唐突すぎる変身
・CGの椅子仕様が手抜きにも思える。
・地名を前面に出しすぎ
・猫の心理や能力が雑。幼稚風な仕様は手抜き。
・チカやルミの話を出すまではいいが、シーンの繋ぎが猫任せで苦しい。
・普通に考えて追いつけない無謀な追跡。
・目撃前に何故かカメラを構えている人
・唐突なすずめ任せ
・都合が悪くなると魔法でちゃんちゃん
・悪者のCGや質感に品が無い。手抜き。雑。
・311が記号的な扱い
・謎の猫が唐突に追加。かわいいだけ。
・爺さんの心理描写が唐突
・タマキの心理描写が唐突
・ミノルの扱いが雑
・基本的に登場人物の扱いが雑。
家なら号泣
今年の映画始め。
「君の名は」と「天気の子」は個人的にはダメでした。
この二作で、自分は新海誠アレルギーだと自己診断してしまったので腰が上がりませんでした。
なのでパスするつもりでしたが、何故かふと思い立ち、公開後2か月経ってからようやく映画館へ。
結果、観てよかったです。
パスしなくて本当によかった。
映画館を出てから5時間ほど経った今も余韻から抜けられません。
内容については皆さんがもう既にレビューし尽くしていらっしゃいますので私ごときが今更・・・というところですが
何かを言わずにはいられない、という心境です。
そういうわけで、つらつらと・・・。
しかし、あれですね、たった二本観ただけでその作者を「この人はこう!」と決めつけてはいけませんね。
人生の大損をするところでした。
この傑作が誕生するためには、まずその前に「君の名は」と「天気の子」という○○〇な作品の誕生が必要だったということでしょうか。
(両作のファンの方には申し訳ありません。あくまでも個人的な感想ですのでご容赦ください)
名作「続・夕陽のガンマン」が生まれるためには「荒野の用心棒」と「夕陽のガンマン」を通過しなくてはならなかったように。
(違うかな?合ってるかな?)
ラスト近くのあの場面では、映画館でオッサンが一人で泣いてるのを周囲に悟られないようにするのが大変でした。
長いエンドロール、こういう時は有難い。
家なら号泣でしたね。
この傑作に出会えたことに感謝。
ダイジンは言う、傍観者のままでいいのか。
古事記、日本書紀、
の編纂からはじまり、
寺院庵を造営して鎮魂し、
神社を建立、豊穣息災を祈る。
何の為に、
壮大な政(まつりごと)を、
行ってきたのか。
みみずが出ない為、
ではなく、
みみずは出る、
古今東西、
間違いなく、
絶妙なタイミングで、
出現する、
神戸の東?
太陽の塔?
神田明神?
アキバ?
付近。
100年後、
1000年後、
にも伝えないといけない。
出現した時に、
いや、
出現する前に、
出現に備えて、
あるいは、
出現してしまった場所、
人々に、
こちら側が、
何に耳を傾け、
心をひとつにし、
どのように対応するか。
ではなかったか。
キュゥべえみたいな、
ダイジンは言う、
【人の手で元に戻して】
とは、
どう意味なのか。
人とは?
何を元に戻す?
宮崎駿作品と異音同義、
違う所は、
設定は今のリアルな日本。
なので、
メッセージの強度は、
ジブリより高い、濃い、キツい。
311後の日本、
117を経験した日本人。
すずめにに何を望むのか、
観客全員が主人公、
主人公なら何をするのか。
きゅうべえ、
いや、
ダイジンは何を望むのか。
美しさ、ダイナミックさ、
精霊馬、精霊牛のような、
精霊椅子?
良かった。
唐突すぎて
最初の出会いが唐突すぎてビミョーな感じ。
3.11は題材にしても良い時期なのかな?自分は時期尚早と思うが人それぞれか。
良い音楽だと思うけど映像とのリンクが薄いと感じた。
チビっ子も多数観てたけど理解できてない様子だった。
3度目の災害テーマ
隕石落下・水没・地震と続いています
隕石以外全てこの日本で多くの被害を事実として出しています
このテーマを取り上げて、勇気があるなどのコメントもネットで散見しますが、他のクリエイターは怖気づいたのではなく、気遣って取り上げ無かっただけだと思います
歴史的災害を商業として扱う責任と、観る側の消費者や当事者などへ希望や暖かさや癒しを感じさせる事が出来るのか、自分の力を決して過信しなかったのではないでしょうか?
軽いコメディータッチやアイドルに惹かれるような一目惚れで命すら賭けかねない行動など、未だ多数の行方不明者がいて想いを割り切れない方も多くいるはずです、それを第三者が数字のキリのいい年月が経ったからと勝手に判断したりするのにはまだ時間が足りないでしょう、この題材を、この脚本で、商業として、営業するのは複雑な気持ちです。
せめて収益の大部分を防災や親を亡くした子供達などへ当てる基金など今後あったら素晴らしい事だと思いますしそれなら応援したいですね。
ミミズが雀とイチヤイチやする映画
多分、一ヶ月位前だったと思う。クローズアップ現代で新海誠監督が出演し、本作について自評していた。そこで本人も語っていたけど、村上春樹が随所に出てくる映画かなと。カエルくん東京を救うをモチーフとし、石や扉はハルキストならいつも通りだし、パラレルワールド的なストーリー展開もいつも通り。加えて宮崎駿的な呪詛もミミズとか、草太の唱える呪文に出てくる。そこで私は考えた。鈴芽はミミズと格闘しているとき、あれは実は男とのHをメタファーしてるのではないか、Hこそ生きている根源的な確認だから、村上春樹の影響を受けてるのなら濡場は必須にて。
番組では語っていなかったけど、新海誠はユングや河合隼雄を読んでない訳がない。河合先生の影響も強く滲んだ作品だと見た。番組では3,11を正面から取り上げた様に言われていたけど、私にはそうは思えなかった。または正面から取り上げるとはこういう形、メタファー的な様式、河合隼雄的に言えばナラティブになるのだろうと思う。
私は映画を見たあとしばらくは動けなかった。色んな思いが交錯し過ぎて手足が震えた。バーニングを見たときとは少し違うけど、すぐには立ち上がれない重さがあった。私の心は何にmoveされたのか? 人は誰もがある程度の歳を重ねると心の奥底に硬く蓋をした、澱の様なモノが横たわっているだろう。それを無理やりこの映画はこじ開けているのだ。映画を見ながらその場面にトリップさせられる様な、そういう暴力性にやられたんだと思う。扉が開くとはそういう事だし、それは何も震災に限ったことではなく、誰もが抱えている普遍的なモノだと思う。そして彼は草太と鈴芽とラッドウインプスにこう言わせるんだ。
・この世は仮初めなんだ。
・あなたは生き残ったのだから、自分に与えられた役割を果たしなさい。
・仕事とは、見えない所でやるものだ。
・いつまでも後を向いていても仕方ない。
・明日という日は希望に満ちているはずだ。
・それを可能にするのが物語だし想像力だ。
と。
実に暴利的、暴力的だけど、その尖ったエッジこそが傷ついた人の救いになっているとも思う。陳腐な絆は絆創膏で上書きされるのです。
作品を貫くモチーフに子ども用の椅子があった。3本足の子供用椅子。椅子は最後に草太と再会し、足が生えるんだ。Hな映画ですよ。
追記
一日経って、映画のシーンをまた考えて、こうして書いてしまう。かなり心に引っかかった映画だったんだ。
私のレビューのタイトルは案外、当たってるんじゃないかと思う。これはグロテスクな作品ですよ。鈴芽が叔母とオープンカーで被災地に向かうシーンで、松田聖子が流れた。監督は意図的に使ってると思う。強烈なメッセージだし、暴力的だ。でも、もし50年後に残るとしたら、三部作の中では、この作品かと思う。歴史の風雪に耐えうる映画なのではないか。
本当に怖かった
絵を観るだけでも価値あり!!
前作が全く引っかから無かったので、無興味で(スミマセン)で観てきました。
始まりの30分は完璧です!繰り返しますが、完璧です。私もワクワクでした。ただ、ストーリーが進むにつれて辛い…辛いです。
おっさんの意見を言うと、リアリティが無い(世界観の現実味というよりは、内面の動き的な)ですし、急なキャラの割り込み等々「それいるっ?!」と突っ込み所があり、気になりました。
ただ、東北震災の激烈さ・非情さを知らない世代や人間には響く作品かと思いました。(個人的には、最後の扉を戸締まりの際、地域の心・生活・日常のシーンでグッと来ました。)是非、本作をきっかけに、震災の書籍や映画など見て頂きたいです。
んーー!昨今の原作ありきの中、0から1を作り出す力は凄いなと思います。ただ、1から2以上が不器用なのかなと失礼ながら勝手に思いました。
とは言え、恐らく震災の映像制約の中で、ここまで踏み込んだ作品は無かったと思います。
是非、少しでも多くの少年・少女に映画館で観賞して欲しいです。
映像美!!是非映画館で!!
アニメの醍醐味!
行動背景の描写が薄い
映像も音楽も○だけど…
現実味がなさすぎるのがちょっと
地続きなお伽噺
災害3部作であることは聞いていた。何らかの災厄を鎮めるために扉を閉める旅をするロードムービーであり、魔法をかけられたイスと一緒である。特に新神戸駅が出てくることも知っていた。
さすがに公開から2ヶ月も経っているの否が応でも情報が入り込み、何となくお話がわかったような気持ちでいました。
でも嬉しくも悲しい誤算でした。
冒頭の幼いすずめらしき女の子が彷徨うシーンでは船が住宅地にある荒んだ光景。あれ?これは311と関連しているのか?とぼんやり考えてました。
しかし、目が覚めると宮崎の田舎街。
そこから始まるロードムービー。
愛媛、神戸、東京。家出娘を助けてくれる街の人々は素晴しく優しい愛のある人達。出逢ったばかりのすずめにこれでもかと言わんばかりの愛情を注いでくれる。
そしてついに常磐道ルートで北へ向かう。
恥ずかしながら、サービスエリアの件で12年の歳月というキーワードが出てくるまではこの物語が我々の世界と地続きであることが認識できませんでした。
意識して観るとこれはすずめの成長譚であり、あの災害で多くの喪失を抱えた方々への応援メッセージであろうと。
新海誠監督のいう災害3部作、これにて完結なのでしょう。
音楽映像は素晴らしかったですが、結局、すずめにとって要石とは何だったのか?
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
※少し修正加筆しました
この映画『すずめの戸締まり』の鑑賞後は、素晴らしい映像と音楽の映画で、ある水準を超えた面白さのある映画だと思われました。
しかし、(もしかしたら多くの人もそうだったかもですが)では『君の名は。』のような傑作だったかというと何かが足りないと個人的には思われました。
この映画『すずめの戸締まり』の主人公の岩戸鈴芽/すずめ(声:原菜乃華さん)は、映画では瑞々しい性格の良い人物として描かれています。
しかし見終わった時に、この映画の内容としてすずめをこのように万人に肯定されるキャラクターとして本当は描いてはいけないのではないか、とは思われました。
ところで、なぜ要石だった(猫の姿をした)ダイジンをすずめは外してしまったでしょうか?
この理由が明確に描かれていない、その理由の描写から目を逸らしているところにこの映画『すずめの戸締まり』が傑作になり得てない要因があるように思われています。
ではすずめが、要石の(猫の姿をした)ダイジンを外してしまった理由は何なのでしょうか?
この映画では明確に描かれていませんが、個人的な解釈としては、実は潜在的にすずめは<要石を外したかった>と考えれば、この映画の背後に潜む一貫性をうかがえると思われました。
要石がすずめに外されることによって、ミミズが地上に現れて、そのミミズの柱が倒れることで地震が引き起こされます。
しかしその地震(災害)の要因であるミミズをすずめ以外の(あと閉じ師の宗像草太(声:松村北斗さん)ら以外の)、すずめの友人や周り含めた一般の人々は見ることが出来ません。
このことは何を暗喩しているのでしょうか?
この災害の要因であるミミズを見ることが出来ない一般の人々は、過去の震災での被害を忘れた一般の人々の暗喩であると考えれば合点がいくと思われます。
つまり、すずめにとって、ミミズを見ることが出来ない過去の震災を忘れた周りの人々は、震災で母を亡くしたすずめとは断絶した関係性の人々であるということになります。
そんなすずめが、震災を忘れている周りの人々に再び自身と同じ傷を負わせたいと潜在的に考えていたとしたら‥
潜在的に望んでいたからこそ要石をすずめは取り外すことが出来、その潜在意識によってすずめが再びミミズを地上に発生させたのだとしたら‥
俄然この映画は違った映画として解釈され直すと思われます。
そんなバカな‥と思う人がほとんどだと思われますが、すずめは要石を潜在的に取り外したかった、すずめはミミズを復活させて災害被害を再び周りに浴びせて母を亡くした自分と同じ傷を震災を忘却している周りにも負わせて共感させたかった、と解釈し直しても、驚くべきことにこの映画は同じストーリー展開で成り立ってしまうのです。
すずめが、ミミズを復活させて災害被害を再び周りに浴びせて母を亡くした自分と同じ傷を震災を忘却している周りにも負わせて共感させたかったと潜在的に思っていたのならば、なぜ要石だったダイジンがすずめによって外されて、そのダイジンがすずめのことが「好き」なのか良く理解できます。
そしてすずめが潜在的にミミズを復活させたかったと解釈すれば、ダイジンがすずめにさらに好まれるため行く先々で後ろ戸を開けてミミズを復活させていた、というダイジンの行動の理由もはっきりします。
すずめは東京に行った時に、100万人の死者を出すか宗像草太を要石にしてミミズ(災害)を食い止めるかの選択を迫られます。
そしてすずめは迷った末に宗像草太を要石にして100万人の死者を出す災害の方を食い止めます。
この選択も、(実際はそうしませんでしたが)潜在的には100万人の死者を出しても大切な1人の方を救った方が良いのでは、とのすずめの潜在意識が見え隠れします。
事実、新海誠監督の前作の映画『天気の子』では、たとえ東京が水没しても、主人公の森嶋帆高(声:醍醐虎汰朗さん)にとって大切な1人の天野陽菜(声:森七菜さん)が助かった方が良いのだとのラストでした。
この映画『すずめの戸締まり』はものすごくイジワルな解釈をすれば、潜在的にはテロリズムの無意識が根底に流れています。
そして、その潜在意識を否定するために、人々と出会うロードムービーなのだ(ミミズを封じる閉じ師である宗像草太との出会いなのだ)と考えても全く成り立つストーリーなのです。
その解釈に従えば、すずめにとって震災の傷を忘却しているその他大勢の人々は、自分と同じ傷を浴びせられれば良いとの潜在意識の解釈になります。
そして、そのテロリズム的な潜在意識は実際は間違いなんだと、ミミズを封じる閉じ師である宗像草太との出会いや、ダイジンを追う旅の途中で出会った、具体的に生活を営んでいる様々な人々との交流によって、すずめに対しロードムービーとして示されるストーリーになっています。
こう考えるとゾッともする1段深い映画になっていると思われます。
しかし、これは潜在的にそう解釈できるというだけで、実際はこのように映画『すずめの戸締まり』は描かれてはいません。
あくまですずめは気持ちの良い瑞々しい人物として描かれ、要石のダイジンがなぜすずめによって外されたのかの理由も示されません。
このことが、
結局これ何の映画だったの?
良く考えたら要石を外したのはすずめで、それを元に戻すだけの、1人相撲で大騒ぎになってる映画にしか観客にとってはなってないんじゃないの?
という釈然としない感想も残る映画にさせていると思われています。
それは、この映画で表現されてしまっている暗い潜在意識から、新海監督が目を逸らせてしまっているのが理由だと、個人的には思われてはいます。
私個人は、いまだにセカイと私(あるいは大切な1人)とを単純に分けてしまう世界描写に大きな違和感を感じています。
初めから周りにいる具体的な人々の重層された心の深層を踏まえ、さらにそこから関係性を深める必要があると思われています。
人は表層で一見侮れる部分が見えたとしても、その背後に抱える矛盾は複雑で、どんな人も侮ってはいけないと思われます。
そして現実では、ミミズはちゃんとほとんどの人々には本当は深層では見えているのです。
そこへの眼差しを忘れてはいけないのだとこの映画を見て逆に思われました。
映画自体は、そこまで要求しなければ、映像と音楽の質の高さだけでも見る価値がある素晴らしさある映画だとは、一方では個人的にも思われました。
やはり😂
面白かったです
情報を入れずに見たけど面白かったです。
絵がきれいで、美しい。
新海誠監督の映画は間違いないね。
でも、『君の名は』『天気の子』とみたけど、なんだかおんなじ流れの映画に思えるな。
(面白かったですけど)
また、震災とからます内容はもう、やだな。
全く違うパターンの震災と絡ませないのをお願いします。
ジブリへのオマージュが随所に
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