すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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音楽映像は素晴らしかったですが、結局、すずめにとって要石とは何だったのか?
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
※少し修正加筆しました
この映画『すずめの戸締まり』の鑑賞後は、素晴らしい映像と音楽の映画で、ある水準を超えた面白さのある映画だと思われました。
しかし、(もしかしたら多くの人もそうだったかもですが)では『君の名は。』のような傑作だったかというと何かが足りないと個人的には思われました。
この映画『すずめの戸締まり』の主人公の岩戸鈴芽/すずめ(声:原菜乃華さん)は、映画では瑞々しい性格の良い人物として描かれています。
しかし見終わった時に、この映画の内容としてすずめをこのように万人に肯定されるキャラクターとして本当は描いてはいけないのではないか、とは思われました。
ところで、なぜ要石だった(猫の姿をした)ダイジンをすずめは外してしまったでしょうか?
この理由が明確に描かれていない、その理由の描写から目を逸らしているところにこの映画『すずめの戸締まり』が傑作になり得てない要因があるように思われています。
ではすずめが、要石の(猫の姿をした)ダイジンを外してしまった理由は何なのでしょうか?
この映画では明確に描かれていませんが、個人的な解釈としては、実は潜在的にすずめは<要石を外したかった>と考えれば、この映画の背後に潜む一貫性をうかがえると思われました。
要石がすずめに外されることによって、ミミズが地上に現れて、そのミミズの柱が倒れることで地震が引き起こされます。
しかしその地震(災害)の要因であるミミズをすずめ以外の(あと閉じ師の宗像草太(声:松村北斗さん)ら以外の)、すずめの友人や周り含めた一般の人々は見ることが出来ません。
このことは何を暗喩しているのでしょうか?
この災害の要因であるミミズを見ることが出来ない一般の人々は、過去の震災での被害を忘れた一般の人々の暗喩であると考えれば合点がいくと思われます。
つまり、すずめにとって、ミミズを見ることが出来ない過去の震災を忘れた周りの人々は、震災で母を亡くしたすずめとは断絶した関係性の人々であるということになります。
そんなすずめが、震災を忘れている周りの人々に再び自身と同じ傷を負わせたいと潜在的に考えていたとしたら‥
潜在的に望んでいたからこそ要石をすずめは取り外すことが出来、その潜在意識によってすずめが再びミミズを地上に発生させたのだとしたら‥
俄然この映画は違った映画として解釈され直すと思われます。
そんなバカな‥と思う人がほとんどだと思われますが、すずめは要石を潜在的に取り外したかった、すずめはミミズを復活させて災害被害を再び周りに浴びせて母を亡くした自分と同じ傷を震災を忘却している周りにも負わせて共感させたかった、と解釈し直しても、驚くべきことにこの映画は同じストーリー展開で成り立ってしまうのです。
すずめが、ミミズを復活させて災害被害を再び周りに浴びせて母を亡くした自分と同じ傷を震災を忘却している周りにも負わせて共感させたかったと潜在的に思っていたのならば、なぜ要石だったダイジンがすずめによって外されて、そのダイジンがすずめのことが「好き」なのか良く理解できます。
そしてすずめが潜在的にミミズを復活させたかったと解釈すれば、ダイジンがすずめにさらに好まれるため行く先々で後ろ戸を開けてミミズを復活させていた、というダイジンの行動の理由もはっきりします。
すずめは東京に行った時に、100万人の死者を出すか宗像草太を要石にしてミミズ(災害)を食い止めるかの選択を迫られます。
そしてすずめは迷った末に宗像草太を要石にして100万人の死者を出す災害の方を食い止めます。
この選択も、(実際はそうしませんでしたが)潜在的には100万人の死者を出しても大切な1人の方を救った方が良いのでは、とのすずめの潜在意識が見え隠れします。
事実、新海誠監督の前作の映画『天気の子』では、たとえ東京が水没しても、主人公の森嶋帆高(声:醍醐虎汰朗さん)にとって大切な1人の天野陽菜(声:森七菜さん)が助かった方が良いのだとのラストでした。
この映画『すずめの戸締まり』はものすごくイジワルな解釈をすれば、潜在的にはテロリズムの無意識が根底に流れています。
そして、その潜在意識を否定するために、人々と出会うロードムービーなのだ(ミミズを封じる閉じ師である宗像草太との出会いなのだ)と考えても全く成り立つストーリーなのです。
その解釈に従えば、すずめにとって震災の傷を忘却しているその他大勢の人々は、自分と同じ傷を浴びせられれば良いとの潜在意識の解釈になります。
そして、そのテロリズム的な潜在意識は実際は間違いなんだと、ミミズを封じる閉じ師である宗像草太との出会いや、ダイジンを追う旅の途中で出会った、具体的に生活を営んでいる様々な人々との交流によって、すずめに対しロードムービーとして示されるストーリーになっています。
こう考えるとゾッともする1段深い映画になっていると思われます。
しかし、これは潜在的にそう解釈できるというだけで、実際はこのように映画『すずめの戸締まり』は描かれてはいません。
あくまですずめは気持ちの良い瑞々しい人物として描かれ、要石のダイジンがなぜすずめによって外されたのかの理由も示されません。
このことが、
結局これ何の映画だったの?
良く考えたら要石を外したのはすずめで、それを元に戻すだけの、1人相撲で大騒ぎになってる映画にしか観客にとってはなってないんじゃないの?
という釈然としない感想も残る映画にさせていると思われています。
それは、この映画で表現されてしまっている暗い潜在意識から、新海監督が目を逸らせてしまっているのが理由だと、個人的には思われてはいます。
私個人は、いまだにセカイと私(あるいは大切な1人)とを単純に分けてしまう世界描写に大きな違和感を感じています。
初めから周りにいる具体的な人々の重層された心の深層を踏まえ、さらにそこから関係性を深める必要があると思われています。
人は表層で一見侮れる部分が見えたとしても、その背後に抱える矛盾は複雑で、どんな人も侮ってはいけないと思われます。
そして現実では、ミミズはちゃんとほとんどの人々には本当は深層では見えているのです。
そこへの眼差しを忘れてはいけないのだとこの映画を見て逆に思われました。
映画自体は、そこまで要求しなければ、映像と音楽の質の高さだけでも見る価値がある素晴らしさある映画だとは、一方では個人的にも思われました。
やはり😂
面白かったです
情報を入れずに見たけど面白かったです。
絵がきれいで、美しい。
新海誠監督の映画は間違いないね。
でも、『君の名は』『天気の子』とみたけど、なんだかおんなじ流れの映画に思えるな。
(面白かったですけど)
また、震災とからます内容はもう、やだな。
全く違うパターンの震災と絡ませないのをお願いします。
ジブリへのオマージュが随所に
10年後ぐらいに評価されそう
3.11を取り込むことの是非
当たり前の日常に気づかされる
御還し申す
イケメンだと全てがうまくいく
絵は綺麗でよかったです。
でも、君の名は。の時のほうが何気ない街角がこんなに美しく見えるのか!という感動がありやした。新海監督作品初めてだったからか?
椅子の動きとかも可愛くてよかったです。
ストーリーはよくわからんです…
ツッコミどころ満載… 僕の見落としもいっぱいあるんでしょうけども。
震災扱うにしては、なんか雑な気がする…
最後のソウタのメッセージには共感するし、その通り!って思うけど、なんかそこに繋がるストーリーになってない気がします。
借りてる命ではあるけど、死はいつも隣にあって、それを忘れて生きちゃってるけど、、いつかはお返しするものではあるけども、それでも、1日でも一瞬でも長く生きていたい!!
言ってることは最高。納得感は薄い。
すずめのトラウマ具合もそこからの再生、成長もあんま見えない。閉じ師のあの技のごとく、とにかく力技で閉じてしまえば全て上手くいってチャンチャン、ラッドの曲と綺麗な絵で最高ウェーイ、という映画…に見えた。
以下、気になったこと。
え、じゃ、3.11の時は戸締まり失敗したんですか?
え、あんなけ嫌がった要石になる!というお役目は、ウダイジン、サダイジンなら別にいいや〜思い入れないしイケメンでもないし〜ってこと?
以下、ちょっと気になったこと。
・叔母さんのブラックな面は黒猫がなんか干渉したのかと思ったけど、本音なの?だとしたら自転車ニケツしたくらいじゃ仲直りできないと思う。黒猫のせいなら、なんでそんなことするのかわからん。
すずめの負い目が生んだ幻想ならよかったのに。
・結局要石はどこに刺してもいいん?時代にあった刺すべき土地があるって言ってなかった??
・黒猫はなんで抜けてんの?
・要石抜けなくてもミミズって出るの?どの規模なん?
え、やたら叫ぶけど、閉じる原理はパワーなん?筋トレしたらいいん?
・閉じ師と教師の両立キツくない?婚活する暇なくない?そうするとこの代で閉じ師終了やん…あ、だからイケメンなんか!
・いつの間に死生観変わるくらいソウタとすずめ関係深まったん?たしかに色々ありながらの旅だったけど、、、んんん なんかちょっとナンパに見える。
それは僕がイケメンに嫉妬してるせいかもしれないですが。
白猫がまどマギのキュウベイっぽかったのはよかったです。
RADWIMPS好きな人にオススメです!
デリカシーに欠ける作品
あくまでファンタジー、青春成長譚としては悪くない作品でした。相変わらず、映像美も素晴らしい。ただ、東北地方、神戸、東京の震災(特に前の二つ)を体験、体感した世代には、軽々と取り上げる本作はデリカシーに欠けると言わざる得ません。それを取り上げる野心は良しですが、まったく感情移入できませんでした。
追伸: ちょうどハウルを改めてみました。扉の向こうの世界が異世界なのは古今東西あれど、ジブリがヒントなのかな?新海さんには少しガッカリ。
見てよかった。新海作品でいちばん好き。
素晴らしい。
見てよかった。新海誠は天才だと思う。とか言って、新海作品3本しか見てません。
『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締り』三作とも災害に巻き込まれる男女のお話で、それでいて今作に限って超自然的なキャラクターが登場する。大臣と左大臣だ。(ちょっと記憶が定かではないので、登場人物の名前とかはいい加減です、お許しください)いちおう実体として存在するし、誰にでも見える。ゆえにツイッターに投稿されたりする。これがストーリ上、重要な設定になっているし、大きな飛躍だと思う。
アニメではロードムービーは珍しいと思う。行く先々の風景や、映りこむ車までリアルに描き込まれている。もはや実写作品を越えてしまっている。
宮崎を出発点にしていたり、岩戸という姓も間違いなく日本由来の神話世界を意識してのものだろう。それが見事に現代社会とリンクしているので、まるで身の回りで起きた出来事のように入ってくる。
いろんな企業や団体も巻き込んで、いまやジブリ以上の映画プロジェクトと化したのではないだろうか。その影響力は大河ドラマ以上かもしれない。ファンタジーと日常のはざまを描くアニメと言えば、宮崎駿~細田守~新海誠の系譜で語る人もきっと多いのではないだろうか。いずれも現役であるが、登場順に並べさせてもらった。たぶんどこかが欠けてもこの作品は生まれていないと思った。
不満もある。大きいところではメインのイス。あれは居なくてもよかったんじゃないかと。母娘の絆を描くのは他の形でも出来ただろう。結局最後までそこはぬぐえなかった。大臣が活躍すればそれでよかったのに、どうしてもボーイミーツガールの要素が必要だったのだろうか。イスがぴょこぴょこ走りまわっているのは絵的に面白いし、確かにネコに何か神秘的な力が宿っている設定は説明なしでもしっくりくる。でもそれがふたつもすずめにくっついてくるのはくどい。
本当に些細なことだが劇中登場曲もふんだんに使用され、許諾にそれなり予算も掛かっている様子だった。どうせなら増田恵子の歌った『すずめ』を使って欲しかった。中島みゆき作なので今なら彼女が歌い直すのもアリだと思うのだが、これだけ大掛かりなプロジェクトなら当然誰か提案したはずなので、やっぱり監督が却下したのだろう。
なんにしてもいい映画だった。すごくいい時間を過ごせた。しあわせだ。
震災現場巡り、、、
自然な不自然ではなく不自然な不自然
絵は、とても綺麗でした。
ひび割れた道路やガードレール、細かい部分がリアルに描かれていました。
ただ、ポスターなどにも使われている「常世」の中の紫がかった綺麗な星空については、物語上あまり意味はなく、ただ描きたかっただけではないでしょうか。
青に紫混ぜて星を散りばめれば誰にでも綺麗に見えるし、新海誠っぽくもなるんでしょうが、物語とあまり関係がないとなると安っぽく見えてしまいます。
内容は、非常に浅いストーリーで展開もめちゃくちゃ、残ったのはもやもや感と気持ち悪さでした。
120分の映画の中で、何度も「そうはならないだろ」と突っ込みたくなるシーンがありました。
冒頭、すずめが通学途中に、超がつくほどのロン毛、ロングコートにブーツの明らかな不審者である草太を見かけて「きれい」と一言(もしかしたら海に向かって言ってた?)、そして一目惚れ。草太は、すれ違った女子高生に「この辺りに廃墟はないか?」と声をかける。
すずめは、一目惚れした草太と草太に廃墟を案内してしまったことが気になり、学校に行くのをやめて廃墟へ行き、物語が展開していくわけですが、その後も、最後まで違和感満載でした。
震災をテーマにした点は、リスク承知で突っ込んだのだと思いますが、結果は失敗だったと思います。
私個人は、震災だろうと何だろうと取り扱ってもいいと思います。
しかし、慎重に取り扱うべき項目であり、これを取り扱う以上、軽視しているという批判は付き物で、被災者を傷つける可能性があることを承知の上で取り扱うべきだと思います。
私が映画を見て抱いた感想は、東日本大震災は人間のせいで起きたと言われているようでした。新海監督の意図は分かりませんが。
昔は栄えていた温泉街、人が住まなくなった地域の学校、廃遊園地などに後ろ戸がありましたが、昔は人間が持てはやしていたが過疎化し、人間がその地域を捨てて放置したたため災害の原因となる後ろ戸が生まれた。
東北はそのような地域ではありませんが、何か人間に原因があり、東日本大震災もそうだったと言われているようでした。
それを、女子高生が、一目惚れしただけの草太を助けるために再発させようとしたり、猫が災害で人が死ぬのを喜んでいたりと、これを見て傷つく方はたくさんいるのではないでしょうか。
まとめると、隕石や雨や地震などの自然現象は、世間の知らないところで可愛い女の子やイケメンが代々制御してきたんです。っていう話です。
最後まで魅入った。
人間も、椅子の寝相も、昭和の歌も、転がるみかんも、芹澤の車も、猫も、街並みも、魅力的で愛すべきものに溢れていた。近くの席の知らない子どもが、ダイジンが見つかったとき興奮のあまり「いたー!」と思わず声を出してしまったのも含めて愛おしかった。入場者プレゼント、環さんの小説も沁みた。
で、この映画、新海誠監督の作品で、『君の名は。』と『天気の子』は観たことがあって、なんだかやたら映画館でかかっているからちょっと観てみようぐらいの軽い気持ちで観たのだ。ここにレビューを書く人はみんな映画の知識が豊富な方ばかりだから、ウソだと思われそうだけど、『すずめの戸締まり』というタイトルから、雀(鳥)が主人公のほのぼのした映画だと想像していた。見始めてすぐ、あ、すずめって、人間だったのかと、ビックリ。そして、私にとっては結構ホラーな内容だった。無知はこわい。「地震描写および、緊急地震速報を受信した際の警報音が流れる」という注意喚起も、観終わった後に知ったのだ。警報音、苦手。映画の世界と分かっていても、心臓がバクバクしてしまう。貴重品を手に逃げ出したくなるのだ。という理由で、星ひとつ減らしました。なんかすみません。
松村北斗目当てで行ったけれど…
タイトル通りです。
目当てはもちろん松村北斗でしたが、
話とても面白かったです。
新海監督の作品は君の名はのみ視聴していましたが、あの作品は少し品のないシーンがあって若干不愉快でしたが、今回はそういうシーンがなく、見やすかったです。大移動を繰り返したすずめの経済力には少し驚きました。
北斗が現実世界だけではなく、役柄でも不憫なのは本当に面白くて可愛らしかったです。声も良いと元々評判でしたのでここ最近のお仕事の中で一番ハマり役だったのでは?と感じました。
最終的には、草太が要石になったままバッドエンド…でもよかったですが、やっぱり救われた方が気持ちいいもんね。良かったです。
神木くん、やっぱり素敵だなって思いました。
眼差しを感じる作品
ずずめの戸締り
わかりやすくしたジブリ。魔女宅でありハウルでありもののけでありポニョであった様な気がするし、廃墟のシーンでは千と千尋へのリスペクトも感じた。
物語の核となるものは、3.11。
ヒロインの達観したかの様な生死感は、3.11をどんな形であれ、サバイブした方々へのメッセージか。とにかくこのメッセージには、大きな喪失を経験した方々への、監督の眼差しを感じた。
「大変だったね」というのは簡単だ。
「かわいそう」で思いとどまるのは、共感への防衛反応だ。
日常は常に前に動いている。だから大きな喪失を持った人も日常に巻かれて、さも普通のように生活している。
今一度、当たり前だった「いってらっしゃい」を噛み締めたくなる作品。
要石は人の大きな思いで差し込んでいるららしい。
簡単に抜けるということは、人々の思いの風化への警鐘か。
「お帰りなさいなさい」で物語が締まるのは希望や救いか。
画面の美しさもさることながら、無駄なシーンが無い。
前作よりカメラワークに動きが出た印象。
長く愛されてほしい作品だし、監督にはどんどん新しい作品を作ってほしい。
当たり前なことなんてない
映像の美しさ、迫力に鳥肌が止まりませんでした。
コミカルでクスッと笑える場面もあり、バランスがとてもよかったと思います。
ラストのシーンで主人公2人のセリフは胸を打つものがあり、心臓を撃ち抜かれたような気持ちになりました。
特に草太の「生きたい、まだ死にたくない」というセリフは3.11の時の誰かの想いだったのかもしれないと思うと、涙が溢れました。
震災当時のことを思い出し、何もしなかった、できなかった自分の無力さ、今ある命の尊さ、を感じずにはいられませんでした。
自分の人生がいつ終わるのかは誰にもわかりません。
だからこそ、何気ない日常を大切に生きていきたいと心から思わせてくれる映画でした。
この映画を観終わった後、少し世界を見る目が変わるかも知れません。
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