「現時点での新海作品集大成、美しい祈りと希望。ジブリオマージュほほえましい」すずめの戸締まり mary.poppinsさんの映画レビュー(感想・評価)
現時点での新海作品集大成、美しい祈りと希望。ジブリオマージュほほえましい
素敵でした。世界の美しさに感動しました。『君の名は』『天気の子』よりもシンプルでまっすぐ伝わる話です。優しく切なる願い。深海監督、素敵な映画をありがとう。忘れたくても忘れちゃいけない消せない事、大切に寄り添ってくれてありがとう。
『君の名は。』は大ヒットした一方で「震災を無かったことにするな」と強く批判されたそう。その批判を受けて『天気の子』では新海監督の鬱憤や社会批判をつめこみ、世間に受け入れられずさらに批判されたようです。環境問題を抱えた未来を生きる思春期の少年少女へのエールが、世間の多くの人々にはあまり伝わらなかったみたい…。それでもなお、監督は今作で「震災を体験していない東京の人が綺麗事を言うな」と世間から批判されることを、受けて立つ覚悟をもって、震災を忘れ風化させてはいけないこと、希望をもって生きること、まっすぐにメッセージを届けてくれました。日本人なら3.11を無視してはならないと思います。当時を知らない子供達、次世代の命に伝えることは大切です。たとえ批判され酷評されても…。生半可ではないその真摯な覚悟に胸を打たれました。
「たとえ命はかりそめでも、つねに死と隣り合わせとわかっていても、私達は生きたい、あと一年でも1日でも…」それに尽きます。綺麗事なんかじゃない。自分事としての切なるエール。心こめたメッセージでした。死ぬことなんか怖くない、といつも即答していた、喪失感をいつも抱えていたすずめが、人を好きになって「死ぬのは怖い、もっと生きたい」と言えるようになったことが胸に残ります。
星空の美しさは新海作品の醍醐味ですが、今作では現実の震災での「何も無い闇夜、星空が綺麗すぎた」被災者の話を思い出し、リアルで切なかったです。ファンタジー映画でありながら、あの震災の中で「常世」に迷い込んだ(生死をさ迷った)のは現実味があります。
廃校になった中学校、閉園した遊園地、人々の楽しい記憶や人生の大切な場面がつまった場所が無くなってしまうのは悲しい。「場所を悼む人」がいてくれるなんて、素敵なこと。新海監督のその発想、優しい。
一人旅する草太さんの背景は語られないけれど、家族は育ての親であるお爺さんだけ。両親は、草太さんもまた何らかの災害で失くしたか…あるいは、家業の果てに要石や楔となったか…。孤独に生きながら、各地の廃墟を悼む 心優しき人。叶うならば、「いつか消えてしまうかもしれない大切な場所を…」と焦りながらも、上手く伝えられず就職面接に落ち続けていた『君の名』の瀧に、君の願いを、こんな戦い方で守っている人もいるよって、いつか教えてあげたい。建設業の街作りを通して、守ろうとめざす瀧。映画を作って人々に伝えようとする監督。さまざまな戦い方、生き方で、消えゆく街の風景を守ろうとする人がいる。左大臣に敬意を払うお爺さん、深みがありますね。
戸締まりは日常的な行動で、壮大なファンタジー映画のタイトルとしては妙に感じるけれど、戸締まりは自分の大切なものを守るための行動。毎日の日常のすぐ隣に、一瞬で街が消えるほどの巨大な災害が存在することは現実。
行ってきます、といつもの挨拶を交わして、そのまま二度と帰らなかった人々の姿、涙が出ました。だからこそ、同じ言葉を告げて扉に鍵をかけたすずめの姿に、過去のつらい記憶に鍵をかけ(忘れるのではなく、大事な自分の一部として心の奥に刻んで) 前に向かい進んで行く、強い決意を感じました。忘れないまま生きて行く、勇気をもらいました。
今作はとても日本的な話だと感じます。ミミズは、日本人なら誰もが知るナマズの地震と重なるけれど、悪とみなさず「何の意思ももたずただ暴れる存在」であり、退治するのではなく、ただ鎮めるのみ。「どうかお願いします」と左大臣に祈る。自然に対するその態度はまさに古来日本的です。人間にとって悪ならば対峙し支配しようとするのがキリスト教的欧米の考え方。さっきまで敵のように見えた猫を「この猫、なんか神様なんだって」と受け入れてしまう、自然に神が宿ると神道を信じる日本人の感覚、唯一神教の海外ファンには理解できないだろうけれど、感じとってもらえたらと願います。
公開前に予告映像を見た時、最初、いすが動いたり喋ったりするネタは、古い児童文学「2人のイーダ」を連想しました。小さい女の子と戦争の記憶の物語。新海監督がモチーフとして意識したかどうかわかりませんが、もしかしたらご存知の上でかもしれません。戦争の記憶も、風化してはならないもの。今の幸せと平和を壊さないために。
ミミズ暴走はタタリ神のようにも見え、草太の「かしこみかしこみ…」の台詞から『もののけ姫』を思い出しました。
実際に映画を見てみたら、随所にジブリ作品を彷彿とさせられる場面がたくさんあり、ジブリファンとしては嬉しい♪宮崎監督へのリスペクトを感じました。
椅子をとなりに座り込む鈴芽の座り方が『耳をすませば』の雫と同じ座り方だな~と思っていたら、その直後に猫が電車に乗る写真がTwitter拡散される場面に『リアル耳すま』と表記。
凍っていく草太にキスする画面は、鳥化物になり果てたハウルにキスする画面に似ています。
『ルージュの伝言』が流れて魔女宅だな~と思っていたら「旅立ちにはこの曲でしょ、なんか猫もいるし」の台詞、クロネコヤマト宅急便のトラックとすれ違う、明らかに『魔女の宅急便』をオマージュ。真っ赤なスポーツカーでタバコふかし「借金とり」のセリフは 『 紅の豚』のモチーフ。広い田舎の風景(かつて震災にあった場所)を眺めてタバコ吸うのは『風立ちぬ』かな。敵味方のわからない猫や環などみんな芹沢の車に乗せて行くのはハウルの既視感、「人の手で元に戻してほしい」という左大臣のセリフは、もののけ姫の「人の手で返したい」に通じます。ミミズが地上に倒れる姿はもののけ姫の首を失くしたデイダラボッチに似ているし、最後の「会いに行くよ」もアシタカと同じ台詞。
ダイジンと左大臣が巨大な狼に変化する姿は、千と千尋のハクに似ています。特に、鈴芽を守って変化し落ちて元の姿に戻る映像。鈴芽の制服の袖、白に緑線2本は千尋の服の袖に似てる。美味しそうな食事場面もジブリを彷彿とさせます。
などなど、挙げればきりがないほどですが、「昔から宮崎駿監督の作品が大好きだったし、憧れつつも越えなければならない存在だけど、宮崎監督からは大いに影響を受けて、血肉にしていますよ!」と監督に笑顔で宣言しているような感じがして、ほほえましいです。
新海作品同士のつながりを見ると『君の名は。』は『秒速』『ほしのこえ』の悲恋を成就させ『彼女猫』の猫視点の画面が目立つ作品でした。『天気の子』の後半は『君の名は』と表裏一体を成す、似た展開でした。
『すずめ』は『星を追う子ども』のテーマ「それは、さよならを言うための旅」とつながります。愛する人に会うため死者の国へと旅し、鎮魂とさよならがテーマの物語、同じです。『すずめ』は、過去を胸に抱きつつもさよならを越えて、より前向きに「行ってきます」と未来を向く希望の物語でした。幼い頃にすずめが土に埋めた宝箱タイムカプセル、クッキー缶のふたに『Agartha』の文字、アガルタは『星を追う子』で冥界⋅あの世を意味する言葉、常世と同じです。『星を追う子』はジブリの「パクり?」と酷評もされましたが、それでも今回、堂々とジブリへのオマージュを示している点、もうあとどれだけ生きてくれるかわからない宮崎監督への感謝のメッセージがこめられていると感じます。色々な点で確かに現時点の集大成でした。
廃校になった中学の記憶風景、登校する中学生達の後ろ姿、最後に「昨日のお客さんめっちゃイケメンやってん」とはしゃぐショートボブの少女は千果だったのでしょう。こういう細かい書込みを見つけるの楽しい。ルミの車は25(双子)、芹澤のアルファロメオは630(ロミオ)とかね。
公開前の情報で、主人公の名前が「岩戸すずめ」だと知り、きっと「天岩戸の伝説」に由来する名だな、と思っていました。語感が似てるから「あめのうずめのみこと」とも関連しているのかな~と思っていたら、大正解でした♪
昔話「すずめのお宿」もモチーフで 家庭をテーマにした作品かな、と思っていたけど、これは関連無いようですね。
ダイジンは、態度の大きさからいつのまにか大臣と呼ばれそのまま定着した名前だけど、すずめが小さい頃に埋めたタイムカプセルのお菓子の缶に大きく書いたペンの字「すずめのだいじ」(なもの、が書ききれなくなっちゃった~っていう子供らしさ)を見て、ダイジンは本当は、大臣や大神なんかじゃなく、誰かの大事なもの、になりたかったんだな~と切なくなりました。単なる言葉遊びのだじゃれ…いや、日本へ古来より、言霊のさきはう国ですから、そういう複数の意味をこめて名付けるのはよくあること。
草太さんは、とても優しくて、年下にも敬語で話す礼儀正しい人。草太という名には「大事な仕事は目立たない方がいい」という考えに通じるものがありますね。芹沢も本当に受容する器の大きい優しい人。2人とも教員志望な点、監督は「激務で薄給な教員を志望する若者が激減」な現実の中、この世界の希望を描こうとしたのでは。「あなたは大丈夫!」と幼いすずめに呼びかける言葉とともに。『天気の子』でも監督が一番 少年少女に伝えたかった(けれど世間には届かなかった)「大丈夫!」の言葉を再び、届けと強く願って。
新海作品の中で今作が素直に一番好き。また映画館に見に行きます♪
気になる点といえば、すずめが東京弁なこと。素直な子だから、幼少期は東北弁→今は12年暮らした宮崎の九州弁に染まっているのが自然。主役は標準語のほうが 日本人の大半が主役に感情移入しやすい、だろうけど…他のキャラは方言だからすずめも方言の方がリアルだな。それと日記の黒、幼児はクレヨンであんなきれいに均等に色塗れない。隙間あり紙は折れ曲がり破けたりするはず。の2点だけ気になります。
最初はダイジンが悪役に見えたけど、要石として長年孤独に過ごしていた 幼い仔猫だと考えたら、解放されて無邪気に振る舞っていただけで、人から見たら時には残酷に見えたけど、愛されて生きたい、それだけなんだな。左大臣は要石が抜けてしまった後も必死でミミズを止めようとしていたし、ミミズに破壊の意思は無いし、誰も悪役のいない世界でした。切なく優しい物語。