「フィクションに徹して欲しかった青春冒険ロードムービー」すずめの戸締まり みかずきさんの映画レビュー(感想・評価)
フィクションに徹して欲しかった青春冒険ロードムービー
題名から想像した作品ではなかった。新海監督お得意の美意識の高い映像美に加え、ダイナミックでスピード感溢れる作品だった。少女と青年が日本各地を巡って災い封じの戸締りをする迫力満点の青春冒険ロードムービーだった。
本作の主人公は九州で暮らす高校生の岩戸鈴芽(原菜乃華)。彼女は登校途中に廃墟を探している大学生・宗像草太(村松北斗)と出会う。彼と運命的なものを感じた鈴芽は草太の後を追い廃墟に辿り着く。そして廃墟に佇む災いをもたらす扉を開けたことにより、日本各地の廃墟にある災いをもたらす扉が開き始める。鈴芽と扉の閉じ師である草太は日本各地の災いの扉の戸締りの旅に出る・・・。
扉から出現する災いをもたらす化け物の災いの権化のような悍ましい姿に度肝を抜かれる。また、ダイジンと呼ばれる猫に扮した神に振り回されて、日本各地を巡る道中の描き方はジブリ作品を彷彿とさせる日本を強く意識したものである。鈴芽と草太は、日本各地を巡り、扉から出現した災いの権化を見つけ満身創痍になりながらも扉のなかに封じ込めてカギを掛けていく。冒険活劇風のロードムービーとして観れば、鈴芽の勇気に元気をもらえる感動作である。
しかし、本作が取り上げる災いは地震である。東北地方という実際に現実社会で大震災のあった地域を巡っていく。3.11という数字、あの朝の家庭の風景も描かれる。11年前という台詞も出てくる。誰もが東日本大震災を強く思い出すだろう。
本作は、フィクションである。フィクションに厳しい現実を加えれば、あの時の悲しみ、怒りを加えれば、観客の心の揺れは激しくなる。強く感動する。しかし、11年前は、歴史にはなっていない。今なお、東北地方の人達は11年前の厳しい現実、生々しい過去と戦っている。
本作が良作であることに異論はないが、フィクションに徹して欲しかった。
現実社会の厳しい過去に触れないパーフェクトフィクションとして描いて欲しかった。
みかずきさん、こちらこそ。論客などと持ち上げられると赤面です。その時の気分によって意地悪な見方になってしまうだけでして。新海監督はサービス精神のある人なんでしょうね。売れる映画の作り方を講義して下さいと言われれば、それに沿って話し過ぎ、売れる為だけに作っているような印象を与えてしまうという・・・でも悪気は無い人だと思っていますよ。
フィクションに徹すれば興行収入は数倍になっただろうなと。
フィクションに徹すれば 観客は何を描いたのか わかりやすいけど
監督はわざと他のモノを混ぜてわかりにくくされていて。
観客は 何を描いた映画か 考える事になって
観客が考える事によって 映画をより深く理解することになるかと
これを狙って わざと混ぜモノを入れてあるのかもと思ってます
っていうか 映画自体に混ぜ物はないのかも?
パンフレット自体が混ぜ物で わざと映画を理解出来にくいように
してあるのかと思ってます
コメント等ありがとうございます。
みかずきさんのような先達のレビュアーの方からお褒めいただいてとても恐縮しています。
フィクションで繊細な現実に触れるのは難しいことですよね。新海監督も彼なりに、彼の器の範疇で考えたんだろうなとは思いましたが……
プロモーションで伏せたのが覚悟の示し方としては結構致命的で、セカイ系物語の道具として使ったように見えても仕方ないかな、と思います。力作なんですけどね。
コメントありがとうございました。もらった副読本に、終わっていく時の儀式のようなものをしたいと書いてありましたが、それは他人(失礼かな)がすることではないですよね。「10年の節目を迎えていかがですか?」と無神経にインタビューするのと大して変わりないです。
共感、フォローバックありがとうございます。
他の映画のコメントではご挨拶もせずコメントしてしまい失礼しましたm(__)m
私は文章力がなく上手く表現できませんでしたが、みかずきさんのレビューでモヤモヤが落ち着きました。これからもレビュー楽しみに読ませていただきます。よろしくお願いします。
コメントありがとうございます!
やはり、そうですよね。今まで震災について触れながらも、どれもフィクションとして物語を展開してきた新海誠監督。東日本大震災をテーマにするとしても、今までのように本作も、あくまでフィクションとしてのストーリーが良かったかと、私も思いました。「シン・ゴジラ」のように。