「要石、後ろ戸、ラストについて」すずめの戸締まり スキピオさんの映画レビュー(感想・評価)
要石、後ろ戸、ラストについて
一つ目は「要石」について。
前半パートでは「廃れた温泉施設」「土砂崩れによる廃村」「休止した遊園地」で後ろ戸が開き、地震をもたらすミミズが出るのを、後ろ戸を閉じることで防ぎます。で、なんとなく後ろ戸が開く=捨てられた土地、という印象ですが、これは違うのではないか?と
なぜなら、東京で後ろ戸があります。また、一度後ろ戸が開いたすずめの実家である東北の地でも古くなった後ろ戸があります。
後ろ戸を閉じる時に草太とすずめは、かつて賑わいのあった頃の声を聞いて扉を閉めます。でも、東京の後ろ戸を閉める時には、そういったシーンはなかったと思います。また常世で後ろ戸を閉める時に「本当は必要ないのだけど」声を聞くシーンを入れた、とパンフにあります。
そうする「後ろ戸は何処にでもあるが、地守りや要石が無くなると後ろ戸が開く」と解釈するのかな、と。捨てられた土地では、地鎮する人々がいなくなる。地鎮や後ろ戸を閉める行為には人々の祈り=願いが必要で、その代行者である閉じ師はその想いを声として聞くことで閉じる力を得る。
東京は人々がまだ住んでいて想いがあるので、声を聞く必要がない。また常世は死後の世界だから、そもそも想いなど必要がないので、本来は声を聞く必要がない。
だとすると、何故東京の後ろ戸が開かれたのか?作中から分かるのは、東の要石である左大臣が外れたこと(猫の姿ですずめ達の前に現れています)、閉じ師の爺さんが死んだ(たぶん死ぬのでしょ)こと、ぐらいです。ただ、閉じ師が死んだぐらいでは後ろ戸は開かないでしょう。
とすると、要因は左大臣。ダイジンが外れた理由は、すずめが外したから?いや、それは表面的な理由で、途中で「ダイジンは後ろ戸を開けて回っているのではなく、空いている後ろ戸に導いている」とありますよね。だから、左大臣も意味を持って、自らの要石としての役割を一時的に草太に委ねて、すずめ達の合流した、と考えるのかな?では、合流して何をしたかと言うと、常世でミミズを封印した、のでコレが目的。
そうすると、ダイジンと左大臣はこれから起きる大地震を察知して、草太とすずめを使いこれを鎮めにいった、という解釈かな。
2つ目は「後ろ戸」について
後ろ戸というのはお寺の本堂の後ろにある扉。鬼はこの扉からやってくる、とされており、法会の際、やってくる鬼の気を逸らすために、踊りを踊ったのが、後の能楽(後戸の猿楽)になった。つまり、日本のエンターテイメントの源流の一つです。
元来エンタメはこのように神様への奉納や悪魔祓いが目的だった。ヒロインが宮崎から旅立ち、名前が岩戸すずめ、ですから、もちろん天の岩戸で舞を舞ったアメノウズメのこと。なので、この作品も神か悪魔か、地震をもたらす「人ならざるもの」への神事の意味があります。
怠ると神罰がくだるので、神事で最も重要なのは「忘れずにやる」こと。ただ、この話のメインプロットって「忘れる」にあるように思います。ヒロインのすずめは震災の後、小さい頃に後ろ戸に入ったことを忘れていて、それを思い出し記憶を取り戻すのが、この話の流れです。
震災後12年が経って記憶も薄れてくる。神への畏れを持ち続けるために、神事としてこの作品がある、と考えると、尊いですな〜。
3つ目はたいした話ではないですが、ラストの意味。すずめは幼い頃に後ろ戸の先で出会ったのを死んだ母親だと思っていたが、ラストでそれが未来の自分だった、ってオチでした。
これって涼宮ハルヒの「笹の葉ラプソディ」だな〜って、ってのは、どーでもよいけど、この解釈。この作品のテーマの一つである、すずめの成長、の意味を考えると、自分を導くのは結局自分だけ、という意味なのかと思います。
宮崎では自分のアイデンティティが曖昧で、草太に出逢い自分探しの旅をして、過去の「自分」を思い出すことで、自分に向き合い前に進む。また過去のすずめも、母親の死を受け入れられず迷い込んだ先で出会ったのは、やっぱり未来の「自分」で、その出会いをきっかけに立ち直る。
作家性で解釈すれば新開誠は自分の創作にとって「指針とすべきは過去と未来の自分でしかないのだ」というメッセージかな。前作の天気の子では「世の中がどうなろうと、俺は俺のエンタメを作る」というメッセージだったので、やはり作家性が強い作風なんだろうな〜、と。
あと、これもどーでも良い謎ですが、東京の後ろ戸って、何でしょう?
陰陽道に従うと東京は鬼門・裏鬼門に沿って、上野/寛永寺、神田明神、日枝神社、芝/増上寺と配置されています。本作でもお茶の水=神田明神を舞台に聖橋から丸ノ内線のトンネルを見下ろしています。そもそもこの作品の旅って、宮崎から東京を通り東北なので、やはり裏鬼門→鬼門への旅なんですね。その線上にあるのが後ろ戸。
すずめが東京上空の第10使徒サハクィエル、もとい、ミミズを倒して落下するのが竹橋あたりですね。ここの地下に東京の後ろ戸がある設定。だとすると、皇居の平川門の真下、となります。
平川門というと、ここは別名「不浄門」と言われています。江戸城の頃、日々の不浄(汚物など)はこの門の脇から舟で運び出されています。城内で出た死骸や、絵島生島事件の奥女中・絵島や赤穂藩の浅野内匠頭といった罪人もこの門から追放されています。
まあ、そういう逸話をもとに後ろ戸に設定したのかな〜、確証はありません。
ちなみ、トンネルから地上に出るシーンは首都高の北の丸トンネルですね。ここにあるのは乾門で別名「明治門」で明治時代に作られた門。桜や紅葉の通り抜けの際に使われる門なので、あまり後ろ戸には相応しくないですね。
さて、これで語り尽くしました。長文・駄文にお付き合いくださり、ありがとうございます。