「高身長萌え」すずめの戸締まり またぞうさんの映画レビュー(感想・評価)
高身長萌え
ヒロインの背が高そうなところ、運動神経も良さそうなところが良かった。個人的に気に入らないディテイルもあるが、いくつもの山を上手く繋げて美しい映像とともに長時間飽きさせないスキルは手慣れた域に達していると感じた。ダイジンが単純な悪者じゃないとわかるあたりから涙も出てきた。311をここまで直接的に組み込んでいるとは知らなかったので途中から、変な形にならないか心配でざわざわしてしまったが、それは杞憂だったか。ただ個人的には「君の名は。」を超えたとは言えない。
先述の気に入らないディテイルとしては、まずすずめが登校中にイケメンを追っかけて学校行かないとか革靴靴下履いたまま水に入っていくとか、マサカと感じてしまってロスタイム発生。後半の80年代ドライブ音楽もオヤジサービスなんだろうけどユーミンでネコに言及とか誰得感。
>渡り石でも置いておけば済んだのでは
この扉の初登場シーンでは、濡れることを躊躇うことよりも、「靴が濡れることが分かっていながらも、それを厭わないほどにその扉に興味を覚えた」という表現が必要なわけです。それほどまでに、鈴芽の中で、もう忘れかけている過去の記憶から呼び起こされるような感覚があったのだという表現だと思います。
渡り石を渡って簡単に扉に行けてしまったら意味がないのです。
気になったので購入済みでまだ読んでなかった小説版を確認してみたところ、やはりそのような記載がありました。
「レンガとかパラソルの残骸とかが散らばって」「ローファーを濡らして良いのかな――と思った次の瞬間には、私は水の中を歩いていた。」「ドアの中には、夜があった。(中略)夢を見ているのかという混乱と、 知 っ て い た は ず だ よ ね という合点が、濁流みたいに渦を巻く。」
概ね僕の解釈で合っているかと思いますが、どうでしょう。
>革靴靴下履いたまま水に入っていくとか
たまにこの指摘を見かけますが、廃墟のど真ん中の水の中で、どんな瓦礫やガラスが落ちてるか分からん水の中に裸足で入っていくほうがおかしいと思います。
靴と靴下が濡れることに一瞬ためらったものの、なにか呼び寄せられるものがあったかのように扉への興味が押さえられなかった(すでに薄れている過去の記憶がそうさせた?)ことをよく表現していると思います。