「新海誠版ハウル。ファンタジー化の功罪」すずめの戸締まり スカポンタン・バイクさんの映画レビュー(感想・評価)
新海誠版ハウル。ファンタジー化の功罪
久々のレビューが今作かと思うと、指が震えます。
新海誠作品は残念ながら全部は観れていない状態で、「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」と今作を含めた天災3部作を観ています。個人的には「言の葉の庭」以降の、新海誠が一歩一歩と運命や壁を前向きに超えていこうとする流れは、1人の人間の変化をまじまじと見ている感覚があって好きです。特に「天気の子」は、そのエモーションが最高潮に到達して全力でドライブしていて、一番好きでしたね。
そんな中で今回の「すずめの戸締まり」は、「新海誠監督集大成にして最高傑作」とコピーで謳われるくらいですから、個人的には「天気の子」の後で何をやる気なのかな?という期待と不安がありました。
端的な感想としては、「結構好き」という感じでした。このニュアンスなんですよね。「最高傑作!」とか「全人類観ろ!」とか、どこがどう良いんだと熱を上げて語る感じじゃなくて、かといって「期待はずれ」とか「凡作」とかいう事ではなくて、「あー、結構好きだなぁ」という感じ。凄いふわふわしてるな。w
やたらジブリ感というかまんまジブリというのは色んな人が言ってるかと思うのですが、個人的には「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」への挑戦のような感じがしたのが、かなり好印象でした。ハウルがねぇ、好きなんですよねぇ。
ただ、かなり言いたい事は出てくる映画で、そこは色んな人と話して、賛否両論あってってなったら良いなぁと思いますね。
ここから、多分あんまり褒めにならない言いたい事を徒然なるままに書き留めていきます。
◯ガールミーツボーイについて
本作はザックリ言うなら、主人公鈴芽と閉じ師草太のロードムービーものと言ってよいのかと思います。その道中で祟り神の邪気を浄化する、という言い方をすると凄いもののけ姫感がしますが、実際やってる事は大地震から日本を救うという体を取っているものの、過去の無念の記憶を聞いて見届けて呪いから解放するというのが本筋という気がしています。やたらファンタジー感が強いので魔法使い感がしますが、それよりはエクソシストとか霊媒師とかに近しいものかと思いました。
まぁ、その点はひとまず置いておいて、この映画においてのガールミーツボーイはちょっと微妙というか、この2人の親密さの構築っていうのがあまりされていないと感じました。それはまさに戸締まりが本筋になっているからだと思います。ロードムービーとしての、観光や場所ごとでの住民との触れ合い要素はあるのですが、2人で過ごす甘い時間みたいな要素がほとんどありませんでした。恋愛までいく必要はないと思うのですが、あまり親密さの構築をしていないために、最後の方の「草太さんを救う」とか「草太さんがいない世界が怖い」というのがイマイチ納得がいきづらいなぁと思いました。キャラクターそれぞれは魅力的で声優も良かったのですが、そこからのバディ的楽しさは弱い印象でした。
◯地震の扱いについて
本作は前2作以上に分かりやすく天災テーマを描いてる作品としても特徴的でした。しかし、アニメーションで大地震を直接描写するという事ではなく、スマホのアラート音、地面の歪み、川が波打つといった関節表現によって、見えない地震の得体しれなさを表現していたというのは演出力の高さを感じました。また、関東大震災の再現が起こりそうになる所では、東京に住む人々の日常が描写される事で、この日常が破壊されてしまうという恐怖が見事に表現されていました。
ただ、この関節表現というのは今作では考えもので、1箇所決定的なカタストロフがあっても良かったんじゃないか?と思いました。というのは、今作では地震が発生する原因は扉の向こう煉獄から這い出てきたミミズ(地震を起こす大鯰という所ですかね?)によって発生しているとなっており、止めようのない自然現象ではなくなっています。勿論、一般人からしたら、そこに差異はないわけですが、観客側としては今作での地震は「コントロールができるもの」になっています。しかし、実際そんな事はないわけではないですか。現に、鈴芽は地震の被害に遭ってるわけです。何故、あの地震を閉じ師は防ぐ事ができなかったのか?防げない地震があるという事なのか?
ならば、1箇所でいいから、決定的に防げない地震による大量虐殺を描く事は、地震の恐怖を訴える上で必要があったのではないか?と思います。物語設定上、防ぎようのあるファンタジーなものに一貫したために、そこの現実感は弱くなってしまっていたと思います。この映画本編内では1人も死なないんですよね。
ここが多分一番「ハウルの動く城」に似てるポイントで、本来戦争の恐怖を描くはずだったあの作品も魔法使いなどのファンタジー要素によって、決定的な喪失がなく、現実としての戦争の恐怖を描くことにはかなり失敗している作品でした。逆にそこを日常とともに決定的に表現していたのが「この世界の片隅に」であり、日常としての描写は淡々と一定でありながらも決定的にどんどん奪われていく事の辛さが描かれていました。
◯ねこ・人身御供について
おそらく今作で一番無理があるポイントだと思います。地震を起こす地中の大鯰を要石で封じたという神話が根底にあるため、地震を防ぐ要石が抜かれてしまう事で厄災が発生するという事だとは思います。ただ、その要石の扱いはかなりご都合的としか言いようがないものだなぁと思いました。
まず、草太が要石としての責務を継承してしまったという点。これは言い方は悪いですが、鈴芽と草太が運命によって引き裂かれるという、いつもの新海誠展開をやるための設定ですよね?これは勿論、「天気の子」でもあった人身御供の責務を勝手に任されてしまうという設定で同じなのですが、「天気の子」と違い決定的に避けようのない大殺戮と天秤にかけさせられているため、否応なく人身御供の選択をしないわけにいかないわけです(そこまでのガールミーツボーイが弱いせいでもありそうですが...。)。ただ、どちらも死者数の規模は違えど自然災害としては本来同じ事なわけです。しかし、今作では前述したように「コントロールできるもの」である上に、それが前代の要石で継続的に防止できるものになっているために、日本を守るための人身御供の継承の立ち位置が曖昧になってると思いました。だから、それを放棄するという「天気の子」の方向に振り切る事もできず、かといって人身御供の選択をしていく事の選択もしないという、ギャルゲーのルート選択的には大分ズルい展開になっているなぁと思いました。
しかも、そこがズルいだけではなくて、「じゃあ猫の立場はどうなるんだよ!」と思いました。この物語の設定から考えるに、あの猫というのは前代の人身御供として要石になった人間なんですよね?多分。喋り方から考えると、下手すると子供なのかなぁとか、単に子供受けのために可愛い喋り方なのかなぁとか考えていました。あの猫は要石から一度は解放されて、(物語上は鈴芽たちを東京まで導くための仕掛けではあるものの)自由を再び手に入れたわけじゃないですか。あの猫にはあの猫の人格?猫格?があるわけで主張がありますよね?つまり、キャラクターなわけです。そのキャラクターに物語の設定上、再び要石としての責務を引き受けさせるというのはかなり残酷なのではないか?と思いました。主人公たちが自分達の意志の元、要石の責務を放棄しようとしてるが故に余計「猫の立場はどうなるんだよ」と思ってしまいました。
◯まとめ-今作で一番恐ろしい事
全体にツッコミを入れまくってますが、観てる分には「流石」という感じで、面白く観れる作品ではあると思いました。地震描写には人によって意見がやはり分かれるとは思いますが。
ただ、勿論地震は恐ろしいのですが、私が一番恐ろしいと思ったのは、宮城へ鈴芽が幼少期の頃入った扉を探しに行くシーンでした。実際行った所、扉はあったわけですが。10年です。あの日から10年、あの扉は何事もなく存在していたという事なわけです。これほどに改修が遅いという事実には、改めて恐ろしいものを感じました。勿論、これは自然災害が強大だったから、だけが理由ではないでしょう。これは忘れないようにしていくべき記憶であり、早く修繕されるべきものなはずです。正にタイトルになっているように、ちゃんとどの記憶も実害も戸締まりをしていかなければいけないんです。そこのテーマに関しては、震災を扱った作品としてはファンタジーになってしまって寓話的ではありつつも、かなり身につまされるものになっていて良かったと思いました。
では、また。
※追記
◯喧嘩シーン
あそこは本当に良かったですね。近年久々に見たキツい喧嘩シーンでしたね。つい言ってしまった後の「どうしてあんな事を...」と泣き崩れる所までの描写は本当に秀逸で、多分一番好きなシーンでしたね。
◯ラスト
あれ、草太が電車に乗って別れていったけれど、旅費はどうやって返してもらったんだろうか?実は本当は借金踏み倒し犯なのか?w
◯仕事
鈴芽がスナックで働くというシーンは、「千と千尋の神隠し」を思い出しましたね。喋る猫が出てくるから「魔女の宅急便」な感じもしますが、子供が仕事をする、また草太も閉じ師とは別に教師を目指している、といった感じで労働への入門を描くというのには、宮崎駿じゃあないですが責任感があるんですかね。
※追追記
色々考えた結果、星4はないな...。
前提の感想は変わらないのだけれど、やっぱり無理矢理な所が多いし。
そもそも新海誠監督は物語や人物のバックグラウンドのディテールを描くよりも背景やアニメーションによる情動の表現が上手いのだから、変にファンタジーをやらないで、リアルな方に注力した方が作品としては観た事ないものになって良かったんじゃないか?と思ってしまいますね。
次は、ジブリっぽい感じは3部作で切り上げて、日常ものをやってほしいですね。そういうやり方でも、今回のようなテーマを扱う事はできると思いますし。