「映像5音楽5脚本2」すずめの戸締まり 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
映像5音楽5脚本2
初週末やリップサービスのご祝儀期間が解ければ、評価は下に引きずられるだろう。
映画館が「初日の上映回数」を異常なまでに増やすのも納得。
初週末を過ぎて感想が出始めれば、ネット外の口コミから鑑賞を控える人は逓増する内容だったと感じる。
映像は最上質。すごい。
音楽も歌もいい。いい。
が、問題はそれらを駆使して描かれる「内容」である。
その内容は、主要キャラクターの無神経さやセットアップの弱さで感情移入が難しく、序盤から緩急のない急だらけのバタバタが続き、魅力が乏しい話の展開パターンに序盤で予想がつき、それがその通り繰り返され、自己満足的な説明不足が増え続け、ジブリやガンダムのパロディ、テーマやギミックは君の名は。の焼き回し……という、鑑賞後、劇場にいた人々が疲労感を口にしたりヤケクソ気味な苦笑が見られる内容にとどまってしまった。
『天気の子』も各言動や状況設定、物語の展開装置が「そうはならんでしょ」のご都合的で鼻白んだが、ここまで「観客たちが、耐えながら付き合う」映画体験ではなかった。「映画は映像と演出とテーマだけ、脚本は細部から大筋に至るまで全く気にしない」という人しか高い評価にはならないと思う。
以下、具体的に本作の難点を指摘。
・好きになれない子、すずめ
行動原理が不明。最初の扉を閉めるまでのシークエンスでも、「イケメンだから話す前から一目惚れ」「なぜか廃墟を伝えたことを悔い、なぜか登校を中断して廃墟に向かう」「その後、学校に登校」「人には見えないモノが見えたら、なぜか再び廃墟へダッシュ」という、わざわざ明示した「2023年の日常に暮らす女子高生」とは思えない行動を連発する。制作サイドの「最初の扉を閉めるまで早くやりたい」にひきずられて、人間の思考回路で生かしてもらえていない。さらに叔母の正当性ある心配を無視して、ノリでフェリーに乗って、スマホ一つで四国に行ってしまう。四国ではソウタに帰って日常に戻れと言われるがなぜか帰らず、扉閉めを継続。叔母の心配はもちろん、学校生活や学校の友人たちを気にも止めない態度が人間ではない。その後も「協力者に協力を求めるが説明はしないし理解させる気もない」態度で、任されていたスナックの仕事を放り出したり、要石を打ち込んで人々を救ったすぐ後に好きな人の方が大事だから大災害が起きてもいいからやっぱり抜きたいと言い出し、大学生のアルファロメオジュリアに高速道路を走らせ、叔母からいいかげん説明しろと言われたら「心配されるのが重い」「家族にしてなんて言わなかった」と逆ギレで叔母を悪のように罵り、黒ダイジン乱入の成り行きで叔母の大事にしてくれる気持ちと通じ合ったかと思ったら、すぐに「ソウタを助けて私は死ぬ」と叔母のことなんてやはり何も考えてもいない(まるで成長していない)……そりゃ叔母さんも「……しんどい」が堆積しただろう。
「十代の無垢さ、純真さ、初々しさってこういうものだよね」と監督世代に言われたら十代がキレそうな内容なのだ。「~だわ」「~わよ」もあるし。後半で「実は3.11の震災&津波の孤児だった」という情報が明かされるのだが、「母は死に自分だけ生き残ってしまった=命なんて運だ、死んでもいい(だから日常へのこだわりはない)」というのは、叔母に12年間愛情を持って育てられ友人もいることから、「無神経・恩知らず」も同時に発生してしまう。「震災孤児の思考をリアルに描いた」とは受け入れられないので、「無神経・恩知らず」部分はすずめの個性だと受け止めるが、それだとやはり好きになれない。
主人公兼ヒロインが好きになれない言動・精神構造をしているというのはこの手の作品では致命的で、『君の名は。』の主人公の片割れである三葉の方がずっと言動・性格的にかわいい。後述するテーマのかぶりもあって、自身の過去作と比べられてしまう宿命の中で、シンプルに負けてしまう印象なのはいただけない。
・セットアップの弱さ
結局、天気の子のような「大勢のモブの命と運命の一人の命と」のテーマがもたげてくるが、天気の子や君の名は。のようにすずめとソウタの縁や絆、成り行きから個人的な好き合いへと移る過程が描かれていない。なので、いきなり「100万人の命よりもソウタさんを助けたい」という中盤以降の大逆の葛藤・決意が「そういう設定だからそうなった」にしか見えない。作中で描かれた程度の交流(一目惚れからの、なりゆき仕事)でラブってしまうなら、すずめが人生で出会ってきた宮崎県の全男性は相当に無味乾燥だ。ずずめとソウタが「縁あって、一緒に特殊な仕事をする関係」から、「それぞれ個人に興味が移っていく描写」が必要だった。神戸の観覧車では呪いを解く鍵であるダイジンを放り出してすずめを助けに行ったわけだが、そこはもっと丁寧に「そういう決断をしたシーン」として描いてほしかった。
・緩急の弱さ
後半まで、ドタバタではなくバタバタが続く。緩急の相乗効果で物語は面白みを得るのだが、本作は薄味の全国行脚がノルマだったのか、緩急ではなく急急のリズムで作られている。鑑賞者に心の置き所が乏しく、後述の予想できる展開と相まって疲労感が高く耐える鑑賞になりがち。
・魅力が乏しい話の展開パターンに予想がつき、それがそのまま繰り返される
ご都合でダイジンの居所がわかる(この名前も後述でつっこむが)→行く→都合良くミミズ出現→扉を閉める→ダイジンは取り逃がす→次の地域へ……これが九州・四国と続いた時点で嫌な予感がするが、さらに神戸、東京と繰り返されるのが辛い。東京は一応話が少し動くが、骨子は変わらないし、その後もそう。各地のエピソードも「各地ならでは」や「地域ごとにアラカルト的な良さ」があるわけではなく、ただ行った、「絵として街を綺麗に描写した」という程度。エピソードとしてのパンチ力はない。その低火力を2時間かけて5回繰り返すので、上映後の十代客たちの「長かった」「疲れた」「東京で終わると思ったのに」という感想に共感した。
メイン・地域ゲストのキャラクターたちを掘り下げて滋味を味わわせる物語ではなく、映像表現の腕前を誇示できるパッケージを延々とスライドショーされていた感じが拭えない。例えば神戸編は、地域の特異性やそこに在る生活描写よりも、それらと関係の無い超美麗観覧車バトルの方が尺が長いように感じた。他の地域も同様。この優先度設定は、ロードムービーの型を持つ本作には逆効果である。
・自己満足的な描写による説明不足
主にダイジン2匹回りについて。あとお爺さんの心変わり。
主人公が岩戸で戸締まりだから、天岩戸でうずめで右大臣左大臣的なんだろうな……と思うも、ふんわりしすぎ。作品で描かず無料配布パンフレットで解説をするのは、クリエイターではなく教祖の志向だ。そもそも野良猫を「大臣っぽいからダイジン」とモブたちが命名し、すずめも「あの猫、大臣っぽいし」と理解を示す表現は、首をかしげない鑑賞者の方が少ないだろう。大臣にも、歴史物の大臣やファンタジーものの大臣、現国務大臣などいろいろありすぎて、唐突に、まして猫にイメージを共有できる言葉ではない。制作サイドだけがわかる「そういう設定だから、そうなんです」という素人然のテリングが、作中世界の共通認識・事実として、違和感だらけのまま波及してしまっている。
結局ダイジンたちは何をしたくて、何をしたくなかったのか。宮崎の要石は扉のこちら側にあったが、すずめが触れてしまったために封印は解けたのか。では、東京の要石は誰がorなぜ独り手に解けたのか。すべてに説明が必要とは思わないが、観客の悩みたいところと作り手側の悩ませたいところのズレが大きかったと感じる。お爺さんは「人類を滅ぼすことになるぞ」と正論を言っていたのに、会話途中で何をもって心変わりでヒントを与えたのかも不明瞭。最終的になりゆきでなんとかなったからよかったが、ならなかったら日本は「すずめのトラウマを全員が共有する悲劇」となっていた。運命的で深いのではなく、粗くて雑だと感じる。母絡みのエピソードの真相も、小さな驚きと引き換えに深みが失われてしまっている。
・パロディ
ジブリやガンダムの演出やセリフのパロディは小手先の曲芸。そういう歩み寄りは求めていないので、ノイズに感じた。
・題材やギミックは君の名は。
大災害を食い止める主人公。好き合う運命の二人。実は過去と繋がっていた現在。要素としては傑作である君の名は。を踏襲する物が多い。だからこそ、映像良ければそれで良しなヤケクソ具合が、監督自身の過去作君の名は。の下位互換となることを許してしまっている。君の名は。の監督自身によるノベライズを読んだ限り、そもそも原作である映画版の脚本スタッフに相当な腕前の人がいたようだが。監督自身の脚本力は、そのスタッフやシナリオチームに全然及んでいない。
・方言、地域性
大予算大期間の大プロジェクトなのだから、九州の方言のイントネーションは、監修者を一人は雇ってほしかった。方言を使う・日本列島制覇・しかも冒頭と決めたなら、そこで妥協をしてはいけない。
また、宮崎、愛媛、神戸、東京、(宮城)、福島……という、中国・東海甲信越スルーは、全国行脚を商品性に宣伝している以上、嫌な人はいただろうなと。「震災の発生地だけを選んだ」としても深読み要素なので、売り出し方と内容不一致の免状にはならない。
それと、過去作の東京表現を皮切りに「日本の持つ美しさを再発見して描ける監督」というブランディングを意識しているようだが、今回の全地方のキラキラ描写はかえって理解の浅さを感じる。弱き地方への理解者・寄り添いのつもりかもしれないが、そうだとしたら逆に「全然わかっていない自覚がない、肩を組もうとしてくるありがた迷惑な来訪者」になってしまっている。地方は映像美的に綺麗なのではなくて、くすんだ街並みの中に文化と生活の輝きがある。しかしフィルタを用いて画一的に綺麗にする視覚的美化を「掘り出す行為」と捉えている節があって、当事者たちの誇りからずれた視覚的美化は、かえって無理解と断絶を強調してしまっている。
・主題
過去との対峙、トラウマへの心の戸締まり、一区切りつけて扉のこっち側、現実へ行ってきます、再出発……はわかるのだが、そこに無理矢理運命の二人を入れた感が、セットアップの弱さと相まってかみ合わせの悪さを感じるところ。
また、藤本タツキ『ルックバック』と同じく、現実の具体的悲劇への歩み寄り行為自体を商品化しているような「流行の売り方」も感じてしまい、全体的な粗さとあわせて個人的に厭な感じを受けた。悲劇が起きればマーケターたちが大喜びするような「コツ」のある世の中にはなってほしくない。
・怒っていい人たち
①命知らずゆえの恩知らずになると解釈され描かれた、3.11の震災孤児や被災者
②イケメンであるという理由だけで一目惚れを許すことになった、過去にすずめと会っていた宮崎県の男性たち
③全国行脚の中に含まれたことになっている中国、東海甲信越、北海道の人々
④全国のお父さん
難癖をつけたくて観たのではない。『君の名は。』はここで書いた次元の指摘はなぜか全部クリアされていて、私が畏敬する高みの作品だからだ。
しかし本作はそうではなく、脚本に感動が漏れる穴が多すぎる。監督には、今年の作品ならトップガンMやRRRを何度も見て、感動を生む(狙い通りに、最大化する)手法の網の目が、実はどれほど細かく存在して、真摯に向き合われ、確信的にコントロールされ調理されているか学習してほしい。その上で専門家に頼むのは全く恥ではない。できないことをできると言い張って大勢を巻き込み、企画が労力の割に低調に終わることの方が問題だ。キャリアも長く声望もあるので、この次元にとどまっているとチームを低質に付き合わせる迷惑な増上慢になりかねない。結果をどう受け止めるか、分かれ道に感じる。(『天気の子』もそのタイミングだったのだが、一歩追い詰められてなお)
この内容に黙々と従った超絶アニメーターさんや音響さん、関係者の皆様はお疲れ様です。
>みゅんさん
大震災とサバイブチルドレンという人間ドラマがテーマ(あえて言うと、「売り」)のはずなのに、その掘り下げが薄くて映像とファンタジーの勢い任せというのは、何か違いましたね。この子はサバイブチルドレンなんです、と明かされた時の納得感が全くないというか。(震災を経験した友人と後で話したら、私どころではなく憤慨していました)
こういうテーマをフィーチャーし、その話題性で評判の第二波三波を狙う作品なら、人の心や命を大事する話であってほしかったですね。
とても共感しました。
主人公すずめに関して全く同じ違和感や嫌悪感があったので…
(無神経な上に、「私が要石になる!」と言いながら結局は大臣たちにやらせるという…ただ大臣たちがずっと要石をやらされていて、すずめにも冷たく当られて可哀想だとも感じていました…)
豊かな語彙力で表現されており、尊敬します。
>おみさん
>Switch Screenさん
コメントありがとうございます。
映画や漫画なら一つの画面、ゲームなら一つのボタンを押して発生するアクションに、どれほどの想いやドラマが乗るかの変数が脚本だと思っています。仮に動画部分が今のままでも、セリフがもう少し没入感を損なわないものだったら、もう少し面白い映画になっていたと思います。日本の看板たるチームの、脚本審査の合格ラインがかなり低かったように思えて、少し残念でした。
映画読み さんの指摘と感想に強く強く同感です
ダイジンの配慮に欠ける台詞。いくら学生でもすずめの行動も思慮が少なく逡巡しない。映像は至高でも、主人公が心揺さぶられ苦労して厄災を治めても感情移入難しい。
一考してすずめとナウシカを対比すると大事なものが何か浮立つ
鑑賞後 ずっとモヤモヤしていました
この気持ちを素晴らしくまとめてくださり本当にスッキリしました
東北の震災を安易に取り扱うこと
主人公のすずめの身勝手さ
バタバタ感
途中で何度も???となり映画から気持ちが離れていましたので
ありがとうございました
>Yukizakiさん
コメントありがとうございます。
本作は感情をせき止めてしまう内容が序盤~終盤通してたくさん残っているので、感情移入できない人も多いでしょうね。私もそうでした。全体通して綺麗に粗取りが決まっている『君の名は。』のような作品を楽しみに待ちます。
>saltsnowさん
コメントありがとうございます。
クリエイターに幸せになるなとは全く思いませんが、手放しでの賞賛が作り込みを鈍らせることはありますね。監督には今期の映画たちとの比較の中で「賛否両論、人を選ぶ……で終われるか!」と奮起して、もの凄いものを作ってほしいです!(庵野監督のエヴァQ→シン・エヴァンゲリオンはそんな感じが凄かったです)
本日鑑賞後モヤモヤして帰宅後、こちらのレビューを拝見しすっきりしました。面白くなかった…と感じたのは何故なのか、うまく自分で消化できなかったことがこちらに書かれておりました。
私は割と感情移入しやすい方なのですが、感情移入する途中で幾度となく引き止められるような感覚があり。腹落ちできました。ありがとうございます。
素晴らしいレビューありがとうございます。シナリオのヤケクソさが感動に穴をあけてしまってますね。ただ、これは過去にも乗り越えてより良い作品が誕生してきました。
次回作に期待です❗️
>あるん。さん
読んでいただきありがとうございます。
様々なビッグプロジェクトで、興業の最終的な伸びしろを決めているのは「脚本」だと思っています。数年経ってみれば、皆思い出を語るときに脚本しか言及していないほどに。本邦は、もっと脚本を「感性」ではなく好悪の法則=技術で詰めて、商業的にも大大大成功という作品が増えるといいな…とずっと思っています。
>amiさん
ありがとうございます。ヒューマンドラマ志向にもかかわらず人間の言と動が記号的・表層的に感じられる作品は、傑作と絶賛されると少し暗い気持ちになりますね。もしかして自分たちも日々の中、そう見られているのかな、というような。改善がいくらでも可能な状態で、大プロジェクト、トップクリエイター主導の作品で「娯楽作品は、これぐらいでしょ」で出てくるのは、私には特に辛いです。私も、吐き出してよかったです。
>Dポッターさん
コメントありがとうございます。感動する人は、美麗な映像と感動すべき雰囲気で感動すると思うのですが、意味を持って感動したい人は感動できない感じがありますね。他の方の感想で「24時間テレビ的な感動」というのがあり、納得しました。24時間テレビでも泣ける人はけっこういますが、少し考えると首をかしげる内容+感動のごり押し感で嫌悪する人も多い、あの感じ。本作を絶賛するか首をかしげるかは、その人の物事への接し方を端的に表す自己紹介になる…そんな映画な気がしました。
鋭い指摘だと思います。新進気鋭の監督として期待されているのは過去の話。今や売れっ子監督となり新海作品を20年近く観ている側からすると物足りなさというかそうじゃない感が半端なかったです。
みんな持ち上げすぎてて不自然というか、これくらいライトな方が大衆ウケはするのだろうけど多くの人の高評価レビューをアテに観たらガッカリしないかの方が不安。
>べつかつさん
ファミリーで観に行ったお父さんは辛かったかもしれませんね(笑)
家族の絆や感動巨編の空気に触れるなら、訳ありとしてもお父さんの存在自体に触れない&一目惚れがすべての動力源というのは、何か不思議な感じでした。
>momoさん
読んでいただき、ありがとうございます。
別の場所で「この作品の好評は、映画の感動ではなく、24時間テレビの感動」というレビューを見ました。映像美等はその限りではないものの、なるほど、制作の姿勢を表す言葉として的確だなと思いました。
>NTさん
読んでいただき、ありがとうございます。
人を傷つけるために言葉を使いたいのではなくて、やっかいな鑑賞者と思われてもかまわない上で、制作サイドには過去の傑作を超えるための参考にしていただければと願っています。
>よふかしさんへ
ありがとうございます。
5000字制限だったので書き切れなかったのですが、「宮崎から来た、どう見ても訳ありの家出少女を放置する四国の旅館一家」などが温かな交流として描かれているのが辛かったのです。レビューの中で「無神経」はすずめのキャラクター性として語りましたが、「不自然に、叔母除く本作中の全キャラがすずめの心配をしない(深い意味での優しさとは真逆の行為)」で描かれる温かさが、脚本執筆者の「無神経」を感じてしまいました。そういうこともあり、本作は感動作としたい意図はわかりつつも、脚本側の技量が届いていなかったと感じます。