サバカン SABAKANのレビュー・感想・評価
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先生には見えていない子供の機微
「感動した!」と先生。
なら、タケちゃんの我慢になぜ目を向けない?
久田が読書感想文に書ききれることなんかより、
ずっと心を振り絞って生きているタケちゃんの毎日。
感動させて貰うための子供の感想ではなくて、先生の仕事は子供達の心の声を聴くことだよね?と。
漁師のお父さんを亡くし、4人も下にいる長男だから、
学校から帰ったら兄弟の世話。
お母さんは港町のスーパーで昼は働き、夜もお仕事。
留守が多くても、子供達のふとした表情を気にかける優しいお母さん。
でも、疲れた自転車の帰り道、子供達に思いを馳せたが故に、事故死。
誰も悪くないけれど、兄妹たちはそれぞれ別の家へ引き取られて行く。
大人が意味をわかって見ても心が傷むが、大人でなくても、タケちゃんの感情を、久田は子供ながらに推し量ろうとする優しさがあった。
家を馬鹿にした同級生達に混ざりながらも、タケちゃんの家を一緒になって笑って罵倒しなかった久田にちゃんと竹ちゃんは気付いていた。
夏休み、タケちゃんに誘われて、離れ島まで繰り出したり、海に山に川に、のびのびと過ごす中にも、タケちゃんの生活苦は見え隠れするが、適度な距離感で長い目で見守る町の人達。
そして、タケちゃんが振る舞ってくれた、サバカン鮨。
久田の家も、決して裕福ではない。
なんとか家計をやりくりする怒ると怖い母ちゃんと、母ちゃんに怒られながらも、温かい父ちゃん。
冒険に繰り出す朝、こっそり家を抜け出す息子達に気が付いたが、自転車の後ろにタオルを巻いて、千円札を持たせてくれる父ちゃん。あったかくてとても良かった。
タケちゃんが引っ越す日、貯めていたお小遣いを全部サバ缶に変えて見送りに走り出した息子を、チャリで駅まで迎えに行く父ちゃん。人の心があるなと感じた。
大多数の大人には見えない子供ながらの精一杯の優しさや堪えている強がりを、ちゃんと見えている人は素敵だなと思う。
同じく駅に見送りに来たみかん農園のおじさんも。
「売り物にならない酸っぱいの持ってきてやった」いつもみかんを盗られているし、そんな風に言っていたが、子供にもあるプライドを傷付けない最大限の思いやりが選んだ、甘い実たくさん。本当はどこの子かも全部知っていたのかとわかる瞬間。
そんなに狭い社会なのに、事情を知りながら見送りにも来ない先生。なんだかなぁ。綺麗な部分しか見えないのかな?
成績良い子よりずっとずっと、人間らしい価値ある心を持っている、久田を演じている子も、タケちゃんを演じている子も、ヒョロリと日焼けした長い手足が印象的で、それぞれの役に適した眼差しが印象的だった。
お互いに夢を叶えて再会する時、どんな話をするのかな?
お父さんとの思い出もあり鮨屋になったタケちゃんだが、絵もめちゃくちゃ上手。
竹本久田で絵と文を担当して、絵本や漫画を描いて欲しいなと思った。
大人になってからのシーンは冒頭と最後のごく僅かなので、草彅くんにしては台詞が少ないが、草彅くんらしい、繊細な感情をちゃんと見つめて伝えようとする作品だな。出演時間が少ないから撮りやすいながらも印象的な作品で、割の良い仕事なんだろうなぁなどと思ってしまった直後、クレジットに飯島ミチさんの名前が。これがあの、SMAPを支えてきた方の仕事の取り方なのかと彼らが恩を感じる理由が垣間見えた気がした。
草彅くんはドッキリを仕掛けても必死に抱えている仕事の練習をしていたり、「ステーキの脂身だけ残す子は苦手。全て含んでステーキなのに、食べ物に限らず、美味しいところだけ取るような子なのかなと感じてしまう。」と答えていた昔から変わらず、淡々と真面目に、自己顕示より中身を詰めて伝えてくる人柄である。
だからこそこの作品なのかな?と。木下グループの映画なので、韓国系なのかもしれないが、日本人の心と仕事ぶりが作品から伝わってきた。
またね、が叶う美しい夏の物語
あの困り眉の優しい少年が大人になった役を、草なぎ剛が演じることになる。子ども時代の久田と大人の久田が違和感なく重なるのがめちゃくちゃ納得、いいね。
少年たちの絶妙な距離感、徐々に距離が近づいていく2人の姿にはとてもほのぼのさせられる。
演者も全員良い。みかん畑のお爺さんいいキャラしてるなあ、見送る時に駆けつけてくれるのもジーンと来た。
久田のお父さんが息子の背中を押したり、悲しい気持ちを受け止める…理想の父だ。かっこよくて、いいお父さんだなと感じる。
またね、またね、が泣かせます。
ノスタルジー感がたまらない
小説家として活動している主人公だが、自分の名前での作品が売れずにゴーストライターとしての活動の方が増えていた。
そんな中で子供の頃のサバ缶にまつわる思い出を振り返り始めた。
子役を演じる子の演技が絶妙にいい味を出していた。
なんとも言えない表情がとても良かった。
子供の頃ってなんだか分からないけど、ウキウキして楽しくて、悲しんだりして、それでまた次の日になって。
そんな毎日の中で沢山の思い出であったなとノスタルジーに浸りました。
ドラマで見たかったかも
今回はネタバレレビュー
中盤まででタケちゃんと仲良くなるまでに時間使いすぎた感がありあすね
親友としてもうちょいエピソードを盛り込んで欲しかった
あと、さすがに再会遅すぎない?ってことでちょい違和感
高校時代か20代の社会人で一度会ったら良かったのになと
(自分の時は高校で再会したので)
あの時代は不良全盛期だったので、不良に喧嘩吹っ掛けるくらい肝っ玉がある子なら、学校でも番長になっていそうだなぁと思ったり
懐かしさと共に、いや~もっとこうだろ~と言う見方も出来るノストラジーな作品でした
関係ありませんが、夫婦仲が上手くいってない作品多すぎ(ボソ
これも時代かなぁ
統一感に欠ける
少年達が成長を遂げると同時に、気持ちを言葉で伝えられるようになる過程に胸打たれる。物語の回想を経て、大人の久田も家族に対する素直な気持ちや、ものを書く事への想いを再認識出来たのだろう。言葉を持つ少年と持たない少年、目標を持つ少年と持たない少年、という対比が面白い。
一方、唐突なストーリー展開に気持ちが追いつかない所があり入り込めなかった。
タイトルにもなっている鯖缶の登場に関しては、何故鯖缶でなければいけなかったのか説明がなく、亡き父の心情を一切読み取る事ができなかった。父と子の関係性がテーマの一つである事は伝わるが、それ以上の示唆は得られない。
母親の死について。人は親になると用心深くなるもの。まして、あれだけ沢山の子をシングルで育てる身であれば、自分自身の命の重みは身に染みて実感している事だろう。不注意による事故であっさり死んでしまう場面には苛立ちさえ覚えた。
裏設定まで把握して観れば腑に落ちたのだろうか。少年達の名演が光っていただけに、最後まで気持ちが乗り切らず残念だった。
またね、友達
時々、この時期に見とけば良かったと思う映画がある。
本作はまさにそう。
去年の夏、見とけば良かった…。
昨夏の公開時、口コミで評判なのは知っていた。でも地元の映画館では上映せず。
Netflixで配信になり、季節外れの今見ても期待通りの好編だったが、昨夏見てれば格別だったろう。
言うまでもなく、舞台は夏。
青い海と空の長崎のとある田舎町。
その中で出会った少年二人のひと夏の冒険、友情、別れ…。
1980年代。
“あの頃”と“友達”を、大人になった主人公が思い出す。
誰だってある決して忘れない思い出と友達。時代も舞台も違えど、我が郷愁に突き刺さる。
さあ、一緒に遊ぼう!
小学5年生の久田。作文が得意。
そのクラスの中に…
竹本。着ている服が二つしかないほどボロ家の貧しい暮らし。友達はおらず、いつも机に魚の絵を描いている。
貧乏で孤立していて、クラスの皆から馬鹿にされている。
それでも動じない竹本を、久田は“ジャッキー・チェンみたいにカッコいい”と何故か気になっていた。
ある日、突然竹本が話しかけてきた。
“ブーメラン島”の辺りに現れたイルカを見に行こう。
久田もイルカを見たいのはやまやまだが、距離があり、門限もある。
が、竹本はたまたま目撃していた久田の“百円の罪”で脅しをかけ、半ば強引に一緒に行く事に…。
朝早くに出発。久田は親に内緒で。
オンボロ自転車に二人乗り。
何とかスタートしたものの、トラブル続出。
自転車は壊れ、ヤンキーに絡まれ、海で溺れそうになり…。時折助け舟が。
たった一日の事だけど、子供二人にとっては本当に大冒険。
目的のイルカは見る事が出来たのか…?
でもそれ以上に、得たものがあった。
作品は冒険の様を全編通して描くのではなく、あくまできっかけ。
そこから始まるものがある。本作のメインはここからだろう。
冒険から帰って、二人は夏休み、毎日のように遊ぶ。
釣りをしたり、山を登ったり、みかんを盗んだり…。
毎日が、楽しい。宿題するのも忘れるほど。
お互いの呼び方もいつしか、“ヒサちゃん”“タケちゃん”に。
寿司が好きな久田。ある日竹本はボロ家に久田を招いて(多分初めての事)、手作りの寿司を振る舞う。
サバの缶詰めを使った“サバカン寿司”。旨い!
漁師だった久田の亡き父。久田の密かな夢は、寿司職人になる事。
タケちゃんならなれるよ!
作文が得意な久田を凄いと言う竹本。
ヒサちゃんなら物書きになれるよ!
サバカン寿司を振る舞って、夢を話し合って、このシーン良かったなぁ…。
どうして竹本は久田を誘ったのか、その訳も。
ツボを抑え、話は普遍的。だから、その後の展開も何となく予想は出来る。
友情育むも、些細な事で…。
竹本の家に招かれたこの時、竹本の母親にも会う。
竹本は長男。下にまだ幼い4人の弟妹。
女手一つ。スーパーで働いている。掛け持ちもしているから、弟妹たちの面倒は竹本が見ている。
その為、なかなか友達が出来ない。だから母親は、初めて自宅に招いた友達が嬉しい。
「お友達?」「仲良くしてね」。
親としてはごく自然な対応。が、竹本は不機嫌に。
後から偶然会った竹本の母親から聞いたのだが…
こっちは友達と思っているけど、あっちはそう思っているか分からない。もし、そうじゃなかったら…。
ずっと友達がいなかった竹本。何処からが友達なのか…?
そんなの友達と思えば友達…と思うかもしれないが、なかなかにデリケート。実は繊細な竹本のリアルな心情が印象深い。
別に竹本にも母親にも否や悪気があっての事じゃない。大切だからこそ、気を遣いすぎた。
だけどそれが、久田にとってはがっかり。
こっちはとっくに友達だと思っていたのに、あっちはそう思っていなかったんだ…。
何とも歯痒い少年二人の気持ちのすれ違い。
あんなに一緒に過ごした夏休みも終盤はあまり会わなくなり、二学期になってからはまた始めのように距離が…。
一度生じるとぎこちない。なかなか正直になれない。
そしてこういう時に決まって、訪れる。
別れが…。
竹本の母親が仕事帰りに事故死。自分が言った事が原因で二人が距離を置いてしまったのではと気にして…。
竹本と弟妹たちは、バラバラに親戚が引き取る。
竹本の胸中はつらいだろう。父親はとっくに亡くし、母親も突然亡くし、弟妹たちとは離れ離れに。久田ともこのまま…?
久田だってモヤモヤした気持ち。このままバイバイ…?
そんなの嫌だ!
竹本が去る日。久田は居ても立ってもいられず、駅のホームへ。
どうして距離を置いてしまったんだろう。ずっとずっと、もっともっと、いっぱいいっぱい、遊べば良かった。子供ながらの後悔。
子供だからどうする事も出来ない。突然の不幸、別れ…。
小さい身体に色々受けて、でもはっきりと確信した。
タケちゃんは友達。
ヒサちゃんは友達。
“じゃあね”じゃなく、“またね”。
私の琴線と涙腺に触れた。
もう何て、いじらしくて、愛すべき二人!
二人は演じたのではなく、あの頃あの場所にいた。
そう思わせるくらいの自然体。演技はこれが初めて! 番家一路と原田琥之佑の輝き。
二人を見守る大人たち。
久田の両親。怒らせると長崎一怖い母ちゃん・尾野真千子といつもキ○タマ掻いてる父ちゃん・竹原ピストル。この二人もベスト!
夫婦のみならず、番家くんや弟、従姉も含め、“家族”としての絶妙な掛け合い、やり取り。
今ならコンプライアンスに引っ掛かりそうなポカスカポカスカの叩き合いすらも。
口を開けば言い合いや喧嘩。でもそれが愛情深さを溢れ出す。
厳しく怖いけど、いつも全身全霊で愛してくれる母ちゃん。
冒険の朝、粋な計らいを見せてくれた父ちゃん。終盤の優しい抱擁と、さすがの歌声。
家族皆いつも、心も笑顔。
竹本の母親・貫地谷しほりも出番は多くないが、こちらも愛情と優しさたっぷり。
道中助けてくれたカップルも、竹本の親戚も、内田のジジイも、皆いい人ばかり。
大人になった久田役の草彅剛も哀愁や人柄滲ませ、アンサンブルの一人に徹している。
キン消しや斉藤由貴などの80年代カルチャー。
長崎の自然豊かな美しさ。
長崎弁も心地よい。
大島ミチルの音楽も温かく包み込む。
『半沢直樹』などのTVドラマの脚本や舞台演出を手掛けてきた金沢知樹がオリジナル脚本で映画初監督。
自身の故郷を舞台にし、誰の心にも響くノスタルジー。
元々ラジオドラマとして始まり(草彅はこの時から携わり)、諸事情でお蔵入りになったが、晴れて映画として。
出会えて良かった。
キネマ旬報ではベストテンどころか、数人しか票を入れてない。
まあ高尚な批評家様たちにとっては、何も惹かれるものがない、他愛ない、平凡で退屈な作品なのだろう。酷な言い方をすれば、凡作。
本作は凡作なのか…?
私はそう思わない。批評家どもが絶賛するような高尚な作品だけが名作とは思わない。
私にとってはこの他愛なく、ベタな作品こそ惹かれる。話に新味がなくとも、展開がベタで予想付いても、何もかも我が身と心にハマった。
そういう作品も愛される名作なのではなかろうか。
これから何年経っても忘れないだろう。
いい映画だったなぁ、と。
サバ缶を見る度に。
お寿司を食べる度に。
思い出す。
あの頃、あの場所へ。
またね、と会いに行く。
ずっとずっと、これからも、友達。
アンディ・ウ○ーホルの著作権費高かったと思うが。
主人公の机の上にアーサー・ランサム著の『ツバメの谷』があったが、ランサム・サーガ(全12巻)の第二巻である。図書館から借りてきたのだろうが、8月31日に借りている本では無い。なんか、中途半端に感じる。
それは兎も角、この時代の経済や事件を全く無視した寓話でしかない。1982年にハウステンボスの構想がもちあがったし、この頃はバブルが弾ける直前で、所謂、狂乱経済の怒涛の頃。故にハウステンボスなのだ。また、一方でチェルノブイリが事故をおこし、海に入ったり、ましてや、釣った鯖を食べるなんて考えもしなかった。勿論、チェルノブイリ事故がなくとも、鯖は生では食べられない。それを生で食べさせてくれる店があるから、凄い訳で、サバカンを鮨にしている店が有れば即刻変えた方が良いと思う。
兎も角、この類の感動をチープに切り売りするような、稚拙な脚本を作らないで貰いたい。予定調和で終わるのは良いが、夏の終わりの頃なのに、哀愁が匂ってこない。第2成長期に入る手前の微妙な少年期とは思えない。これなら、東京から出て来た少年と長崎の少年の出会いとかの方が良かったと思う。この類の話は大林宣彦監督をリスペクトしているとは思うが、格が違う。
セリフから『うっせーババア』って長崎の方言か?
あの夏の日を忘れない!!
とびっきり刺激的で瑞々しかった夏の日の思い出。
1986年の夏休みのことを、久田孝明は一生涯
忘れないと思う。
家が貧しくて孝明以外のクラスメイトから馬鹿にされている竹本健次。
あることをきっかけに竹本に、
「イルカがブーメラン島に来た、見に行こう」と誘われる。
山を越えてイルカを見に行った日のこと。
小学5年の夏休みのことだった。
大人になった久田を草彅剛が演じている。
小説家の端くれだが、頼まれるのはゴーストライターの仕事ばかり。
妻とは離婚して、一人娘にはたまにしか会えない。
そんな鬱屈した日々。
タケちゃん(竹本)とイルカを見に行った日が無性に懐かしい。
気の弱い父ちゃん(竹原ピストル)と気の強い母ちゃん(尾野真千子)に、
精一杯の愛情をかけられているヒサちゃん。
学校では担任の宮田先生(篠原篤)がヒサちゃんの作文を
褒めちぎってくれる。
だから孝明は作家を志したのかも!!
久田孝明の子供時代を番屋一路。
竹本健次の子供時代を原田琥之佑が好演。
気弱な久田に比べると、気が強く男気がある竹本。
野生的だ。
竹本は山の事ならなんでも知っていて、ミカン山の内田のじじいの知り合い。
ある意味でどこでも生きていけそうなタケちゃん。
ヒサちゃんは強い母ちゃんに依存してるだろな。
そしてある日。
タケちゃんの境遇が一変する出来事が起こる。
そして別れ。
そうだ。
その前に「サバカン」の題名の由来を・・・。
タケちゃんは生寿司の好きなヒサちゃんに、
自前で寿司を握ってくれる。
それが、サバカンの味噌煮をすし飯に乗せて海苔で巻いた
「サバカン寿司」
なんと大人になったタケちゃんは希望通り寿司屋になっている。
サバカン寿司もネタにあるそうだ・・・(人気はないが、)
金山(軽トラで送ってくれた強い男)がタケちゃんに言った。
「負けんなよ!!」
どんな境遇でも、
「負けんなよ!!」
子供たちも、大人たちもみんな
「負けんなよ!!」
そんなメッセージも感じる。
尾野真千子、竹原ピストル、貫地谷しほりなど、共演者が
とてもいい働きをしている。
長崎の景観も最高だった。
泣いたなぁ・・・
観終わったあと、純粋にいいなぁ・・・と思った。
スタンドバイミーではないけど、子どもの頃に夢見るひと夏の冒険。
下り坂で二人乗り自転車。案の定の・・・。
駄菓子屋で不良達との遭遇。
島へ泳いでいるときのトラブル。
みかん畑のじじいとの関係。
ひとつひとつの状況が先読みできてしまうけど、嫌じゃない。
すんなり腑に落ちる。
培われた友情の絆の強さ。
永遠の別れではないのに、涙が出る子供。
それをしっかり受け止める父と母と従姉。
いい作品です。
大人もカッコ良い映画です。
長崎の田舎で暮らす小学生の久田が家が貧乏でクラスでは浮いている竹本にイルカを見に行こうと誘われ一緒に冒険したことから仲良くなるひと夏の話。
『となりのトトロ』を大人になってから見返した時と同じ気持ちになった。私の中のノスタルジースイッチが連打されてさらに「大人になってしまった自分」をもう一度見つめさせられる。
ポスターに「子供が主役」とあるのだけど、脇にいる「大人たち」がとても良い。意地悪な大人もいるけど、いつもはだらしないとーちゃんやいつもは怖いかーちゃんが時折見せる愛情や、無言で助けてくれる通りすがりのにーちゃんやねーちゃんが印象的。この大人達を見て今の自分は、こんな風に誰かを助けてあげれるかっこ良い大人に全然頭も届いてないし、まだ誰かに助けられて生きてる大人子供だ!と思った。
それに加えて、冒頭で「じいちゃんの葬式以来〜」と言っていたことが久田のお父さんのことだとすると、辛い時に無言で抱きしめて慰めてくれるとーちゃんはもういないという事実が、より戻れないあの頃を強調されてエモ悲しかった。
ノスタルジー感だけじゃなく、良いなと思った所は、大人達が過剰に介入しないこと。常に大人があの時一瞬だけ関わった人という立ち位置が良い。助けてくれたにーちゃんとねーちゃんの関係は兄妹かカップルか分からないし、どうしてねーちゃんが韓国語を読めたのかも分からない。あるのは、あの時優しくしてくれたという揺るがない事実だけ。
あと久田がねーちゃんのおっぱいを見る描写が全然やらしくないのめっちゃ正しいと思った。谷間も見えてないしTシャツ濡れてるけど透けてないし胸が強調されるような服でもない。でも小学生はおっぱい見ちゃうよね。
昭和の家族の良さを感じる
小学生の高学年のどこにでもあったエピソードを心情を見事に描いた作品。
裏表無い家族、ストレートで残酷な子供たち、何もないからこその冒険心から起こるエピソードに自分のその時期を思い出させます。
友達が出来る過程の見事なまでの描写、現代と昔の繋げ方も違和感なくラストの別れのシーンはたかが子供のことではあるけど涙が溢れました。
尾野真千子と竹原ピストル演じる両親初め主人公の二人の少年に関わる大人たちも良い味出ててとても良い映画でした。
孤高の自然児少年と気弱なマジメ少年。二人の少年がイルカを探す旅に出る、一夏の冒険物語です。
最近続けて少年少女の活躍する作品を観ました。
この作品も少年達のひと夏の冒険のお話と知り
観てみることに。
舞台は長崎の海沿いの町。
主人公の二人は、小学5年生。
一人はタケちゃん。 (竹本)
家庭が貧しく、周囲からからかわれている少年。
もう一人はヒサちゃん。 (久田)
ごく普通の家庭の子。クラスでは目立たない。
ふとした事からクラスメイトが
竹本少年の家を見定め(?)に行くことに。
家の近くを何度も素通りし、また歩いてを繰り返し
意地悪な尾行者を捲こうとしていたのだが…
「お兄ちゃん、お帰り」
家の中から出てきた少女の声で
そこが少年の家だと分かってしまう…。
そこは、絵に描いたような「あばら家」だった。
満足し、あざ笑いながら引き上げるクラスメイトたち。
その中に久田少年もいたのだが…。
ある日、久田少年の家に客がやって来る。 誰?
玄関に行くとそこには竹本少年の姿。
「そこまで顔を貸せ」 と言われ
ビクビクしながらついていく。 ドキドキ。
「ブーメラン島にイルカが来ているらしい」
「一緒に見に行こう」
最初は断ったのだが
「イルカに乗れるかも」
と、追い打ち。 (← イルカ大好き)
さらに
「この前拾った100円 どうした? 」
と、ネコババの現場を見たぞ と脅迫… しくしく
こうして二人は、
イルカを探す冒険に出ることに。
イルカ探しの途中では
色々なアクシデント、トラブルが二人に降りかかり
竹本少年は淡々と
久田少年はため息混じりに
周囲の助けもあって、旅はなんとか続くわけですが…
無事にイルカの島に着けるのか
イルカの背中に乗れるのか?
さあどうなる二人の冒険
といったお話です。
◇
小学生が体験するプチ冒険のお話 と
最初は気楽に観ていたのですが…
起きるトラブルやアクシデントの内容が
私にはキツめに感じるものが多かったです…。 う~ん
・島までの遠泳で溺れかける とか
・絵に描いたようなヤンキーからの恫喝 とか
・人を見たら万引き犯と思っている商店夫婦 etc
そんなこともあって
この 「サバカン」
思ったより小骨が多くいなぁ という印象です。
油断して食べていると、喉に刺さります。 イタタタタ。
(※サバ缶は好きなんですが …汗)
◇ あれこれ
友との会話
「なんで僕をイルカ探しに誘ったの?」 (久)
「笑わなかったから」 (竹)
家を見て笑ったヤツらの中でお前だけは笑わなかった
それはほんの些細なコトかもだけど
実は 大事。
とても 大事なコト。
友との会話 その2
引っ越す竹本を見送りに来た久田
「僕たち 友達だから」 (久)
「うん。 知ってる」 (竹)
少ない言葉の上に多くの想いが乗ってます。
イルカに乗った○○
久田が家のTVで海のトリトンを観てます。
再放送? いや 再再放送? いや 再再再再再々
…
まあ、トリトンは名作ですから。
※それはそうと、イルカに乗った少年で
城みちるを思い浮かべるのは
私だけではない …はず
長崎豪雨のこと
80年代の長崎が舞台ということで
1982年の長崎豪雨水害を思い出してしまいました。
竹本の父親も、もしかしたら
この水害で命を落としたのかなぁ
などと考えてしまいます。
人命救助に奔走の末 …とか
(劇中では明かされなかったと思うので、あくまで空想です)
◇ 最後に
登場する人物の中で主人公たち以外のほとんどの人に
名前が無いの?
と思えるくらいに「固有名詞」が出てこなかった気がします。
不良たちやクラスメイトも。
助けてくれた若者にも名前は無い。
海で出会った女子高生も 「お姉さん」 だし
※少なくとも劇中では名前を呼ばれていない気が。
固有名詞で識別されていたのは
・イトコのお姉さん (名前あったけど忘れました…汗)
・内田のじじい (固有名詞…ですよね?)
その二人だった気がします。
ノスタルジックな雰囲気を醸しだすため とか
何か意図があったのでしょうか。 はて。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで
ちょっと期待はずれ
評価が高かったので、ちょっと期待しすぎちゃったかな。
「そこそこ大人のツッパリ、小学生に難癖つける?」「小学生高学年とはいえ、あの距離一息に泳ぎきれる?」と、いちいち気になっちゃって、竹ちゃんのお母さんが事故にあっちゃうのもなんかありがちといえば、ありがちで…他の教科はダメダメなのに作文だけ、突出して才能があるっていう子っているのかなぁ…と、思ったり
あの年頃の男の子のひと夏の思い出、とはいえ、いろいろ詰め込み過ぎ感がありました。
でも、竹ちゃんを見送った後、お父さんに抱きついて号泣する主人公には思わずもらい泣き。
竹原ピストンの「酒と涙と男と女」が聞けてよかったです。
やさしい気持ちになれる
流れる音楽やアイドル、学校の感じなどが子供の頃を思い起こさせてくれる。
友達と遊び終わって帰るときは「またねー」だったなとか…
何でもできると思ってたことも、思い出させてくれました。
みんな、何してるんだろう…
友達って思っていたみんなが、同じように思ってくれていたらいいな。
王道青春活劇
小学生2人がイルカを見に“ブーメラン島”を目指す青春冒険物。
道中に商店の店主と喧嘩したりヤンキーに絡まれたりするシーンなどスタンド・バイ・ミーを彷彿とさせた。
かけがえのない友情、家族の暖かさ、年上のお姉さんへの憧れ、少年時代の甘酸っぱさが感じられるそんな作品。
昭和ノスタルジーに安心して身を委ねられる至福時間
竹ちゃん、またね。またね久ちゃん。
「またね」という言葉がこんなに沁みるとは。。。
弟を叩く兄、その兄の頭をはたいて叱る母、普段は冗談を言ってばかりだけど、ここぞという時に現れてはさりげなくサポートして包み込んでくれる父。
これぞ昭和ノスタルジー。
ストーリーはこうなってこうなると容易に想像できるが、後半、竹ちゃんの母の葬儀に訪れた久ちゃんの顔を竹ちゃんが見たシーンで涙腺が緩んだ後、貯金箱に貯めてたお小遣いでありったけのサバカンを買って竹ちゃんに渡すシーン、いつも竹ちゃんにミカンを盗まれては叱っていたミカン農家のおじちゃんが袋いっぱいのミカンを売り物にならないボロだと言って竹ちゃんに渡すシーン、列車で遠ざかる竹ちゃんと見送る久ちゃんの「またね」の応酬、列車の中で食べたミカンが最高に甘いし、迎えに来た父が「家に帰って母ちゃんの前で赤ちゃんみたいに泣くんじゃないぞ」と言いながら抱きしめるシーンに家の前で帰りを待っててくれて無言で抱きしめてくれる母、そしてエンドロール後に明かされる竹ちゃんの絵、と涙腺閉じるヒマは全く無い。
古き良き時代、昭和という時代の大きさにすっぽり包み込まれて映画館を立ち去るとき、とてつもない懐かしさと幸せに包まれる。
こんなに後味の良い映画ってなかなかないと思う。
がしかし、一つ落とし穴があるとすれば、パンフレットが映画館で買えないこと。
ストーリーも、役者さんの演技も、音楽も、そして風景もとても素敵でパンフレットを買って帰ろう!と思ったら映画館では販売してないって。。。
何度も繰り返して観たい映画ではないけど、映画館で観た後はDVDを購入して、夏の終わりにふと観返したくなる映画だと思う。
ボロは着てても心は錦。
「またね」が深い。
映画を観終わった後のおやつはカップケーキ、夜は河島英五さんの曲を聴きながら行く夏を惜しみたい。
映画館で観る際は大きめハンカチ忘れずに。
海のトリトン
斉藤由貴とキン肉マン消しゴムが大好きな小学校5年の久田。昭和を感じる背景ばかりで懐かしかったけど、思わず食い入るように見てしまったのがTVで再放送されていた「海のトリトン」だった。さすがに斉藤由貴のポスター(とは言ってもカレンダーの写真)にチューするのはやり過ぎ!しかも12月のカレンダーだから、夏にはもう汚れてしまってる気がした。
ひょんなことから仲良くなってしまった久田と竹本。家がボロボロだからといってクラスで友達ができない竹本に対して、唯一笑わなかったのが久田だったのだ。イルカを見るために小冒険に出かけた二人。不良に絡まれたり、溺れそうになったり・・・そんな時に助けてくれたのが金山(八村倫太郎)と女子高生の由香(茅島みずき)だった。
ヤンキーの不良ぶりとか、内田のじじい(岩松了)の姿とかも印象に残るものの、金山と由香のエピソードがちょっと足りないような気がした。名前からもハングルをすぐ読めることからも、二人は在日朝鮮人なのだろう。広がる海の彼方にはまだ見ぬ祖先の故郷があるはずだ。はるかな波の向こうには夢の世界があるのだろう・・・と考えていたのかもしれません。逆に、少年たちは未来など求めていない。現実あるのみ!と受け取れた。
イルカを求めて冒険する2人の少年。脳内には「海のトリトン」のテーマ曲が駆け巡っていたのですが、ここで「イルカにのった少年」の城みちるがサプライズゲストで登場すればもっと面白かったのになぁ。そして、久田の父役竹原ピストルが歌う「酒と泪と男と女」。いや、子どもには難しかろう・・・ちょっとチグハグな感じもしたけど、大島ミチルの劇伴(BGM)が素晴らしく良かったので気分はもう少年時代。思いっきり久ちゃんに感情移入してしまった。タンタン岩、ブーメラン島・・・RPG気分。そういや86年はRPG「ドラゴンクエスト」が発売された年。どことなくドラクエ風の音楽(オーケストラバージョン)でもあったなぁ♪
そして悲しい別れのシーン。海辺を走る電車がとてもいい。岩松了の登場でさらに涙腺崩壊。典型的なお涙頂戴ストーリーなれど、昭和を生きてきた人にとってはグサリと刺さるはず。そして今日は8月31日・・・宿題仕上げなきゃ。懐かしい。まぁ、俺は8月30日にはやり終えたけどね・・・読書感想文は後に延ばして・・・
映画の帰りにサバカン寿司を食べてみたくもなったけど、家にサバの水煮が一個あるのでそれで我慢。何しろアルツハイマー認知症予防にもなるため、定期的に食べています。最後に、おっぱい好きは少年だけではないぞ!と言いたい。
では、またねー
その時代に生きていないけど
評判だったので鑑賞
ラストのエンドロール前のシーンで思わず泣いてしまった。
等身大の小学生がそこにはあって、きっと俺もあの子たちと同じ時間は過ごしたんだろっなーって。
両親役の2人も良いよねー。
お父さんが自転車整理してあげたりするところとか。
あと、帽子を託して負けんなよ、、、
いーね。
80年代を俺は生きていないけど、彼らと同じ時間を自分も過ごしてたよなーって思える映画だった。
夏の終わりに見たい映画。
主題歌好き。
92/100
好きなサバ料理はトロッとしたサバの味噌煮
かなり高評価なのもあり、少し遅れながら鑑賞。とても良い…!だけどあるシーンが引っかかって惜しいなーと感じた一本でした。
良かった点
・出会いから別れまでが小学生の頃を思い出させてくれる
小学生の頃って、なんの気無しにひどい言葉を発したり、行動に移したりしてたなと思うようなシーンが序盤に詰め込まれています。その人にとっては隠したいことなのに、それを曝け出したくなっちゃう、無邪気が故に起こってしまう出来事が明瞭に描かれていてなんだか懐かしく思えました。夏休みになったら遠くへ遊びにいきたくなる、道中とにかく色んなトラブルに見舞われる、途中で会う女子高生に目を奪われる(特におっぱいに笑)、呼び方ひとつ変わっただけでなんだか嬉しくなる、こんな事あったなを追体験できる作品でした。
夏休みの間に2人で出かけて色んなことを教えてもらって、そんな中の悲劇、そして別れ、互いに涙を見せずに別れの挨拶「またね」を言い続けるシーンはグッときました。友達かどうか分からないと言われて疑心暗鬼になっている中からの勇気を振り絞って会いにいく、貯めていた貯金全部使って思い出のサバ缶を携えて。別れた後は父親の胸で大号泣、父親もガシッと受け止めてくれる、父親の気持ちになって見るとこれまたグッときてしまいました。
そして数十年後、再び2人がサバ缶を携えて長崎の地で会うラストもまた良かったです。
悪かった点
・主人公の母親
自分は昭和の頃をあまり知らないので、どのような家庭状況だったかまでは分かりませんが、いくらなんでもパチンパチン叩きすぎじゃないか?と思ってしまいました。そこが笑いに繋がっているかもしれませんが、自分は笑えなかったです。あと金玉発言が多いのもなんだか。蹴らないで〜。
・道中の商店とヤンキー
最初の旅の道中で立ち寄った商店の夫婦が万引きだかなんだか騒いでいるのはシンプルに目障り聞き障りでした。そりゃクソジジイクソババア言いたくもなるよなと思いました。経営どうなってるのやら。あとヤンキーも見てただけでガン飛ばすのはまだしも、主人公を女の子と決めつけ脱がそうとするのはまた過剰に描きすぎでは?と思ってしまいました。ここは価値観の問題ですね。
主題歌もしっとりしていて聞き心地が良いですし、96分という長さもちょうど良かったです。いや〜シネコンでかかってる邦画の中では久々に良いものが見れました。サバ缶寿司、これは絶対に美味しい。
鑑賞日 8/29
鑑賞時間 17:10〜18:55
座席 F-8
サバ缶で寿司を握ってくれたのが上手くて忘れられなかったというだけの話なんです。それだけのことが、一本の映画に。
物語はまず現代から。久田孝明(草彅剛)は貧しい作家でした。別居中の妻子への送金も滞りがち。パソコンを前に苦吟する毎日ですが、小学生の頃は作文が得意だったのです。
こうして「僕にはサバ缶を見ると思い出す少年がある」という久田の言葉から始まる、遠い昔の子供の頃の想い出話。
物語は一気に、久田が小学生だった頃の1986年の長崎へと遡ります。
普段は下品で格好悪く妻の尻に敷かれている孝明の父広重(竹原ピストル)と孝明曰く「怒らせると世界一怖い」が、心から家族を愛している孝明の母良子(尾野真千子)。ふたりは夫婦喧嘩は多いが愛情深かったのでした。
そんな両親と弟と暮らす久田孝明(子供時代・番家一路)は、斉藤由貴とキン肉マン消しゴム、そして女性のおっぱいが大好きな、おませな小学5年生でした。
ある日久田は、竹本健次(子供時代・原田琥之佑)から、『ねえ、そのイルカ、一緒に見に行かん?』と誘われます。なぜ親しくもない久田を、竹本は誘ったのでしょうか?
竹本いつもクラスメートから貧乏をからかわれ、友達がいなかったのでした。おまけに貧乏だったのも漁師の父が他界してしまったから。ボロ家で母や4人の弟妹と暮らす彼は、年中ランニングシャツを着て、いつも一人で机に魚の絵を描いていました。その点久田はガサツだが愛情深い両親に育てられたためか、純朴で元気なクラスの人気者となっていたのでした。終盤で誘った理由は竹本から明かされますが、やはり久田の性格によるところが大きかったようです。
竹本からの突然の誘いにもイルカに乗ってみたかった久田は、『いくばい。ブーメラン島に』と即答します。こうしてふたりの少年は、子供用の自転車に跨って、イルカを見るためにブーメラン島を目指すことになったのです。
それはまるで映画『スタンド・バイ・ミー』の「おとなしい男の子が活動的な友達と一緒にちょっとした冒険の旅に出る」というストーリーと、それを「遠く過ぎ去った夏の一日を、作家になった男の子が回想する」という物語の設定を思い出さざるを得なくなるほど酷似した話でした。
タイトルにもなったサバ缶の思い出というのもたいしたものではありませんでした。竹本が家に来てくれた久田を持てなすために、サバ缶で寿司を握ってくれたのが上手くて忘れられなかったというだけの話なんです。それだけのことが、一本の映画になってしまったのです。
もちろんブーメラン島に自転車二人乗りで向かうことは、小学5年生にとって大冒険だったことに違いはありません。急な坂道に四苦八苦し、陸地からかなり離れた島まで泳ぎ切ることも危険が伴う挑戦だったことでしょう。途中ヤンキーに絡まれたり、久田が島に着いてから足が絡まり溺れかけたりします。
でも冒険にしては割とあっさり島に辿りついてしまうのです。おまけにお目当てのイルカのことなんて脇に置いて、島で偶然であった少女との出会いの方にポイントが移行して、冒険という本来のイメージがかなり薄れてしまいました。
むしろ本作ではサバ缶の話やブーメラン島の冒険話よりも、後半の家庭の事情から転校することになってしまった竹本と久田の別れのシーンがグッときます。
涙ぐむわが子にそっと近付いて、何も言わずに肩をポンポンとタタいて慰める父・広重の優しさにもほろっと泣かされました。竹原ピストルは理想の父親像を演じて感動しました。
そしてお話しは現在の久田に戻っていきます。はたして過去を振り返ることで久田は何かを掴み、別居状態にある妻子との寄りを戻すきっかけとなることができるのでしょうか。(見てのお楽しみに!)
本作で問題なのは、宣伝文句。「主役は子供です!」と謳いつつも、ことあるごとに「ミッドナイトスワン」の草彅剛の感動ふたたびと、草彅剛の出演をアピールしていたのです。しかし草彅の出番は冒頭とエンディングのわずかなシーンのみ。友情出演レベルでしかなかったので、草彅出演をあてにして見に来た人にとっては、誇大広告だと文句をいいたくなる宣伝内容でした。
。それでも竹本と久田の少年時代を演じきった主役のふたりの子役が見せる自然体でふたりの息の合った演技は見事です。この子たちの好演には大人の観客がノスタルジーをかき立てられた人が多くいたようで、映画サイトのポイントを押し上げているようです。
ちなみに主役のサバ缶ですが、水煮なのかみそ煮なのか醤油煮なのか正体は不明でした(^^ゞ
追伸
竹田がいつもみかん泥棒をしていたみかん園では、そこの農家の内田(岩松了)から追いかけられていたようなのです。
竹田が久田を誘ってみかん園に行ったとき、いつものように内田は追いかけてきたです。でも内田は老人のはずなのに何故か異常に足が速かったです。どんなにふたりが息を切らして逃げ回っても、内田は必ずふたりの先回りしているのは、何か超能力的な術を駆使していたのでしょうか。疑問です(^^ゞ
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