「親子の絆?」百花 りかさんの映画レビュー(感想・評価)
親子の絆?
シングルマザーと息子が二人で仲良く暮らしていた。
息子泉が小学3,4年の頃、母は好きな男ができた。男は仕事の都合で神戸に行くことになる。
母は、男のことが好きでたまらなく後を追い神戸で新居を構える、
楽しく暮らしていたが、震災で周辺が壊れ、
男が居なくなってやっと我に返った母はようやく息子泉を思い出し、ほって来たことを悔やみ、多分家に帰る。
男はどうなったか、震災の犠牲になったか、わからない。
幾歳月過ぎて息子は結婚してもうすぐ子供が産まれる予定。
母は、ピアノ教室を開いているが。
実家に戻ると母と話が噛み合わない。
認知症の傾向がある。
義理で正月に帰っても妻からの電話を仕事と偽り早々に帰宅する面もあるし、
とぼけたことを言う母にボロクソ言うが、
幼い頃の母との楽しい思い出がよぎり、
大事にしてもらっていた幸せな自分を思い出し
母を切なく思いもする。
認知症が進み施設に入ることになり、
時折見舞う泉夫婦。
母がすっかりわからなくなった為家を片付け処分しかける。
そうこうしているうちに、団地の向こうに
見える半分建物に隠れて見える花火。
泉はやっと気づく。
母が見たいと言ってた"半分の花火"はこれだったんだ、と。
母の言わんとすることを理解していなかったのは自分だと。
この母、若い頃から認知症だったのでしょうか。
小学生の息子をたった一人おいて家出、とは考えにくい。年を経ると共にキツくなって来た。
息子泉は、病気と思っているのか、ただただ捨てられたと思っているのか。
空き巣の狙っていたモノと同じく母と泉の大切な思い出は、母がいくら忘れてしまっても泉は忘れることはできない。
ま、泉くん、お母さんがご存命のうちにしっかり親孝行してあげてください。後悔しないよう。
おはようございます。
いつもありがとうございます。
さて、私がこの作品に対しいちばん難しく思うのがタイトルです。
「百花」
一輪挿しと黄色い花
1月1日の誕生日
そして花火
このあたりにヒントがありそうなのですが、わからないのです。
決して絶やすことになかった母の一輪挿し
母の心の支えと記憶の象徴
現実の花と、花火という儚い花
母にはこれらの花にその時々の大切な記憶が一緒に存在します。
それはおそらく100ほどあるという例えなのでしょうか。
母の心の支えはピアノであり、夫であり、イズミであり、愛人であったのでしょう。
そこにいつもあった花 そして花火と時々の想い出
ひとつひとつその存在を失っていって、やがて記憶も失っていく。
あんなに見たがっていた花火と一緒にいたイズミの記憶が消え、最後に残ったのがピアノだったのでしょう。
100あった思い出が1個1個消え、最後に残ったのがピアノだった。
このピアノが最後の花だったのかなと想像します。
つまりタイトルは、すべてがある状態である「百花」から、徐々に失われていく記憶を花にたとえているのかなと思います。
でも正直自信がありません。
ただ、このように考えさせてくれるところが邦画の魅力的なところですね。
コメントありがとうございます。
さて、難し作品で多義的ですね。
描かれない箇所が多いので、想像しかないのですが、その主観は当然誰も一様ではありません。
その余白に「私自身」と重ねて見る作品なのでしょう。
りかさんの解釈もありだと思います。
認知症というより、都合に合わせた思考回路がやがて本当の認知症を招いたのかもしれません。
この都合のいい解釈は誰もがしますが、同じものを一緒に見ているのに大きく解釈がズレる場合がそれにあたるのでしょう。
そういう人を描いているのかもしれませんね。