「結局誰にフォーカスを当てた作品なのだろうか」百花 ニコラスさんの映画レビュー(感想・評価)
結局誰にフォーカスを当てた作品なのだろうか
若くして認知症を患う母と触れ合いながら過去の記憶を辿る息子の物語なのだが、観ていても母(原田美枝子)の息子(菅田将暉)への懺悔か悔恨なのか息子(菅田将暉)の母への恨み節なのかはたまた自分自身が忘れてしまっていた母との記憶、その思念への詫びなのか、どうにも大きな幹が見つけられないまま上映時間が終了してしまった。
過去の母から受けた仕打ちなのだろうか、息子の母に対する接し方はぎこちなく淡泊を通り越して無関心なようにも映り、母は母で、その当時のことを引きずっている風でもないように感じられ、そうすると終盤で母が謝るのはまだしも、何故息子が謝るのかが今一つ共感できないままだった。
できればもう少し長尺になっても良いから母が何故いつも黄色い服(そして一輪挿しの色も)なのか、自分の幼少期の記憶を生まれ来る子供に対してどう変換して行くのか、妻(長澤まさみ)とどう向き合おうとするのかを見せてくれたら入り込めたかもしれないと、やや残念に感じた。
それにしても最近のドラマには国内外を問わず嘔吐シーンを多用するのでしょう?嘔吐する原因も明確では無かったような気がするんだよなぁ。
今晩は。
今作は、川村元気さんが芸術性を求め過ぎた結果、やや分かりにくい作品になった事は否めないと思います。
但し、拙レビューにも記載した通り、人生には”魔が差すことがある”ことを経験した人がある人は多少はいるのではないかと思います。(自分自身にも・・。家人に酷い事を言ってしまったり・・。私にとっては”小さな魔”ですが、家人にとっては”大きな魔”かもしれません。)
今作で、原田さんが演じた母親の行いは許されざる行いであり、私はその罪に対しての若年性アルツハイマーが天罰だと思って観ていました。
母親が小学生だった息子を置いて、一年好きになった男との経緯を記したと思われる(劇中の流れで、推測できます。)手帳を読んでしまった息子が、嘔吐したシーンは、私は納得出来ました。それは母親の行動理由への嫌悪感からだと思いました。
息子が謝るのは、彼が母に対する当たりまえの違和感に対して、母の想いを年を経て、”徐々に母は自分を愛していた”事を理解し、”赦した”からではないかと思いました。この作品には、父親が出てきません。息子にとって、母は、”いつでも黄色い服”を着ているイメージがあり(それは、幸せだった頃、母親が息子に対し、一輪挿しに拘った向日葵の黄色からだろうと思いました。(ですので、実際には黄色の服を着ていなかった事もあっただろうと、推測しました。)
私はそういう経験がないので、イロイロと推測しながら鑑賞しましたが、今日、このサイトを代表するレビュワーさんから”母親の行動には、吐き気を覚えた・・”と言うコメントを頂き、実際に似たような経験を幼時に経験した方には赦しがたい映画何だな・・、と思いました。では。