「記憶は枯れようとも、再び咲き開いた半分の花火の思い出は、心に残り続ける」百花 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
記憶は枯れようとも、再び咲き開いた半分の花火の思い出は、心に残り続ける
認知症の母と息子。
プロット的にはありふれている。
が、本作が初メガホンとなった近年の日本映画のヒット仕掛人、川村元気プロデューサーによる巧みな見せ方、流麗な語り口、美しい映像、キャストの熱演(特に原田美枝子)で、ヒューマン・ドラマの秀作となっている。
誰だって一本くらい、川村元気がプロデューサーや脚本家として関わった作品を知り、見てもいるだろう。そのラインナップを今更おさらいする必要すらないほど。
小説家としても著書を出し、映画化されているが、その時は他者が監督。しかし今回に限っては、自ら監督(しかもデビュー)。
これまで多くの卓越した作品を手掛けながら、やはり最も自分の心にあるのは、普遍的なもの。パーソナルなもの。自身の祖母がベース。
それほど思い入れあり、覚悟を決めた作品なのだろう。
認知症を題材にした作品と言うと、邦画難病映画ありがちの湿っぽさ、辛気臭さ、ベタな家族愛が定番。新味あったのはユーモラスとハートフルを織り交ぜた『長いお別れ』くらい。
本作は何処か不穏な雰囲気を漂わせ、ミステリーのような構成。それでいて、ラストは深い余韻に包む。
『ファーザー』とまではいかないが、シンプルながら凝った作りに唸らされる。
母・百合子がスーパーで買い物をするシーン。卵などをカゴに入れ、走り回る子供に声を掛ける。すると、また似たようなシーン。それが二度、三度と続く。
団地の階段を登り、同じ階数と遊具が置かれた踊り場。
デジャヴのようなシーン、シチュエーション。
これが、認知症を患う人の“視点”なのだろう。
そんな見せ方によって、見ている我々もあたかも“頭の中の迷宮”に迷い込んだような錯覚にさせられる。
母・百合子と息子・泉。
母一人子一人、支え合って生きている…と言い難い。
決して仲が悪いというんじゃなくて、確執と言うかわだかまりと言うか、何かこう、“隔てられた壁”のようなものを感じる。
この母子の間に何があったのか…?
挿入される過去シーンで自ずと察しは付くが、開幕シーンからすでにそれを語っている。
泉が仕事から帰ると、母が居ない。探し回るが、その困惑ぶりが並みじゃない。
自分にとって最も恐ろしい事。悪夢の再来のような…。
泉がまだ幼い頃、母は家を出、知り合った男と暮らしていた過去がある。
泉にとっては今も思い出すと吐き気を催すほどのトラウマ。
母が居ないは、イコール再び母に捨てられた。
さらに、母の認知症が発覚。忘れていくというのも、二重にまた母が居なくなってしまう恐ろしさに比喩する。
泉の悲しさ辛さも分かるが、母・百合子の方が複雑な内面を魅せる。
それを体現した原田美枝子。
クレジット上は菅田将暉が先だが、間違いなく本作の主演は、原田美枝子。
最近助演が多かったが、久々の堂々たる主演で(遡って調べたら、映画主演は2002年の『OUT』以来!)、その演技力を存分に発揮。
認知症を患った不安定さ、母としての優しさ、温かさ、一人の女性としての美しさ、愛らしさ、一人の人間としての悲しみ、苦しみ…。
改めて、名だたる名匠に愛された素晴らしい名女優である事を認識した。
本作は彼女にとっても特別な気持ちで望んだ作品であったろう。2020年に認知症を患った自身の母を捉えたドキュメンタリーを監督。
身内の認知症を目の当たりにし、経験したからこそ、本作での圧倒的リアリズムに打ちのめされるのだ。
本作での演出や演技を巡って、激論を交わしたという原田と川村。
それほど描きたいもの、体現したいもの、訴えたいものが各々あったという事だろう。
それが、映画を作るという事だ。それが、映画の中で一つの人生を生きるという事だ。
菅田将暉は抑えた演技で息子の悲しみ、辛さを滲ませる。唯一感情を爆発させた夜の海辺のシーン。息子の全ての思いが蓄積され、菅田の熱演と共に印象的なシーンとなっている。
泉の妻役に長澤まさみ、百合子の過去に関わる男に永瀬正敏、実力派が脇を固めるが、ほとんどが原田と菅田で占められる。
ワンシーンワンカットを多用し、登場人物の心情の揺らぎや彷徨の様を表し、キャストの演技に引き込まれる。
巧みな演出や編集。現在と過去を交錯しつつも、無駄な描写は省略。
見る者を誘う映像美。その最たるは、夜空に咲く半分の花火。
その中に、母と息子の物語をストレートに情感たっぷりに語る。
認知症の進行は止める事が出来ない。
花が枯れていくように、花火が散るように、記憶がどんどん失われていく。
どちらが辛いのだろう。どちらが悲しいのだろう。
決して幸せな思い出や綺麗事ばかりではない。暗い思い出も多々。
それも含め、思い出を忘れていくのと、忘れられていくのと。
子供を捨て、男に走った。母の過去の行為は許されるものではない。この点、レビューで激しく賛否分かれているのも当然。
自身の女としての幸せを望みつつも、決して忘れられぬ息子の存在。再会した不倫中の旧友と会った時も言葉を濁す。
そして、あの大震災。全てが崩れた町中を彷徨し、その先に見つけたものは…。
絶望の中にも美しく輝く母なる太陽。かつて、息子と見た太陽を思い出す。
そして、思い知る。何より大切な存在を。自分の愚かな過ちを。
それは母にとって、ずっと悔やんでも悔やみ切れない罪だったのであろう。
抱えたまま生き、何処かぎこちない親子関係が続いていたある日突然、我が身を襲った病。
自分が自分でなくなる前に…。
とりわけバス停での抱擁と告解。
枯れかかっていた親子の花が、再び咲き開いた。
が、母の病は避けられぬ。
親子の絆もまた失われてしまうのか…?
否。
花は散り、花火は消えても、心に残り続ける。
いつか見た、そして今また見た、半分の花火の美しさのように。