「クズの作り方(レシピ)」冬薔薇(ふゆそうび) シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
クズの作り方(レシピ)
好きか嫌いかというと、そんなに好きな作品ではないし、本作の前に『夜を走る』という作品もレンタルで鑑賞したが、そちらの方が映画としては面白かったし好きでした。
でも、感想はこちらの方が書きたいという気持ちになってしまった。
映画としては優れた作品だったし、物語にも引き込まれましたが、なんか好きになれない内容だったので逆にそれを考えてみたくなったのかも知れませんね。
そういう意味では上記作品の『夜を走る』と対比させて考えると分かり易い様な気がします。本作はいわゆる“クズ人間”の話ですが、『夜を~』は真面目人間が壊れる話でしたから…
今回のレビュータイトルを「クズの作り方(レシピ)」としたのですが、クズ人間はどうしてクズになってしまうのだろう?の答えは家庭環境等々、物語の中で丁寧に描かれていました。
そしてこの主人公の場合、立ち直るチャンスも沢山あったにも関わらず結局更生出来ないまま終わりました。
まあ、大衆向けの作品だと感動させながら更生して終わるのが定番ですが、この辺り阪本監督らしく厳しく救いを用意していませんでした。現実を見渡してもこちらの方がリアルですしね。
で、話を戻し「人はどうしてクズになってしまうのか?」ですが、料理に例え、料理の美味しい→不味いを人間の善人→悪人と変換し、その度合として考えると分かり易いかも知れません。
美味しい料理を作るには良い食材と優れた料理人(調理)が揃えばほぼ間違いなく出来上がるし、普通の食材と普通の人でも、普通に(美味しく)食べられる料理は作れるでしょう。
では、不味い料理はどうしたら出来るのか?、を考えると、まず食材が腐っていたら不味いでしょう。次は料理法を根本的に間違えた場合(例えば、塩と砂糖やミリンと酢を間違えたり)も間違いなく不味くなります。
でも、これは極端で『夜を~』の主人公の真面目人間が突然壊れるような極端な場合であって、本作の場合はもっと微妙な間違いが重なり合い、結局不味い料理になってしまったという風に感じられます。
主人公自身、絶対悪の様なタイプではないですが、知性・性質(食材)や環境・生い立ち(調理)等々の悪条件が少しずつ重なり合い、短所が長所を覆いつくしてしまったのでしょうね。
ひょっとしたら、美味しい料理にもなれた筈なのに、ちょっとした手違いの積み重ねでクソ不味い料理になってしまったという、厳しくも現実的な物語でした。
しかし、この『冬薔薇(そうび)』というタイトルにした意味は何だったんだろう?