「刺され誰かの胸に、の誰かの顔を具体的にイメージできてないから散漫な映画が完成する。」ハケンアニメ! 東鳩さんの映画レビュー(感想・評価)
刺され誰かの胸に、の誰かの顔を具体的にイメージできてないから散漫な映画が完成する。
インディーズ映画の掘り出し物探しもマジ駄作ばかりで飽きてきて、最近はちゃんと面白そうなメジャー映画を観るようにしているのに何故か駄作ばかりを連続で引き当ててしまって、口直しに評判は良さそうな今作を観ることにしました。
が、これも駄作とは言わないですけど中途半端に散漫な映画でしたね。
興行的にも初週でトップテン入りを逃したと知って、だろうな、と納得できる出来映えでした。
劇中のセリフを借りると、刺され誰かの胸に、の誰かの顔を具体的にイメージできてないから散漫な映画が完成するんですよね。
アニメ好きに刺さりたいのか、職業バックヤードもの好きに刺さりたいのか、声優オタに刺さりたいのか、夢追い物語好きに刺さりたいのか、または実際に物作りをしている人に刺さりたいのか。
そういう具体的なイメージが出来ていないでボンヤリしたイメージで色んな人に好かれようとあれもこれも描くから散漫な話になるんですよね。
おそらく原作の伝えたかったメッセージを1番分かっていない映画スタッフに実写化されるなんて、なんとも皮肉な話です。
原作を読んでないので原作の良さを映画が殺しているのか、それとも原作より映画がマシになっているのかは分かりませんけど、脚本にはダメなところがいっぱい目立ちましたね。
描きたいエピソードと描かなくてもよいエピソードの取捨選択が出来ていなくて、編集でもカット出来ていないから話を盛り込みすぎて流れが全部グチャグチャになっているんですよね。
食べ放題に来て元を取るためにムリヤリ色んな料理食べる人みたいな。
デザート食べたのに、新しい肉料理来たからそれにも手を出すというか。
あれ食べてこれ食べての連続で、前菜から落ち着いて一品一品を順番に食べきってくれない感じです。
唯一の救いは監督でしょうかね。多分、この監督は優秀ですね。
このダメな脚本では監督が違えばマジで観られたものじゃない可能性がありました。
それぐらい脚本は酷いです。監督は比較的優秀です。
脚本を本打ちで直せない、編集でも切れないという意味では監督もまだまだ未熟ですが、今後には期待しましょう。
まず、冒頭からアニメ雑誌が書店に並ぶ前までのシークエンスが不要です。
アニメ雑誌並びます、ナレーションベースでザックリとアニメ業界の説明します、タイトルイン。
なぜこれで始まる編集にしなかったのか?
この辺の編集とか演出はとてもテンポが良くて気持ち良いのに、その前まではマジでテンポ悪くて客の興味を削いでます。
面接シーンからいきなり時間を飛ばして7年後、なら面接シーンの小出しも不要でしょう。
あとでいくらでも差し込む場所はあるし。イメージカットみたいな机もそう。要らないです。
編集スタジオの長回しも、冒頭でムリヤリ主要な登場人物をいっぱい出す必要がない。
しかも長回しだからあらゆる間と間が間延びしてタルすぎる。
小野花梨のくだりなんてマジでどうでもいい。
デートとかペンネームとか作画とか、このキャラが主役なら分かるけど、世間的に無名な役者で映画の中でも重要でもないキャラに冒頭で時間を割きすぎです。
しかもコイツだけ長回しでもなくシーンを割って丁寧描くから、見ている観客に誤解が生じます。
重要なキャラだと思っていたら、全然重要じゃないので、無駄なフラストレーションを与えています。
キャラの優先順位を間違いすぎです。
冒頭だけじゃなく、小野花梨と工藤阿須加と六角精児のくだりは全部カットでいいぐらい不要です。
あとタイマン記者会見シーンが長い割りに絶妙に面白くない。
中村倫也の変人ぶりが描きたいのか、カリスマ性を描きたいのか。
吉岡里帆の中村倫也に対する憧れを描きたいのか、覇権を取る宣言を描きたいのか。
この辺が、全部混ぜ込んでしまっているからグチャッとしたシーンにしかなってない。
このシーンまで観て、傑作になる要素はあるけど、絶対大した作品じゃないと核心しました。
ので、あとは流してしか見てません。
が、気になったのは群像劇的に色んなキャラを出し過ぎてキャラの感情、おそらく主人公の吉岡里帆のキャラさえも感情の流れが不自然だったことでしょうか。
そもそも吉岡里帆は何が目的なのか?
アニメでハケンを取りたいのか?
中村倫也に勝ちたいのか?
面白いアニメを作りたいのか?
いじめにあってる隣りの子を励ましたいのか?
過去のトラウマを払拭したいのか?
そういうのも絞れていないから、何がしたいのか分からない魅力無しキャラと散漫なストーリーが出来上がります。
中村倫也からアドバイスもらったら喧嘩した声優のSNS見てすぐに仲直りすればいいのに、ライバルアニメに負けてる、代打だと知る、フラストレーション溜まる、ストレス発散にボクシングしたら尾野真千子に遭遇する、話したらまたやる気出てくる、ふとSNSチェックする。
声優は声優で良い子だと気付いて謝って仲直りする。
……中村倫也のアドバイスから声優と仲直りまでが時間的に離れすぎだし、それよりは大きな葛藤が出てきたのに、小さな葛藤に話が引き戻されるのがとても不自然で観客には苦痛です。
柄本佑も実は吉岡里帆の実力を評価していたのなら、それまでの冷たい言動も意味不明だし、代打の噂の出所もご都合だったことになるし、脚本家のキャラも吉岡里帆を敵視していたのに、ラストの方でいきなり協力的だし、前野朋哉は柄本佑が良い奴になった代わりに急にイヤな人に転身するのが気持ち悪かったです。
それにあのタイミングで吉岡里帆が倒れるのはご都合だし、前兆がなさ過ぎて唐突感がすごいです。
中村倫也が尾野真千子に告白するのも意味不明で鳥肌ものです。
そんな感情、どこに片鱗があった?
あと根本的なところで、日本人がいくらアニメ好きとはいえ、今クールのハケンアニメはどのアニメか?を国民の多くが注目し過ぎていて気持ち悪いです。
それはどこの国の話なんだろうか?
覇権って言葉も一般まで浸透しすぎていて……。
アニメで1番は分かるけど、全部が同じ曜日同じ時間帯に流れているわけじゃないから、単純に順位をつけられないはず。
しかも、視聴率を競っているのに、スマホで見ている人がいるのは何で?
テレビとネットで同時に流すはずなくない?
そして、この手の物語に有りがちな問題はアニメが面白い前提の話なのに、そのアニメが面白そうにはまったく見えないことです。
天才ボクサーの物語を考案しても、どんなに演技が上手な役者を連れてきても、撮影で工夫しても、特訓しても、決してボクシングが強く見えないのと一緒ですね。
せいぜい頑張って演じてるな、ぐらいで。
そのジレンマがあるから、アニメ盛り上がってます、日本中も盛り上がってます、という展開に白けてしまうんですよね。だってそもそもアニメが面白そうには思えないから。
この映画のためだけに頑張ってアニメ作ったのは分かるんですけどね。
中村倫也が発する、クリエイターがクリエイトする苦しみみたいなセリフは良かったですね。
でもだからこそ、中村倫也のキャラにガンダムのシャアのセリフとかを安易に言わせないで欲しかったです。
クリエイトする苦しみを知っているクリエイターが人の作品から安易にセリフをパクる人間性なのかどうか、考えたら分かりそうなものですけどね。
原作が他アニメのセリフを引用させていたとしても、そこは考えて欲しかったですね。
まぁ、安易にセリフをパクっちゃう程度の志の脚本家さんなんでしょう。
そうだ。
ラスト付近で急に最終回の話を変える、というのが吉岡も中村も似通ってましたね。
対極にいるキャラだからそれぞれ全く違う方法やアイデアやアプローチで、自分の個性を最大限に生かしたワザでハケンを取りに行くのがセオリーだろうと思ったんですが、主人公格でライバルの2人にほとんど同じような行動をさせるという脚本は斬新だったなと笑いました。