プレデター ザ・プレイのレビュー・感想・評価
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主人公の活躍が少なく最初から逃げてばっかり
ネイティブアメリカン側の武器が原始的、対するプレデターの武器は最新鋭。常に味方側が不利な状況で劣勢を強いられているので緊張感があった。
気になった点は2つ。
1つめは、主人公の活躍が少ないこと。最初から逃げてばっかりで、まともに戦うのは最後の最後。美味しいとこだけ持ってった感が否めない。
2つめは、暗いシーンが多いこと。日中見たせいもあり日光が反射し見づらかった。カーテン閉めて、テレビの明るさをMAXにしても暗いシーンはきつい。
プレデター神話の新たな始まり‼️
1715年のアメリカを舞台に、コマンチ族の女戦士ナルと凶暴なプレデターの対決を描いた、「プレデター」シリーズの鮮やかな復活作‼️ホントにシュワちゃんの第一作に勝るとも劣らない傑作‼️まさか「プレデター」シリーズがここで持ち直すとは誰が想像したでしょう‼️今作ではシリーズの原点に立ち戻り、狩る者と狩られる者の対決をシンプルに描いています‼️ミッション、未開の大自然、見えざる敵・・・これだけでもうワクワクしてしまう‼️カナダのアルバータ州で撮影された18世紀のアメリカの雄大な大自然は、劇場公開されなかったのがホントに残念なくらいスクリーン映えする美しさ‼️そんな雄大な大自然に降り立ったプレデターは、蛇、オオカミ、クマたちを血祭りに上げ、コマンチ族の戦士たちや侵略者であるフランスの白人と死闘を繰り広げる‼️ナルとの対決に向けて緊張感が徐々に高まる演出はホントにウマい‼️第一作目より270年近く前の時代のため、プレデターの装備もちょっと原始的‼️特筆すべきはマスク‼️過去作のマスクと比べると素顔の顎牙が見えるデザインになっており、プレデターの野生味が感じられるデザインは私的にナイス‼️そしてプラズマキャノンも3本の弓矢のようなものが、赤い3点の照準に命中する仕様になっていて、18世紀のコマンチ族を相手にする上ではバランスが良いでしょう‼️そして主役のナル役のアンバー・ミッドサンダーの存在感‼️女には生まれたんだけど、英雄である兄のように自らも戦士になりたい‼️兄に認められるため、狩りを成功させようと一生懸命頑張る彼女の姿にはかなり共感‼️この作品は一人の女性が男たちで形成される部族の戦士階級において、自らのアイデンティティーを追求する力強い成長物語‼️そんな彼女がロープ付きの斧を投げつけ、鮮やかにキャッチする姿はホントにカッコいい‼️そしてナルの飼犬サリィの活躍もホント微笑ましく印象的‼️体温を下げる薬草や底なし泥沼などの、クライマックスに向けての伏線の張り具合も抜かりない‼️そしてクライマックスで漆黒の闇の中、展開されるナルvsプレデターの一騎打ちは、視覚的にも強烈な威厳を持つ見せ場で、第一作目のクライマックスを彷彿とさせる凄まじさ‼️ラスト、プレデターを討ち倒したナルの勝利の雄叫びの勇ましさ‼️プレデターの血を顔に塗ったナルの凛とした美しさ‼️この作品で一気に「プレデター」シリーズの未来は明るくなったんじゃないでしょうか⁉️監督であるダン・トラクテンバーグの手腕にも拍手‼️そんな監督が手がける「プレデター」シリーズの次回作、エル・ファニング主演「バッドランズ」にもチョー期待ですね‼️
単純でよかった
プレデターがかなり昔の地球に来て部族を狩っていく物語。プレデターズと似た感じの舞台で槍やナイフを使ってプレデターと戦闘していくもの。プレデターの装備が前作までのものより劣っていてしょぼく感じるが逆に原始的でプレデターの初期が感じられる。主人公のナルがマジ可愛すぎるそして強いから好きなりました。あとナルの兄が戦闘には長けていてプレデターに善戦していたのに光学迷彩使われて形勢逆転でやられたのは残念だった。
凶悪戦士と人類、初めての闘い
“ライバル”との“vs”も含めると、これで通算7本目。
凶悪残虐な異星人ハンターであり、誇り高き戦士。
屈指のSFキャラ、プレデター。
今尚人気を誇り、スパンを置いて製作され続けているが…、つまらなくはなかったが、前回の『ザ・プレデター』でそろそろ限界かな、と。レビューでも“プレデターも闘いを終える時が近い”なんて書いたし。
2022年のこの新作は、昨今お馴染みの前日譚。配信オンリー。
この人気シリーズも本当にそろそろ…いやいや、第1作に匹敵するほどのスリルと気合いに満ちたシリーズでも格別の一作になっていて、驚き!
プレデター、初めて地球に降り立つ。時は18世紀。
目的は戦士としての通過儀礼や狩り。サバイバル試練。
オオカミやクマなど獰猛な動物と闘う。敵ではない。
程なく目的達成出来るだろうと思っていたら、思わぬ敵がいた。
プレデターが初めて対した“奴ら”は、シュワちゃんじゃなかった…!
ネイティブ・アメリカンのコマンチ族。
まだまだ文明未発達で原始的な種族。宇宙の高文明の武器に原始的な武器で挑んでくる。
ほとんどが相手にならず、瞬殺だが、戦士の一面もある。
中でも最も偉大な戦士のタアベ。恐るべき未知の敵から血を流させる奮闘を見せる。
そしてもう一人…。
タアベの妹、ナル。
治療師の傍ら、兄のような戦士になる事を夢見ている。
“何か”の存在と異変に最初に気付いたのもナル。
空を飛ぶ謎の物体。ナルはそれを“雷神鳥(サンダーバード)”と思うが、プレデターの宇宙船。
皮を剥がされたバッファローの死骸。村では戦士がライオンに襲われ、それもライオンの仕業と皆は言うが…、違う。ナルはライオンより恐ろしい“何か”の存在を感じ取る。
そう書くと勇猛果敢な戦士のように思えるが、実はナルはまだまだ半人前。
兄らと共に仲間探しとライオン狩り。ライオンに襲われ、兄に助けられる始末。足手まとい。
証明しようと愛犬を連れ立って旅へ。底無し沼に落ちたり、グリズリーに襲われたり…。
バッファローを殺したのはフランス人の狩猟グループ。捕まる。
そこをプレデター襲撃。フランス人グループは殺されるが、ナルは生き残る。また後々遭遇した時も。
対する力を持っていた…? 運が良かった…?
ただ“敵”と見なされなかっただけ。
プレデターが闘うのは、戦意や敵意がある者だけ。非武装や怪我人は襲わない。
いずれの時もナルは沼にハマっていたり、縛られていたりと無抵抗。だから敵と見なされなかった…いや、無視された。
まあそれに、恐ろしさもあっただろう。最初は何も出来ない。逃げ隠れるのみ。現代人の我々がプレデターに遭遇したって恐ろしいのに、この時代の者たちにとっては“怪物”か“悪魔”。無理もない。
が、戦士を目指す者にとっては屈辱。自らの弱さ、敵に無視された事。
このままおめおめと引き下がるナルではない。死闘の末、兄も殺された。たった一人残ったのは、私だけ。恐るべき難き“奴”を倒す。
ナルの中の“戦士”が目覚める。
敵ではない、弱いと思われているなら、それを強みと武器にするまで!
基本ジャングルで少人数、最後は一対一のイメージ。
でもそれは第1作と『プレデターズ』くらいで、都会や街中が舞台だったり、チームで闘ったり。
本作は基本設定を本格的に踏襲。
森の中、闇夜、霧の中…。
姿を消して忍び寄る。気付いた時には、もう…。
一人、また一人と殺されていく。
殺し方も残忍。お馴染みのレーダー照準、串刺し、斬首…。
本作のプレデターは原点回帰のとにかく凶悪。デザインや武器や装備もまたおニュー。
マスクを外した顔は長い牙が特徴で、シュワちゃんの言葉を借りるなら、醜い奴だ。(←誉め言葉)
バイオレンス描写もなかなか。
それらがあってのプレデター。見世物的な“vs”とは訳が違う。
対するナルを演じるアンバー・ミッドサンダーはネイティブ・アメリカンの血を引く。
タフさ、強さ、カッコ良さの熱演の中に、美貌や魅力も光り、今後の活躍に期待。
『10 クローバーフィールド・シーン』の新鋭監督作で、見えない何かの恐怖は通じるものがある。次は『ツイスター』続編の監督候補に上がっているとか。
シリーズでは間違いなくベスト級。でも…
意地悪な『AVP2』ほどではないが、暗いシーンがちと見えづらかった。
シリーズお馴染みや彷彿させる要素はあるが、リンクネタはほとんどナシ。はっきり分かったのは“血を流せるなら殺せる”の台詞くらい。ファンなら色々気付いたかもしれないが。
それから、ラストの決着。何がどうなってああ倒したか最初分からず。後で調べたら、プレデターのマスクの特性を利用したんだとか。私がその辺気付かなかったせいか、ちょっとだけ盛り下がった。
プレデターと人類の初めての闘い。
勝者は…
これを機に、プレデターは地球を“要注意惑星”とし、幾度の襲撃が始まったのかもしれない。
因縁と闘いの始まり。
次は…!?
タイトルなし
突っ込み処が多過ぎて話にならない(笑)
良かったのは主人公と犬が可愛かったことくらい。
みんな演技下手だし、泥だらけになるくせに汗ひとつかいてないのが違和感すぎてもう(--;)そもそも作りが雑。プレデターというのはもう皆が知ってるものとして演出されるのが許せない。これは言わばゼロに当たる作品なのに、最初から船は出てきちゃうし、透過してるとはいえ最初から視聴者側からしたら存在が分かってしまう演出が怖さを半減させている。知ってるからいいだろうではないんだよ。
主人公も未知の生物や文明に触れるのに、悩むことなくプレデターの装備品を使いこなす始末。なんだこれ(笑)
自作の縄くくりつけただけの斧があんな軌道する訳ない(笑)沼に落ちた時の木に引っ掻けるシーンも、あんな頑丈なわけないでしょ(笑)
犬は可愛いから全面的にOKだけど最後の戦闘、斧咥えて攻撃とかワンピースのゾロみたいなことしてるし噛みつけよと(笑)
兄貴死んだことには一切触れず悲しむ描写もなく終わるのも意味分からない。銃とプレデターの首持ち帰るくらいなら兄貴の遺品の1つでも持ち帰りなよ。プレデターが何なのかも分かってない村民に首だけ持ってきて説明もないのに「よくやった認めてやる」っておかしいでしょ(笑)
まだまだ突っ込み処満載だけど、もう打つの疲れたのでこの辺で(笑)
初めての人類vsプレデターをたっぷりと!
1700年頃の狩猟ネイティブアメリカンとプレデターの戦いを描く。
なんのバックストーリーもないところにプレデターがやってきて戦いが始まるので、正統プレデター映画という感じで楽しく見ることができます。
人類対プレデターに絞り、初心に返った素晴らしい映画です。
細かいツッコミどころはあるとは思いますが、基本的にはあー楽しかったで終われると思います。
以下ストーリー
主人公のナルは狩猟のための知識も技術もあるが女性であるために役割分担として治療や採集をしている。ナルの兄は部族一のハンターで、ナルを諫めつつ、その才能を認めている。
ある日、ナルはライオンの狩りについていくなかで特殊な巨大生物の存在を感じるが、誰もそれを信じない。ナルは斧投げの技術を研き、犬のサリーと狩りへ出かける。プレデターがクマを容易く倒すところを目撃し、ナルを追いかけてきたハンターたちに知らせるが、すでにプレデターはすぐそばに。
仲間たちはプレデターに多少の傷は負わせるものの、あっけなく殺されていく。ナルは全力で逃げるが、トラバサミにひっかかり絶体絶命に。しかしプレデターは動けなくなったナルを見逃す。
ナルは罠を仕掛けた白人たちに捕らえられ、プレデターをおびき寄せる餌として利用される。しかしプレデターは戦えない獲物に興味がないため、待ち伏せしている白人たちから殺されていく。なんとかプレデターを罠に嵌めるが、甲斐なく大量虐殺に。
何とか逃げ出したナルは斧とサリーを取り戻すために白人のキャンプへ戻る。そこでケガをした白人の治療のために薬を飲ませるが、プレデターの襲撃に遭う。ナルは隠れるが、薬のために体温が下がっている白人は動けずに死んだふりをしているとプレデターに無視される。
戦いを決意するナルだが、そこへ兄がやってきてプレデターと善戦。仮面で矢の照準を合わせていることなどが分かる。兄はプレデターに殺されてしまうが、ナルが逃げる時間を作った。
失意のナルだが、プレデターとのラストバトルへ向けて悪どい白人を餌に使い、その銃を使用してプレデターの仮面を剥がす。自然を活用しながら兄も真っ青の肉弾戦を繰り広げ、最後はプレデターを沼にはめて動けなくさせ、矢を使わざるを得ない状況に持ち込み、仮面で照準をプレデター自身に合わせて自爆させた。
ナルは村に戻り、プレデターの首と白人の銃を戦利品として、安全な場所への移住を促した。
セリフの言語の選び方が意外と深い話
まずは総合評価として★3.5を与えたい。
その理由として、「映像美」「美術のこだわり」「CG(視覚効果)」の3点を挙げる。
より具体的には、ロケーション、ヘアメイク、衣装、大道具・小道具(セット)、そしてカメラによる撮影が良かった。
舞台として1700年代初頭のアメリカの未開拓領域、主人公としてネイティブ・アメリカン(コマンチ族)を選び、素朴で野性味のあるサバイバルを演出した。
美術へのこだわりにより、被写体にごまかしがなく、観賞に耐えうる映像作りを成し遂げた。
アメリカ建国(1776年)以前の入植時代を背景として、スペイン人が登場したのもよい。
さらにクマとの戦闘シーンもある本作は、『レヴェナント:蘇りし者』(2015,アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督)を想起させる。
アカデミー賞3部門を獲得したこの名作と比較してしまうと、ところどころ拙速さが気になるものの、100分という短尺のなかで素朴さ、自然との交わり、野生味(そして若干のゴア表現)を終始一貫して描くことができているのではないだろうか。
「拙速」な部分をより丁寧に描き、部分的に肉付けを行えば、素晴らしい作品に仕上がるのではないだろうか。
音楽に関しては凡庸で、むしろデジタルに、電子音楽を使用するなどの挑戦を行ってもいい。
またプレデターの目的も謎で、「闘争」(抗争)の匂いを嗅ぎつけて現れるというシリーズの約束から外れる。
その点を補完するように今作では「食物連鎖の頂点争い」が描かれる。
タイトルにある「プレイ」とは、"prey"のことで、猛禽類、あるいは猛禽類の獲物を意味するが、要は「狩るものが狩られる側に立つこと」を意味する。
コマンチ族は狩る側でもあり、強力な野生動物に狩られることもある側でもある。
そこにスペイン人入植者たちが登場し、頂点捕食者の座を獲得するかと思いきや、プレデター、そして主人公によって壊滅させられる。(このようにプレデターは「敵」ではあるが「悪」ではなく、シリーズを通じてしばしば悪役を消してくれるヒーローでもある。これが誇り高い戦闘部族に対するリスペクトである)
主人公たちは動物を狩る人間であるが、スペイン人の登場により狩られる側になる。しかしそのスペイン人もプレデターと主人公によって倒され、主人公とプレデターとの頂上決戦となる。
このような、狩るものが狩られる側に転ずるという闘争の全体が"prey"という単語に集約されている。
作中しばしば、この食物連鎖を象徴するシーンが、野生動物を通じて描かれる。
ところで前述の「拙速」さとは、例えば巨大なクマとの遭遇が、安易に戦闘に発展してしまうところ、などだ。野生動物は、生き物を見ればなんでも襲い、殺してしまうような生き物だろうか。
本作では「食物連鎖」(あるいは頂点捕食者)を描く都合上、生き物同士が遭遇すると常に「上下関係」(優劣、大小関係)を決定しようとしてしまう。
実際の自然界において、生き物同士の遭遇は必ずしも殺し合いには発展しないだろう。空腹であるとか、育児中であるとかの理由で動物が凶暴になることは知られているが、常にそうだというわけではない。
『ジュラシック・ワールド』(2015)や『ジュラシック・ワールド/炎の王国』(2018) が、第1作『ジュラシック・パーク』(1993)に比べて圧倒的に劣る理由は、人間の敵という側面だけを持つ恐竜を登場させてしまい、「畏怖」の対象(尊敬と恐怖両方の対象)である恐竜の姿を損なわせてしまった点にある。第1作における恐竜は、恐怖の対象でもあり、動物に対する愛情の対象でもあった。
これと同じことが本作においても言える。動物は、ただただ凶暴な側面だけがピックアップされている。
こう言った点をクリアすること、つまり安易な戦闘に発展させないことや、野生動物たちの持つ様々な表情を満遍なく描きつつも主人公との生存競争に発展する様を丁寧に描写することによって、本作は真に「自然に溶け込んだ」作品になれると言えるのではないだろうか。
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主人公をコマンチとして描くにあたり、スペイン人の登場、その下劣さ、彼らの全滅は、おそらく白人によるネイティブ・アメリカン迫害の歴史を省みての白人なりの「へり下り」であり、この映画もまたポリコレの側面を持つ。
主人公は女性であり、性別役割分業に抗う姿が描かれる。
個人的な疑問であるが、わざわざ性別役割分業だとか、男性を「女性に対して決めつけを行う悪者」として描かずに、単に活躍する女性像を描くことはできないのだろうか。
ハリウッドにはすでに『エイリアン』(1979)だとか『ターミネーター2』(1991)のように、男性との比較・差異の描写を介することなく、純粋に活躍(アクション)する女性像を描いた事例が存在する。
『プレデター』シリーズにおいても、『エイリアンVSプレデター』(2004)は、女性主人公がプレデターと協力して活躍する作品であった。
(エイリアンは男性器のメタファーであり、宇宙船という閉鎖空間は膣を象徴する存在で、さらにはエイリアンによる"妊娠"を描いた作品であるという視点もあるが)『エイリアン』シリーズに対して、「主人公を男性にしろ」と文句をつける人は存在しないし、主人公が活躍さえしていれば、それが男性だろうと女性だろうと観客はあまり気にしないものである。(というのが個人的な意見だが、どうだろうか)
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さて、「映像美」「美術」「視覚効果」において優れる本作であるが、前述の通りところどころ拙速である。
「映像」「美術」「視覚効果」における丁寧さが、末端まで及ばなかったのではないだろうか。
脚本、編集、アクションなどにおいては不足が見られる。(Disney+作品に対してそこまで指摘してはいけないだろうか...)
食傷気味な『プレデター』(ついでに言えば『エイリアン』)シリーズであるが、素朴な舞台設定により原点回帰がもたらされたのではないだろうか。
肉付けによって膨らませれば「化ける」可能性もあるので、この路線で進んで欲しい。
ちなみに以前『エイリアンVSプレデター』の小説版(竹書房)を読んだことがあるが、そこでは現代よりも前、プレデターが何度も地球を訪れ人間と接触する様子が描かれていた。
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本作でスペイン人が登場する理由は、主人公たちコマンチ族が住んでいたのがアメリカ南西部だからだ。
18世紀初頭、アメリカ南西部を統治していたのはスペイン人である。メキシコがスペイン語圏であるのもその名残だ。
重要なのは白人が登場することだ。白人が登場してネイティブアメリカンを侵略した歴史を描ければよい。
コマンチ族がアメリカ南西部に住んでいたことや、18世紀初頭の統治者がスペイン人であったことを知らない視聴者も多い。そのため実際の遭遇確率はスペイン人が高かったとしても、白人に英語を話させるという選択肢もある。
だが本作では、より正確な史実に基づき、スペイン語を話すことにしたようである。
それならば主人公達も正確な歴史考証に基づき、全編を通じてコマンチの言語を話せばよいのではないか?という指摘も考えられる。
『アポカリプト』(2006年, メル・ギブソン監督)という映画では、マヤ人を描く物語で、実際に全編をマヤ語で撮影してしまった(!)
本作、主人公はコマンチの言語も英語も両方話すが、英語をどこかで習得したのか、それとも(映画によくあるように)「本当はコマンチ語を話しているがセリフが英語なだけ」なのかは不明である。
スペイン人の通訳と主人公が会話するさいの会話は英語で行われるが、2人が話しているのが「本当に英語」なのか、それともコマンチの言語なのかが不明だ。
スペイン人がどこかでコマンチ語を習得したのも謎だから、英語を覚えているほうが自然だが、ヨーロッパ人と接触していない(であろう)主人公がどこかで英語を習得しているのも不思議だ。
だが劇中で、西洋人とはどこかで交流する必要がある。
というのも主人公がスペイン人から銃の使用法を学ぶシーンがあるし、『プレデター2』のラストシーンで登場した銃を西洋人から受けとらせたいからだ。(これが本作の製作者の狙いだ)
単に銃を盗むような展開でもいい。そうなれば言語を介在する必要がないからだ。しかしそうするとなぜ銃だけ盗むのか?という疑問が生じる。他の色々な物に混ざって銃も盗んだことにしてもいいが、銃をよりピックアップするため、やはり本来の目的通り武器として、主人公に使用させたい。
だが考証に正確でいようとすると、当時の銃の使い方は複雑であるため、主人公に銃の使い方を学ばせる必要がある。するとどうしても言語による会話が必要となる。
そのような思考過程を経た結果、「英語のセリフだが、本当はコマンチ語を話しているのだろう」という観客の認識につけ込み、スペイン人通訳との会話を英語で行わせることを思いついたのだろう。
絶妙なやり方であり、映画でよくあることを逆手に取ったやり方だが、上記のように「いま2人が話している英語は、本当に英語なのか?それともコマンチ語なのか?」という疑問を抱くまでは有効である。
リアリズムと演劇性がうまく融合した形だ。(この点は芸術の域だと思う)
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つまり、「『プレデター2』に登場した銃が本作で主人公の手に渡る」というラストへ向かうため、逆算的に「銃をスペイン人から受け取ること」「銃を使用してプレデターに抗戦すること」「銃の使用法を覚えるために言語が必要であること」「主人公はコマンチ語しか話せないがスペイン人(通訳)は英語も話せること」から「主人公はコマンチ語と英語のセリフを織り交ぜて会話する」という解決策に至ったのだろう。
序盤から、ラストに向けての伏線が張られていたことになる。
観客は主人公が英語を話しても、「映画によくあるように、英語を話しているけど本当はコマンチ語なんだろう」と解釈してくれる。
主人公のセリフは全て英語にせずコマンチ語を織り交ぜたのはスパイス的演出であり、多少の考証的配慮でもある。(また、英語で会話するほうが主人公が観客の支持を得られやすいという利点もある)
スペイン人がスペイン語を話すという点に関しては英語以外の言語を話させることで異文化との接触をアピールした結果として考証的正確性に従うことになったが、主人公が英語を主軸としてコマンチ語を織り交ぜるという言う点では作品の見やすさと演出を重視したようである。(やはり話す言語が分からないというのは異文化との接触をアピールしやすい。つまりアメリカ人がスペイン語をわからないということである)
製作国がアメリカではかった場合、あるいは映画の舞台がアメリカでなかった場合、また違ったやり方になったのではないだろうか?
こまけぇこたぁいいんだよ!!←細かくない件
なんでこんなクソ寒い、闘争も少ない土地にプレデターが来るのか?
プレデターに真に認められるべき戦士は兄貴じゃね?タイマンで互角に渡り合ってたやん
あとプレデターの最期バカすぎるだろ、前もマスクが手元にないのに勝手に作動して兄貴に当たらない矢打ちまくってたのにラストでも同じポカやって自殺とかコントかよ
無誘導なら真っ直ぐ飛ぶだけなんだろうけど誘導状態か無誘導状態か確認してから打てよ
妹が使ってた体温を下げる秘薬、プレデターの目眩しになる温度が何度か知らんが低体温症になるしそもそもあんな俊敏に動けなくなるわ。設定バカすぎ。あと1715のマスケット銃、妹なんであれだけ持って帰ったの?他にも戦利品はあったのにプレデターの首とマスケット銃だけ、プレデター2と矛盾しない?
ラスト酋長の兄貴が死んだ情報は村に入ってなくて妹もまだまだ兄の死を語ってないのになんでいきなり酋長就任した?プレデターがライオンより強いとか誰も知らんだろ、なんか変な生首持って来ただけやん。エンドロールでプレデターが大挙して襲って来るトコで終わったけどプレデターそんな事しないから。遺体の回収と妹へのプレゼントならまだ分かるけど明らかに艦隊で来たやん。
コレ主題は妹は「知恵が高く狩りの知識もあるけど大物を獲った事は1度もない、女は獲物を獲れないと舐められてるから見返したい」「初の大物はなんとプレデター」ま、時代が作った映画なんだろうけどこの高得点はないわ、プレデター1を100としたら30くらいの映画
大自然のなかでの闘いに緊張
物語の舞台は、300年前のアメリカ。初めて地球を訪れたプレデターと、インディアン部族との戦いが描かれます。
アーノルド・シュワルツェネッガー主演の第1作目に近い緊張感が全体的に漂っていて、すごくすごく良かったです。なにが緊張感を生み出していたのか思い返してみますと…。徐々に忍び寄ってくるプレデターの姿や、大自然でのインディアンたちの暮らしぶりなどが、とても丹念に作られていたことなのかなと。
リアルな描写なのかはわかりませんが、インディアンたちの知恵、感覚の鋭さ、生き方など、時間を割いて丁寧に描いている。これらも大きな見どころです。私は早々にバトルがはじまると思っていたので、上記の丁寧さはすごく魅力的に映りました。
バトルについては動きが現代っぽいようにも感じましたが、かっこよくて好みでした。主人公もめっちゃ格闘しててすげぇです。あと、野生のクマが恐ろしい。暴力そのもの。プレデターなみの恐怖を抱きました。
動物といえば、主人公のパートナーのイヌがとっても賢くて頼りになり、可愛らしい。殺伐とした雰囲気のなかで、良いアクセントになっていました。ほかにも様々な野生動物たちが登場しますが、きちんと意味がありました。そういう細かなつくりこみも良いですね。
過去作のオマージュがいくつか見られてグッときました。それが効果的に使われていて、知っている人なら「おおっ!これは!」と思うはず。過去作につながりがあるみたいですよ。
最初期作観ていると面白さが1.5倍増しになります!
ストーリーで40分まで大きく進まない
初見だとイライラすると思う
でも大きく進まない部分がこまやかな伏線になっていますので気にかけてください
後半に前半のシーンが生かされています
後・まったく観ていない方は
最初期作観てください
この作品の良さが1.5倍良くなります
まさかプレデター2の、、、
シンプルに面白かった!
配信ではなく映画館で観たかったな!って感じです。
1作目を思いださせる演出もあり、観ててワクワクしました!
後、個人的にテンション上がったのはプレデター2で最後にプレデターのボスが主人公のダニーグローバーに投げ渡した銃(1715年製)が出てくるではありませんか!!!
見た瞬間に、えっ!?もしかしてあの時の銃じゃね?!ってなりました!(笑)
観終わった後、2を確認したらやはりそうでした。
伏線回収と言っていいのかわかりませんが、プレデター2に繋がる物を32年越しに新作に出すとか制作側の遊び心がいいですし、またこの銃をワードに話しを作れる、作くるかもしれません。
追記
この銃をワードに話しを作れる、、、について。
銃(1715年製)はプレデター2ではプレデターのボス(エンデター)が持ってた。
ザ・プレイでは密猟者(みたいな人)→ナル→村長(みたいな人)が銃の所持者。
この時点でつじつま合ってない、合ってないからこそ空白の部分の話しが作れる。
※絵で始まるエンドロールにヒントがあるっぽい!
倒したプレデターの首を持つナルの絵。
その後の絵がプレデターの宇宙船が空に浮いて見下ろしてる、もしくは攻めてくる?みたいな絵、そこで終わってる。
多分話しは続く。
もしレビュー観た方は絵のエンドロール見返して観てね!
残念。。結局「第1作目が傑作」を実感させられるだけ。
コマンチ族、女性と犬が、プレデターと闘う。設定の面白さに惹かれて、さっそく拝見したが、結局このシリーズお決まりの感想→「第1作目が傑作」を
痛感するだけの作品。
理由1:メスのライオンを仕留められない女の子が
熊を素手で倒すプレデターを倒すリアリティが全く感じられず。
理由2:第1作目で際立った主人公以外のメンバーのキャラの描写が甘く、彼女の兄貴と犬以外に、感情移入できるキャラクターが皆無。武器が脆弱なコマンチ族の底力がまるで表現できていない。
理由3.大事な最後の仕留める仕掛け、わかるようなわからないような、あやふやシナリオ。キメのシーンだけは、勢いだけで終わらせるべきでない。
この作品に高評価をつける人に伝えたい。
「第1作目をちゃんと観てください!」
原点回帰…プレデターが帰ってきた…
プレデター・シリーズ第5作。
Disney+で鑑賞(4K UHD・吹替)。
これぞまさに、原点回帰…
大自然の中、戦士としての己を磨くために地球に降り立ったプレデターとの闘争本能を剥き出しにした壮絶な死闘…
私はこう云うのが観たかったんだ!
本作の対戦相手はネイティブ・アメリカン最強の部族、コマンチ族の女性ナル。逞しく自立した女性像は現代風で、兄とのドラマも秀逸でしたが、シリーズの原点回帰に相応しい激しいサバイバル・アクションを披露してくれました。
武器は弓矢とロープを着けた斧、優れた体力・知力のみ…
コマンチ族の戦士も歯が立たない恐るべき敵に単身戦いを挑むクライマックスは1作目を彷彿とさせ、心踊りました。
自然物を使った罠を張り巡らしてプレデターを待ち受け、敵の弱点を突いた頭脳プレイを仕掛ける展開にはきちんと伏線が作用していて、最高のカタルシスを味わえました。
1作目以降は新機軸を求めてか右往左往していた感のあるシリーズでしたが、ここに来てようやく本来の姿を取り戻したような気がしました。配信リリースと云うのが本当にもったいない。是非ともスクリーンで観たかったなと思いました。
[余談]
本作を正史とすると、AVPシリーズと辻褄が合わなくなる気がしました。AVPの1作目で、プレデターが人類に文明を与えたことを示唆するシーンがありましたが、そこに登場したプレデターは従来の金属製マスクとプロテクターを装着していたからです。本作のプレデターのそれはつくりがシンプルで、装備にしても従来のものになる一歩手前な感じでした…
※鑑賞記録
2022/08/11:Disney+(吹替)
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